『SS』 月は確かにそこにある 26

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 ………夢を見ている。誰も居ない夜の校舎。外は灰色の空間で覆われている。俺はあいつの手を引いて外に飛び出した。
 校庭のど真ん中で向かい合う二人、青白く光る神人が囲むように。そして俺は妄言を吐いて。考えてみたら何故ポニーテール萌えなんて言ったんだ?
 とにかく俺はあいつを抱きしめて、その唇に自分の唇を。その時のあいつは、古泉一姫は……………
「うわあああああああっっ!!」
 俺は叫びながら飛び起きた。何だったんだ、あの夢は? 確かにあれは閉鎖空間で、俺はハルヒと閉じ込められて、それなのに古泉でしかも女だと? 混乱してるのか、俺は。
 背中を流れる汗が気持ち悪い、動悸が止まらん。悪夢だ、としか言い様が無い。息が苦しいので呼吸を整えようと深呼吸を繰り返していると、
「お目覚めですか? かなりうなされていたようでしたが」
 冷静な声を共にミネラルウォーターのペットボトルが差し出される。見れば喜緑さんが困ったような笑顔で俺を見つめていた。ああそうか、俺は喜緑さんと話していて気を失ったんだ。
「救急車など呼ばれる訳にもいきませんからどうにか移動しましたけど、この後の周囲の評価を気にするくらいは貴方に対して抗議したい気分です」
 見ればここは何処か近所の公園のような場所である。ベンチに座っているが、ここまで俺を運んでくれたってことか? 笑っているが本当に迷惑をかけてしまった。俺は水を受け取りながら喜緑さんに謝罪する。
「すいません、ご迷惑をおかけしました。これも、ありがとうございます」
 素直に頭を下げた俺が面白かったのか、喜緑さんはクスクスと笑い、
「構いませんよ、ただ会長の耳に入ると貴方が困る事になるとは思いますが」
 それは暗に会長と付き合ってると言いたいのか? それとも脅しのつもりなのだろうか。とりあえずこんな時にも冗談が言えるのが流石だとしか言い様がないな。俺も苦笑しながらペットボトルに口をつけた。冷えた水が喉を通過していくのが心地良い。一気に飲み干すとようやく人心地がついたようだった。
「落ち着いたようですね、心拍数も低下しているようですし」
 それは落ち着いたと言えるのか? だが軽口を聞けるくらいには俺も回復したらしい。悪夢の内容については後から考えておくことにして、俺は喜緑さんにお礼を言った。
 別段気にした風でもなく俺の礼を流した喜緑さんは笑みを顰め、
「ではこちらの話でもしましょうか。とはいえ先程の喫茶店での話の続きといったところですが」
 ああ、やはりそうなるのか。また胃が痛くなってくる、だが聞かないコトには始まらないのだろう。何とか体勢を整えて喜緑さんの話を受け止めるようにするしかない。
 喜緑さんは静かに口を開いた。それは俺を驚愕させるに足る内容だったのだ。
「さて、私の推論を元に話を進めますと矛盾が発生します。それは何かお分かりですか?」
 矛盾というなら世界そのものが矛盾だらけなのだが喜緑さんが言いたいのはそういうことではないのだろう。どうやら説明好きは宇宙人の特徴なのか、長門よりも饒舌に分かり易く語ってくれる。
「この世界は貴方の言う長門さんが作り上げた世界と酷似しているというのは既にお分かりだと思いますが、貴方はどのようにしてその世界から脱出しましたか? それが矛盾です」
 確かあの時は長門のヒントを元にハルヒと古泉を光陽園から連れ出して……………あ! そうだ、あの時はあの世界の長門以外に俺達の世界の長門が脱出の用意をしてくれていた。選ぶ権利が俺にあった、ただそれだけの話だ。
 しかしこの世界では、もしもこの世界がハルヒの願いと古泉の意思が働いた世界なのだというのならば。
「そう、この世界には脱出手段が用意されていません。正確に言えば古泉一姫にそのような手段が用意出来るはずもありません。長門さんが非協力的である以上、この世界は正しくあるものとして存在するのです」
 血の気が引くのが分かる。またも俺は気を失いそうになった。絶望的だ、俺がたまたま気付いたから長門の作った世界との相違点を見つけることが出来たが、そこから導かれたのが脱出手段が無いという事実だなんて。
 思わず頭を抱え泣きそうになる。今までよりもタチが悪い、何も出来ないのが分かり過ぎるほど分かるからだ。かといって、この世界に馴染めなんて無理な話だ。
 そんな俺の百面相を笑ってみている奴がいる。言わずと知れた喜緑さんなのだが何がそんなにおかしいんだ?! 怒鳴る気力も無くなった俺は恨みがましい視線を向けるしかなかった。それでも一通り笑った喜緑さんは、
「すいません、少々脅しすぎたようですね。確かに古泉一姫には能力はありません、しかし手段が無い訳では無かったのです」
 は? 何を言ってるんだ? 思わず見上げたその先で喜緑さんは微笑みを絶やす事も無かった。
「よく考えてみてください、確かに長門さんの世界は長門さん自身が解決策を用意していました。では古泉一姫の場合は? 彼女自身に能力が無い場合でも彼女が古泉一樹であるのならば何らかの手段を用意しているはず、それが自分自身に近いTFEIを利用するという手段でも」
 つまりは…………………古泉は脱出手段を用意していたのか? そしてそれは喜緑さんであると、この人はそう言いたかったのか? ダメだ、混乱して頭が付いていかない。
「端的に言えば私はヒントを見つけました、どうやら古泉一樹は貴方ではなく私を鍵としたようですね。それとも向こうの世界の私が古泉一樹の意思に逆らうかのように用意していたのかもしれませんが」
 そう言った喜緑さんの手元には見慣れた栞のようなものが。俺は反射的に立ち上がる、それを何処で?! そして何故喜緑さんが持ってるんだ!
「向こうの世界の私は余程捻くれているのでしょうね、光陽園学園の生徒会室にこのような物を用意しても意味が無いと思うのですが」
 そんなもん俺が気付くはずが無いじゃないか! 喜緑さんから渡された栞を見ると印刷されたような綺麗な行書体で『鍵を集めなさい』とだけ書かれていた。既に分かっているヒントなのに助かったと思えるのは何故だろうか、安堵の溜息をついた俺を面白そうに見ていた喜緑さんは徐に栞を奪い取ると、
「これで状況は整いました、残りは鍵だけですね。貴方は分かっているはずです、今回の鍵とはSOS団ではありません。それを踏まえた上で鍵を探さねばならないのです」
 ようやく理解出来たよ、そして俺がやらなければならないこともな。その為にはこの人の協力が必要不可欠だ、俺は改めて喜緑さんに頭を下げた。
「すいません、事情は分かってもらえたと思います。その上で喜緑さんの協力が必要なんです、お願いします!」
 土下座してでも、と思っていたが喜緑さんは深く頷き、
「承知しました。恐らく私と会長は鍵の一つなのでしょう、御用があれば即お伺いします。後は貴方次第です」
 そう言うと話は終わったとばかりに立ち上がった。そして最後に振り返り、
「正直申しますと貴方の言う元の世界ですか? それが正しい世界などという意見を私は不快に思います。何故ならば我々はこの世界に存在し、生きているからです。私はインターフェースとしてのみの存在ですが恐らく長門さんも同じ意見だと思いますよ? その事を十分把握して行動してください。私としてはこれ以上観測対象や長門さんの機嫌を損ねるわけにはいかないのです」
 ではまた、と言い残し喜緑さんは立ち去ってしまった。残された俺はといえば間抜けにも呆然とそれを見送るしかなかったのだ、喜緑さんの残した言葉の重さに動けなかったともいえる。
 誰も居なくなった公園のベンチでさっきまでの喜緑さんの言葉を反芻する。古泉の意思、そして喜緑さんはその古泉が用意した鍵だと? いや、それよりも。喜緑さんも会長も長門ハルヒも古泉一姫もこの世界で、この世界だからこそ生きている。存在出来ている。
 ここでは俺が異世界人だ、俺は俺の居た世界が正しいと思えばこそ戻ろうとしているがそれは本当に正しいのか? 浮かび上がる疑問を慌てて掻き消す。そのはずだ、そうでなければ俺は入部届けを返す事も無くエンターキーも押さなかった。
 今も尚蘇るあの儚い笑顔。あいつのためにも俺は戻らなければならない、ハルヒの願いがなんだったのか、それは俺達の世界の俺達のハルヒから聞かなければならないんだ。
 様々な衝撃を受けて腰が抜けそうだったのだが無理に起こして立ち上がった俺は、よろけながらも一度家まで戻る事にした。帰り道も頭の中は鍵の事ばかりだがな。
 しかし今回は俺には多少の耐性と経験がある、そこから出した結論は恐らく正しいはずだ。鍵は既に俺の目の前にある、後は場所の問題だがここも何となくだが心当たりがあった。
 残りは意思の疎通しかないだろう、今まで聞いた話と俺自身の考えが正しいのか、それを確かめなくてはならない。
 俺は家へ帰ると部屋へと一直線に戻りベッドに倒れ込んだ。少しだけ休めばその後何をするかは決めている。
 目を閉じて暗闇の中で俺は一人瞼の裏の相手に悪態をついた。
 まったく、誰も彼も俺より凄い力があるのに何で融通が効かないんだよ。いい加減にしてくれ、お守りをするなら団長だけで十二分だ。頼むからこれ以上俺をこき使わないでくれよ、雑用係にも限界があるんだぞ。
 くだらない愚痴を零しながら、俺の意識は再び深く沈んでいった。