『SS』 ヒロイック・ヒロインの勝敗

 事件というものは起こすべくして起こすものであり、事故というものは予見していなくても起こるものである。
 と、言う事はこれは彼女にとっては事件であり、僕にとっては事故ということなのだろう。目の前にいる女性は同年代にしては不遜と呼んでも差し支えはないだろうから。
「お待ちしていました。少々お時間よろしいでしょうか?」
 決定事項に質問を交えないで頂きたいものですね。こちらの警護は…………
「予想よりも軽いものでしたね、ご自分に自信がある証拠かしら?」
 そう思ってもらって構いませんね、少なくとも貴女には負ける要素が感じられませんので。
「そう言っていられるのも今のうちなのですよ」
 どこからそんな自信が湧いているのか、橘 京子は不敵な笑みで胸を張って僕の前に立っていた。その姿は一般多数の男子から見れば可憐にして清廉であるかもしれないが、生憎と『機関』の人間である故に傲岸にして不遜にしか見えないのだから彼女も気の毒だろう。
 恐らくこれはレクリエーションのようなものだろう、その気になれば遠距離から狙い撃てばいい。それをお互いにやらないのは、『神』がそれを望まないからに他ならない。互いの信ずる神は、奇妙な事に共通点も多いのだから。それは神があってのものなのか、鍵の形に神が沿っているのかは僕の与り知らぬところだ。
「それで? もう時間はかなり取っていると思いますが?」
 実際のところは無駄な時間を、である。SOS団の活動がないからといって退屈な時間など過ごした事はないのだ、何よりもこれ以上長引けばこちらの支援が来る事は既に予測済みであると思う。それでもここに立っているというだけで賞賛には値するかもしれないが、無謀と哂ってもいいレベルだ。
「ええ、ちょっとした勝負です。商品は『鍵』の所有権というのはどうかしら?」
 頷く前に呆れていいだろうか? 彼女の話には根拠も脈絡もない。僕の周囲には脈絡を感じさせない話術を使う人物は少なくはないが、その登場人物をこれ以上増やす必要もないのだから。
 しかし話はこれでついているのだ、少なくとも彼女の中では。そこにこちらの意思や意見の入る余地はないだろうが、それでも理不尽には多少逆らうのがこの場合の常だろう。
「僕に彼をどうにか出来るとでも?」
「静観は出来ますよね?」
 そういうことか。要は今後の彼女の接触を見逃せ、ということらしい。最初からそう言えばいいものを、分かりにくく話すのは我々に共通した特徴だと言えば彼は呆れて同意するかもしれない。
「僕に拒否権はないのですか?」
「決定事項に質問を交えないで貰えないかしら」
 先ほどのお返しのつもりか、彼女は子猫のような可愛らしさで微笑んだ。我ながら陳腐な例えだな、と笑えるほどの余裕は残しつつ。




「それで勝負の方法は?」
 結末は見えている。後は適度に時間を稼げば応援が来て終わりだろう。何処となく安易な気分で少女に尋ねてみる。
「そうですね、あれでどうかしら?」
 そう言って彼女が顔を向けた先には何もない、ただ急な坂道があるのみで。まったく意図が読めないながらも、話だけは合わせるようにしておく。
「競争よ、あの坂の上まで」
 最早呆れる余地もないだろう。競争というのは簡単に言えば走れ、ということであり、何故その方法を選択したのか分からない。第一よりによって走るというのはどういうことだろう?
「いいじゃありませんか、血生臭くも無い爽やかな勝負でしょう?」
 貴女に言われると信用出来ませんけどね。そちらの組織とやらは余程することが無いと見えるのですが。それとも、
「神の望み、ですか?」
 くだらない話だ。少なくともこちらの神はそんな事は望んでいないだろうし、なにより貴女達を知らないでしょうね。
「いいのです、こちらとしては最大限の譲歩なのですから」
 それでは貴女達の退屈しのぎにでもお付き合いすればいいのだろうか? 僕の意思はこの場では必要はないのだから。
「やれやれ………」
 この場に居ないままで勝手に商品扱いされてしまった鍵と呼ばれる少年の口癖を呟きながら、少しだけ呼吸を整えて。肉体には不安はないが、制服というものは結構なハンデだ。それも計算づくならば彼女もなかなかやるものだが。
 とはいえ、向こうも運動専用な衣装の訳ではない。多少動きやすいだろうけど、平均的な女子高生の私服と言っても過言ではないだろう。
「それではいきますか」
 相変わらず自信に満ち溢れた笑顔。どこからその自信が来るのだか。根拠がないとは言わないが、過剰であることは否定しない。とはいえ自分が抱いている自信もまた過剰ではないとも言えないだろうけど。
「拒否権はないのでしょう?」
 笑って頷くのは間違いなく僕らの敵と言える存在のはずなのだが、どうにも緊張感が無さ過ぎる。それを言えば自分もそうだ、予定調和の中での単純なゲーム。楽しむにはバランスが悪すぎる気もするが。
 どうやってスタートするのかと思えば、橘京子が大きく片手を上げる。そこまでセルフですか、とまあ小さく溜息。舐められているというよりも、楽しんでいるのかもしれない。わざわざ作り上げたアンバランスな日常を。
「スタート!!」
 振り上げた手が下ろされると同時に走り出す。速い、自信を持っているだけはある。
 ただし、それはあくまで女子高生の平均に比べればだけど。彼女が訓練された能力者である事は承知の上だし、その能力が非凡な事も認めてもいい。
 だけどそれも佐々木さん、という神の世界が平和な証拠だろう。生憎と僕が住む世界はもう少しだけ刺激と危機感に囲まれているようだ。男女の違いを抜きにしても、身体能力に差があってもおかしくないほどに。
「ふう、何故あなたはその能力を隠したままなのでしょうね?」
 坂の上で流れる汗も拭わずに問いかけられ、
「別に必要がないからですよ」
 当然のように答えてはみたものの。ここまで本気なのは閉鎖空間以外では滅多にない事だと気づく訳で。それを彼女が狙っていたというのも変だとは思うけど。
「ふふふ、そうじゃないと対決のし甲斐もありませんしね」
 まるで自分も手を抜いていたかのようだ、負け惜しみとしてはなかなか定番ですけど。
「さて、それはどうでしょう?」
 さも当然のようにハンカチを差し出してきた彼女は、
「それでも負けるつもりはありませんでしたけどね」
 少しだけ本音を見せたような気がしました。ハンカチを受け取ったと同時に後ろをむいたもう一人の能力者。
「次は負けませんからね」
 その一言で、このゲームが終了したことを理解して。そのまま立ち去る彼女を追うことも無く、
「やれやれですね」
 そう言って肩をすくめただけでした。この次もあるというのは彼女にとっても僕にとっても、何かメリットはあるのでしょうかね?




 どうやらメリットはあったようだ、主に彼女にとっては。
「ねえ、古泉くんが彼女と修羅場で追いかけっこしてたって本当?」
 団長席の彼女からの追求という、僕にとっては最悪な状況を生み出した、という点においては。
「いや、他校の女生徒に告白されて逃げ出したんじゃないのか?」
 こういうときだけ、あなたたちは何故コンビネーションがいいのでしょうね? 興味深々の団員に囲まれて、溜息をつくしかないのでした。

 


 次がないことを心から祈りながら。