『SS』 月は確かにそこにある 6

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 公園までとりあえず自転車を走らせながら、俺は実際のところは古泉よりもどのように長門に説明するかを考えていた。少なくとも俺は普通の人間であり、古泉は閉鎖空間内のみの超能力者であって(それに性別も変えられているが)基本的には普通の人間でしかない。そんな俺達がハルヒのインチキパワーに単純に抵抗できるはずもないので長門の力が必要だろうと思っている。つまりは頼れるのは長門だけだという情けない状況なのだが今回も負担をかけてしまうのだろうか。
 多少憂鬱な気分になりながら俺は目的の公園へとやってきた。入り口に自転車を止めて中に入ると北校の制服の女性がベンチに座っている。と、ここで違和感を感じたのはこれも経験からくるものであって個人的には必要の無い直感である。………………何故一人しかいないんだ? しかし俺が近づいてくるのを確認した女は立ち上がって俺を迎えやがった、しかも涼やかなほどの笑顔で。
「やあ、思ったよりも早かったですね」
 お前が早く来いと言ったんだろうが。古泉は男の時と変わらない、むしろ女になって魅力を増した笑顔で俺の言葉に肩をすくめた。
「これはこれは申し訳ありません。ではせめてものお詫びとしてコーヒーでもいかがですか?」
 昼休みのお返しもしていませんしね、と言いながら自販機に向かう古泉の後姿はまったくもって女性そのものである。もしも俺が女になったらあそこまで綺麗に歩く事すら不可能だろうな、まずスカートというものに慣れると思えない。それを如才なくこなしているのは古泉が『機関』のエージェントとして北校に来たという事だからだろうか? 演技をすることに慣れているという、そう言いたいのかもしれない。
 では今までの古泉が全て演技だったのかと言えばそうじゃないだろうと思うのでもある。それならあいつは『機関』の意思に背いてまでSOS団の為に動くなどとは言わないはずだ。ということは………………………どういうことだ? これじゃまるで古泉は今の状況を楽しんでいるようじゃないか。そういえばと周囲を見渡してみても公園には俺と古泉しかいないようだった。
「どうしました? 一応周囲は警戒していましたが私とあなたしかいないようでしたが」
 コーヒーと自分の分であろうミルクティーの缶を持った古泉がいつの間にか目の前に立っていた。何も言わずに缶を受け取ると、古泉は当たり前のように俺の隣に座る。多少内緒話をするにしても近すぎるような気がするのだが、男のこいつなら俺も距離を取るところを何も言えないままだったりする。
「で、どうだったんだ?」
 違和感については後から問い詰めるとして、俺はまずSOS団の様子を知りたかった。自惚れる訳ではないが俺がいないSOS団というものがどうなのかは興味がある。
「そうですね、長門さんは読書というのは変わりないようでした。僕の記憶するところでは読んでいる本の種類等も変化はないようです」
「そうか、多少の記憶の違いはあるが長門長門のままということでいいんだな」
 古泉が頷いたのを見て俺は安心する。まだ俺に対して不信感はあるだろうが能力に変化がないのなら古泉からでも働きかけは出来るだろう。回りくどいが仕方が無い、俺は古泉に続きを促した。
「変化と言えば私のゲームの相手が朝比奈さんになったくらいのものですか。それでも僕の白星が増える事がないのが残念ですが」
 それは結構どうでもいい。しかし本当にゲーム弱いんだな。
「それでもあなた相手よりも勝率はあがっているのですよ」
 嬉しそうに言うな、子供か、お前は。本当に緊張感を感じない古泉の様子に若干以上の不安を覚えてくる。
「お前の勝率なら戻ったらいくらでも下げてやる、それより他に変化はなかったのか?」
「涼宮さんに大きな変化はありませんでした。ただより積極的に僕らと会話をしている印象はありますね、パソコンを見ている時間が短かったように思います」
 あなたがいるのならばともかく、と言おうとした古泉を睨むがハルヒがネットサーフィンもせず、何か企画を立てたわけでも無いのに古泉たちとの会話を楽しんでいたというならおかしくはないが不可思議ではある。
「それも朝比奈さんとファッションの話をしたり、長門さんにその意見を聞いたりと所謂普通の女子高校生としての会話として成立しそうな類のものばかりでして」
 正直女性の服装の話なんてついていけないので頷くだけでしたが、と苦笑しているがそつ無くこなした事は想像に難くない。これで国木田や谷口の認識が間違っていない事も証明できたな、しかし普通の女子高生のハルヒなんて見た瞬間に今日が四月一日じゃないのかと疑いかねないのだが。
 しかしハルヒの意図が見えないままだ。何を思って古泉を女にしてまで普通の高校生になろうとしているのか、そして俺を排除したのかが不明だ。いや、俺がいるのが邪魔なら俺自身の記憶なりを改ざんすればいいだけの話であり、古泉が女になる必要がないと思うのだが。
「ふむ…………」
 それを聞いて古泉が考え込む。だが考えて何か心当たりがあるのだろうか? 
「すいません、正直なところを言えば涼宮さんの安定具合から見ても原因になりそうなものが見つかりませんでした」
 ハルヒ精神分析の専門家である古泉から見ても原因不明とは余程今の状態が満足だと見える。要は俺が不要だという事でいいのだろうな、大したもんだ。
「ああいえ、恐らくそれは違うような………………」
 言葉を濁されても事実がそうなのだから仕方ないだろ? まあこれで縁が切れればそれもいいのかもしれないが、長門や朝比奈さんとの接点が無くなるという事には納得がいかん。古泉、お前との接点しかない今の状況は俺にとって不本意なんだと思え。
「私としては長門さんや朝比奈さんのようにあなたと二人だけで秘密を共有するというのも楽しいのですが?」
 お前が超能力者だって事だけで十分だ、それに誤解されるような言い方と笑顔もよせ。あと私って言うな。
「おっとすみません、一応僕ら以外の人間はいないのですけどね」
 わざわざ人間と言ったのは長門ならば誤魔化せないということだな?
「ええ、ですが涼宮さんが作り出した世界において長門さんの能力がどこまで通用するのか、という点では実は疑問に思っています」
 現に僕が男性であることを分かっていませんでしたからね、と苦笑いを受かべた古泉に、
「それで長門も朝比奈さんもここにいないのか」
 と俺は先程から感じた違和感をぶつけてみた。そりゃそうだろう、ハルヒが原因でSOS団の情報が書き換えられたかもしれないというのに古泉が長門や朝比奈さんに何も言わない、たとえ事情を知らなくても二人をここに呼び出しもしないなんてありえないだろう。すると古泉は、
「はい、意図的にお二人には声をかけませんでした。朝比奈さんは恐らく事情を知ればパニックに陥るでしょうし、正直なところ現時点で長門さんに話すのは躊躇われます」
 どういうことだ? 朝比奈さんは俺も混乱させるだけだとは思うが何故に長門にまで知らせないんだ?
「先程も言いましたが、長門さんの認識として僕が女であるという前提だからです。つまり今の事情を話したところで長門さんには確認の術は無く、むしろ我々の記憶こそがバグであると認識される恐れがあります」
 そんな馬鹿な、と言いたいところだが俺を知らなかった長門というのを見てしまっているだけに反論が難しい。信じていると言えば確かにそうなのだが、不安が無いとも言い切れないからだ。
「今の我々の記憶をそのままにして観測する、それが長門さんなりの妥協点ではないでしょうか。折を見て説明はしますけど、果たして理解してもらえるものか…………」
 勿論俺が長門を説得するというのが今までは一番いい方法だったのだが、生憎と今は接点が無い状態だ。悔しいが古泉に任せるしかない、しかし時間がかかるのも否めないだろう。つまりはこの公園に来るまで考えていた長門を説得するという案が困難というか不可能になったということだ。長門が俺たちの良く知る長門であることを祈るしかない、長門なら多分気づくはずだ。
 だがこれで俺のやることはほぼ無くなったといっていいだろう。何しろこの世界の俺は無関心を貫いていたようだし、肝心のSOS団はハルヒ団長のお言葉を借りれば男子禁制らしいしな。何で古泉だけ女にしてやがるんだ、あいつは。
「おや、ではあなたも女性になりたかったと?」
 そんなことするくらいなら始めから無縁の方がマシだ。というかだな? なんでお前がそこまで違和感無く女でいられるのかの方が謎すぎるんだぞ。
「いえいえ、これでも相応に悩んでるんですよ。まあ誰しも同じようなものだと思いますけど」
 何がだ? と俺が訊くと古泉の笑みが変わった。そう、妙にいたずらな目つきで、
「男性なら当然だと思いますけど、あるものが無くて無いものがあるという感覚ですよ」
 などと言うものだから、つい古泉のとある一部分に視線が集中してしまった。しかもあの野郎(見た目は女だが)これ見よがしに腕を組んで持ち上げるように強調すると、
「朝比奈さんの苦労が多少理解出来ましたけどね」
 と妙に色っぽく笑いやがった。くそ忌々しい、思わず見とれてしまった自分が嫌になるが、これも男のサガってやつなのだろうか。
「というか、俺をからかってる場合じゃないだろうが!」
 いや、一番こいつがおかしいだろ? 元々が本音を見せない何を考えているのか分からない奴だったが、女になってからの古泉は輪をかけて読めない。何よりこんなに弾けたキャラじゃないだろうが。
「そうですね、今までは涼宮さんの望む『古泉一樹』というキャラクターを演じてきたつもりだったのですが、今回は新しい『古泉一姫』というキャラですから。多少は開放的にというか、新たなるキャラ付けもいいかと思いまして」
 ………………それが本当の自分だなんて言うんじゃないだろうな?
「それはどうでしょう? 本当の僕、なんてものは最初から無かったのかもしれませんよ?」
 ああそうかい、お前の自虐的な笑いにまでは付き合ってられん。それよりも現状をどう打破するのかを考えてくれ。
「その点ではやはりあなたの存在は必要不可欠なのではないかと私は考えています。即ちSOS団にあなたが入ることですね」
 簡単に言ってくれたが、当のハルヒが男子禁制を謳っているのだ。いくら席が近いから話す機会が多いとはいえ、今まで無関心だった俺が、はいそうですかとSOS団に入れたりするとは思えないぞ。
 しかし古泉は晴れやかな笑みで、
「それについては私に策があります、明日にでも涼宮さんに話してみますので任せてください」
 と言ってのけたのであった。どうしたことか、不安を感じてしまったのだが残念な事にこいつしかハルヒ達に接触できる奴がいないので仕方なく提案に乗るしかないのである。
 俺の不安な視線を感じ取っているはずの古泉の自信満々の笑みが気に入らない、本当に女じゃなければただじゃ済まさないところだぜ。
 そして何よりも不安を掻き立てるのは。
 …………………何で一番の被害者であるはずのお前が一番楽しそうなんだよ? SOS団も変わっちまって、お前なんか性別まで変えられてるのに。
 素性を知らない者が見れば間違い無く見惚れてしまうほどの可憐な微笑を浮かべ、古泉一樹、ああ今は一姫だっけか? ヤツはこの先の事を考えているのか、静かに俺を見つめているのだった。
 いかん、こいつは男でしかも古泉なのに。つい気恥ずかしくなって目を逸らしちまったじゃねえか、しかも分かっていたとばかりに笑ってやがる。
 本当に、本当に大丈夫なんだろうな? 俺は何度も念を押し、古泉は爽やかに微笑んでそれを肯定したのであるが。
 やはり古泉はどこか壊れてしまっていたのだろう。俺がそれを知ったのは翌日であり、それは俺にとっては最悪な提案だったと言わざるを得なかったのだが。
 まだこの時点では俺は古泉を信用していたのである、そして信じるんじゃなかったとつくづく思わされるのだった。