『SS』 月は確かにそこにある 8

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 そこからハルヒはずっと窓の外を見ていた。授業などハルヒからすれば聞いても聞かなくても関係ないのだろう、終了間際にノートに何か書いているようだがそれだけで学年トップクラスなのだから恐れ入るを通り越して腹が立つ。
 しかも昼休みのチャイムが鳴れば、こっちを見やる事も無く一目散に教室を飛び出していってしまった。それもいつもの事と言えばそうなのかもしれないが、何とも言えない違和感が否めない。まるで俺を避けるように、とでも言えばいいのだろうか? しかしそれも自意識過剰というものだろう、何といってもハルヒが接点も持たない俺に興味を持つとも思えない。
 なんだかよく分からない寂寥感に俺もハルヒに毒されたものだと嘆息しながら弁当箱を手に国木田の席へ向かうと、
「それよりお客さんだよ」
 と言われ、ドアの向こうには微笑みの美女。なのにため息しか出てこないのはどういう事だろうか? 谷口が恨みがましい視線を投げてくるのは無視出来るが他の連中にまで刺されそうなのは勘弁して欲しい。
 などと言ってもしょうがないので弁当箱を持ったまま教室を出ると黙って廊下を歩き出した。言われなくてもといった様子でついてくるのは件の美女というか古泉である。クラスの中が一気に盛り上がる声を聞きながら俺は内心で戻るのが嫌になっていた。何なんだ、この羞恥プレイ? しかも古泉は嬉しそうだし。
 それでも仕方なく古泉を連れて部室へ行こうとすると、
「ああ、そうではなくこちらへ」
 どういうことだ? と聞くまでも無いか。部室に行っても長門の不審そうな顔があるだけだろうしな。俺は古泉と中庭に行くと(そこまで行くにしてもどこか注目されているようだったが)ようやく弁当にありつけたのだった。
「これも作戦とやらの一つか?」
 弁当のから揚げを摘みながら面白くも無く訊いてみる。古泉は相変わらず菓子パンを齧りながら、
「まあそのようなものです、それになるべく情報の交換は必要なものですからご承知ください」
 とはいえハルヒは機嫌が悪いままだったぞ? お前、閉鎖空間とかはいいのかよ? 訊くのもアホらしいのだが後ろの席からあれだけ不機嫌オーラを出している割には古泉には余裕がありすぎる。何故かは不明なままに不安にしかならなくなっているのだが、目の前の見た目だけ美人は全て承知とばかりの微笑みを崩そうとはしない。
「涼宮さんは現在閉鎖空間を発生させてはいません。ですが、何と言えばいいのでしょうか? そう、戸惑っているという表現が一番相応しいのかもしれませんが、彼女自身どうしていいのか理解していないのではないでしょうか」
 このままなら閉鎖空間の発生も時間の問題でしょうけど、と話しながらもまだ余裕があるのか馴染みとなるつつあるストレートティーのペットボトルに口をつける。
「どういうことだ? これはハルヒが望んだ世界なのに何であいつが戸惑ってたりしやがる。むしろ嬉々としてお前をいじくりそうなもんだがな」
「そこについては否定しませんよ。現に昨日も朝比奈さんと一緒にメイド服を着せられましたから」
 流石に苦笑いを浮かべているが、こいつは何も抵抗しないままにメイドさんになったのだろうか? いや、それよりも朝比奈さんの着替えを見ていたのか、こいつ。
「いえ、むしろこちらが見られまくりました。なんといいますか、朝比奈さんはよく耐えていますよね。しかもその朝比奈さんが積極的にこちらの制服に手をかけてきたのですから」
 確かにスタイルという点では身長が高い分古泉の方が目立つだろう、朝比奈さんも恥かしい目に遭うなら犠牲は多い方がいいのかもしれない。ただ羨ましくないというと嘘にはなる、何と言っても朝比奈さんのお着替えなのだ。
 そんな余裕はありませんでしたけどね、と言っているが随分と楽しそうだな。くそっ、女にはなりたくないがこういうハプニングなら歓迎したいくらいは正常な男子なのである。
「何度も言いますが朝比奈さんを見る余裕なんかありませんでしたよ、それどころか自分の身を守るだけで精一杯でした」
 思い出しただけでも疲れるのか、古泉は珍しく分かりやすいため息をついた。いい気味だ、少しは朝比奈さんの苦労も味わった方がいい。だがメイド姿の朝比奈さんと古泉がいる部室か……………………想像しようと思ってやめた。それを想像すると何かに負けた気になる。
 それに古泉の苦労話などよりも重要な事が目の前にはあるのだ、俺は古泉の意図を確かめるべく話を促す。
「とりあえずこの世界の俺はこうしてお前と話すのもおかしな位にはSOS団、いやハルヒとは距離を置いていたようだ。席が近いので最低限の連絡網はあったようだがクラスメイトその一から立場が向上しているとも思えん。また長門が俺を知らないくらいだから朝比奈さんは言うに及ばないだろう、それを踏まえた上でこっちの世界でのお前はどうしていたんだ?」
「そうですね、僕が転校した初日に涼宮さんがやってきて僕を引きずって文芸部室に行ったことになっているようです。後ほど分かったのですが、涼宮さんはその時僕を朝倉涼子の関係者、もしくは変装か変身した姿ではないかと思っていたようです」
 アホか、あいつは。つまりは俺が何か言ったわけではなくて自分で不思議を発見したハルヒが自分の意思でSOS団を作ったと考えればいいのだろうか。
「いえ、どうもあなたの言葉がきっかけではあったようなのですが行動に起こした時期がずれたというほうが正しいのではないでしょうか。そうですね、我々の知る涼宮さんは当時と比べて周囲の事を考えるといいますか、常識の範囲を無理に逸脱しようとはしていません。恐らくその影響であなたの言葉だけでは踏ん切りがつかなかったのではないでしょうか」
 あいつに常識? それがすでに信じられないんだけどな。だが少しはあいつも考えて行動するようになったということか。
「そこで私は朝比奈さんと長門さんに会って事情を知る、というところは変わらない流れのようです。三人の目的も大きな変更もないようですね、ただしあなたがいないので直接的なコミュニケートは少ないようですが。やはりあなた抜きではどうしても我々は組織の一部でしかないようで」
 もちろん表面的には平穏そのものなのですがね、と言う古泉の笑顔にどこか曇るものが見えたのは気のせいか? ハルヒの傍にいる連中は俺以外は何がしかの使命を帯びていて、それがお互いに牽制している部分はあった。それでも俺たちはSOS団というものを通じて多少は分かり合えてきたと思うし、それは古泉も同様だったと思う。だからこそ、この状況は異常でもあり、俺たちは元の世界に戻らなければならないんだ。
「とはいえ古泉、このままじゃ俺とSOS団には接点がないままだ。それで作戦というのも分かるんだが何故にお前とくっ付いてなきゃならないのかという疑問は拭えんぞ」
「ああ、その事ですか。単に涼宮さんとの接点が無いので私との接点を強引に作っただけですよ、少なくとも校内においてだけでもと思ったのですが」
 予想よりも反応がありましたね、と笑っているがクラスで何を言われたのだろうか。しかもハルヒ長門も同様だが自分の容姿というものに無頓着すぎると思わないのか? 
「ふむ、あなたから見ても私は容姿がいい方だと思われますか?」
 ああ、言いたくはないが元の古泉もハンサムと言っていい方だろうな。それが女になったんだ、美人だとしか言い様が無い。おまけになんだ、その反則的なスタイルは? これ見よがしに机の上に乗せるな、重いのは何となく分かるから。というか、朝比奈さんよりもあるんじゃないか、それ?
「はあ、こう言っては何ですが、やはり胸はあるものじゃなくて見るものですね」
 意外に砕けたことを言った古泉は面白そうに自分の大きな胸を持ち上げた。やめろ、強調するな、誰が見てるか分からんだろうが。
「あなたに見られる分にはまったく抵抗もないのですが?」
 本当にやめろ、何だその誤解されるような言い草は。作戦とやらはどこにいった? からかうだけなら教室に戻るぞ。
「すいません、ちょっとあなたに美人だと言われたので嬉しくなってしまいました。作戦は作戦として成立していますので安心してください」
 何やら不穏な言葉が入っていたようだが、あえて無視をする。大体こいつは作戦だと言いながら女でいることを楽しんでいる節がある。それに巻き込まれるように俺もどことなく調子が狂っている感じだな、とにかく古泉のペースでしか話が進んでいない気がする。
 その点についても今回は俺はいよいよ蚊帳の外なのであると実感させられるのだが、そんな俺をこいつはどうやってハルヒに関わらせようというのだろうか? 今のところは単に恥をかいているだけにしか思えないのだが。
「とりあえずは放課後です。あなたか、もしくは涼宮さんが掃除当番などですと都合もいいのですけれどいかがですか?」
 都合のいい事に掃除当番は俺だ。まさかハルヒが、ってのは勘繰り過ぎだろう。
「それでどうするんだ?」
「僕も掃除当番なので部室に行く前に落ち合いましょう。そこから二人で部室に向かい、後は私が涼宮さんたちに説明をするという形で行こうかと思います」
 その為に俺と古泉が仲が良い事をアピールしたというわけか。理屈は分からなくはないが納得は出来ない、何かもっと違うやり方もあったような気がするのだ。しかし俺には何も打つ手はない、古泉に従うしか今のところは方法はないというのが焦りを生む。
「……………本当に大丈夫なのか?」
 信用してない訳じゃないさ、だが古泉だって万能じゃない。万が一ということもあるのは相手がハルヒだからだ、あいつの思考は常に俺達の予想を簡単に越えてくれるからな。
「お任せください、涼宮さんの精神状態を乱すような事はないと思います。閉鎖空間ではありませんが、少しは私も役には立ちますよ」
 そう信じるしかないだろう、ハルヒ精神安定剤を自負してるんだったら上手い事やってくれ。俺がため息をつきながら肯定したところで昼休み終了の予鈴が鳴った。
「ではまた放課後に」
 笑顔で手を振る古泉を見ても違和感というか不安が消えることはなかった。それはハルヒと直接話せないからか、長門や朝比奈さんと話せないからか。
 それとも古泉が、あいつのいう仮面を被っていないように見えるからなのか。
 頭の中を黒い霧がかかっているような気分で俺はクラスに戻った。そして、俺と同じ様な表情をしている後ろの席に座る奴に声をかけることもなく机に伏せたのだった。
 なあハルヒ、お前は何を考えている? 俺が邪魔なのか? それとも………………
 教師が入ってきた事も気付かずに思考の海へと沈んでいった俺は、そのまま意識も深い眠りの海の底へと沈めていってしまったのであった。