『SS』 たとえば彼女か……… 20

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 俺がキョン子をぶら下げて、九曜を背負ったままのんびり歩く背後からあいつは迫ってきていた。
「―――――――来る」
九曜が俺に負ぶさったまま振り向いて呟く。
「来る? 誰が?」
キョン子も振り向き、俺がアラームを確認する。ランプが点いていない? 九曜が警戒するくらいだからハルヒじゃないのか?!
緊張感が一気に走り、俺達は足を止めて身構えた。




そして、ヤツは現れた。




「はっはっは! 見つけたぞ、キョンッ!」
…………はあ。わざわざ屋根の上からご苦労さん。
「なに、あれ?」
ええと、バカだ。言葉を変えればアホだ。あえて言うなら間抜けだ。ついでに言うならやっぱり馬鹿だ。
俺達が呆れて見つめる屋根の上にはバカがいた。具体的な描写などしたくもないのだが、裸でブリーフ一枚の男がマントを羽織って立っている。一応、炎をあしらったマスクを被って顔は見えないが、声で分かる。雰囲気で分かる。もっと言えばこんな馬鹿な事をするのはアホしかいないのも分かってる。思わずこめかみを押さえながら、それでも言わざるを得ないだろうから嫌々話を進めることにした。
「で? 何の用だ、谷口」
「フッ、谷口という男はアカプルコの風になった」
お前は山田恵一か。あのジュニアのカリスマとお前を同列に語るな。しかし、図に乗っているアホは人様の家の屋根で堂々と、
「今の俺は怒りと嫉妬の権化、世の中のバカップルどもに制裁の鉄拳を与える独り者達のヒーロー! しっとマスクだ!」
などと世迷言をほざいているのである。どうでもいいが、ネタが古い。いや? たしか続編やってたような。でも、本当にどうでもいい。というか、汚い。目が腐りそうなくらいに汚い絵面が真正面に立っている。足踏み外して落ちればいいのに。
「ねえ、アレなんなの? というか、死んだらいいのに」
 冷たい。キョン子が恐ろしく当然のように死んだらいいとか言ってる。気持ちは分かるが冷め切った視線が痛すぎる。さっきまでの緊張感を返せといった感じか。
 まあ、ドン引きしたキョン子の精神衛生上よろしくないのでアホは無視しておこう。さよなら、アカプルコの風。
 とっとと行こうぜ、とキョン子の肩を抱いて歩き出した俺なのだが、
「待てぃ! この北高男子共通の敵め!」
 それならお前は全世界の女性共通の敵だ。パンイチで住居侵入する奴なんぞ、誰が支援するものか。見ろ、キョン子なんか声すら聞きたくないって耳塞いだじゃねえか、今なら許してやるから帰っておけ。
「やかましい! 行くぞぉぉぉぉっ!」
 アホが屋根から飛んだ。マンガじゃあるまいし、無事で済むと思ってんのか、あいつ。どう考えても距離が足りないだろ。
 と思ったらキョン子が我慢の限界だったらしい。
「九曜!」
「―――――――承知」
 キョン子の命令に九曜が素早く反応する。けど俺の背中から離れて行動しろよ。とか言ってたら流石に降りてくれた。
 そのまま背中の異次元髪の毛に手を突っ込む。一体どんな宇宙的秘密道具が出てくるのかと思いきや、
「―――――――金属―――――――バット―――――――」
 まんまなアイテム出してきた! 何の変哲もない金属バットだ、それをどうすると?
「こうする―――――――の――――――」
 九曜がバットを構える。お、結構いいフォームだな。今は動きやすい服装なので様になっている九曜が構えた先に、
「しねやーっ!」
 万有引力とか無視したアホが飛んでくる。いや? まさか誘われているのか、九曜に!
「―――――――バスター」
 バックスイングを取る九曜、そして綺麗な腰の回転で、
「ホームラン―――――――」
 金属バットのスイートスポットは広めである。その全体でアカプルコの風の顔面をヒットする。何故かスーパースロー再生のように醜く歪むしっとマスク。
「ぶべらぁっ!」
 人類が発音出来るギリギリの言語を発しながら。
 元谷口だったモノは吹っ飛んでいった。地面とまっすぐ並行になって。
 吹っ飛んでいくしっとマスク、方向上にはブロック塀。
「ふごぉっ!」
 そのブロックに見事にめり込むブリーフ男。凄い、生スケキヨだ。地面に垂直ではなく並行だけど。
「って、流石にまずいだろ! アレは死ぬぞ、アホでも死んだりするんだぞ?!」
 しかし、ゴミを見るような目とは今のキョン子を指すのであろう。
「死ねばいいのに。刺さったまま抜けなきゃいいのに」
 あまりにも酷いな、女子高生。まあ気持ちは分かるけど、一応これでも生きているんだ、友達…………とは言いたくないなあ。
「とにかくアレは無事なのか?」
 未だ刺さったままのブリーフを指差して九曜に確認してみると、
「―――――――んーと――――ね―――?」
 いや、そんな、顎に指当てて小首傾げられても。可愛いけど、事態はそれどころじゃないだろ。
「あれは―――――――スポンジです―――――――か?」
 どう見てもコンクリートです、ありがとうございました。それにスポンジだとしても息が出来ないぞ、どうやっても死なせる気かよ。
「だからもう居なかったことにすりゃいいじゃん」
 怖いよ、女子高生。キョン子が俺を引っ張ろうとしてるけど、そのままにしておけないだろ。
「大体、人様の家の壁を破壊しておいて、ほったらかしに出来るか? とりあえずどうにかしろよ」
「えー―――――――?」
 えー、って。何故そこまで分かりやすく嫌がるんだよ。流石に哀れになってきちゃったよ、しっとマスク。女子高生の支持率ゼロパーセントのブリーフ男だが、命は平等だから何とかしてやらねば。
「って事で、どうにかしろ」
「―――――――ふむ」
 九曜が何か呟いた。高速で呪文のようなものを唱えるのは宇宙人スキルっぽいな。



 で。



「どうなったの?」
 どうなったんだろう。見た目はまったく変わっていない。相変わらず壁にブリーフが突き刺さっている、これでいいのか?
「―――――――万事――――解決―――――――?」
 そうか? 全然そう見えないんだけど。どう助かったのか教えてくれないか?
「―――――――補正―――――――」
 なんだ、それ?
「どんなに―――――――酷い目にあっても―――――死なない―――どころか――――おいしい―――――――それが―――――――ギャグ補正―――――――なの―――――――」
 …………そうか。便利だな、ギャグ補正。とにかく死なないし、怪我もしてないんだな?
「―――――――コマの間で―――――――完治したり―――――――」
 マンガならいいんだけどな。
「では―――――――行間で―――――――」
 それはちょっとまずいかもな。いや? これはあくまで現実だから行間とか関係無いって話で。
「まあ助かったのならいいでしょ? 行こうよ、キョン
 最後までまったく興味を持たなかったキョン子は、もう飽きたのだろう。俺もこれ以上引っ張るのに疲れた。
「そうだな。お疲れさん、九曜」
「―――――――あい」
 キョン子がくっ付いて、九曜が背中に乗ったところでいつものポジションに落ち着く。いつの間にこれが当然になってるんだ、というツッコミは無用だな。
 本当に余計な時間を過ごしてしまった、とため息さえつきながら俺達がブリーフを置いたまま歩き出した時だった。
「ふわっはっは! この時を待っていたーっ!」
 いきなり壁から頭を引き抜いたしっとマスクが叫びながら俺達の背後から飛び掛ってきたのだ! 本当に凄いな、ギャグ補正。しかし、パンツ男の攻撃は俺達に届くことは無かった。

 
「ぎゃぼえどぶふわぁ〜!!」


 何だか人間が発声してはいけない言語を残して、しっとマスクは星となった。さらば、しっとマスク。お前の雄姿は…………どんなだっけ?
 そんな馬鹿はどうでもいいのだ。いや、ある意味あいつの出番はこの為にあったのだろう。
「――――――――――――――」
 九曜が俺の背中から降りる。何があった、などとは聞くまでもない。
 あのアホの騒ぎで気付かなかったのだ、俺もキョン子も。




 鳴っていたんだ、アラームが。




 ランプは三つ全て点灯している。もう見る必要など無い。
「あ、あれ……」
 キョン子がしがみ付いてくるが、俺だって恐怖で逃げ出したい。『機関』の連中とは段違いの迫力、これが本気のオーラなのか? 見慣れているはずのあいつから立ち昇っているのは、いつかの教室よりも激しく感じる迫力だった。
「あれが…………」
 そうだ、あいつだ
 ショートボブの柔らかな髪、黒く大きな瞳。無表情に結ばれた唇、見慣れた北高の制服姿。
長門…………さん?」
「そう」
 キョン子の呟きを捉えるように小さく頷く。九曜が俺とキョン子を庇うように間に立つが、その頭越しにも見える圧倒的な存在感。



 

 ついに俺達は捕まった。SOS団の誇る万能選手にして、俺達の側の頼れる宇宙人であるはずのあいつに。
 長門有希は、無表情の中に絶対的な圧力を内包して、俺達の前に立ちふさがったのであった。