『SS』 月は確かにそこにある 25

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 ほとんど眠れないままに朝を迎える羽目になったのは果たして自業自得と呼ぶべきなのか。幸いな事に今日は日曜日であり、妹も朝から出かけていたのか俺が目覚めた時には太陽は既に煌々と街を照らしていた。つまりはもう昼近いな、その割には寝た気がしない。
 時計代わりに携帯を見れば着信は無い。それが当たり前のはずなのだが何となくこれでいいのかという気になるな。しかも今日はこちらから動かないといけないのが確定しているんだ、気も重くなろうというものだ。俺は一度携帯を置くと顔を洗いに洗面所に向かう事にした。とりあえずは頭をすっきりさせて飯でも食うしかないだろう、この後の事を考えたら食欲も無くなるってもんだがな。
 などと思いながらも朝昼兼用の飯をもそもそとかっ込み、胃だけが重くなった気分で部屋へと戻る。携帯は………何もなしか。
 やれやれ、という口癖も嫌になってくるくらい気分が重い。手に持った携帯電話が自棄に重量を持って感じるのは、この中のメモリの重さなのかもしれない。などと思うくらいなのだから俺も感傷的になってるのかもな。
 さて、携帯を持ってはいるものの、ここからの選択が重要だ。少なくとも残り日数を考えれば今更SOS団のメンバーを説得するには時間が無いだろう、ハルヒと話したいが何を話せばいいのか分からない上にあいつの態度から見て無事に話が出来るとも思えない。何よりも俺がこの世界のハルヒと話すのが難しいと感じているのだ、昨日過ぎった考えが俺を縛り付ける。もしもハルヒが、なんて思いながらあいつと会うわけにはいかない。
 まず話すべきなのは古泉なのは分かっている。だが今の古泉と話す意味がない事も理解してしまえるのだ、むしろ俺があいつを説得しなければならないだろう。
 森さんとは昨夜話した、となると残るのは一人しかいない。今回の件において長門の代わりを務まるのはあの人しかいないからだ。俺は携帯のメモリから元の世界では存在しなかった番号を呼び出した。





「お待たせしました、分かりやすい場所を指定して頂き感謝します」
 そう言って俺の正面の席に座るのは喜緑江美里さんだ。分かりやすいも何もここはSOS団ご用達のいつもの喫茶店であり、喜緑さんも元の世界では何度も顔を出しているはずなのである。但し、こちらの喜緑さんは初めて来たようではあるのだが。しかし俺の話を聞いてもらえる人物で頼れるのは今のところ彼女だけなのだから選択の余地は無い。その喜緑さんはウェイトレスに紅茶を頼みながら、
「どうやらそちらでも動きがあったようですね、長門さんは私の言った通りだったでしょう?」
 最早定番となった柔らかな微笑みで痛いところを突いてくる。確かに長門の反応は喜緑さんの言うとおりだったのだ、取り付く縞も無いといった長門の態度は俺を落胆させるには十分な威力を秘めていた。
 あの長門を思い出しただけで沈んでくる、そんな俺の態度を見た喜緑さんは、
「仕方ありません、彼女は彼女なりに自分の役割を果たしているに過ぎないのですから。決して貴方に対し敵対するような事はありませんので安心してください」
 優しくそう言ってくれたのではあるが、それでも尚釈然としないのは俺が普段長門にどれだけ依存してきたのかを証明するかのようだ。長門に頼らないようにしようなどと言った傍からこの始末だ、いい加減自己嫌悪に陥りそうになる。
 だが現在頼るべきなのは長門ではなく喜緑さんだ、それすらも不本意というか理不尽ではあるものの、能力的には彼女達宇宙人しか現状を打破出来る能力を持つ者がいないこともまた確かなのだった。
「それでは何があったのかお聞かせ願いましょうか。私の方で調査した結果はその後で検証致しましょう」
 促されるままに俺は昨日あった出来事を掻い摘んで喜緑さんに説明した。不思議探索でのハルヒとの会話、長門とのやり取り、そして古泉の異常。『機関』との、というか森さんや新川さんとの会話もぼかしながら伝えた。ハルヒと古泉がリンクしているというのは喜緑さんから見ても興味深かったようである、但しその心情という面については知らなくてもいいだろう。
 微笑んだまま黙って俺の話を聞いていた喜緑さんは終わると同時に深く頷いた。正直なところ省いた部分が多かった(恋愛要素が含まれる部分など話せるはずがない)のだが、理解してもらえたようだ。
「なるほど、古泉一姫と涼宮ハルヒの同期ですか」
 喜緑さんの感覚で言えばそうなるものなのかもしれない。全てを理解したような喜緑さんは、これは私の私見ですが、と注意を入れて話し始めた。
「もしも古泉一姫が涼宮ハルヒの精神に感応した為に今回の事態が起こったと仮定しますと、解決策は涼宮ハルヒの心境を変化させるしかないということになります。但し、今回のケースにおいては涼宮ハルヒだけが原因ではないのではないかと推測されるのです」
 どういうことだ? ハルヒが原因で、古泉がそれに反応したのではないかというのは昨晩森さんたちも指摘していたのだが喜緑さんにはそれ以外の要素があると思ったらしい。
「何故かといえば、私及び会長が光陽園学園に存在するという事実です。涼宮ハルヒのみが原因でしたら私達は北校に存在してもおかしくはないはずです、現にあなたの居た世界では私達は北校の生徒だったという事でしたね?」
 確かにそうだ、俺は喜緑さんの言葉に頷いた。思えばハルヒからすれば喜緑さんも会長もSOS団に敵対する生徒会といっただけのポジションであって、それはハルヒ自身に大きく影響を及ぼすものではない。つまりはハルヒの視点から見れば脇役なのであって、その存在を北校から消去しなければならないほどの根拠に欠けるのであった。俺などはあまりにも深く事情を知りすぎていた故に失念していた事実である、喜緑さんも元の事情を知らないからこそ気付いたのかもしれない。
「ここで重要なのは誰が私達を光陽園に飛ばしたのかという事です。少なくとも涼宮ハルヒ長門さんではありません、彼女達はむしろその何者かの意思に沿っているのではないかとすら思うのですが」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
 喜緑さんは淡々と話しているが、こっちははっきりいってパニック寸前だ、ハルヒが原因じゃなくて誰かに操られている? いや、そこまでいかなくともハルヒの能力を利用した奴がいるというのか。だが、そう考えれば喜緑さんが光陽園にいる事も説明が付く。喜緑さんと会長が北校に居ることがそいつにとっては都合が悪いのだという説明が。
「でも一体誰が? 俺達以外で喜緑さんや会長の本当の役目を知ってる人間なんて」
「逆です、あなた達だからこそ私の本当の目的を知っているのです」
 何だって?! 喜緑さんの言っている意味が分からない、理解不能だ。俺達だからこそとはどういう意味なんだ?
「思い出してください。私はあなたから聞いたこの世界でもない、あなたの世界でもない世界の話から一つの推論を導きました。そしてそれは私の調査結果と一致し、結論として確信に至るまでになりました。即ち、この世界は涼宮ハルヒだけの望みし世界では無いという結論を」
 喜緑さんは強く断定した。ハルヒの望みだけではない、何者かの意思が存在する世界。そしてそれはもう一つの世界から繋がった想像。
「ヒントを差し上げましょう、私の知る限り会長はただの人間です。何らかの目的を持って光陽園に居るわけではありません。それなのに何故あなたは会長をそこまで重要視するのですか?」
 それは会長が『機関』の差し金で無理矢理生徒会長になったからだ。ハルヒの退屈を紛らわす為、そうあいつも言っていた。
「今の光陽園にいる会長にもそれは通用しますか?」
 それは…………何の意味も無い、今の会長はハルヒにとって無関係な一生徒に過ぎない。そうだ、何故会長は光陽園に居なくてはならないんだ?!
「その答えが全てです。会長と私を知りながらその存在を身近に置くことを拒む者、涼宮ハルヒの能力を知りながらその心の機微を理解出来る者。そのような存在が居るということなのです」
 そんな奴は俺以外にいるとは、
「あなたの言ったもう一つの世界は誰が望んだものでしたか?」
 あれは長門ハルヒの能力を使って、そうだ、あの時と同じハルヒの力で誰かが望む世界なら。その瞬間、ある人物が頭に浮かんだ。しかしそいつは浮かんではならない人物だったのだ、俺の顔から一気に血の気が引いていく。
「ま、まさ………か………?」
 ただ一人居る。ハルヒの能力を知っている奴が。そいつは誰よりもハルヒの心理を理解出来ていた。そしてそいつは喜緑さんの正体を知り、会長をハルヒにぶつけるべく暗躍したんだ。
 でも、だ。まさか、だろ。ありえない、あってはならない。これが事実なら俺は狂ってるとしか思えない。だが喜緑さんは冷静に俺を見つめ、
「どうやら同じ結論に到達したようですね。そう、これで全ての事象に説明は付きます。涼宮ハルヒの異常な行動も、我々が違う学校に居ることも、『機関』とやらの接触も」
 喜緑さんは冷めかけの紅茶を一気に飲み干した。そして俺が最も聞きたくなかった一言を冷酷なまでに告げたのであった。
「この世界は古泉一姫、あるいは古泉一樹が望んだ世界なのではないでしょうか? いえ、恐らく望んだ世界そのものなのでしょう」
 目の前が暗くなった。頼む、誰でもいい。これが嘘だと言ってくれ。もう俺には耐えられそうも無いんだ! 目の前の闇がぐるぐると回る。
 どこかで何かがぶつかったような音がして、額に強い衝撃があって。喜緑さんが何か言ったような気がしたが。
 ………………………俺は意識を失った。