『SS』 月は確かにそこにある 9

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 気が付けば放課後だった。さらに言えば気が付けば俺は机を下げるために邪魔者扱いをされていた。当然ハルヒは後ろに居ない。掃除当番でもあるので自分で机を下げながら、ハルヒに何も言われずに迎える放課後に寂しさなんて覚えてしまうのだから重症である。
 しかもこれが終われば改めてハルヒとご対面、いやSOS団への再入部といえばいいのだろうか。こっちが望みもしないのに強制的に入れられたはずのSOS団へ今度は頭を下げて入らねばならないのだ、世の中は狂っているとしか言いようが無い。
 重い気分を引きずって国木田と谷口に所用があると伝えてから、重い足を引きずってわざわざ回り道なのに中庭に出れば、こっちの気分など知らん顔の微笑みを浮かべた美女がいる。普通の男なら憧れるようなシチュエーションなのに気分が重くしかならないのは何故だろうね、だが実際にその美人は男なのだし(女装ではないのだが)、そいつと一緒に行くのは本当は俺がいて当然だったはずの場所である。
「行きましょうか、涼宮さんも待ってます」
 あいつが待ってるのはお前だけだがな。憮然としながらも古泉の後を付いていく。通いなれた旧校舎までの道のりは目をつぶっても行けそうな気もするが、古泉と並んで歩かねばならないのが腑に落ちない。いや、男の時のこいつと歩くことはあったが女になってからの古泉はどことなくおかしいのだ。
 居心地の悪ささえ覚えながら向かう先も俺の事を知らない、俺だけが一方的に知っているというSOS団である。いかん、段々と気が引けてきた。行かなければならないのは頭では分かっているのだがハルヒ長門、朝比奈さんの不審そうな視線に耐えられるような気がしない。
 時間が、もう少し踏ん切りがつく為に時間が欲しい。いきなり臆病風に吹かれた俺は、思わず回れ右とばかりに来た道を戻ろうとしてしまったのだが。
「どうしたんですか?」
 そうはいかないとばかりに古泉に手を掴まれる。その手の感触が柔らかかった事に動揺してしまう。かと言って乱暴に振り払うのは違いすぎるので、というか思わず固まってしまった。
「ああ、いや、なんだ? 明日でもいいんじゃないか? それに長門に先に会うとかもやっておいた方が…………」
「その長門さんとも接点を作るために必要なんじゃないですか、行きますよ!」
 そのまま手を引かれて廊下を歩く。それに併せて周りから注目を浴びているんだが、これじゃハルヒに連れられた方がマシなんじゃないか? それに古泉は人の話を聞いているんだか聞いていないのだか分からんような奴だが、ここまで強引ではなかった気がする。ちょっと待て、という暇も無く俺は古泉に引っ張られたまま旧校舎までやってきてしまったのだった。
 もしかしたら女でいることに古泉も苦労しているんじゃないかと思いが及んだ時には既に文芸部室の前である。失礼します、と古泉がノックもせずに扉を開いた為、俺は朝比奈さんの着替えを覗いてしまわないように思わず目を閉じた。
「あ、一姫さん……………………って、そいつ何?」
 普通よりも若干冷めた声に目を開ければ、そこには俺も良く知るSOS団の風景があった。即ち長門が窓辺で本を読み(予想通り顔を上げることすらなかった)メイド姿の朝比奈さんが急須を手に驚いたような顔で俺を見ている。そして団長席、パソコンの向こう側から涼宮ハルヒの不審そうな目が俺を突き刺しているのであった。
 違いがあるとすれば俺が部外者であり、三人の視線がそれを物語っているというだけである。そしてその小さな違いが俺を大いに打ちのめしてくれているのであった。いかん、やはり耐えられそうにない。よく考えてみれば依頼者や客なども来ることもあるのだからおかしくはないはずなのだが、自分の意識として耐え難いものがある。つまりは仲間外れにされた、というような。
 今更ながら異常な状態だと実感すると同時に居心地の悪さに後悔する。やはりもう少し時間というか、覚悟する暇は欲しかった。だが、時間と言うものは有限であって、それは特にこいつにとってはそうなのかもしれない。
「ああ、実は先日涼宮さんにお会いに行った際に知り合った彼と妙に意気投合しまして。それで今度は我がSOS団の活動にも参加してみては如何かと提案したところ、彼も乗り気だったものですから連れてまいりました。最近は我々も落ち着きつつありますし、ここで新たなる血の導入による変化というのも良いのではないでしょうか? 後は団長たる涼宮さんのご判断を仰げればと思いましてまずは先行して彼を連れてきたのですけれど」
 よくもまあこれだけ立て板に水とばかりに言葉が紡げるものだ。さりげなくハルヒがマンネリを嫌う点を強調しつつも俺がSOS団に興味があるかのように伝えている。これならばハルヒの自尊心もさぞや満足であろうと思ったのだが。
「ふ〜ん、まあいいわ。男手も欲しいかなと思ってたし」
 実にあっさりとハルヒは俺が参加することを容認した。いや、予想外だ。あっさりしすぎている。これがいつものハルヒならまるで鬼の首を取ったかのごとく騒ぎ立てながら俺をこき使おうとするか、逆にガトリングガンのような言葉の雨で俺を排除にかかるかどちらかのはずだ。少なくとも俺の知る涼宮ハルヒはこのように聞き分けもよく、むしろ何も興味がなかったかのごとくの態度は取りはしない。
「それよりも一姫さん? その手、離した方がいいわよ?」
 は? と言われて気付く。おい、なんで俺が古泉と手を繋いだままなんだ?! 慌てて手を振り払ったものの、これは大失敗だ。にも関わらず強烈な違和感が俺を襲った。
 あのハルヒが、古泉(女)と手を繋いでいることについて何も関心を持っていないということか? 信じられるはずが無い、あの独占欲の強い涼宮ハルヒが、である。今までだって朝比奈さんに言い寄ってくる連中を撃退したこともあるし、長門がコンピ研に顔を出すことにすら渋々といった感じだったのだ。その割には朝比奈さんなどをゲームの景品扱いにしていたりもするが、これも自分の勝利を疑っていないからであって決して安易に自分の手中のものを手放すような奴ではない。
 古泉も自らの失敗を認めたのだろうか表情から笑顔が消えつつあるのだが、肝心な部分に気が付いたのだろうか? 顔を赤くするくらいなら始めから気付けよ、とも言えないのだが俺もどうやら余計な事を考えすぎていたようだしな。とにかく俺達はミスを犯したのであり、それを指摘しようともしないのが不気味なのだ。
 思わず助けを求めようにも、朝比奈さんは困惑、長門は無関心である。いや、ハルヒが関心を持たないのだから当然の反応なのだが改めて絶望に近い気分にさせられる。
 そんな暗澹たる気分の俺に情け容赦の無いハルヒの声が突き刺さったのだった。
「まあね、あたしには分かんないけど人にはそういう気持ちっていうのがあるんだっていうのは理解してるつもり。それは一姫さんのセンスは多少疑うけど、それも人それぞれだしね」
 …………………何だと? おい、こいつは何を言ってるんだ? 異様なまでに優しげな口調のハルヒに背筋に寒いものが走る。それはこいつも同様だろう、分かりやすいほど顔色を青くした古泉が、
「あ、あの〜、涼宮さん? 何を言ってるんですか、私はただ…………」
「いいから! それじゃそいつの相手は一姫さんに任せたから、しっかり団員としての心構えを教育しておいてね」
 それだけ言うとハルヒはパソコンの画面へと視線を戻してしまった。話は終わったとばかりのその態度に、思わず古泉と顔を見合わせる。どうなってるんだ、と非難の視線を浴びせても返ってくるのは戸惑いだけだ。
 どうなっている、ハルヒは一体どうしちまったんだ? 返ってこない返答を求めてみてもパソコンから目を外さないハルヒに何もいう事も出来ない。
 当初の予定が完全に狂っただろう古泉もどうしていいのか分からずに途方に暮れている。だから言っただろ、ハルヒは俺達の予想なんか遥かに超えちまうんだからな。
「とりあえずは座るぞ、つっ立っていてもしょうがない」
「そうですね、まずはあなたの居場所を確保しただけでも良しとしなければならないのでしょうか」
 ため息をつきながら俺たちは当然のように自分の位置へと座ったのだったが。
「ふ〜ん…………」
 呆れたようなハルヒの声と驚いたような朝比奈さんの態度に不審に思う。なんだ、何かおかしかったか?
「いえ、凄く自然に向かい合ってるなって」
 そりゃそうだろう、今までだってそうだった…………………………待て、俺の言う『今まで』はハルヒたちの知る『今まで』とは違うわけで。つまりはほぼ初対面のはずの俺と古泉が申し合わせたかのように自然と自分達の位置を決めていたということであり、その座り位置はいつもどおりだから正面から向かい合っているという形な訳で。
「本当に仲が良いんですね」
 無邪気な朝比奈さんのセリフとじっとりとねめつける様なハルヒの視線に俺は頭を抱え込みたくなった。これは違う、何かが確実に間違っている。
 だが今の時点では古泉の言うとおりに何も出来はしないのだ、但しこれで長門や朝比奈さんとも接点が作れたので古泉を含めた四人なら何とかなるかもしれない。そう思わないとやりきれないものがあるぞ。
 呆然としている古泉に、とりあえずどうするか訊いてみると、
「あ、ああ、そうですね。少々お待ちください」
 そう言いながら席を立つと棚からオセロを持ってきた。やはりゲームか、それしかないのか?
「普段は朝比奈さんとやっているか、一人で詰め将棋などしているのですよ」
 それも随分と寂しいもんだな。ほんの数日のはずなのに嫌に懐かしい気分でコマを並べると俺達はオセロを開始した。
 ようやく訪れたはずの通常営業のSOS団のはずなのだが。長門は読書、朝比奈さんも雑誌を読んでいてハルヒはネットサーフィン。そして俺と古泉はオセロをしているだけ。
 それなのにこの違和感はなんだ? 長門の無関心、朝比奈さんは若干警戒しているようだし、目の前にいるのは女になった古泉、しかも笑顔が板についていない戸惑ったような顔の。
 そしてそれを見ていないようで視線を感じるパソコンの向こう側のハルヒ。何かが少しだけずれていて、それが肌にまとわりつくようで気持ちが悪い。
 誰も口を開かない空間にわずかばかりの緊張感すら湛え、黙々と俺達は放課後を過ごしたのであった。まさか長門が本を閉じる音がここまで待ち遠しいなんて思いもしなかったぜ。
「それじゃ帰るわね! ほら、あんたは出て行く!」
 朝比奈さんが着替えるので当然なのだが、まるで義務的に言われたようで仕方なく部室を出てきたものの、俺はため息をつくしかなかった。古泉の作戦とやらもどうやら空振りに終わり、むしろ厄介事が増えそうな予感しかしない。
 ここで肝心の古泉とも話せないのが苛立ちを加速させる、何より廊下で一人きりというのは居心地が悪い。寂しさすら感じて、あんなニヤケ面でもいないよりかマシだったのだなと実感する。そのニヤケのせいでこうなってしまっているのだが。
 扉の向こうで朝比奈さんとハルヒの騒ぐ声が聞こえるが、それも疎外感を感じるのだからどうやら俺の心の傷は結構深いのかもしれない。などと一人ごちていると部室の扉が開き、
「さて、帰るわね」
 ハルヒが朝比奈さんを連れて部室を出てきた。見事なまでに俺の方を見向きもせず。完全に無視をして去っていくハルヒを呆然と見送っていると長門が後を付いて出てきた。
 声をかけようとしたのだが、長門は横目で俺を見るとこれも無視をして俺の横を通り過ぎてしまったのだった。まさか長門にまで無視をされるのかと絶望に陥る。
「…………申し訳ありません」
 最後に出てきた古泉が部室に鍵をかけながら言うのだが、それどころの騒ぎじゃない。状況はどう考えても悪化したようにしか見えないんだが、どうするっていうんだ?!
「私も予想外でした、まさか涼宮さんがあなたに無関心を装うなどとは思いもしませんでしたから」
 それは俺を買いかぶりすぎたってもんだろう。元々ハルヒが興味を持つような不思議要素がある人間でもないからな、そう言うと古泉はため息をついて、
「いえ、そうではないのですが…………………しかし現状としてはそうなってしまうのですね。ただ涼宮さんがあなたを拒否したという訳ではないのが救いといえばそうなりますね、後は少しづつ状況を改善していくしかないのでしょうか」
 長門さんの警戒だけでも解ければ、というところからでも古泉なりに現状打破の手段は考えているのだろうか。考えてみれば最後は長門頼みな感は否めないが、それも仕方ないだろう。
「あまり長引くのも良くないと思うがな」
「それは僕もそう思いますが、なにしろ涼宮さんがあのような様子ですから。ここは少しづつアプローチの方法を変えていくしかないでしょうね、あなたもクラスにいる時になるべく涼宮さんとお話してください」
 えらく回りくどい話になってきたもんだ、思っていたよりも厄介なのかもしれない。まずハルヒの意図が不明なままだからだ。
「ここで話しててもしょうがない、とりあえずは帰るぞ」
「はい、歩きながらでも話せますしね」
 こうして俺と古泉は並んで玄関まで出てきたらハルヒ達は既に靴を履き替えて俺達を待っていた。
「随分遅かったわね」
「すいません、鍵を返していたものですから」
「ふーん、まあいいわ。帰りましょう」
 ハルヒと朝比奈さんが話しながら、長門はその後を黙って歩き、最後尾を俺と古泉が歩く。これがいつもの光景のはずであり、俺と古泉は今後の事もあるのでなるべくハルヒの耳に入らないように話し込んでいたのだが。
 俺達は二人とも忘れていた。油断といってもいいかもしれない。普段どおりの行動が呼び起こす結果というものを失念していたのである。
 古泉の顔が近い上に普段は感じない腕に感触があることが違和感があったが、それは話している俺にはあまり関係がなかった(それどころではない)。だが、それは傍目から見ればどのように映っていたのだろうか? そして前を歩いているハルヒがそれを見ていたとしたら?
 全ては後の祭りなのだが、俺達はその時はとにかくどうやってハルヒ長門にこの世界の違和感を伝えるかに終始して、視線などに気がつかなかったのである。
 それを後悔するのは翌日以降の話になる、というか何でこうなっちまうのか誰かこの時点で教えてくれなかったのか?! などと思ったのだが、この時点での俺は何も考える余裕などなく古泉と話していたのであった。