『SS』 季節知らずの転校生 2

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 何だか胃が痛くなってきた授業を終え、ようやく鳴ったチャイムに胸を撫でおろす(無いとは言わせない)。ここから放課後だ、部室に行けば佐々木が不機嫌な理由も訊けるだろう。別に本人からでなくても橘という専門家もいるしね。
 ということで佐々木に声をかけようと振り返ったところで今日はタイミングがとことん狂う日であるらしい。
「ねえ、そこのあなた? ちょっと尋ねたいことがあるのだけど」
 如何にも興味深そうに話しかけてきたのは朝倉涼子だ。しかも、相手はあたしではなく佐々木である。
「何でしょうか、朝倉さん?」
「ええっと、佐々木さんだよね? さっき話していたら偶然あなたが文芸部の部長さんだって聞いたものだからちょっとお話出来ないかなと思ったんだけど」
 あれ? 佐々木が文芸部だというのはクラスメイトなら誰でも知っているからいいとしても朝倉が何故文芸部に興味があるなんて言い出したんだ? しかも目の前にいるあたしの存在をスルーして!
「おや、朝倉さんは文芸部に興味があるのかな?」
「ええ、前の学校でも文芸部に所属していたものだから」
 それはお前じゃなくて長門だろ! というツッコミは当然できない。まあ知っているのはあたしじゃないし。何より朝倉があたしと初対面、というか意図的に避けようとしている感すらあるので何も言えなくなっている。
「ここでは読書などは図書室で行うものだという人が多いですから、あまり面白いとは思えませんけど?」
 というか、殆どが興味なんか持ってないと思う。そのおかげで、と言っては聞こえが悪いけどあたしたちは気ままに部活動をしているのだ。正直なところを言えば部外者が立ち入ると些かまずいんじゃないだろうか、ティーセットを置いてある部室はそんなにはないだろ。
「そう? だったら少しだけ見学させてもらおうかしらね」
 いやだから、と言いかけて、
「若干朝倉さんの知っている文芸部とは毛色が違うと思いますけど宜しければどうぞ」
 まさかの佐々木に驚かされる。おいおい、まずいんじゃないか、色々と。
「じゃあこの後お邪魔するわね」
 あれよあれよと話はまとまり、いつの間にか朝倉は文芸部の一日体験入部が決まってしまっていた。佐々木はこの辺り如才無く話をまとめてしまうからなあ。
 それに、確か機嫌が悪かったはずなのに………というのはあたしの勘違いだったのだろうか? とにかく文芸部室まで並んで歩いている佐々木と朝倉を追いながら首を傾げる。
 けど、あたしは気付くべきだったのだ。
 あの社交性の高い佐々木が部室まで朝倉と会話をしていなかったことを。
 ところがあたしときたら朝倉があたしに話しかけてこないのを気にするあまりに些細な変化すら気にしていなかったのだから、鈍いというしかなかったのだろう。
 それに、変化に気付いたところで何か出来た訳でもない。
 こうしてあたしたちは通い慣れた文芸部室へとやってきたのだが。
「ええっと…………どちらさまでしょうか?」
「ふん、来客があるなら先に伝えておけ」
「――――――」
 まあ個性的というか、あまり歓迎されている迎え方ではなかったのはお分かり頂けているのではないだろうか。橘は困ったように眉を顰め、藤原さんは偉そうに腕組みをして、九曜に至っては本から顔を上げていない。いや、九曜? お前は朝倉には挨拶して然るべきなんじゃないの?
「ああ、こちらは本日転校してきた朝倉涼子さんだ。前の学校でも文芸部だということで見学を希望されている。良かったら今日一日お付き合い願いたい」
 佐々木が妙に堅苦しい言い回しで朝倉を紹介し、朝倉も「よろしく」と頭を下げる。其々簡単な自己紹介を終え、あたしも何故か改まって朝倉に挨拶をしたのだが。
 …………何かおかしい。佐々木もそうだし朝倉だって変によそよそしいというか、あたしの存在を飛ばしているというか。いや、決してあたしが中心にいたいとか言うのではないけど、ここまで会話らしい会話すらないのは腑に落ちない。何と言うか、ギスギスしてるっていうか、居心地が悪い。
 釈然としないので何かきっかけをと思い、話しだそうとしたあたしだったのだが、
「とは言え、部活動の主なものは読書になってしまうかな。一応部室内にも蔵書はあるけど図書室で借りてきてもいいのだが、どうします?」
「そうね、とりあえずは部室にどれだけ本があるのか見せてもらっていいかしら?」
 佐々木と朝倉が話しているので声をかけるタイミングを無くし、朝倉はさっさと部室の奥にある本棚を物色し始める。そしてあたしは本棚の内容を把握していないので(というか、この部活で本棚を活用しているのは九曜だけのような気がする)何も言えないまま、いつもの位置に座るしかなかった。
 そのいつもの席というのは目の前に橘が座る長机の横なのだけれど、あたしは座ると同時に机の上を滑ってきたメモ用紙を受け取ってしまった。
『あれが例の異世界から来た宇宙人ですか?』
 可愛い丸文字に似つかわしくない内容ではあるけど、メモの送り主である橘は何食わぬ顔で本棚を眺めている朝倉を見ている。あたしは橘に分かるように軽く頷いた。
 橘と藤原さんには簡単にだけど事情を説明してある。というのも、二人とも佐々木を観測するために派遣された超能力者と未来人なので宇宙人である九曜及びそれに関連した事態には敏感に反応するのだ。あたしとしても隠し立てしても仕方無いので大まかな説明はさせてもらった。

 …………彼氏が出来たことまでばらされたけど!
 しかもここだけ公表されちゃったんだけど!
 おかげで佐々木にまでからかわれちゃってるんですけどね!

 取り敢えず橘としては朝倉という宇宙人側の新キャラに関心を持たざるを得ない訳だ。藤原さんは規定事項に引っかからない限りは無視というか静観の構えのようだけど。いや、どうもこの時代そのものに関心がないようでもあるけど。そんなに嫌いなのかな、この時代。
『彼女は九曜さんのバックアップということでよろしいのでしょうか?』
 再度のメモに同じように頷く。本当は違うと言うか、九曜のボスと朝倉の親玉は敵対している感じらしいのだが。けれどこれも諸事情により、今の朝倉は宇宙人勢力の中でもかなりフリーな立場であるということになっている(詳しくは分からないけど向こうの世界ではそんな扱いになっているらしい)ので、こちらの世界で九曜のサポートに来たのだった。
 その点を踏まえた上で橘のメモに頷いた。すると橘は朝倉に興味を無くしたようにあたしの方に向き合い、
『彼女は本当に危険がないのですか?』
 今度は雑誌の上にメモを置いて雑談しているかのように顔を寄せてきた。いや、雑談にしても若干近い、顔が。
 流石に今度は頷きだけでは返答しづらいのでシャーペンを手に取り橘のメモに書き込むことにする。
『あいつはあたしの命の恩人だ。何度も助けてもらっている。むしろ朝倉はあたしたちの世界には必要なんだぞ』
 何故ならば朝倉がこの世界にやってきた理由は九曜のバックアップというだけのものではないからだ。

 ――――――話はあたしが彼と付き合うきっかけになったホワイトデーにまで遡る。あの、あちらの世界で起こった驚天動地なアレコレは今にしてみてもよく乗り越えたものだと思いはするけど、きっかけは周防九曜が二つの次元を強引に結び付けて乗り越えたことによる。
 そしてあたしまでが乗っかってしまった次元移動の代償として二つの世界の壁(向こうではそう表現していた)は崩壊寸前にまで至り、世界は消滅の危機を迎えていたのであった。
 だが向こうの世界の長門や喜緑さんのおかげでギリギリのところで消滅そのものは回避できた。できたのだけど、壁そのものは傷付いたまま(でいいのかな?)なので向こうの世界から修復要員として朝倉が派遣されたのだ。「どうせ暇だしね」とは言ってくれてるけど長門たちと別れてたった一人でこの世界にやってきてくれた―――――――――

 その気持ちだけでも嬉しいじゃないか。あたしは今でも全面的に朝倉を信頼しているんだよ、少なくとも九曜のとこのボスや橘のとこのお偉いさん共よりは。
『事情はキョンさんからも伺ってますから分からなくはないのですが……』
 そこまで書いた橘は若干躊躇するような素振りを見せたものの、すぐに続きをこう書いた。
『佐々木さんの機嫌がよろしくありません。原因は間違いなく彼女です、私が感知している限りではということになりますけど』
 それを見たあたしも思わず眉を顰める。たしかに今日の佐々木は見た目はそう変わらないけど付き合いの長いあたしからすれば分かり易いくらいには機嫌が悪いからだ。
『けど、朝倉と佐々木は初対面だぞ?』
 それなのに何故だ? と思っていたのはどうやらあたしだけのようで、橘はメモを見て目を丸くすると黙って肩をすくめてみせた上、
『本気でおっしゃっているのがある意味キョンさんらしいのですが……』
 メモを書いた後にため息のおまけまでつけられた。どういう意味よ、それ。あたしはあいつと違って鈍感でもないっていうの。
 しかし佐々木の不機嫌の理由が朝倉ねぇ……………ダメだ、どうしても結びつかない。
 どうにも落ち着かない気分でため息など吐いてしまったあたしの前にふいにティーカップが置かれる。あ、いい香り。
「何を話しているのかは知らないが下手の考え休むに似たりというものじゃないか? お前らは多少騒がしく世間話でもしていればいい」
 偉そうな顔で嫌味スレスレなことを言っているけど煮詰まった気持ちが解れるお茶を用意するのが藤原さんという先輩だ。反論しようと立ち上がりかけた橘を制しながら、あたしはお礼を言ってカップに口をつける。
 あれ? なにかいつもと違うような、少しだけ香りが強いというか、これはこれで落ち着くのだけど。まあ、あたしも味オンチとまでは言わないがそこまで拘りがあるわけでもないので気のせいかもしれないけど。
 と思っていたら意外なところから声が上がった。
「あら、これってまさか白茶?」
 声の主は朝倉で驚いたように口元に指をあてている。ところで白茶ってなんだろ。
「おお、分かるのか?!」
 あたしが声をかける前に勢いこんで朝倉に話しかける藤原さん、いつもの嫌味な雰囲気ではなく嬉しそうだ。
「ええ、少しくらいは。銘柄までは分からないけど、この酸味は独特ですし。でも紅茶と中国茶ブレンドなんて変わっているからまさかと思ったんだけど」
「そうだろう、最近になって研究を重ねていたのだがここには味が分からない奴ばかりだからな。しかしまだ風味を試している段階で白茶まで当てるとは中々やるじゃないか」
 へえ、あの藤原さんが手放しで人を褒めるところなんて初めて見たかもしれないな。それにしても万能すぎる宇宙人は何でもできちゃうのだなあ、ということは九曜は黙っているだけなのか? それとも朝倉が特殊なのだろうか。
 兎にも角にも藤原さんはようやく同等にお茶の話ができる相手を見つけて普段では考えられないほど饒舌に中国茶の歴史を語っている。ちなみにあたしも歴史は得意な方だと思っていたが会話の内容が専門的すぎてさっぱりであるので詳細は語れない。
 それを聞いている朝倉も、あいつ(はいはい、彼氏ですよ)が言うにはクラス委員長などまとめ役をこなしていただけあって聞き上手というか、適度に相槌を打ちつつ藤原さんに負けない専門知識など披露して会話の流れを作っている。いや、これは九曜にはできないな。無口で無表情だもん、こっちの世界では。
 延々と楽しそうにお茶談義をしている朝倉と藤原さん。おっかしいなあ、本当ならあたしの方が朝倉と話したいし話すこともあるはずなのに今のところ会話らしい会話もしていない。
 朝倉にそれを問い質したいところでもあるけど、それ以上にまずは藤原さんに言いたいことがある。
 あのね? 藤原さんは楽しいのかもしれないけど、あなたが朝倉と話し込むとね?
「…………あのスケコマシが…………なんなのですかデレデレデレデレしちゃってまぁ………………」
 うん、ちょっとあたしの前に座っている奴の機嫌が悪くなっちゃっているんですけれども? 自覚してないかもしれないけど爪なんか噛んじゃっているんですけれども!
 いやあ、あたしも佐々木に思ったことが顔に出やすいって言われているけど橘も分かりやすいよね、藤原さんに関してのみは。
 しかも藤原さんときたら橘の殺気を孕んだ視線にまったく気付いていない。朝倉がそれとなく気付いて会話を振ろうとしているのもお構いなしに話している。
「うわぁ………」
 鈍い、鈍すぎる。あれだ、あたしの彼氏もかなりというか恐ろしいまでに鈍いのだが負けず劣らず鈍いぞ、この先輩。それともなにか? あたしの周りの男どもは鈍感であるという条件でも備えていないとダメなのか?
 見ているこっちが冷や汗ものの鋭い視線を飛ばす橘にハラハラしながら『早く気付けよ、この鈍感!』と藤原さんに念を送る。
 だからなのだろう。あたしは見落としていた。
 鋭い視線は一つではなかったということを。
 元々無口な上に事情を把握している九曜はともかく、佐々木もまたこのやり取りに参加していなかったということを。