『SS』 たとえば彼女か……… 28

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 朝倉が喜緑さんの腕を掴み、九曜がその下で倒れている。それは奇跡的な光景だった。少なくとも、朝倉涼子がこの場に居る理由も、周防九曜を助けた訳も、喜緑さんがそれを知らなかった事も、全て俺などには予測出来るものではない。勿論キョン子も同じはずなのだが、朝倉を見た時から声が弾んでいた。
「ねえ、キョン! 朝倉だよ、朝倉が来てくれた!」
 見れば分かる、何故嬉しそうなんだ。
「だって、あたしは朝倉に助けてもらったもん! まさかまた会えるなんて……」
 俺もこいつの姿を生で見る羽目になるとは思わなかったぜ、前回はキョン子の意識内だったからな。それが何故また俺達の前に、それも実体を持って現れたんだ? 疑問は残るが、今は朝倉の動きを見守るしかない。
「あなたの出番はないはずですが? それとも私の手助けにでも来たのならば余計なお世話ですけど」
「分かってるでしょ、今の私は情報統合思念体とは関係ないの」
 何だ? 朝倉が思念体とやらと関係が無いってどういう事だ?
「え、えっと、あたし、分かるかも」
 キョン子が俺の袖を引いた。益々分からん、何でキョン子に朝倉の復活理由が分かるんだ?
「朝倉があたしを助けてくれた時に言ってたの。自分は長門と、キョンの意識の中にいるんだって。それってつまり、」
長門さんですか。厄介な事をしてくれますね、独断で再構成など本来ならば逸脱行為ですよ」
「あら、久しぶりに会えたのに随分な言い方じゃない。私は喜緑さんに会えて嬉しいわ」
 あの朝倉は長門が創り出したっていうことなのか? そういえばうっすらと記憶の中にあるような、キョン子の意識だとはっきり聞こえていたのだろう。
「私は、規定事項に逆らってまであなたに会いたいなどとは思いませんけどね」
言うなり朝倉の手を振り払って距離を取る喜緑さんに、朝倉は見慣れた笑顔で応える。
「残念。せっかくの再構成だから知り合いには会いたかったのに」
それほど残念そうな顔じゃないぞ、しかも両者共に油断無く構えたままでの会話内容とも思えない。
「しかし長門さんも何故あなたを再構成したのでしょうね?」
「それは長門さんに聞いてもらえないかしらね。でも、何となく気付いてるでしょ? 喜緑さんは」
それはどういう意味なんだ? 喜緑さんが何に気付いているのかは分からないが、一つ確実な事がある。
「今回の雇い主のご命令なの、ここから抜け出させてもらうわね?」
「あなたには無理です、思念体の意思は絶対なのですから。それとも、私を相手にするとでも?」
そうだ、長門はあくまでも俺達を救おうとしてくれていたのだ。喜緑さんの動きも察知していたのかもしれない。その救出手段が朝倉の復活というのは少々心臓に悪いのだが、親玉にばれないように工作した結果だとすれば感謝するしかない。
「私一人なら分が悪いけどね」
そう言った朝倉の視線の先には倒れた九曜がいる。そうか、九曜と二人なら、
「早く起きなさいよ、この酢昆布」
って、頭を蹴った! 助けに来たはずの九曜の頭を蹴っちゃったぞ、こいつ! 驚く俺とキョン子、さっきまでの雰囲気が台無しだ!
「――――――なにを――――――する――――――」
蹴られた拍子で意識が戻ったのか、ようやく立ち上がった九曜の抗議など朝倉は聞いちゃいなかった。
「うるさいわね、今回は仕方なくあなたのサポートに回ってあげるわ。早いところキョンくん達を助けてあげないといけないでしょ」
「――――――むう」
九曜が顔を撫でると血塗れだったはずの顔面が元の白皙へと戻っている。長門もそうだったが、肉体的損傷というのはすぐに回復出来るということか。
「天蓋領域と手を組みますか。手段を選ばないあなたらしいですね」
「些か不本意だけどね。でも、今の私はキョンくんを助けたいから何でも使うわよ。勿論、あなたもそうよね?」
「――――――」
九曜が静かに頷き、「決まりね」と朝倉が微笑む。
「九曜……朝倉…………」
キョン子の心配そうな声に、
「大丈夫」
「――――――任せて――――――」
九曜と朝倉は力強く頷いた。
「――――――足を――――引っ張るなよ―――――ポンコツ――――バックアップ――――――」
「こっちのセリフよ、この間延び昆布!」
お前ら、仲良いのか悪いのかどっちなんだよ? それでも宇宙最強に近いタッグは勢い良く喜緑さんに急襲した。
「二人がかりですか。それもいいでしょう、かかってきなさい」
「偉そうに!」
「――――――わかめが――――――」
喜緑さんの攻撃力を上げてどうするんだ、お前ら! 静かに微笑む喜緑さんから暗黒のオーラが立ち昇ってるだろ!
「どうやら昆布と眉毛に現実というものを分からせてあげなければならないようですね」
「誰が――――――海産物だ――――――」
「人をパーツで語らないでよね!」
九曜と朝倉が強烈なラッシュで喜緑さんに肉薄する。九曜の動きも先程とは違い、元に戻りつつあるようだ。



しかし、その二人がかりの攻撃すらも喜緑さんは捌いている。それどころか、
「キャアッ!」
ガードの上から蹴られた朝倉が吹っ飛ばされた。同時に九曜も拳を受けて後ずさる。喜緑さんは何事も無かったかのように身構えていた。
俺には見えないレベルで高度な戦闘が繰り広げられているのだ。しかも、喜緑さんにはまだ余裕さえ感じられる。
「そんな、九曜と朝倉でも勝てないなんて……」
キョン子の呟きに絶望が混じる。俺も目の前の光景が信じられなかった。喜緑さんの能力が高いのだろうとは思っていたが、ここまで差があるなんて想像もつかなかったからだ。
「所詮は長門さんの能力を縮小したに過ぎないバックアップコピーと疲弊したインターフェースです。私相手に二人で来ようが雑作もありません」
喜緑さんの言葉から絶対の自信を感じる。九曜はともかく朝倉には焦りの色が浮かんで見えた。
「流石に喜緑さんの情報空間内では分が悪いわね…………こちらの攻勢因子が悉くブロックされてるわ」
「あなたの詰めの甘さは前と変わらないですからね」
「もう! 長門さんも喜緑さんも何で私が詰めが甘いって言うのよ!」
「――――――甘々だ――――――」
「あなたにだけは言われたくないわっ!」
そんなやり取りはいらないだろ。などと俺が思うくらいに会話と戦闘内容がかみ合っていない。凄まじいスピードで拳や足が行き交いしているのに、平然と会話しているからな。
しかし、何故この三人はさっきから接近戦しかしていないんだ? 九曜と朝倉はともかく、喜緑さんならば一気に勝負に出てもおかしくはないはずだ。
「ねえ、もしかして喜緑さんも言ってる程余裕がないんじゃないのかな?」
俺と同じ疑問を持ったキョン子が俺に庇われながらそう言った。なるほど、あの微笑みはブラフの可能性もあるってことか。それならば九曜と朝倉にも勝機があるということなのだが、
「いった! 何であなたがそっちに飛ぶのよ!」
「――――――空気嫁――――――」
生憎とコンビネーションが最悪なんだよな。何気なく繰り返している誤爆の責任を互いに擦りつけながら戦う九曜たちに勝ち目は無いように見える。
そんな中で喜緑さんが呟いた。
「遊びはここまでです。ここからは本気でいきますよ」
言うなり喜緑さんの姿が消える。瞬間移動か?! 九曜の反応が遅れ、またも吹き飛ばされた。
「九曜っ!」
キョン子の叫びと同時に朝倉も吹き飛ばされる。為す術も無いまま翻弄される九曜と朝倉。凄まじい勢いで移動する喜緑さんに俺などの目が追いつけるはずもなかった。
「くっ! せめて情報空間のコードさえ解明出来れば……」
朝倉が悔しそうに言っているがガードを固めるだけで精一杯のようだ。九曜も同様に丸まっているだけで何も出来そうにない。
「一瞬、ほんの一瞬だけ時間が稼げれば……」
一瞬だけ? ほんの少し喜緑さんの気を逸らせば何とかなるというのか? と聞いた瞬間から俺の体は動き出していた。
キョン?!」
驚くキョン子を残して俺は走っていた。九曜と朝倉がガードを固める猛風の真っ只中に飛び込む。
「なっ?!」
「――――――!」
朝倉と九曜が咄嗟に俺を守ろうとガードを解くが、俺はそれを目で制する。気付け、俺は『絶対』に大丈夫だ!
「無茶はやめてもらえませんか! だからこそ動きを封じていたのに!」
喜緑さんが俺を抱きとめる。俺が傷つけば、この戦闘そのものの意味が無くなってしまうからな。あくまでこれは現状維持の為の戦いだ。俺が傷つき、万が一死んでしまえば世界が、ハルヒがそれを許さない。『機関』もそうだったが、穏健派の喜緑さんがそこまで過激な手段を取るはずない、という一種の賭けだった。それに俺は勝った。
「今だ、朝倉!」
俺の叫びに喜緑さんが失敗を悟る。俺を突き飛ばして再度朝倉に襲い掛かろうとするが、
「――――――させない」
九曜が立ち塞がり、朝倉は地面に手を置いた。
「情報解析………………完了したわ!」
ほんの一瞬で立ち上がった朝倉に九曜が一飛びで接近する。
「後は任せたわよ!」
「――――――承知――――――」
朝倉が九曜の手を取ると、小さな光が発生した。同時に九曜が今まで見た事が無いほど大きく口を開く。
「――――――」
それは長門や朝倉が使った高速の呪文のような言語だった。しかし、長門達と発音そのものが違う。歌うようなその声は、間延びしているような、奇妙な違和感を醸し出しながら空間を支配していった。
すると、周囲を覆っていた灰色の空間が少しずつ崩壊していく。低振動で崩壊していくビルの映像を見たことがあるが、それに近い。
「情報の書き換えですか! そうはさせません!」
崩壊を食い止めようと喜緑さんも例の高速呪文を唱えようとするが、
「それはこっちのセリフよ! そうはさせないわよっ!」
今度は朝倉が喜緑さんに呪文を言わせないように連続で攻撃を仕掛ける。詠う九曜と守る朝倉、それはさっきまでの仲間割れが嘘のような見事なコンビネーションだった。
九曜の詩が流れるにつれて、空間の輪郭がぼやけてゆく。粉雪のように空間の欠片が降り注いでいった。
「まさか、情報コードそのものを天蓋領域に渡すなどとは! 逸脱を超えて反逆行為に等しいんですよ、分かっているのですか?!」
「言ったじゃない、私はキョンくんを守る為なら何でもするって!」
朝倉は喜緑さんの動きを止めながら力強く言い放つ。
「私は、キョンくんを守る為にここにいる。償いと、彼女の想いを乗せて! だから私は負けるわけにはいかないのっ!」
九曜の詠う呪文に呼応するように、朝倉涼子が躍動する。その動きはまるで舞いの如く、しなやかに軽やかに。空間の崩壊と共に喜緑さんの動きも鈍っているのか、朝倉の猛攻を防ぐだけだ。
「いっけー! 朝倉ーっ!」
 キョン子が拳を振り上げる。九曜の詠唱が続き、朝倉の動きが止まらない。喜緑さんの額には汗の玉が浮かび、空間は崩壊の一途を辿っていた。
「ちいっ! 分かっているのですか、あなたたちは!」
「分かってるわよ! 喜緑さんこそ分かってるくせにっ! そんなに現状維持が大事なの?!」
 会話の内容までは分からないが、朝倉がいつの間にか喜緑さんを圧倒している事は傍目からでも分かる。俺は手に汗を握って戦いの推移を見守るしかなかった。
長門さんほど、私は甘くないと言ったはずです!」
「その長門さんの想いを背負ってるって言ったでしょ! いいから私に任せなさい!」
 朝倉の強烈なキックが喜緑さんの腹部を襲い、喜緑さんはガードしたものの先程の九曜のように空間の壁に叩きつけられた。
「ぐうっ!」
「今よ!」
 九曜と喜緑さんの距離が開く。喜緑さんが立ち上がると同時に九曜が詠唱を終えて右手を差し出した。朝倉が隣に立つと九曜の右手に左手を重ねる。
「――――――情報―――――解除――――開始――――――」
 九曜の声と同時に空間の振動が大きくなった。俺は剥がれ落ちてくる空間の破片から覆い被さるようにキョン子を庇いながら地面に伏せる。
「いけないっ! 空間の維持を!」
 喜緑さんが九曜と朝倉に飛び掛る。しかし、その瞬間に二人は声を揃えて最後の言葉を告げたのだった。



バルス!』



 重ねた手から激しく輝く光が、っていや、それ違うだろ! 確かに崩壊の言葉だけど、ここで使うな! 何かもう全部ダメだーっ!!
「うわあっ! 目が! 目がァァァッ!!」
 喜緑さんが目を押さえてのた打ち回るというお約束があったけど、俺達も眩しい光に包まれて何も見えなくなっていった。なんだ、このオチは…………