『SS』 月は確かにそこにある 11

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 さて、そんな事もありながらSOS団再入部二日目の放課後を迎える訳なのだが。そこに至るまでの間にも昼休みに古泉の訪問を受けて(食堂でハルヒに指示されたそうだ)谷口や国木田と飯を食うこともなく中庭で古泉と向かい合わせで弁当を食う羽目になったりしたのだが、教室を出る際に「やっぱり〜」とか「やるわねぇ」などという姦しい声を聞いたのは無視するべきなのだと思う。
 大して話す事もないのだが、既に諦めつつある古泉が開き直ってクラスでの話などをしているのを適当に相槌を打ちながら聞き流し、それすらも見られていることに釈然としないままに弁当を腹に詰め込むことだけに終始していたのだが、それにしてもここまでお互いのクラスの話などを古泉とするなんて思いもよらなかった。
 どうやらこいつの如才なさは九組でも発揮されているようで、聞いているだけならば十分普通の学生生活を送っている模様である。たまに早退などするのでその分愛想よくしなければいけないんですよ、と自嘲するところを見るとそこそこ学生生活も楽しいらしい。朝比奈さんは鶴屋さんもいるのでさておき、長門ハルヒに比べれば余程クラスに溶け込んでいるイメージだな。
「どうやら女性の僕は元よりも社交性があるようでして、どうやらクラス委員を任されそうになったのを断ったりしていたようです」
 そんな事を嬉しそうに語られてもどう答えていいのか分からない。古泉が過ごす学生生活は俺からすれば普通にやや優等生な要素を加えた理想的なものだったからだ。
「まさか私がそんな事をしていたなんて意外でしたよ、『機関』もこちらでは優しいものなのですかね? 昨日から接触している限りでは大差が無いと思っていたのですが、どうやら認識を改めなければならないようです」
 そこにいたのは古泉ではなかった。正確に言えば俺の知る古泉一樹という人物ではなかったのだ。古泉という奴はスマイルの中に表情を織り交ぜるという器用な事をするが、基本は微笑みという仮面を被り続けている男である。その心理はここまで共に過ごした時間の長い俺ですら全てを知っているとは言えないだろう。古泉は『古泉一樹』という役柄を『機関』に与えられ、ハルヒを監視するために現れた。本人がそう言っていたし、その事を話すときは自虐的ですらある。
 ならば目の前にいるこいつは誰だ? 無表情な宇宙人やスマイルから事情を読み取らねばならない超能力者を見続けたからなのかもしれないが、目の前の女はあまりにも自然に笑いすぎている。屈託の無いその笑顔は禁則事項を話さないときの朝比奈さんのようであり。
 ……………………あの時、白紙の入部届けを差し出した眼鏡をかけた長門の微笑みを。
 まさかな、こいつは間違いなく『古泉一樹』だ。俺達SOS団の副団長で回りくどい言い方しか出来ない何でもありの親戚連中を持った超能力者。そして俺以外の男性メンバー。それだけだろ?
 今までに無い強烈な違和感が全身を襲う。ここにいるのが古泉でなくなれば、俺のいた世界を知るものは俺だけになってしまうからだ。
「おい古泉、お前随分楽しそうだが本気で元に戻る気があるのか? まさか女になってちやほやされてるからって調子に乗ってんじゃないだろうな」
 こいつの態度が苛立たせるんだ、俺はこんな世界に耐えられなくなってきてるって言うのに、だ。確かに経験済みの世界観とはいえ、本来ならば苦労を分け合うはずの相手がこの調子なら、いっそいないほうがマシなんだぜ? そんな事くらい分かっていて当然だと思っていたのだがな。
 腐りそうな気分を隠そうともせずに皮肉を込めて言ったはずの俺の言葉に、古泉の顔色が変わる。
「いえ、そのような………………………すいません………………………」
 ああ、俺も言いすぎた。ちょっとばかり勝手が違ってるんでな、ハルヒが大人しすぎてどうにもならないなんて今までは無かったパターンだ。長門にも頼れないとなると俺なんかじゃ何も出来ないんだと思わされるだけだしな。
「不安ですか?」
 正直言えばな。このままずるずると時間だけ過ぎていくというのは精神的に参りそうだ。俺は隠さずにそう言った。言えばどうにかなるという訳でも無いが、古泉相手にしか言えない事でもある。
 古泉は顎に手を当て、何か思案していた(こういう憂いを帯びた表情が妙に似合うのが癪なのだが)が、やがて顔を上げると、
「やはり長門さんとの接触が今回の最大のポイントになると思います。現状では我々の記憶は長門さんから見れば現実的ではないという事になっていますが、恐らく我々二人がお互いの記憶を提示すれば長門さんの意識も変化する可能性が高いのではないかと思うのですが」
 結論として長門頼みになるのは致し方無い。ただ長門はこの世界に違和感を持っていない(恐らくハルヒの能力だろう)のであって、少し前の長門ならば同期というやつか? 変化を察知することも出来たのかもしれないが今の長門はそんなことはしない。それは長門自身が選んだ長門自身の道だからだ。
「それは彼女の成長、と言えるのかもしれませんね。あなたが導いた、という」
 俺は何もしてないさ、それは長門が決めた事だ。
「ですが、残念な事に長門さんが同期しないせいで我々の言う事を理解していただけないという状況です。涼宮さんの能力も無意識ながらかなり強いのかもしれませんが、それでも僕が男性であったという記憶すら存在しないという状態にはならなかったと思うのですが」
 確かに長門が同期すれば恐らくどこかで矛盾に気付き、何らかの対処をしていたと思う。だからといって長門を責めるつもりはまったくない、むしろ褒めてやりたいくらいだ。
「それでも長門なら言えば分かってくれるだろうさ、後はタイミングだけだろ」
「……………あなたの長門さんへの信頼は揺るぐ事がないのですね」
 当然だ、俺達はそれだけの修羅場をくぐって来た。その中で長門も変わってきたんだ、それを信じるしかない。
長門だけじゃない、もしかしたら朝比奈さんも未来に何かあるかもしれないからそろそろ連絡があるかもしれないぞ?」
 その時俺の脳裏に浮かんだのは成長した朝比奈さん(大)の姿だったが。あの人も古泉が女である事で未来が変われば黙ってはいないはずだ。
「そうですね、未来に連絡が取れるのかどうか確認してもらうしかないかもしれないですね」
 些かパニックに陥りそうですが、と古泉が言ったが、そこは俺達でフォローするしかないだろう。
「それでどう長門にアプローチするんだ? SOS団の活動内ではハルヒの目もあるし、長門が話を聞いてくれそうにないんだが」
「そこについては大丈夫です、どうやらこの世界でも我々は週末の不思議探索は欠かさなかった模様で」
 そこで長門と古泉と三人で行動出来れば、ってことか。それでも残り三日はある、その間は何も出来ないってことなのか?
「少なくとも涼宮さんのご機嫌を損ねないようにしなければならないでしょうね、その上で朝比奈さんや長門さんとあなたが話せる雰囲気を作っておかなければならないですね。まあ今までのSOS団の雰囲気に近づけるように工夫するといった感じでしょうか」
 言うだけなら簡単そうに見えるが向こうの二人は俺に警戒することはあっても話しかけてくれそうな雰囲気はないがな。ですね、と苦笑されても仕方ないのだが。ため息をつきながら、
「まあ今までどおりをやっていくしかないってことか? ただ何も知らない長門たちと話すだけで苦労しそうだがな」
 少なくとも俺は谷口のようなナンパは出来ない、しかもハルヒの目もある中でとなると実際話せるかだけでも頭痛がしそうなほど難関なのではないか?
「その点においてはあまり心配していないんですけど。何と言ってもあなたですから」
 意味ありげに微笑む古泉。どういう意味だ? と訊こうとすると上手いタイミングでチャイムが鳴りやがった。  
「ではまた放課後に」
 最後の最後でからかわれたような、些か気分が悪い状態でクラスに戻った俺は結局ハルヒと話すきっかけも失って放課後を迎えてしまったのである。あいつは俺に何をさせたいんだ?