『SS』 月は確かにそこにある 35

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 衝撃を受けた。分かっていた、古泉一姫は間違いの無い好意を俺に抱いているということは。それは友愛では無いということも。
それでもショックだったのは古泉という人物に対しての俺の認識が甘かったということなのだろうか。いや違う、俺の知る古泉一樹という奴はこんなやつじゃない。
だからこそ違和感が拭いきれない。古泉が女になったから、というのではない。あいつが告白をした、というのがおかしいと感じてしまうのだ。古泉ならこんな事はしない、あいつは告白するキャラじゃない。あいつなら策を弄して告白させる側になるだろう、それが古泉らしさってやつだ。
そうだ、俺にとって古泉一樹とは何だ? SOS団の偉大なるイエスマンにして副団長? ニヤけた笑顔のハンサム? 回りくどい解説者? それともハルヒ限定の超能力者? 仮面を着けた『機関』のエージェント?
そのどれもが正解だ、そしてどれも違う。
認めたくもないし言いたくもないが、古泉一樹という男は俺にとっては一言で語れる奴なのだから。
だとすると、目の前にいる少女は古泉一姫であって古泉一樹ではない、本人もそう言ったし俺もそう思うしかない。
ならば、俺に出来る事は一つしかない。即ち、
「すまない」
と、頭を下げる事しか。それがどんなに辛くても、俺にはこれしか出来ない。古泉も分かっていたように俺が頭を下げるのを黙って見ていた。
「…………それは私が古泉一樹だからですか?」
笑顔のまま泣く少女は優しささえ感じる声で静かにそう尋ねた。俺は首を振った。
「お前は古泉一姫だろ、男に告白されたなんて思いたくはないね」
冗談めかしているが本音でもある。古泉も男なのに男に告白したなんて思いたくもないだろう。それを察した古泉は少しだけ苦笑すると、
「では涼宮さんがいるからですか?」
あまり訊かれたくない質問をしてくる。だが俺は再度首を振った。
「確かにハルヒに対して何らかの感情があるのは認めるさ、だから俺は閉鎖空間から戻れたのだと思う」
古泉の顔色が変わった。だが俺は言葉を繋ぐ。
「かといってお前が想像するような感情なのかと言われればそれは早計だ。いや、そうじゃないのかもしれないが俺自身もどう言えばいいのか………………例えば俺は未だに男女の間にも揺ぎ無い友情というものが存在出来ると考えている、中学時代は間違いなくそう思っていた」
それが正しいのかどうかは分からない、国木田の言っているように勘違いされる類のものなのかもしれない。
「それとハルヒに対するものが同じなのかどうか、俺にも判断が付きかねているというのが本当のところだ。あいつを大事に思うのは間違いないが、それを恋愛感情と呼ぶには俺もハルヒもまだ何も知らな過ぎる、と思う」
こんな事は初めて言うな。俺がハルヒをどう思っているかなんて一々人に言うものではないはずだが、こいつにはちゃんと言わねばならない。そして古泉は黙って俺の話を聞いてくれていた。
「そうですか……」
あまりに拙い、ガキのような言い訳だ。納得出来るとは思えなかったが古泉は笑顔のままだった。
「では何故です? 私にはあなたを惹きつける魅力など無かったということでしょうか?」
それこそ違う。俺は思い切り首を振った。
「いや、そんな事は無い。お前は、あー、はっきり言って美人だ。スタイルだっていい。声も好みの方だし作ってくれた弁当も滅茶苦茶旨かった。正直なところ俺なんかには過ぎた女性だとつくづく思う」
過ぎたどころか分不相応だ、それほどまでに古泉一姫は完璧だった。
「本当に彼女にしたら楽しいんだろうと思う。ハルヒだったら苦労しそうだがお前ならそんな事もなさそうだしな」
それを聞いた古泉の表情が輝く。本当に俺を好きでいてくれる、それははっきり言って嬉しい。だが、そんな古泉だからこそ俺は心の痛みを堪えて告げねばならない。
「だからこそ俺は違和感を感じるんだ、帰らないといけないと強く思えるんだよ。だからすまない、としか言えない」
今度こそ、古泉の顔が絶望で歪んだ。それを見る俺の胸だって痛む、だが言わねばならないんだ。
「何故ですか! どうして私じゃ駄目なんですかっ?!」
笑顔が消え、涙だけになった古泉の悲鳴のような叫び。対する俺は不思議なほどに冷静になっていた、口に出す事により自分の考えというものが纏まっていったのかもしれない。
「お前が古泉一姫だからさ、他の女の子なら喜んで飛びつけるだろうに残念だ」
「どうして……」
「ここでお前を選ぶということは過去の俺のやってきた事の否定になる。言ったろ、前にも同じような事態があったって」
 あの時エンターキーを押さなかったらどうなっていたのか、今の俺にはもう分からない。だが柔らかく儚い文芸部長の微笑みを俺は忘れる事はないだろう。何故彼女を選ばなかったのか、その理由はエンターキーを押した時に言った通りだ。
 そして今もその気持ちは変わらない、俺はSOS団員その一なのだから。ハルヒがいて、長門がいて、朝比奈さんがいる。それに、
「それにここでお前を選ぶと少々都合が悪くてな」
「…………涼宮さんがいるからですか?」
 だから違うって。ハルヒは関係無い、どちらかと言えば俺の都合だ。
「まあ聞けよ、俺の友人にある男がいるんだがな? そいつがまた心配性というかすぐに人をくっつけたがるような奴でさ。笑っちまう事に俺よりも顔はいいし頭も悪くない、おまけに運動も出来て口まで上手いって生意気な野郎なんだ」
 自分で言ってても友人にはなりたくないタイプなんだけどな、そいつ。
「で、もしも俺に彼女なんて出来ちまったら少なくともそいつにだけは言わないとまずそうでな。ああ、勘違いするなよ? 単純に自慢したいだけだ。お前より先に彼女が出来たぜ、ざまあみろってな」
 さて、あいつはどんな顔をするんだろうな。『機関』とやらは何だかんだと言ってくるだろうが、多分あいつは違うだろう。
「それであいつが悔しそうな顔をするのを拝んでやりたいんだよ。まああいつが思ってる相手が彼女になるとは限らないが自慢する分には構わないだろうし、きっと最後には喜んでくれると思うのさ」
 そういう奴なんだよ、あいつは。面白そうに笑う俺を古泉は呆然と見つめていた。
「何故ですか……」
 何がだよ? 小さく消え入りそうな声で訊いてきた古泉に質問で返してみる。意地が悪いのかもしれないけれど、自覚させる為には必要なのだと思う。
 自分が何者なのかっていう単純な事を自覚させるには。
「その彼はあなたにとってどのような存在なのですか? 私よりも彼を選ぶ理由は? それはあなたの本心なのですか?!」
 そう言うだろうと思ったよ、ならば俺の答えは一つしかない。古泉一姫を前に、俺は恥かしいその答えを告げた。


「あいつは、古泉一樹は俺の親友だからさ」


 そう言うことだ。ムカつくくらい爽やかなイケメンで、回りくどい説明が好きなゲームが弱いそいつは確かに仮面を被った『機関』の人間なのかもしれない。
 だが、俺の事を親友と呼んだのは古泉、お前なんだぜ? それにどう言おうが俺がこいつと共に過ごした時間は濃密過ぎるくらいで最早抜け出すには遅すぎる。そんな奴を親友と言うしかないだろ、向こうがどう思おうとも。
「ま、そういう訳だ。言いたくはないが俺はあいつをそう思ってる、SOS団だからじゃなくてもな。だから古泉、」
 俺の親友を返してくれないか? 居れば鬱陶しい時も多々あるんだが居ないってのはもっと鬱陶しいんだよ。ハルヒが騒ぐ、朝比奈さんが困る、長門が本を読むのと同じくらいに、
「あいつは俺の傍らでインチキくさく笑ってないと調子が悪くなるんだよ。それで俺がやれやれと肩をすくめてワンセットってやつだな」
「…………」
 まあ本人を前にして言うには恥かしさ満点なんだけどな、古泉一姫だから言えるのかもしれない。そんな俺の独白を古泉は黙って聞いていた。
「だから正直言うと嬉しいんだけど、それでも俺は帰りたい。それと俺もそうだが、俺の親友も一緒にな。ここに居ても古泉一樹は居ない、それはそれで困るんだ。親友ってのは簡単には作れないし、無くしたくはないもんだからな。だから、すまん! お前の想いには俺は応えてやれない!」
 言いたい事を言い終えた俺はもう一度頭を下げた。俺なんかが見せられるのはこのくらいの誠意でしかない、なんだったら土下座だってしてもいい。
 古泉一姫はそれくらいの事を俺にしてくれた。
 俺を好きだと言ってくれただけじゃない、ハルヒにも古泉に対しても俺自身の考えをまとめてくれたのだから。
 それは彼女を傷付ける行為だとしても。だからこそ俺は全責任を背負って謝らないといけないんだ、自分の世界に古泉と帰るために。






 古泉一姫は静かに涙を流し、俺はその涙が枯れるまで頭を下げ続けていた。
 月は、確かにそこにあって柔らかな光は無言で俺達に降り注いでいた。光は涙のように俺に突き刺さる、目の前の彼女と同じ様に。
 それは哀しい、静かな輝きだった。月は、俺と古泉を照らしていた。