『SS』 季節知らずの転校生 前編

 朝の目覚めがいいのは良いことだ。あたしは珍しく目覚まし時計がベルを鳴らす直前に止めた事実に笑みを浮かべながらそう思った。
 清々しい気分のまま制服に着替えていると「あー! もう起きてるー」とノックもせずに弟が入ってきたのでレディには見られたくない格好(要は下着姿)があるのだとお説教をしながら階下へと降りる。
 洗面所にて顔を洗い、鏡を見ながら髪を結える。前のあたしなら適当に縛るだけだった髪型も、今は遅刻寸前であろうがチェックだけは欠かさないようになった。
 …………全部あいつのせいなんだぞ。見られないのが分かっていても、あいつが好きな髪型なんだから。
 特に今日なんかは時間に余裕もあるからね。あたしは何度かやり直しながらお気に入りの髪型に整える。伸ばした髪を後ろで括る、ポニーテール。あいつが好きだって言ってくれた髪型に。
「よしっ! 今日も可愛いぞ、あたし」
 これもあいつと会ってからの習慣になった恥ずかしい自己暗示なのだが、何と言ってもライバルも多い上に誰もがあたしよりも遥かに可愛かったり美人だったりするものだからせめてもの対抗手段として自己暗示で自分が可愛いと思い込もうとしているのだ。
 特別これといった効果は感じないが、親友曰く「見違えるように優しく笑うようになったよ。君が充実していると誰もが理解出来るほどにね」らしいのでやらないよりはマシなのだろう。
 そんなこんなで時間をかけた割には朝食もゆっくりと食べる事が出来たし、弟を見送った後に登校しているという余裕である。いつもこう行かないのはあたしが怠惰だと思うか? いや、平均的高校生なら誰もが同じ思いで布団から出られない自分を愛しく思うに違いない。



 まあ早起きという程でもないので登校中も同じ光陽園に通う生徒たちに混じっていたりするんだけど。
 それでも遥か山の上にそびえる北高に比べればマシなのだ、あいつも良くあんなとこを進学先に選んだもんだ。あたしだったら遠慮したい、その結果が佐々木に泣きついて勉強した光陽園への進学だったんだし。
 ………あいつだって佐々木に頼めば何とかなったのかもしれない。けど、そうなっていたらあたしとあいつは出会うことはなかった。つまり、今のあたしたちだからこうして付き合っていられるのか? ううむ、いいとも悪いとも言い切れない。それに、正直なところ佐々木とあいつが接近しすぎるのも困ってしまうんだよな。
 おいおい、何だって朝からあいつのことばっか考えてんだか、と苦笑しながら歩いていると前を歩く珍しい奴を見かけた。普段ならばとっくに教室、もしくは文芸部室に居るであろう長い黒髪の後ろ姿に声をかける。
「よう、九曜。どうしたの、こんな時間に」
 あたしはいつもより早い登校だけど九曜が登校しているところなんて見たことが無い。下校時は皆で一緒だけど登校中に会うのは橘とたまに藤原さんくらいだもんね。佐々木も早いからなあ、しかも予習なんかしてるし。
 なのでつい声をかけてみたのだが、九曜はいつもの無表情で軽く頷いただけだった。いや、それあたしにしか分らないから。
「お前でも寝坊とかするんだ?」
 と言ってもまだ余裕で間に合う時間なんだけどからかうつもりで言ってみる。すると、
「――――調整に――――時間をかけて――――しまった―――――」
 小首を傾げた九曜が繋がりの無い事を言い出したのでこちらも小首を傾げてしまった。
「調整って何だよ、まさか佐々木に何かあったのか?」
 宇宙人である九曜に時間をかけて調整したなんて言われてしまうと心配しかない。
「―――観測対象には―――――影響はない―――――こちらの――――都合――――――」
「こちらのってお前の親玉か?」
 宇宙人の都合ってのも分かんないけど色々と大変なんだなと思っていたら、九曜はあたしの顔をじっと見つめ、
「――――後ほど――――分かる―――――」
 それだけ言うと後はスタスタと歩きだしてしまった。
「お、おい待ってよ! 後で分かるってどういう意味?!」
 しかしその後の九曜はダンマリを決め込み、結局あたしは九曜の横でモヤモヤしたまま登校せざるを得なかったのであった。ったく、珍しく九曜と登校なんてしたのに何か後味悪いわ。






 などと思いながら九曜と別れて教室に入ってみると進学校であるウチは遅刻する生徒などほぼいない為ほとんどのクラスメイトはあたしよりも早く登校していたりする。
 そのクラスなのだが、今日は何か騒めくというかソワソワしているように感じた。何かあったのか? と不審に思いつつ適当に挨拶を交わして自分の席へ。ここに座ればクラスが騒がしい理由はすぐにでも分かるだろうな。何故ならば、
「やあキョン、今日は随分と余裕のある登校じゃないか。まだ早朝講習の時期ではないがどういう風の吹き回しだい?」
 などと言いながら微笑んでいるあたしの親友はさり気無く情報通だからさ。
「あたしだって早起きしちゃうこともあるっての。それより佐々木、今朝は何やらクラスが騒がしいようだが何かあったのか?」
「いや、僕も未確認なのだがどうやらクラスに転校生が来るらしい」
 はあ? こんな時期にか? 既に三学期も始まり進級のみが話題の焦点にしかならないような、どちらかと言えば慌ただしい三月の中旬だぞ。
「何だってこんな時期なんだろ、都合さえつけば新学期が始まってからでいいじゃないか」
 一ヶ月もないんだ、本人だってその方がいいだろうに。
「だから未確認なのさ。誰だっておかしいと思うだろ? それにこの高校に編入するタイミングとしても悪いと言わざるを得ないしね。転校生はかなりの学力レベルがあるのかもしれないけど全国模試などで上位に居るなら僕らの耳に入らないはずもないし」
 いや、それはお前の耳には入るかもしれんが進学校に在籍しているとはいえ成績が下位グループだと自覚しているあたしには遠い存在の話だぞ。
「まあ珍しいというのは確かだ、クラスメイトが推測でざわめくのも理解出来るね」
「そうだな」
 あたしとしては関心がないというか、転校生もご苦労なことだとしか思えないんだけど。
 でも、こんな時期の転校生ねえ……………あたしの知ってるあの子なら『謎の転校生よ!』なんて言いながらあいつを引っ張りまわしちゃうんだろうなあ。
「おや、どうしたんだいキョン? 随分と楽しそうだけど」
「いや、ちょっと思い出して笑っちゃっただけだよ」
「ふむ、君が転校生に関心を抱くとは意外だね」
 そうじゃない、けどそうかもね。やれやれ、短い間にあたしもあいつらに染まってきてるのかな?
「どうせ未確認だろ? ホームルームまで大人しくしとこうよ」
「そうだね。僕もそこまで情報ソースを追うつもりもないよ」
 ということで、あたしと佐々木は騒めくクラスを余所にどうでもいい話をして朝の時間を過ごしたのであった。あたしが早く来たものだから佐々木も嬉しそうだったし、こういう時間も大事だよね。
 だから、という訳でもないがあたしは今朝九曜に会ったこと、その言動がおかしかったことをすっかり失念していたのである。
 そしてその結果、あたしはまたトンデモな出来事に巻き込まれていくのであった。







 チャイムが鳴ってホームルームが始まる。流石に進学校の光陽園、さっきまでのざわめきが嘘のように静かに教師を迎える態勢を整えていた。勿論あたしも欠伸を噛み殺しながら担任がドアを開けるのを待っている。
 きっちりとスーツを着込んだ担任は早足で入ってくるなり、
「えー、今日はホームルームの内容を若干変更して転校生を紹介する」
 と切り出した。再びざわざわとする教室内、まあ話題に登っていたとはいえ本当にこんな時期に転校生が来るとは皆半信半疑だったからね。
「彼女は編入試験を優秀な成績で合格した上で我が光陽園学園に入学する事となった。家庭の都合により海外から急な転校となったが仲良くやって欲しい」
 なんと、海外からということは留学生か何かなのか? と思ったがどうやらそうではなく帰国子女らしい。益々もってご苦労なこった。真面目な学校なので振り向いたりは出来ないが、佐々木はどんな顔をして聞いているんだろうな。
 と思っていると、
「では、入りたまえ」
 ん? 彼女って事は転校生は女性なのか。クラスの主に男子に緊張が走る。いくら進学校とはいえその辺りは高校生なのだ。
 しかし、「失礼します」と言って入ってきた転校生を見て一番衝撃を受けたのは男子生徒ではなく、
「カナダから編入しました朝倉涼子です。進級までの短い間ですがよろしくお願いします」
 そう言って微笑んだ見覚えのあり過ぎる美人を前にしたあたしなのであったんだよ!
 柔らかな物腰で立っている彼女はあたしの知っている北高の制服ではなく光陽園の制服だけど、その顔(というか眉)にその声は忘れているはずがない。
 な、何で朝倉が此処にいるんだ?!
キョン? どうしたんだ、まさか転校生とお知り合いとか言うんじゃないだろうね?」
「あ、ああ…………いや、ちょっと知り合いに似てるかなとは思ったけど多分別人じゃないかな。ほら、あたしカナダに縁なんかないし」
 いかん、佐々木に怪しまれた。朝倉涼子とあたしの関係は一言で言うならあたしの命の恩人ってとこなんだけど、その事情を佐々木に話す訳にはいかない。


 何故ならば朝倉涼子とは本来此処に、この世界には存在しない人物だからだ。


 あたしが遭遇した不思議な異世界との交流――――それは九曜の親玉の実験でもあったのだが――――その最中で危険な目にあったあたしを助けてくれたのが向こうの世界で消滅したはずの朝倉だったという訳で。
 だからあたしはあいつと違って朝倉に対して恐怖とか危険など覚えないし、寧ろ同性としても付き合いがいい好きなタイプでもある。そんな朝倉がいきなりあたしたちの世界でしかもクラスメイトになると言うのだから驚くなという方が無理だよね。
 けど、何で朝倉がこんなところに? あいつは確か…………
『あっ!』
 そうだ! 朝倉涼子はあの時、あたしの世界とあいつの世界が崩壊するのを防ぐ為に九曜と共にこっちの世界に来ると言っていたはずだ。
 この辺は話すと長くなるというか一冊の本が出来てしまいそうなくらいの物語なのだが、簡単に言えば朝倉は本来消滅? してたらしいんだけど、あたしのピンチ(あいつのピンチでもある)に再構成とやらで復活した。そしてあたしを助けてくれた朝倉は何でもこの世界を向こうの世界の壁を修復するためにあたしたちの世界に来ると言っていたのだ。
 それが今日、しかも転校生という形であたしの前に現れるとは思ってもみなかったのだけど。
 これで分かった、九曜が今日珍しく遅い登校だった訳が。多分というより間違いなく朝倉を光陽園に転校させる(別の世界にいた朝倉がどうやって転入出来るようになったのかは不明だが)為に時間がかかったのだろう。それなら一言あってもよかったんじゃないかとも思うけど、あいつの本性を知っているあたしとしては黙って驚かせたかったに違いないと確信するね。
 それにしてもまさか朝倉に学校で会えるとは思わなかった。しかも、あたしのクラスメイトだなんて。てっきり北高に行くのだろうと勘違いしてたけど考えてみればあたしと佐々木に九曜もいるのだから、こちらの世界では関連性が薄いハルヒコたちの居る北高に行く必要はないもんね。
「では、朝倉さんは空いている席に着きなさい。質問などは休憩時間にするように。ホームルームは終わるがすぐに授業だからな」
 言われなくてもな事を言うのが進学校なのか、担任が騒ぎそうな生徒たちに釘を刺す。生徒たちだって分かっているから何も言わないけど。
 そして朝倉はもう一度全員にお辞儀をしてから席へと歩きだした。
「……………」
 席は丁度真ん中辺り。あたしと佐々木の位置からするとちょっと手前になる。
(よろしくね)
 あ、手を振ってくれた! あんまり接点を持ってるように見せない方がいいのかもしれないけど、こういうのは嬉しいな。
 ついあたしも手を振ってしまった。しかも朝倉はそっとあたしにだけ手を振ってくれたのに、あたしってば誰が見ても分かるレベルで手を上げていたりしちゃってるし。

 つまり、あたしは浮かれてしまっていたのだ。あの朝倉涼子があたしの前に居てくれるということに。
 
 で、浮かれたあたしはやはり抜けていたのだろう。
「ふむ……………」
 重い声に振り向いたあたしは思わず息を飲んだ。
「どうしたんだい?」
「いや…………なんでもない」
 何でもないことはない。けど、なんで? あたしはその問いを佐々木にぶつけることは出来なかったけど。





 ……………なんで佐々木は怒っているんだろう?

 その答えは結局午前中も、お昼休みになっても分らないままだった。
 ただ、転校生という事で休み時間の度に囲まれている朝倉へ佐々木は一度も近づかず、あたしも何だか遠慮してしまって話せなかったのが事実だ。
『どうしてこうなっちゃうのよ…………』
 今朝の九曜の態度が可愛く思えるくらいにモヤモヤした気持ちを抱えたまま、あたしは午後の授業もおざなりに過ごしてしまったのであった。