『SS』 たとえば彼女か……… 27

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 睨みあう九曜と喜緑さん。だが、何故か喜緑さんからは余裕のようなものが感じられる。
「もう少し冷静だと思っていたのですが、あなたも長門さんと同じく表情よりも心情というものを優先するようですね。まあ、その方が御しやすいですけど」
 喜緑さんは小さく息をつくと、ゆっくりと九曜との位置を縮めていく。何も無かったのように九曜の目前まで歩いた喜緑さんは、九曜の目を覗き込む。九曜が咄嗟に後方に飛び退いて距離を取ったのだが、どうしてあそこまで接近を許したんだ?
「想像以上ですね、流石は長門さんと言ったところですか」
「どういう事? なんで長門の名前がそこに出てくるのよ!」
 動けないキョン子の声に、喜緑さんは答えることは無かった。それは、
「――――――あたーっく――――――」
 呟くような力の入らない掛け声と共に九曜が迫ったからだ。制服姿と違い、動きやすそうな衣装を纏った九曜は素早く拳を突き出したようなのだが、俺やキョン子のような人間には捉えきれないスピードなのだろう、残像のようなうっすらとした線にしか見えない。
 しかも、その悉くをかわす喜緑さんの動きは俺達から見ても分かるくらいにゆっくりとしたものだから余計に九曜が無駄に動いているように見えるのだ。
「――――――むう」
「えっ?」
 九曜の姿が一瞬で消えた。いや、瞬間移動のようなものなのか。
「では、こちらも」
 言うなり喜緑さんの姿も消える。少なくとも俺の目には何もない空間だけになった。
 だが、戦闘は間違いなく続いている。それは何かが激突する音と、瞬間の光だけで認識できるだけなのだが。音は段々と上へと昇っていくようだ、空中戦を展開しているのか? どんなバトルしてるんだ、あいつら。
「多分この後に気弾とか飛び交うんじゃないの?」
 それは長門戦でもやったからな、二番煎じは駄目だろ。しかも何か飛んできたら俺達は避ける事が出来ないんだぞ。いや、その為に空中戦にもっていったのかもしれない。俺達が被害を被らない為に。
「あ」
 俺の目前数十センチのところに衝撃音と共に何かが突き刺さった。衝撃と爆風と地面の破片が俺の顔面を襲う。しかも動けないから成すがままに受けるしかない、せめて目を瞑らせて! 
「だ、大丈夫、キョン?!」
 目に入ってないだけマシだと思う。けど、埃が目にぃっ! 痛い、やっぱ痛い! メチャクチャ被害受けてるじゃねえか、俺!
 そんな俺の視界がようやく開けた時、目の前に見えた光景は信じられないものだった。



 リアルスケキヨだった。


 
 というか、九曜が地面に突き刺さっている。大量の髪の毛が地面を流れるように覆い、垂直に足を伸ばした九曜の下半身しか見えない。幸いなのは制服じゃないからスカートがめくれる心配が無い事だけか。
「そっちこそどうでもいいだろ! 九曜、大丈夫?!」
 キョン子の叫びに、
「――――――んしょ――――――」
 どういう仕組みなのか、髪の毛を使って地面から体を引き抜いた九曜は、傍らに降り立った喜緑さんと再び対峙する。しかし、
「――――――おおう――――――」
 無表情に上半身を揺らしていた。今や余裕の笑みを浮かべた喜緑さんがそれを見つめている。
「九曜? どうしたの?!」
 しかし、九曜はキョン子に向けて親指を立てた。大丈夫だ、と背中が語る。ゆらゆらと揺れたままで。
「九曜……」
 キョン子が瞳を潤ませてそれを見ている。俺も何も言えないままに戦う二人を見ているしかなかった。
「――――――」
 無言の九曜が喜緑さんを襲撃するのだが、今度は俺にも分かる。
 九曜の動きは確実に鈍っていた。それでも俺ならば避けきれないスピードなのだが、この二人にすればスローモーションにしか見えないだろう。
 それに、九曜は先ほどから近接戦闘しかしていない。俺がまだキョン子の意識内に居た時に見た戦いでは、九曜は結晶の槍などを繰り出していたはずだ。喜緑さんの情報制御空間だからなのか? それとも……
「その程度でどうにかなると思ってるのならば、天蓋領域も大したことはないですね」
 喜緑さんは一言呟くと、九曜の拳を軽々と受け止めた。
「――――――!!」
 九曜が離れようとすると、
「遅いですよ」
 喜緑さんの前蹴りが九曜の腹部に突き刺さり、そのまま吹き飛んで空間の壁に激突した。
「九曜っ!!」
 キョン子の悲痛な叫びが何もない空間に木霊する。九曜はよろめきながらも立ち上がった。白皙の顔に赤い血がついている、どこかを怪我したのか!
「喜緑さん! もう止めてくれっ!」
 俺の声に喜緑さんが向けた視線は冷酷、と呼べるものだった。
「言ったはずです、天蓋領域を削除すると。あなた方の勝手で世界は滅びつつあると言ったでしょう?」
 そのまま九曜に近づく喜緑さん。くそっ! 動けない! 頭の中だけで焦りが募り、体は一ミリも動きはしない。
「九曜! 九曜っ! 逃げて! あたしはいいから! 早く…………」
 キョン子の声に涙が混じり、動けない頬が濡れている。そんなキョン子にも何もしてやれない自分に腹が立つ。いいから動け、俺の体!
「――――――大丈夫――――――」
 顔を朱に染めつつある九曜が、それでも無表情にキョン子に告げる。上半身だけではなく、全身を揺らしながらも力強く。
「それでも――――――私は――――――負けたりしない――――――から――――――」
 血塗れの九曜と、あの時の長門が重なる。たとえどのような状況であろうとも、俺達の宇宙人は同じ様に言うのだな、と。
「――――――とう――――――」
 九曜がジャンプした。それは人間を遥かに越えた高さだった。そして、その高さで留まると膝を抱えて丸くなる。何だ?!
「――――――天蓋奥義――――――」
丸まった九曜が高速で回転する! 髪の毛が流れて九曜の全身を覆い、それは黒い球体へと変化していった。
「―――爆丸――――――シュート――――――」
それ奥義じゃないだろっ! この期に及んで尚笑いを忘れない、その姿勢こそが周防九曜の真骨頂だ。間違っていてもそのままの君で居て欲しい。
しかし、これは只の面白奥義などではない。凄まじい勢いで回転する九曜は喜緑さんに向けて突撃する。当たれば一撃必殺の威力を秘めている事は素人の俺にだって分かった。但し、そんな攻撃が喜緑さんに通用するとも思えなかったのだが。
果たして、喜緑さんは一歩後ろに下がるだけで九曜の攻撃をかわそうとする。紙一重で九曜の攻撃は当たらないように見えた。だが、
「――――――ポップ――――――アップ――――――」
九曜が球体から跳ね上がるように元の姿に戻ろうとする。上手い! あの距離ならば喜緑さんの懐に入り込める、そこからならば反撃も可能だ。



だが、そうはいかなかった。



「甘いですよ!」
喜緑さんの右手が伸びて立ち上がりかけた九曜の顔面を鷲掴みにする。
そして、掴んだ勢いすらも利用して九曜を後頭部から地面に叩きつけた。鈍い音と共に九曜の頭が地面にめり込んでいく。
「九曜ーっ!!」
泣き叫ぶキョン子、俺も声を嗄らして叫ぶ。
「九曜っ! 立て! 立ってくれ! チクショウ、動け! 動けよ!」
このまま何も出来ずに九曜がやられる様を見続けろっていうのか?! そんな事出来るかっ! 俺は歯を食いしばり、自分の体を少しでも前へと出そうとする。
目の前では九曜の顔を掴んで地面に叩きつけたままの喜緑さんが、
「本当に勝てるとでも思っていたのでしょうか? 長門さんと戦闘をこなしたばかりのあなたが。それに今日一日で空間移動に異世界人の召喚、この世界での彼女達のセキュリティと、能力を使い続けていたのに、ですね。もしもそれでも勝てると思われたのなら、私も随分と舐められたものです」
若干不満げにそう言った。あの長門との面白バトルも、九曜からすればかなりの消耗戦だったのか。それにずっと、
「あ、あたし達を守ってくれてたの…………そんな、あたしがここに来るのに、九曜に負担をかけ続けてたなんて……」
そうだ、今までも色々あったとは言え無事だったのは九曜がいてくれたからじゃないか。俺達は、いいや、俺は、またも仲間である宇宙人を頼りすぎていたんだ。あの日、長門に負担をかけすぎていた自分を責めたというのに。
その周防九曜は今、喜緑さんの攻撃を受けて地面に頭を埋められ、ピクリとも動かない。くそっ! 情けなくて涙が出てくるぜ!
「これ以上時間をかける訳にもいきません、情報操作を長引かせてはこの空間と本空間の時間軸がずれる可能性もありますしね。では、さようなら」
喜緑さんの言葉と共に、九曜を掴む右手から光が放たれる。まさか、
「情報解除、開始」
「やめてーっ!!」
キョン子の叫びと、喜緑さんの言葉が重なったその瞬間。



 轟音と共に空間が裂け、目の前が土煙で覆われた。




「キャーッ!!」
 キョン子! 俺は咄嗟にキョン子を庇って覆い被さる。爆風が背中に吹き付けられ、衝撃に体を持っていかれそうになりながらもキョン子を抱き締めるようにして守る。
キョンっ?! だ、大丈夫?」
「ああ、何とかな…………それよりも動けるようになったのか……?」
 いきなりだったので気付かなかったが、いつの間に俺達は動けるようになったんだ? しかし、キョン子も俺もそのおかげで助かった。
 衝撃が収まり、視界が開けてくる。俺は背を向けているが、先にキョン子が状況を把握したらしい。
「え? あ……何で?!」
 驚愕のあまり固まってしまったキョン子。一体何が起こったんだ? 俺も振り返った、その目前に。
「…………何のつもりでしょうか?」
「さてね? 私にも分からないって言ったらどうする?」
 俺の目も驚愕で見開かれた。何故だ、どうしてお前がここに居る?! 喜緑さんの腕を掴み、九曜から引き離したのは、俺が忘れようとしても忘れられない相手だったからだ。
 そいつは俺達の高校でクラスメイトだった。人気の高いクラス委員長で、誰とも話さなかったハルヒを気にかけていた。
 そして、長門と同じ宇宙人のアンドロイドにして俺の命を狙い、長門と戦って消えていったあいつが。
「お久しぶりね、キョンくん。そして、そちらのキョンちゃんも」
「うん、うんっ!」
 キョン子の瞳が希望に輝く。そうだ、キョン子はこいつに命を救われている。俺もそれを知っている。それでも何故ここにいるのかは分からないのだが。




 朝倉涼子は、涼やかな微笑みで俺達の前に現れたのであった。