『SS』 たとえば彼女か……… 29

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 光が温かな熱と共に薄れていくのを俺は肌で感じていた。というのも、目など開けていられるはずも無いくらいの光が辺りを包んでいたからだ。おまけにキョン子を庇って背を向けているからな、状況がさっぱり分からなくなっている。
「とりあえず終ったのか? キョン子、お前はまだ目を閉じてろ」
 万が一辺りが灰燼と化していたらキョン子には見せられないだろう、俺は不安と共に恐る恐る目を開けてみた。
「…………あれ?」
「どうしたの?」
 キョン子も俺の声に反応して目を開けてしまった。そして、周囲を見渡す。
「どうなってんの?」
 そうだな、どうなってんだ? 俺とキョン子は人通りざわめくホームで二人仲良くしゃがんでいた。幸いに、なのか注目もされていないようだが慌てて立ち上がる。と、同時に周囲を見回す。俺達だけが元に戻ったとは考えられないだろう、というのは誰もがすぐに考え付く思考だ。
 そして、それは正解だった。俺達から少し離れた所に三人の宇宙人が立っている。周囲の手前、誰も身構えていたりはしていなかった。だが、変わらない緊張感のようなものが確かに存在している。ついでに言えば、喜緑さんはさっきの大佐ネタは無かったことにしているようだ。不敵に微笑み、腕を組んで立っていた。
「これはどういうことでしょう、何故通常空間に?」
 向かい合うのは朝倉と九曜、二人とも見た目は何も異常が無いのは戻ってくるまでに修復したという事か。どうやら通常空間ということは、ここは普通の駅のホームということらしい。
「分かってるくせに。これでもう情報操作は出来ないでしょ、流石に周囲への影響が大きすぎるものね」
「…………元々緊急処置でした。時間軸、周辺の破壊処理、空間発生中の記憶操作、全てが負担としては許容範囲を超えていましたからね」
「穏健派としては、ね」
 皮肉なのか、朝倉の言葉に喜緑さんが唇を噛む。通行人が不審そうに見ながら通り過ぎる中を、俺とキョン子は朝倉たちに近づいて行った。
「大丈夫、九曜? 朝倉も!」
 俺よりも早く駆け寄ったキョン子が九曜を抱き締める。「過保護ね」と苦笑する朝倉。九曜はされるがままにキョン子にもみくちゃにされていた、こいつはキョン子に対しては無抵抗だよな。
 その様子を呆れたように見ていた喜緑さんが、朝倉の前に立つ。二人の距離は互いの胸が当たりそうな程に近かった。
「それで? この茶番の幕をどのように引くおつもりですか、朝倉さん」
「そうね、とっくに気が付いていると思ったけど。改めて言わなきゃ駄目?」
 微笑む二人の間には何者も入り込めない空気が溢れている。キョン子は九曜を抱き締めたまま、俺はその二人を庇うように前に立つ。すると喜緑さんは俺たち三人を見て諦めたようにため息を吐いた。
「天蓋領域はともかく、鍵の二人はまだ事情が分かっていないようです。説明してあげてください、私からは言うべき事ではありません」
「そうするわ。キョンくんもキョンちゃんも聞いてくれるかな?」
 振り返った朝倉に俺達は頷いた。そのまま促されてホームのベンチに腰掛ける。九曜だけが当たり前のように俺の背中に乗ってきたところで朝倉が口を開いた。誰も九曜を止めないのは何故なのか、というツッコミはスルーの方向のようだな。何でだ。
「まずはキョンちゃんの世界と、この世界の壁は未だ不安定なままなのを理解してもらわないといけないわ。つまりは喜緑さんの心配は正しいってことね」
「え? それってまずいんじゃないの?! でも、九曜と朝倉が喜緑さんをやっつけたのは、」
「やっつけられてません。あくまで情報空間を解除されただけです」
「それはいいから。とにかく、まだ事態は収拾された訳じゃないの。でも、周防さんを消すようなやり方は誰も望んでいなかった。それは喜緑さんもね」
「喜緑さんも?」
「そちらの彼女の世界の均衡を崩しかねないような行為を私が望むとでも? 何度も言いますが、今回の件は天蓋領域とあなたが招いた不足の事態なのです」
 睨むでも無く俺と九曜を見つめる喜緑さんについ後ずさりしそうになったが、キョン子に止められた。それどころかキョン子は喜緑さんに、、
「あの、えっと、結果として九曜も助かったし、朝倉にも会えました。これから後は九曜と話し合って迷惑かけないようにします。キョンと会えなくなるっていうのは我慢出来そうにないけど、それでもあたしが我が儘さえ言わなければ九曜がどうにかしてくれてたと思うんです。だから、すいませんでした!」
 深々と頭を下げたのだった。慌てて俺も頭を下げる。そして顔を上げた時、俺は世にも珍しい光景を目にする事になる。



 あの喜緑江美里さんが目を丸くしてキョトンとしている姿など、誰が想像出来ただろうか。



「あの、つかぬ事をお聞きしますが、本当にあなたの時空同位体なのでしょうか?」
 言わないで下さい、俺が一番自信がないんですから。しかし素直デレというか、素直キョン子は喜緑さんですら動かすのだ。呆れたようにため息を吐いた宇宙人のお目付け役は、
「仕方ないですね。私が望むのは世界の安定であり、それはこの次元だけに限ったものではありません。ですが、事実として空間の崩壊は進んでいます。それをどのように食い止めるつもりなのですか?」
 厳然たる事実を突きつける。キョン子が言葉に詰まりそうになり、俺が背中の九曜を促そうとした時、
「もういいでしょ、あんまり二人を苛めないで貰えないかな」
 そう言ったのは朝倉だった。俺達は思わず朝倉の顔を注視する。
「だから私がいるのよ、長門さんも分かって再構成したみたいだしね。だから心配いらないわ」
 微笑んだその姿は俺が知るクラス委員長のそれであり、キョン子からすれば安心を与えてくれるものであったようだ。
「ねえ、朝倉が居たら大丈夫だって本当?! それで九曜も助かるし、世界も戻るの?」
「戻る訳ではありません、あくまで処置が出来るというだけです」
 喜緑さんは冷静に釘を刺すが、キョン子は聞いていないかのように興奮している。俺も意外な朝倉の言葉に驚いていた。
「どうすればいいんだ? 朝倉、お前は長門の力で再構成されたっていうことは、あいつはこの事態を予測してたっていうことなのか?」
 長門は、そこまで考えて朝倉を再構成したというのか? だとすれば、本当に長門には感謝しかない。もう足を向けて寝れないなんてレベルじゃないぞ。
「そうね、長門さんはキョンくんの為なら何でもしちゃうから」
 だが、その言い方は頂けない、それで睨まれるのは俺なのだ。地味に座っている足を踏まれているのを我慢しながら話を進めることにする。
「それで、お前が居る事がどういう風に世界の崩壊を止める事になるんだ?」
「うーん、正確に言えばここに居ても何も変わらないわ」
 おい! それじゃ何も意味が無いだろうが! というツッコミを言う前に笑っている朝倉は、
「だから私があっちの世界に行くの、そこで空間の綻びを修正する。こちらの世界は喜緑さんと長門さんが居るから任せる事にして、少なくともこれ以上の空間の崩壊は防げるわ。但し、負担をかける訳にはいかないから周防さんにも自重してもらわないといけないけどね。勿論キョンちゃんも!」
 簡単そうに言ったが、その内容は衝撃的だった。朝倉がキョン子の世界にだと?
「え? 朝倉がこっちに来るの? でもそれって、」
「…………インターフェースを派遣して空間の制御を行うという方法は案件の中にありました。ですが、状況を全て把握した上で能力を行使出来るインターフェース体が存在しなかったのです。別段暇をしている個体など居ませんので」
「だから暇そうな私の出番なのよ、正直言って再構成されるなんて思ってなかったしね。このインターフェース体は長門さんのベースで作られているから情報統合思念体の影響も少ないし、私の出番はここには無いもの」
 つまらなそうな喜緑さんの補足に苦笑した朝倉が応える。
「で、でもそれでいいの? 朝倉があたしたちの世界に来て、戻ったり出来るの?」
 不安そうに尋ねるキョン子に、朝倉は肩をすくめた。
うん、それ無理。空間の修正と補正をすれば、今度はそれを固定しなきゃいけないの。だから私は離れる訳にはいかなくなるわ」
 分かっていて、それでもキョン子の世界に行こうというのか、朝倉。長門はそれでいいのか? 俺が思いついた事を言おうとすると、ゆっくりと首を振る。
長門さんも分かっていて、それでも私に任せてくれたの。だから大丈夫、別に今生の別れって感じでもないようだしね」
「――――――さて――――――ね?――――――」
 俺の頭上に顎を乗せている九曜の表情を今ほど見たいと思ったことはないな。そんな朝倉と九曜を見たキョン子の瞳が見る間に潤んでいく。
「ご、ごめんね…………あたしの我が儘で九曜にも、朝倉にも迷惑かけたのに…………」
「――――――問題ない」
 九曜が頭上で呟いた。朝倉は泣きそうなキョン子をそっと抱き締めた。
「大丈夫。言ったでしょ、私はあなたを助ける為にここに居るって。それに、再構成されたのもあなたが居てくれたから。感謝してるわ、キョンちゃん」
「朝倉ぁ……ありがと……」
 今の朝倉は急進派の殺し屋ではない。長門の影だった存在でもない。キョン子と、それに俺を救うために現れた救世主だった。
 しかし、それはあくまで俺達の視点からの出来事である。





「そうですよ、朝倉さんの再構成は別に問題ではありません。むしろ空間維持の為に行動していただける事には感謝します。問題なのは天蓋領域と、それを把握しないままに行動した鍵の愚かさです」
 喜緑さんの冷水を浴びせかけるような声。その刺すような視線の先には俺がいる。
「もう一度言いましょう。あなたの安易な行動が世界の崩壊を招いたという事を」
「そんな! キョンは何も悪くないよ! あたしが我が儘を言ったから、」
「いいえ。あなたが空間を超えた時、彼は拒絶するべきだったのです。それを容認し、天蓋領域に自由な行動をさせた罪を自覚してもらわなければいけません」
 それは…………そうなのかもしれない。異世界人であるキョン子が現れた時点で俺は彼女を帰らせ、二度と会わないようにするべきだったのかもしれない。それをズルズルと引っ張った挙句に大勢の人に迷惑をかけ、世界は滅びたかもしれないのだ。
 笑っちまうぜ、何がハルヒのブレーキ役だ。あいつは無自覚だが、俺は事情が分かっているのにキョン子と離れたくないなんて。最悪だ、自己矛盾だ。キョン子の世界と俺の世界が近すぎて分からなくなっている、世界がどうなるかなんて考えてなかったのは俺の方だったんだ。喜緑さんの言葉は正しい、悪いのは何も考えなかった俺だ。
「――――――」
 いや、お前は悪くない。長門と同様に頼りすぎてた自分が嫌になる。何もかもを九曜に任せておきながらヘラヘラしてたのが俺って事だ、今まで非日常に慣れすぎていて油断していたと言われれば返す言葉も無い。だから頭を撫でないでくれ、九曜。
キョン……」
 キョン子にも迷惑かけてばかりだ。こんな俺を好きだなんて言ってくれたのに、結局泣かせてしまっている。 



 それでも、俺は選んでしまったんだ。こいつを、



 キョン子の手を取って握り締める。温もりが心地良かった。そのままで俺は喜緑さんに話しかけた。
「俺が馬鹿だから迷惑をかけた事は謝ります。謝って済む問題じゃないのも承知です。それでも俺は、こいつと、キョン子と一緒に居たかった。それも本音です」
キョン……」
「それはいいでしょう。私が危惧するのは以降の事だけです」
「…………しばらくキョン子には会えない覚悟はあります」
「!!」
「けど、方法を探すことは許してもらえませんか? 空間がどうとか詳しいことは分かってない、けど九曜なら何とか出来るかも知れない! それに俺が協力する事を許して欲しいんです!」
 九曜頼みになるのは苦しいが、喜緑さんに対して俺が思いついたのは、このくらいでしかなかった。
 喜緑さんは何も答えず、沈黙が支配する。キョン子の手を握る俺の手が汗ばんでいるのだけを自覚した。
 ふと、握っていた手が握り返される。キョン子は黙ったまま、俺の目を見て頷いた。大丈夫、そう言ってくれた。会えなくなる訳じゃない、また会う為に俺達はやらなきゃならない事があるんだ。それをキョン子は理解してくれた、そして俺を励ましてくれている。
 沈黙が続き、繋いだ手が汗で濡れている。
「ねえ、もういいんじゃない? そろそろ許してあげないと、キョンくんが何をするか分からないわよ」
 緊張から解き放ったのは、呆れたような朝倉の声だった。それをきっかけに、喜緑さんが口を開く。
「そうですね、十分反省したようですし。私もこのような茶番に付き合うのに飽きました」
 それだけ言うと喜緑さんはベンチから立ち上がった。茶番だと? どういう事だ、と詰め寄ろうとした俺は喜緑さんに指一本で制された。
「後は朝倉さんに聞いてください。それと、私の言った事を忘れないように。人間ごときの感情の揺れになど興味はありませんが、長門さんと朝倉さんに免じてこのくらいにしておきます。では、私は空間の処理と長門さんに少々お説教をしなければならないので、これで失礼します」
 慇懃無礼に頭を下げた喜緑さんは、そのまま立ち去ろうとして一度振り返り、
「そうでした、朝倉さんは後で情報コードの交換もありますから。では、これで」
 一言だけ言うと、そこからは振り向くことも無く立ち去ってしまった。残された俺達は何も言えずに見送ってしまう。とりあえずは危険が去った、という事なのだろうか。
 いや、喜緑さんは俺に警告したのだ。俺が望む非日常は、即ち危険と隣りあわせであるという事を。その覚悟を俺は持っていたつもりだった、あの冬の日を境にして。しかし、この体たらくだ。あのまま九曜が消され、キョン子と会えなくなっていたらと思うと背筋が寒くなる。
 それを助けてくれたのは長門だ。あいつは俺がキョン子と一緒に居るのを見たのに、それでも俺を助けてくれた。そして朝倉。キョン子が九曜の暴走に巻き込まれた時に現れて、今もまたキョン子を助ける為にここに居る。
「ありがとう、朝倉」
 俺は、様々な人に助けられている。朝比奈さんも、古泉もそうだ。この場から何もせずに離れてくれた喜緑さんも。



 …………そこまでの価値が俺なんかにあるのか? 疑問しか湧かない、というか自己嫌悪にしか陥れない。



 俺は何も出来ない、何もない平凡な一般人だ。たまたま涼宮ハルヒなどと関わった為に普通じゃない連中に囲まれる非日常な毎日を送れるようになってしまっただけの。それをいつしか俺自身が望むようになり、その為に体まで張るようになっちまったのだが。それでも俺は、やはり何も出来ないままの普通の高校生に過ぎないのだ。
 それがまるで俺が全ての責任を負っているかの如くだ。誰も彼もが俺なんかに助け舟を出してくれる。ハルヒが居るから、というだけでは無い理由で。俺なんかの為に、古泉も長門も自分の親玉に逆らってくれたのだ。朝比奈さんだって規定事項ではないのに何も言わずにいてくれる。俺はそれに感謝しても、何も返す事など出来ない。ただ流されて恩恵を受けるだけだ。
 ダメだ、さっき喜緑さんに言ったのだって九曜に頼りきっている。本当に嫌になる、俺は一体何なんだ? 偉そうな事ばかり言っておきながら何もしてないだけじゃねえか。
「――――――駄目――――――」
 うわっ! いきなり何だ?! 俺の背中に乗っていたはずの九曜が器用に回り込んで俺の膝上に乗っている。その黒く大きな瞳は一心に俺を見つめていた。
「――――――あなたの瞳は――――――とても綺麗――――――だから――――――私は――――――ここにいる――――――」
 使いまわしのセリフが心に響くのは、俺がこいつと過ごした時間の長さと比例しているからかもしれない。周防九曜は確かに俺と過ごす事で少しづつ成長していると思うからだ。
「―――――空間の移動は――――――私の意志である――――――あなたには――――――非は無い――――――」
 無表情に、しかし雄弁に。俺が知る宇宙人は瞳に確かな意思を込めて俺に話しかけてくる。やっぱり長門に似てるよ、お前は。
 そして、九曜と同じ様に、俺の事を心配してくれる女性がいる。
「そうだよ! キョンだから、あたしは好きなんだもん! みんなだって、キョンだから助けてくれるんだよ! だから、だから…………そんな顔しないで……」
 泣きながら俺の袖を引くキョン子。そうか、俺だからか。こんな俺でも好きだって言ってくれる、このポニーテールの似合う女の子をこれ以上泣かせたくはない。だから、という訳じゃないが、俺はキョン子の頭をそっと撫でた。反対の手は九曜の頭の上に置いてある。
「心配すんな、ちょっと展開が急すぎて頭が付いていかなかっただけだ。今までも何とかなったから、今度も何とかするだけさ」
 言ってて自信など全く無いがな。
「そうよ、その為に私もいるんだからね」
 今まで黙って俺達を見ていた朝倉が俺とキョン子を見つめて言った。
「朝倉……」
「これでも結構凄いのよ、私。キョンちゃんの世界に行けば空間の修復は何とかなると思うわ、周防さんの情報コードもさっきの戦闘で解析出来そうだしね。だから、キョンちゃんには泣いて欲しくないかな。勿論キョンくんにも」
 笑ってガッツポーズなんて取る朝倉は、長門と違う意味で頼もしかった。もしかしたら、朝倉が消去されなければSOS団の一員としてこんな状況があったのかもしれない、と思う程に。
「ということで、今度はあなたのバックアップっていう訳。よろしくね、周防さん」
「――――――了解」
 朝倉の差し出した手を九曜が握る。情報統合思念体と天蓋領域の歴史的握手は、片方が俺の膝の上という何とも間の抜けた状況で行われたのであった。
「それと、キョンくん?」
 何だ?
「ちょっと言葉が足りないかな」
 そう言った朝倉の微笑みからは意図が読めない。だが、答えはキョン子が教えてくれた。
「ほら、朝倉は再構成だっけ? あたしは初めて会うけど、久しぶりにこっちの世界にいるんだろ?」
 ああ、そうか。そうだったな、朝倉は実体を持ってこの世界に帰ってきたのだ。
「おかえり、朝倉」
「ただいま、キョンくん」
 朝倉涼子は、誰もが虜になりそうな笑顔で俺に応えてくれたのだった。そう、正にクラスの中心だった時の笑顔のままで。