『SS』 月は確かにそこにある 5

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 どうやら放課後に国木田たちと下校するというのは当然の選択であったらしく、何も言われることも無いままに無事帰宅することが出来た。谷口が寄り道を提案してきたのだが、夜に先約があるので断ろうとすると空気の読める友人であるところの国木田が上手くフォローしてくれる。
 こうして帰宅時にいくつかの情報を入手しながらも上手く誤魔化しきれたのではないだろうか。むしろ国木田の様子から、あいつは事情を分かりながら俺のフォローをしていた節すらある。少なくとも去年の話を蒸し返す俺に嫌な顔一つしなかったのだから感謝せねばなるまい。そんな俺が主に国木田との会話の中で知ったこちらの世界の情報は以下の通りだ。
 まず俺の知っているような出来事はほぼ同じように推移していったようだ、ただし微妙に時系列がずれている。代表して言うならば古泉の転校時期などがそれに当たるだろう。
 古泉は朝倉が転校してから北校にやってきたことになっていた。朝倉が急にいなくなって意気消沈していた谷口があっという間に復活したのはそのせいらしいが、それはどうでもいい。
 そしてハルヒがSOS団を作ったきっかけとやらが古泉の転校らしいのだ。急な転校が同じ時期に立て続けにあり、それを不思議に思ったハルヒが古泉にアプローチをかけたのがSOS団結成のいきさつと聞いて、俺はなんとも言えない気分だった。長門と朝比奈さんがSOS団に入らされたのはほぼ俺が知っている内容と同じだったのだが、完全に俺が抜け落ちただけのようだ。
 …………………そこまでハルヒに邪険にされているとはな。しかもこれでは古泉あってのSOS団だ、それもハルヒらしくないといえばそうなる。何よりも古泉が女である必要性はまだない。
 驚いたのはハルヒの行動である。あいつはSOS団を世間に知らしめると称して朝比奈さんを散々ひどい目に遭わせていたのだが、この世界ではそのような事はなかった。それは未だにあの部室は文芸部であり、長門が文芸部長であるというのを谷口ですら知っていたという事実からしてそうだろう。どうやら古泉とハルヒ長門のいる文芸部に行って、平和的に解決して居座っているらしい。いや、表現的に言えば文芸部の別名がSOS団なのだという認識の方が近いのかもしれない。
 つまりはSOS団とは名ばかりで文芸部であるというのが国木田や谷口の認識である。これはハルヒという人間を知るものとしては驚天動地な事実だろう、あいつがそんな立場で収まるとも思えないのだが。だが実際に文芸部室で行われているのは単に茶飲み話と読書だけのようである、ただし朝比奈さんのコスプレは健在のようだ(谷口の情報によると)。
 そしてハルヒがどう思っているのかは知らないが、図らずもSOS団はある意味この学校で一・二を争うほど有名なのであった。それはハルヒのエキセントリックな行動の賜物ではない、単に周囲の(主に男子の)評価が高いだけだ。確かに見た目だけは美少女のハルヒに無口な文学少女に見える長門、元々学校のアイドルだった朝比奈さんに忌々しいがモデルばりの美人の古泉、おまけにお嬢様の鶴屋さんまで時折顔を見せる文芸部が校内の噂にならないほうがおかしいだろう。
 ついでに言えば口さがない連中(例えば俺と一緒に帰っている空気を読まない方の奴だ)からすれば美少女だけが集まっている空間というのは妄想をかきたてられるようなものだろう。それが表面化しないのは、いくら大人しくてもハルヒハルヒであるからであって、それがいいのか悪いのかは判断に迷うところでもある。
 もう一つ疑問なのは古泉の転入は分かるのだが、朝倉の転校理由が分からないことだ。何故ならば話の流れからして俺が殺されるような要素は皆無であり、そうなれば朝倉が長門に情報解除されるような事もあるはずがない。だがそれを知るのは当の長門と俺だけなのであって、今の状態ならば長門に尋ねるしかないのだった。しかし俺は何となくなのだが長門にこの件を聞く必要はないように思えた。これがハルヒの作った世界なら長門と朝倉の対立について知る良しも無いハルヒが適当に朝倉の転校をでっち上げたとしてもおかしくないからだ。朝倉がこの時点でいない、それさえ証明できればいいのだろう。
 さて、そんな中での俺の立場はと言えば、これがどうやらハルヒ達の活動に対して無関心そのものであったらしい。
「だからキョンが急に涼宮さんたちの事を聞いてくるから驚いたよ」
「そりゃあれだろ、古泉さんなんかに話しかけられりゃムッツリのキョンとしてはホイホイついていきたくもなっちまったんじゃねえか」
 谷口の尻にローキックをかましながらも、確かに入学当初の俺ならば無関心を貫くどころか積極的にその場から離れようとすらしていたかもしれない。しかしそれを許さなかったのは俺の後ろの席のヤツである。そう、涼宮ハルヒという女と関わったからこそ今の俺になってしまったのだから。
「まあそれでも涼宮さんはキョンとだけはよく話しているとは思うけどね。他に男子と話してるとこなんかは見た事無いし」
 暗に変わり者と付き合うのは上手いからね、と言われているような気がするのは中学時代の奇妙な噂のせいだろうか。谷口までも、
「そうだな、中学の頃と比べたら涼宮がまともに話をしていることすら奇跡だぜ。なあ、本当に何かしたんじゃないのか?」
 などと言い出すのだが、これだけは前の世界でも理由が分からないままなのだ。ただ俺とハルヒの関係としては俺が思っていたよりも良好なのかもしれないが、若干の物足りなさを感じてしまうほどにSOS団、涼宮ハルヒという女の存在は大きくなっていたという事なのだろうか。それについて否定も肯定も出来ないままの俺は釈然としない気分のままで国木田たちと別れた。別れ際に大丈夫? といった顔をした国木田に対して曖昧に肩をすくめるしかなかったのはどうしたものだろうか?
 家に帰り、適当にシャミセンを追い出して(この流れでいえばシャミセンがいることも矛盾なのだが)ベッドに倒れ込み、思い出したかのように携帯を開いてみた。アドレスを見てみてもSOS団メンバーの番号は無い、何故かハルヒの番号だけがあったのだが着信履歴を見てもほとんど会話はないようだった。恐らく席が近いので何らかのやり取りで偶然番号を交換したといったところだろう。ついでに言えば古泉のメールアドレスだけは先程入れなおした事になる。
「なんとまあ…………………」
 本当に言葉が無い。これがいきなり襲い掛かられた事態ならばもっとパニックに陥っているのかもしれないが、なまじっか経験としてハルヒのいない世界を知ってしまっただけに本人が後ろの席にいるだけで安心してしまっている俺もいる。しかも今回は本当の被害者は俺ではなく古泉である、あいつはSOS団の活動を一人で(正確に覚えているという点では)どのように過ごしたのだろうか? 一つ言えるのは羨ましくはないという事だな、何が哀しくて女になってまでハルヒの相手をせねばならんのだ。そう思えばハルヒの意向に逆らう事が許されない古泉が哀れですらある。
 しかも状況としては哀れな古泉からSOS団の様子を聞きださねば始まらないのだからしょうがない。朝比奈さんや鶴屋さんなどは俺の事を見向きもしてくれないんだろうなあ、と益体のないことを考えながら携帯をいじっていると手の中で携帯が鳴りだした。
『ああすいません、只今長門さんのマンションの前で解散したものですから』
 声だけ聞くと古泉だと思えないな、いつもよりも弾んだ声に聞こえるのは気のせいか?
『なるべく早めにお会いしたいのです、少し予定を早めたいのですがよろしいですか?』
 これが本当に女の子からのお誘いならば喜んで駆け出すところなのだろうが、相手が相手だけに腰も重くなってくる。というか、今回はどうにも部外者扱いされているようで居心地が悪いというより俺に出来る事などないような気がしてくる。
『それでもあなたの力が必要なのです。お待ちしておりますのでお願いします』
 どうにも納得がいかない。もしかしたら古泉が今まで感じていたのもこんな気持ちなのかもしれないな。立場が逆転しているからか、古泉が浮ついているような気さえしてくる。
「……………分かったよ」
 古泉の妙に浮かれた声が気にならなくもなかったが、とにかく会って話さないとどうにもならないし情報交換も必要である。
「だが電話で済ませちゃダメか?」
 受話器の向こう側でため息が聞こえたが、こっちだって同じ気分だっていうんだよ。
『それはあくまで僕だから、という理由なのですかね? それはそれで私も認識されていると喜ぶべきなのでしょうか』 
 まあ確かに古泉だからこそ、こんな馬鹿馬鹿しいやり取りが出来るのかもしれない。これが朝比奈さんならば万難を排して駆けつけねばなるまいし、長門ならあいつが無茶をしないようにこれも早く駆けつけようとするだろう。
 だが古泉となると、急にそこまで考えなくて済みそうな気がするから不思議なものだ。一つは同性でもあるからというのもあるが、『機関』という分かりやすい後ろ盾があるからというのもある。少なくとも自分たちだけでどうにかしてしまいそうな雰囲気がある。
『確かにそういう面は否めませんが今回はその『機関』にすら頼りきれないのが実情ですから』
 古泉が実は男です、なんて長門ですら信じていないのだから言うまでも無いのかもな。
『なのであなただけが頼みの綱なのです、お願いします!』
 流石に古泉とはいえ女の声で切羽詰った口調で言われれば多少は心も動かされるもので、
「分かった、待ってろ」
 とりあえずベッドから起き上がると公園に向かうべく自転車を走らせることにした。
 イマイチ乗り気になれないのは多分放課後に首回りが苦しくならなかったからだと言い訳をしながら。