『SS』 たとえば彼女か……… 25

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 いくらも時間がかからずに九曜は戻って来た。無表情に立ち尽くした姿は、三日前からそこに居たと言われても納得しそうだったけどな。
「――――――完了」
「へ? 何してたの、九曜?」
 というかお前、九曜が消えていた事にすら気付いていなかっただろ。キョトンとした顔のキョン子には悪いが、久々に自分の足で地面に立っている九曜に首尾を聞く。
「無茶な事はしてないんだよな?」
「――――――空間を――――――ちょっと――――――いじっただけ――――分かりやすく言えば――――――バリア張ったの――――――」
 本当に分かりやすかった。つまり、この公園は今、隔離されているということだな。
「誰も居なかったのか?」
 数ミリの首振りは宇宙人共通なようだが、上手くいったのは間違いないみたいなので、
「これでいいか?」
 と、水を向けてみる。
「へ?」
「ああ、すいません。流石に監視付きで話すのにも限界があったものですから」
 キョン子、本当に分かってなかったんだな。それを見て古泉が苦笑している。最早スマイルの方が普通だな、お前。
「しかし時間は余り取れないでしょうね、空間内が監視出来なければ突入を強行し兼ねない連中もいますので」
 そうだな、こっちも時間をかけたくはない。だから改めて古泉に訊いてみる。
「で、本当のところはどうなんだ?」
「さっき言った通りなんです、涼宮さんは不安で潰されそうになっている。閉鎖空間には神人はいますけど、何をしていいのか分かっていないのでしょうね。ただ闇雲に動いてはいますが、明確な破壊衝動を感じません」
 それがハルヒなりの不安なのか。そして、不安の根幹は俺とキョン子にある。
「そう言いたいんだよな?」
「まあ、そうなります。あなた方を見た涼宮さんは、以降閉鎖空間を発生させたままなのです。初めは僕も怒りだと思っていたのですけど、段々と様子が違うのが分かるのですね。彼女は…………不安になっている自分に戸惑っているのです」
 あのハルヒが不安を感じている、それだけでも違和感があるというのに。そんな俺は、妙な顔をしていたらしい。古泉は俺の顔を見て苦笑しながら、
「彼女は不安ばかり感じていましたよ。それを解き放ったのは、あなたです。そして今、また彼女は不安に捕らわれつつある…………独りになるかもしれないという不安に」
 あくまで軽く、衝撃的な一言を俺に告げたのだ。
 ハルヒが独りで居る事に不安を持っている? あいつは何でも自分一人で出来る奴だ、今までもそうだった。自分でもそう言ってたじゃないか。



 しかし、俺は知っている。知ってしまっている。



 あいつは、涼宮ハルヒはずっと孤独だった。小学生の時、あの球場での出来事以来。それを俺は聞いているんだ、今のあいつからは想像出来ない寂しさを交えた声で。
 だが、あいつは見つけた。自分の居場所を、SOS団という仲間達を。そこからのあいつは明るく横暴に俺達を振り回してきたんじゃないか。
「あいつには、長門も朝比奈さんも、お前だって居る。独りなんかじゃないだろ」
「そうじゃないからだよ、キョン
 古泉が何か言いそうだったのだが、急に口を挟んだのはキョン子だった。古泉が肩をすくめる。
「どうやら、キョン子さんには僕の感じた事が説明出来るようですね。涼宮さんの精神分析についてもあなた達の方が上なのかもしれません」
「違うよ。さっきも言ったけど、ハルヒの気持ちが分かるのはあたしが女で、同じ気持ちだからだよ」
 キョン子は注意するように言うと、俺の腕に自分の腕を絡めた。
「だけど古泉、お前はそれを言っちゃ駄目だ。いくらキョンでも気付くかもしれないけど、それは駄目。だって、ハルヒはずるいもん。自分で言えない気持ちを、お前を介して言わせたりなんかしないわ」
 当てている、というのではなく腕に込められた力に俺が何も言えないままで、
「あたしは分かった上でハルヒにケンカを売ってんの。それを閉鎖空間なんか作って逃げようとしてるようなヤツにキョンは渡さないわ!」
 キョン子は何故か古泉に啖呵を切っていた。
「僕に言われましても、とも言えませんか。どうやら女性は強いようですね、あなたの強さがこういう風にシフトしたのかとも思いますけど」
 そこで俺を見るな、ウィンクまで入れるな。俺のどこがどう強いのかも分からんが、キョン子が無敵な強さなのは否定出来んな。
「そこでキョンを変な目で見るなーっ!」
 キョン子が古泉にツッコんだ。が、軽くかわしやがった。
「あなたに比べればまだ楽ですから」
 慣れとは恐ろしいものだな、とか言ってる場合じゃない。どれだけツッコミ入れてるんだ、俺。
「さて、そろそろ時間も厳しいですね。九曜さん、このまま空間を遮断した状態で公園を抜ける事は出来ますか?」
 腕時計を確認した古泉が九曜に声をかけた。時間にすれば数分かもしれないが、『機関』の連中からすれば異常事態だろうからな。しかし、ここで九曜を利用しようとするところが古泉だな。九曜は俺の頭の上に顔を乗せたまま、
「――――――もち」
 何かどんどん軽い口調になるよな、お前。
「どういう事? 九曜が公園を隔離してるのは分かったけど、そのままで移動しろっていうこと?」
 キョン子の疑問は俺の質問でもある。古泉は戻った爽やかスマイルで、
「その通りです。公園を抜けて距離を取ったら空間を解除してもらえれば後は僕が説明すればいいだけですから。まあ、天蓋領域の能力は我々も把握してませんから何とでも言えますよ。それで『機関』もしばらくは手を出せないでしょうね」
 あっさりとそう言うと俺に向かい、
「今の内に脱出してください。時間が無いのでしょう?」
 などと言うものだから、俺の方が面食らっている。
「おい、大丈夫なのか?」
「何がでしょう?」
「いや、だから『機関』から何か言われるとか」
「そこについては申し訳無いですけど、天蓋領域を利用させてもらいますよ。上の連中の警戒感が増してしまうので今後は厳しくなると思いますが、今回は仕方ないですから」
「――――――うす――――――任せよ――――――」
 偉そうな九曜が頭上で無い胸を張るのはいいけど、古泉の真意は何だ?
「真意も何も、今の内に逃げてくださいというだけですよ」
 そこには、嘘を感じない程に爽やかな微笑みを浮かべていやがる古泉一樹がいた。
「え、ええっと、その、いいの?」
「何がですか?」
「お前が見逃してもいいのかよって事だ。『機関』もそうだが、ハルヒも黙ってないだろ」
 俺もキョン子もそれが不安だ、俺達もそうだが古泉自身もどうなるか分からないだろう?
「ああ、僕の心配もしてもらえるんですか。それはありがとうございます、やはりあなたには敵わないですね」
「皮肉はいい。本当に大丈夫なのか?」
 すると古泉は優美に顎に手を当てた。様になるポーズをつけるのが上手いな、それがムカつく。
「そうですね、『機関』の古泉一樹としては良くないでしょう。SOS団副団長としても看過出来ないでしょうね、一応団では恋愛禁止ですから」
「だったら何で、」
「分かりませんか? 僕は『機関』の古泉一樹として、SOS団の古泉一樹として、とは言いました。けれど、あなたの友人としての古泉一樹としてはむしろ応援したいと思ってるんですよ」
 肩をすくめながら一番驚くことを言われてしまった。俺もキョン子もあまりの衝撃に呆然としてしまう。
「正直言いまして羨ましいくらいです。あなたの周りには涼宮さんをはじめとして誰もが羨むほど魅力的な女性が溢れている、それでも本当に好きな人を見つけたというのは素晴らしいと思うんです。男として、個人的には、ですけど」
「えっと……うん、ありがと」
 思わず顔を赤くしたキョン子に「どういたしまして」と頭を下げる古泉。俺も顔が熱いぞ、まさか古泉にこんな事を言われるとは思わなかったからな。
「前に言いましたよね、もしも『機関』とSOS団が対立するような事態になれば一度はSOS団の為に動くと。それに加えるならば、僕はSOS団や『機関』の利益よりも一度だけあなたの有利になるように動くつもりだったのですよ。まさか、こんな事になるとは思いませんでしたけど」
 それは意外とも思えるが、ある意味ではこいつらしいとも思える一言だった。まあ、確かにこんな事で使われるのも勿体無い気もするけど、俺とキョン子を庇ってくれるというだけでも嬉しいじゃないか。
 くそっ、言いたくはないが、こう思わざるを得ない。
 すまないな、親友。お前も国木田も本当にいい奴だぜ、しっとマスクはもう死んでろ。
「すまん、後は任せた」
「お任せください、『機関』はしばらく足止め出来ます。但しあなた方が以降どうなるかは保障出来ませんからね」
 十分だ、俺は頭に九曜を乗せたままキョン子の手を引く。
「あ、あの、ありがとう古泉……くん」
「いえいえ、そちらの世界の僕にもよろしく。ああ、女性なのでしたね、一度会って見たいものです」
 キョン子が小さく「お似合いすぎてムカつくと思うけど」などと呟いているが、それはそれでいいんじゃないか? とにかくここは古泉を頼るしかない。
 古泉が手を挙げて俺達を見送り、俺とキョン子と九曜は公園を抜けて走り出していた。





 公園から走ることしばらくして、風景は再び街中になる。郊外へと移動する訳にはいかなくなったのは、もう日が落ちてきているからだ。
 そろそろ俺達の街に戻らないとまずいだろう、キョン子がいつまでもここに居られないという事は痛いくらいに分かっている。
「そうね……そろそろ決着をつけないといけないね」
 しがみ付いたキョン子の呟きは俺には届いていなかった。
「――――――時間は――――――ないよね――――――」
 時間というものを超越しているはずの九曜が呟いた時にため息のようなものを感じたのは気のせいなのだろうか。
 俺たち三人は、駅に向かって歩き始めていたのだった。