『SS』 月は確かにそこにある 23

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 午後の組み合わせは言うまでもないだろう。俺達は昼飯を食いながらくじを引き、班を分けた。ちなみに奢りの件はハルヒが素直にワリカンにしてくれた、これは奇跡と言ってもいいんじゃないだろうか。ほんの少しだけ決心が揺らぎかけたなどと言えば元の世界のハルヒに何をされるか分かったもんじゃないけどな。
 閑話休題
「さて、どうしますか?」
 どうもこうも無いだろう、すぐ隣で満面の笑顔を隠そうともしない古泉をあえて見ないようにして俺は今日の本命に例の件をもちかける。
「すまなかったな、長門。無理言って組み合わせを操作させちまって」
「問題無い。古泉一姫の提案にわたしも疑問に思う事があった。よって利害の一致を見た結果としてわたしはあなた達と共にある」
 長門の言う疑問というのは即ち俺の存在そのものだろう、古泉やハルヒの態度が変化したのは俺がこの世界に来た事(元々いた俺はSOS団には無関係だったからな)が原因であるから長門及びその親玉は俺が何者なのか知りたいはずだ。
「どこか、というかお前のマンションが一番安全だと思う。俺達の話をまず聞いてくれないだろうか」
 あえて俺が長門のマンションを知っているのを隠そうとせずに長門に提案した。長門は無言で頷くと、
「それで構わない。来て」
 こうして俺達は長門のマンションに向かう事となった。この辺りの聞き分けの良さは流石長門だな、俺ではなく古泉がいるからだというのが些か癪に障るが。
 問題は長門にどのように説明するかだ、俺と古泉が違う世界から来たということを長門に納得させなければならない。しかもハルヒの能力か、長門は俺達が異世界から来たということを認識出来ないという。
 ただしこれについては説明の仕様はない訳ではない。喜緑江美里というジョーカーが今は俺の手元にあるからな。その喜緑さんの言葉が引っかかりはするのだが。
 本当に長門は今回役に立たないのだろうか? そんなはずはない、長門は何時だって俺達を助け、支えてくれたのだから。それを信じるしかない、俺達の長門を。
「…………大丈夫だよな」
 マンションの玄関まで着きながら長門がオートロックを開けている間、つい愚痴めいたものが漏れる。不安がない訳じゃない、だがパズルのピースは揃ってきている。
「大丈夫ですよ、何とかなるんじゃないですか」
 古泉の気楽さが逆に不快だな。当事者なのにまるで傍観者だ、元々そういうところがある奴だがここのところは顕著すぎる。まるで元に戻りたくないかのように、ってのは流石に気のせいだと思いたいが。
 エレベーター内でも古泉の立ち位置の近さに困りながら(はっきり言おう、当たっている)早く長門の部屋へと逸る気持ちは抑えきれず、慣れ親しんでしまった部屋のドアを見た時には安堵の溜息さえついてしまった。
「座って」
 長門の部屋に入り、リビングでの第一声がこれである。俺と古泉が座ると台所へと消える。しばらくして戻った長門の手にはお盆があり、その上には人数分の湯飲みと急須が載せられていた。
「飲んで」
 長門の淹れたお茶を飲む。ここまでが儀式的に感じてしまうのは否めないな、ということでお替りを勧められる前に話を切り出そう。
長門、お前と最初に会ったときに話したことを覚えてるな? 今回はその件だ」
 長門と話すときは単刀直入に限る。要点のみを告げれば理解してくれるのが長門だ。今回も僅かな頷きで肯定し、
「了解している。但しそれは外的要因における情報としての理解であり、わたしが認識している事実とは異なる」
 とまあ分かりにくく説明してくれた。何だって?
「つまりは我々の言っていることは信用出来ないが認めざるを得ない何かがあった、ということですね?」
 古泉の言葉に再度頷く長門。つまりは俺たちの話を聞くというよりも自分が聞いた話が正しいかどうか見極めたいってことか。いよいよこの長門は俺達を信じていないらしい。
「外的要因とは何ですか? 私や彼が知っているのならいいのですが」
喜緑江美里。わたしとは別角度から観測対象をサーチしているインターフェース、彼女がわたしに新たなる情報を提示した。わたしは可能性を研鑽し、わずかながら信ずるに値するものと判断した為あなた達との接触を望んだ」
 やはり喜緑さんだったか。長門へのアプローチといい、流石にやることが早いな。しかしこれで話しやすくなった、俺は喜緑さんとの会話を長門に聞かせて状況を分かってもらおうとしたのだが。
喜緑江美里? それは私たちとは違う学校の方なのですか?」
「そう。現在光陽園学園において行動中、本来ならあなた達との接触は無いはずだった。しかし彼が」
 長門の視線が俺を捕らえる。
喜緑江美里接触、彼女は彼を時空同位体と判断した。つまりは彼は異世界から来たということになる。これは我々には認識できなかった事象、早急に対処が必要と判断した」
 待て、確かにそうだが色々とおかしい。まずは古泉が喜緑さんを知らなかったというのか?
「ええ、初めて聞く名前です。いや? おかしいですね、私は彼女を知っていなくてはいけない……何故? 私は彼女を覚えていない」
 頭を抱えそうな古泉はひとまず置いておく、心配してない訳ではないがまずは長門に確認だ。
長門、喜緑さんも言っていたが矢張りお前には俺と古泉が異世界から来たというのが分からなかったのか?」
「判別出来なかった。わたしに何らかの制限がかけられている可能性は高い、情報統合思念体が矛盾しない点を鑑みても恐らくわたしが涼宮ハルヒの能力の影響下にあると推測される」
 そうなるのか、としか言いようが無いだろう。ここにきて喜緑さんの言ったことは全て正しいのだ、となったのであって、それは即ち長門が今回は役に立たないというレッテルを押されたに等しいのだ。いや、長門が悪いんじゃない。全てはあのアホの訳が分からない縛りのようなものが悪いんだ。
「どうすればいいんだ? どうやったら俺達は元の世界に戻れるんだよ、お前なら何とかしてくれると思ったからこうして無理矢理時間を取らせたっていうのに」
 情けない話だが頼れるのはSOS団が誇る万能宇宙人の長門しかいない。時間さえ操れるこいつがどうしようもないのならもうゲームオーバーだ。しかし長門の答えは無常なものだった。
「現状においてわたしに対処方法は無い。何故ならばわたしは現状を認識出来ない、そのように制限されている。よってあなたの言うことが全て真実だったとしてもわたしが把握出来ない以上わたしに対応は不可能」
 どうしてだ?
「状態を把握、理解しない出来事には対応出来ない。在るものが在ると認識して行動は発生する、無いものを在ると言うことは出来ない」
 長門の言うことは正論だ。だがしかし納得するものではない、例えば推論でもいいはずだ。判断材料はある、後は実行あるのみだろう。
「推論で行動するのは危険。万が一の場合、涼宮ハルヒの能力と衝突してしまう可能性がある」
 それはないだろう、現に俺はこうしてこの世界に居る。戻る時だって同様のはずだ。
「それを立証出来うる根拠に乏しい」
 結局話が元に戻っちまうじゃないか! 長門が頑固なのは分かっていたがこういう時にまで発揮して欲しくはなかったぜ。要するに自分が分からないことは何もしないってことに等しい、俺達の長門ならともかく、この世界の長門ならそう判断してもおかしくないのかもしれない。どうする、これじゃ堂々巡りだ。
 俺の説明能力では限界だ、こういう時こそお前の出番じゃないのか? 俺はこれまで言葉少なだった古泉に何か言わせようとそちらを見たのだが。
 そこには力無く横たわる古泉一姫がいた。
「おい! 古泉?!」
 慌てて抱き起こす、呼吸が荒い、熱でも出たかのように顔も赤くなっている。
「どうした! しっかりしろ、古泉!」
「落ち着いて。生命に危険はない、単にショック状態による意識の低下」
 長門の声に肩を揺すろうとした動きを止める。どうやら気を失っただけらしい、がそれもおかしな話だろ? あの古泉がこのくらいで気絶するなんて。
「こちらへ」
 長門に促されるままに古泉を担いで寝室へと赴き、とりあえず布団を敷いて古泉を寝かせる。少しは落ち着いたのか、安らかな寝息を立てている古泉は眠れる森の美女といった表現が似合いそうなほど整った顔立ちをしていた。
「一時的な昏睡状態、しばらく時間をおけば回復する。恐らくは精神的な負担からの本能的回避行動の一部と推測される」
 つまり色々と聞いて考えすぎてパンクしたってことだ。あの古泉が、と言わざるを得ない。女になってからの古泉は脆いような気がしていたが本当に弱々しさすら感じるほどに繊細になっている。それもハルヒの影響だっていうのか?
 しかし当事者であるところの古泉が気絶してしまったことにより、俺はこれ以上長門と話す事が出来なくなっていた。古泉の看病をしている長門を見る事しか出来ず、いたずらに時間だけが過ぎてゆく。
 焦る心と裏腹に結局古泉が目覚めた頃には俺の携帯にハルヒからの着信が鳴り響く時間となってしまっていた。申し訳無さそうだが未だ顔色が良くない古泉を支えるように促し、待ち合わせ場所に到着するまで長門とは会話が無いままで、結論から言えば喜緑さんの言ったことが当たったことになる。
 頼みの長門との会談は物別れに終わり、古泉は役に立たないどころか足を引っ張る始末。ハルヒの真意は分からないままで俺の絶望だけが増幅されるという最悪の結果で一日が終わろうとしていた。
 解散時の長門の無表情に苛立ちすら感じ(長門は本当に表情一つ変える事は無かった)、ハルヒは無言のまま後ろも見ずに走り去り、朝比奈さんに助けられるように古泉が帰るのまで見送って俺は大きく溜息をついた。
 事態は好転どころか悪化の一途を辿っているとしか思えない。出口が見えない迷路だ、近づけば誰かに足を引かれているような気すらしてくる。重い足を引きずりながら状況を整理するしかない、思い返すほど最悪なのだが。
 長門は協力出来ない、そう断言した。ハルヒの能力による影響なのか、俺の知る長門に比べ意固地な面すらある。これにより当初考えていた長門の能力による帰還は不可能となったのだ。喜緑さんの言葉が無ければこの時点で俺は長門のマンションの屋上から飛び降りていたとしてもおかしくはなかっただろう。それほどまでに先程の長門の態度は俺に絶望を与えてくれたのだから。
 首を振りながら長門の可能性を頭から外すしかないと思うしかない。残るは喜緑さんの協力だけだ、連絡するしかないだろうな。
 それと古泉だ。調子が悪そうなのでそのままにしていたが、あいつが話さないままで長門と話す羽目になったから協力してもらえなかったという部分がない訳ではない。本当に戻る気があるのかと言いたくもなるが、それよりもあいつがこんなに脆かったという方が異常に思える。古泉一樹の面影は既に何処にも無く、ただ古泉一姫という女性がいるようにしか見えない。
 それでもこの世界で俺と古泉だけが異世界人なのだ、何とかして二人で脱出する手段を探るしかない。幸い翌日はハルヒ達もいない日曜日だ、どうとでもなる。二人で喜緑さんに会って…………そういえば何故古泉が喜緑さんを知らないなどと言い出した?
 何かが引っかかった、それも大きな何かが。古泉が喜緑さんを知らないはずはない、元の世界では会長と共に長門以外で一番接していた人物のはずだ。その記憶を持つ古泉が喜緑江美里を忘れてしまうのはおかしい。ここに古泉が変わってしまった理由もあるんじゃないか? 喜緑さんに古泉の事を確認しなかった事が悔やまれる。だが古泉と二人ならあるいは。
 ようやく道筋が見えてきたような気がして気付けば家は目の前だ。俺は帰り次第、喜緑さんと古泉に連絡を取ろうと思っていた。
 だがしかし、俺はこの時点で家へと帰る事は無かった。まだ今日という日は俺に労働を強いようとしたのである。拒否権の存在しない呼び出しという強制労働を。
 ポケットの中で鳴り響く携帯を取り出し、着信画面に表示された名前を見た時に俺は嫌な予感しかしなかったのだ。そこに今まで見たことの無い『森 園生』という名前があったのだから。