『SS』 たとえば彼女か……… 21

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 目の前に立ち尽くす長門の表情は動かない。だが、分かってしまう。伊達に長い付き合いじゃない、長門の表情鑑定ならば俺以上の奴なんか居ないんだ。その長門鑑定士一級の俺が断言する。
 長門有希は怒っている。静かに、深く。何も話さない、暗く深い光を宿した黒曜石の瞳が俺を貫く。誰も、何も話せなかった。キョン子は俺の背後に隠れ、九曜は俺達を守るように立っている。その誰もが口を開くことを恐れているかのようだった。
 しかし、沈黙を破るように長門が口を開いた。
「何故? 天蓋領域との過度な接触は危険。わたしはあなたと、世界の平穏の為にこれ以上の天蓋領域の独断を許す訳にはいかない」
 正論、なのかもしれない。情報統合思念体と天蓋領域は現在において相容れない関係であるからだ。今までも長門は俺を守ってくれ、今回もそうなのかもしれない。
 だが、俺は知ってしまったのだ。天蓋領域ってヤツはどうなのかは知らないが、周防九曜という宇宙人は俺達と同じなのだと。それは長門、お前に対してもそうなんだぜ? 情報統合思念体なんぞ知ったことではないが、長門有希という俺達の仲間は大切なんだ。俺にとって、周防九曜もそれに当たる相手になっちまった。ただそれだけなんだ。
 なあ長門、だから俺の話も聞いてくれ。俺は長門を止めるべく九曜の前に出ようとしたのだが、それよりも先に飛び出した奴がいた。俺の後ろで震えていたはずのキョン子が怒りでポニテを膨らませている。
「なんで? 九曜は何も悪いことしてないじゃない!」
 あの長門を指差して、キョン子は九曜を庇うように前に出たのだった。
「お前んとこの親玉がどんな奴なのかは知らないけど、九曜はあたしの仲間だ! 長門、お前なら分かるだろ? 思い出したよ、あたしはお前に会ってる。キョンを助ける為にあたしの世界に入ってきたお前なら、九曜を助けたいあたしの気持ちだって分かるはずよね?」
 そうだ、キョン子長門の姿を知っていたのだ。あの、夢のような世界の中で。俺とキョン子は初めて出会い、そこには長門もいたのだから。そして長門もまた、キョン子を覚えていた。当然だろう、あの世界に迷い込んだ俺を救ってくれたのは長門なのだから。
「あなたが彼の異世界同位体である事は理解している。故に天蓋領域は彼をあなたの世界へと幽閉した。しかし、彼はこの世界における『鍵』。その存在を揺るがせる事は出来ない、たとえあなたであろうとも」
 誇り高き俺達の仲間は、使命感と共にキョン子に告げる。その力強い眼差しは俺が信頼してやまない、いつもの長門そのものだった。
 けれど、その瞳を俺は直視することが出来なかった。長門の言っている事は正しいのかもしれない、いや、正しいのだろう。それでも、俺はこいつらと離れたくなど無いのだから。
「そんなの関係無いっ! あたしは、あたしの意思でキョンと居たいんだ! 『鍵』だとか何とかなんて知らないわよ!」
「それが世界を壊しても?」
「なっ?!」
 キョン子の叫びは、長門の氷のような声でかき消された。キョン子が二の句を告げられないのは、心当たりがあるからだ。俺にだって思い当たる事は多い、俺が『鍵』だなんて思っちゃいないが、長門の告げる言葉は事実でもあるからだ。
「あなたは、あなたの世界を救う為に行動した。わたしは、今わたしの世界を救う為に行動する。何故、あなたは彼でありながら世界のバランスを崩そうとしているの?」
 長門が放つ絶対零度の言葉に、キョン子は大きく、そして力一杯に叫んだ。
「だって、好きなんだもん!」
 長門の動きが止まる。というか、空気が固まった。それでもキョン子は止まらない。
「初めて会った時は何とも思わなかった! もう一人のあたしなんて、おかしいとすら思ったわよ! だけど、いつの間にかあたしはキョンの事ばっか考えてて、会えたら嬉しくって、異世界のあたしなんだって思えなくって、だから会いたくて会いたくて………………好きなんだもん」
 泣いていた。キョン子の大きな瞳から、大粒の涙が零れている。
「それでも、あたしはキョンに会いたくても会えない。九曜に頼んで、無理させて。でも。会いたいって気持ちに嘘がつけなくて。ごめん、ごめんね、長門……でも、ダメ……」
 泣きじゃくりながら、ひたすらに長門に謝りながら、キョン子は俺の事を好きだと言ってくれる。
 俺なんかの為に泣いてくれているキョン子異世界から、俺だけの為にやってきたもう一人の俺。なんてもんじゃない、キョン子キョン子だ、可愛くて、優しくて、ちょっとだけ我がままで、だけどそれも全部俺だけに向けてくれる可愛い女の子だ。
長門……すまん。俺はこいつと、キョン子と離れたくないって思ってる」
 いつの間にかキョン子を庇うように前に出ていた俺は、長門と正対していた。九曜も俺と長門の会話を見守るように横へと避ける。
「俺もこいつも、最初は自分の世界を守る為だとか偉そうな事を考えてた。実際に俺もキョン子が俺だからこそ任せたというのもある。けど、それから九曜のおかげでキョン子と会う度に俺の中で何かが変わっていったんだ。俺は、もっとキョン子の事を知りたい、あいつの見てきた世界も見てみたいと思っている。だから今、キョン子を失いたくないんだ」
キョン……」
 もう偽ったり嘘を言うのは嫌になっているんだ、俺が望むのはただキョン子と一緒に居たいというそれだけだ。キョン子を守りたいなどと、俺が言える立場じゃないのは承知しているけれども、それでも俺は長門の前に立たなくてはいけないんだ。
 長門有希は、俺の前で何も言わずに立っている。全てを承知させる事が出来なくても、この場を切り抜けるだけでいい。
「頼む、あと少しの間でいいんだ。俺とキョン子を見逃してくれ!」
 たとえ理不尽でも、俺は頭を下げて頼み込むしかないんだ。キョン子も慌てて頭を下げる。そんな俺達を冷静、否、冷酷な目で見下ろす長門キョン子にその視線を向けた。
「頭を上げて」
 声に促されるように俺達は頭を上げる。そこには、不思議な表情を浮かべた長門が居た。俺と、恐らくだがキョン子しか分からない瞳の色、無表情の中でも俺達には分かる顔。
 こっちの方が戸惑う、一体長門に何があったのかと。しかし、長門キョン子から視線を外す事も無く、ただ一心に見つめていた。
「え、ええと、長門?」
「尋ねたいことがある」
 困惑するキョン子が口を開いたと同時に長門キョン子に問いかけた。何だ? 俺には分からないが、キョン子に訊きたいことがあるというのだろうか。
「な、何?」
「あなたは、彼の事が好き?」
「へ?」
 唐突な質問に思わずキョン子が間抜けな声を上げた。俺だってそうだ、多分間抜けな顔をしてると思う。
「答えて。あなたは、彼が好き?」
「も、もちろん好きよ。あたしはキョンの事が好きだもん」
「それは、異世界人だから?」
「違うわ」
「友人として?」
「ちょっと違うわね」
「では、異性だから?」
「うっ!…………そうよ」
「…………そう」
 長門の意図はさっぱり分からないが、照れることだけは良く分かる。キョン子だって顔が赤い、何度も好きだと言われてる俺だってそうだ。
 だが、長門キョン子から赤面ものの言葉を引き出すと、そのまま俺の真正面まで歩いてきた。お互いの距離がゼロに近い、そんな位置で俺の顔を見上げてくる。
「な、何だ?」
 黒く、綺麗な瞳が俺の目を捉えて放さない。先程までのキョン子との会話で何か分かったというのだろうか? 長門は静かに口を開いた。
「彼女との会話で、わたしのエラーの原因が分かった」
 いきなり切り出した一言は俺に衝撃を与えた。エラーってなんだ、長門キョン子の会話に何かあったというのか?
「彼女の見せた行動、あなたの反応、わたしのエラー、全てを考察した結果、わたしの語彙に不足が生じていた事を理解した。今、わたしはエラーを解消し、不足した語彙を補足する」
 瞳の光が俺を貫く。
「わたしは、あなたが、好き」
 はっきりと、そう言われた。え、長門が好きだって言ったぞ、俺に向かって。
「な、何だってーっ?!」
「ちょっと! 何言ってんのよ、長門!」
 俺とキョン子が驚愕に同じようなリアクションを取っているのに、長門は淡々と話し続けている。
「わたしの中のエラーが人間で言うところの感情であるという可能性は否定出来なかった。しかし、感情というデータの無いわたしには自らに起こった事象に対応することが出来ず、ただエラーとして処理をしていた。しかし、わたしは彼女の会話との中で自らの感情を名付ける事が出来た。結果として、わたしはあなたに好意――――異性に対するそれ――――を認識した」
 無表情、だなんて嘘だ。あまりにも強烈な告白だろ、強い光を放つ黒曜石の瞳の少女は真っ直ぐに俺を捕らえたままで飾り気の無い好意をぶつけてきたのだから。
 そうだった、素直デレと言えばキョン子の専売なんかじゃない。元々長門って奴は純粋で、素直に俺の言う事を聞いてくれる様な何も知らないままの女の子だった。それが、自分の気持ちに気付いたらどうなるか。素直に、真っ直ぐにそれを告げるに決まってる。
 ただ、それが俺への好意だっていうのに驚いたんだ。いや、もしかしたら俺が自覚していなかっただけかもしれないが。
「あなたへの好意を抑える術を、わたしは持たない。彼女が持つ好意と同様、わたしはあなたに好意を持っている。そして、出来うるならばわたしと共に過ごす時間があなたにも最良の時間である事を望む。また、わたしと図書館に行って欲しい。…………ダメ?」
 こ、これが長門有希発素直デレの破壊力か! 真っ直ぐな瞳で小さく首を傾げたその姿は、いつもの頼れる宇宙人ではなくて守ってやりたい庇護欲を刺激してくる。思わず長門の頭に手を置いて撫でてやりながら、「当たり前じゃないか、いいに決まってるだろ」なんて言いそうになっちゃうだろ。だがしかし、今回はそんな訳にはいかなかった。
「ダメーッ!」
 俺の腕にしがみ付いて泣きそうな顔をする女の子がいるからだ。
「いくら長門でも、これだけはダメッ! あたしのキョンなの! あたしの方がキョンを好きなんだから!」
「好意に単位など存在しない。けれど、あなたの言葉を借りるならば、わたしの方が彼を好き」
「あたしのキョンだもん!」
「所有権はあなたには無い。彼はわたしを信頼してくれている」
「信頼と好きっていうのは違うわよ!」
「それでも、わたしは彼と過ごす時が好き。彼もわたしと共に過ごす時間がもっとも長いはず」
 それは厄介事があれば長門をつい頼ってしまうからだがって、何だこの言い合いは? 俺を好きだって言ってくれてる女の子同士が一方はポニーテールを膨らませて、かたや無表情に言い争っている。
「絶対にキョンは渡さないんだからね!」
「それはわたしの台詞。彼をあなたに渡したりはしない」
 ははは、どうなってるんだろう。いつの間にか俺の両腕はキョン子長門に抱え込まれている。しかも、意図的になのか偶然なのか二人とも当ててるというか、しがみ付かれて押し付けられてる。
 誰にも言い訳出来ないくらいの修羅場だ、青い顔して両方から引っ張られているのが平凡を売りにしているはずの俺なだけで。
 どうすればいいのだ、こんなシチュエーション経験したこと…………今日はえらくあった気がするが。その全てに対応出来なかった俺が今更上手くやれるはずないだろ! などと自虐的にツッコミを入れても状況が改善される訳ではない。
「あたしの方が好きだって言ってくれたもん!」
「眼鏡が無い方が可愛いと言ってくれた」
 それを今蒸し返すのかよ! と、頬を膨らませたキョン子に睨まれる。あれ、背中に汗が流れてるのが分かるんだけど。
「あ、あたしの方が好き……よね?」
「わたしのことが、好き?」
 なっ?! 両側から抱えられたままで二人の少女が上目遣いで俺に問いかけてくる。それも、ポニーテールが良く似合う瞳を潤ませた美少女と、ショートカットを揺らせた光を湛えた瞳を持つ美少女にだ。
 どんだけ羨ましいと思うだろう、本人でさえなければ。実際に憧れたはずのシチュエーションは、本当に心臓が止まりそうな程の緊張感と恐怖しか感じなかった。
 まずい、どう答えても俺に不幸しか生まれない。どちらがなんて選べるはずないだろう、キョン子一人にならば実は言う事は出来る自信もあるのだが、長門を傷付ける事など俺に出来る訳が無い。優柔不断と言うなら言えばいいさ、あの長門に俺は絶対にノーが言えないんだからな。
「ねえ?」
キョン?」
 こんな時だけ息がピッタリなのも女というのが謎な理由なのだが、とにかく選べるものか! 俺は慌てて左右を見回す。緊急事態だ、真面目モードだ、今こそ出番だろ、お前の!
「―――――あたいを――――げふ〜―――呼んだかい―――――――?」
 かぶり付きでポップコーンを食べながらコーラを飲んでいた九曜がげっぷと共に立ち上がった。てめえ、完全に人の修羅場を見世物にしてやがったな。
「どうやら―――――――出番ね―――――――」
 そうなんだけど嫌だなあ。どこのベテラン芸人だ、お前は。しかし空気は間違いなく緩んだ、流石は九曜だ。
「えっと、九曜?」
「どちらが―――――――好きなど―――――――関係ない―――――――自分に素直に―――――――なればいい―――――――」
 それは意外でもありながら九曜なら、と納得してしまう自分がいた。自分に素直に異世界の扉を開き、俺達を巻き込んでいるのだからある意味説得力抜群だ。
「―――――――想う力は―――――――誰かに言われるものではない―――――――選ばれるのではない―――――――自らが想う事―――――――」
「九曜…………」
 キョン子も、長門でさえ掴んだ力が抜けている。誰よりも子供であるはずの宇宙人が誰よりも大人の意見を言っている、その九曜の姿は神々しささえ感じるものだった。
「そう」
 長門が俺から離れた。キョン子もそれに続く。
「わたしは、あなたが好き。その感情に変化は無い。しかし、それをあなたに強要することは本意ではない。わたしは、あなたに相応しいわたしでありたいと思っている」
「あたしもそうよ。あたしはキョンが好きだけど、キョンにもそうであって欲しい。だけど、無理に言う必要なんかないの。きっとキョンもあたしが好きなんだって信じてるもの」
 これは素直に喜んでもいいのだろうか? 確かに嬉しいのだけど、何というか、余計に選べなくなったような。ここまで想われる程の人間だとどうしても思えないのだがなあ。
 なので、あー、とかうー、とかと曖昧に頷いたりしてしまったのだが。
「よって―――――――わたしが―――――――いちばん好き―――――――」
 って、おい九曜! 二人が離れた瞬間を狙って飛び込んできた九曜を思わず抱きとめた。見た目以上に軽い九曜は楽々と俺に抱き締められるような体勢になる。
「あーっ! 九曜ーっ!」
「それは反則」
 キョン子長門の抗議を無視して九曜が俺の首にしがみ付く。しかし、それも一瞬で俺から降りた九曜は、
「だからこそ―――――――ここは―――――――通らせてもらう―――――――」
 さっきまでとは全く違う声で、長門を見詰めたのだった。
「それは出来ない、わたしは彼を渡さないと言ったはず」
 長門の声も重くなる、キョン子は再び俺に寄り添った。
「九曜……」
「―――――――問題無い」
長門!」
「了解している。情報解除までは申請しない」
 それでも止めるという選択肢は無いのかよ? 睨みあう長門と九曜の間に緊張感が走り、俺とキョン子は息を呑んだのであった…………