『SS』 彼と彼女の密かな事情

「ふむ………」
 僕、古泉一樹涼宮ハルヒさんの監視及び周辺警護という名目でここ北高に転校して、彼女が望んだ通りかは分かりませんがSOS団の一員となって早一年余りになりますか。
 その間の出来事については詳しくは語れませんし、また個人的にも胸に秘めておきたいところでもあります。ですがこの一年がどのようであったかと問われれば、まずは充実したものであったと言い切れるのではないかと思います。それは僕が『機関』という組織の一員だからという訳でも涼宮さんに選ばれた超能力者だからという訳でもないのではないでしょうか。
 とりあえずは僕は満足した学生生活、まあ彼と彼女の関係については少々愚痴も言いたくはありますが、それなりに面白く過ごせているのではないかと。そしてそれが出来れば続くものであれと願うのでした。
 さて、前置きが長くなりました。僕は団活を少々遠慮しまして自分のクラスである九組に向かっています。
 僕の右手には白い便箋。
 シンプルな白い封筒に入っていたシンプルな便箋には美しい筆跡でシンプルな言葉。
『放課後、教室で待ってます』
 差出人は不明ですね、まあこれも定番といえるでしょうか。よくある呼び出しのパターンと言えば、彼から睨まれそうですけどね。
 SOS団の活動もあるので早めに片付けてしまいたいものです。ですから九組のドアを開けた時、夕日に照らされた彼女を見てもそう思ったのですよ。
「あら、思ったより早かったわね」
 ええ、こちらにも都合というものがあるのでしてね。ですから用件は短めでお願いしますよ?
「つれないわね、せっかく久しぶりに出てきたのに」
 生憎それを喜んでくれる人は少なそうです、僕の周りでは。微笑を湛えた少女は、それでも嬉しそうにしていますけど。
「まあね、でも私は帰ってきたの」
 初対面でありながら、朝倉涼子は恐らく以前と同じような笑顔で僕を迎え入れたのでした………



「それで何の御用でしょうか? あなたは確か五組のはずではなかったかと」
 それに僕は初対面なのですけどね。
「あら? そちらでは私の事は把握済みだと思ってたけど?」
 当然です。あなたは涼宮さんの同級生という特殊なポジションのTFEIだったのですから。僕も転校前にデータだけは教え込まれていましたよ、実際には会わないままでしたけどね。
 そしてあなたが何故僕と会わないままだったのか、それも知っているんです。つまりは僕の敵であることも。
「あなたがここに存在する理由が分かりませんね。まあ彼の元へ行かせるつもりもありませんし、長門さんも黙ってはいませんでしょう」
 こちらとしては前回のような事はないと確信しています、あなたの出番はありませんよ? しかし朝倉涼子は全てを理解しているかのような笑顔で、
「別にいいわよ、今回はキョンくんには用がないもの」
 そう言って僕を指差し、
「用事があるのは、あなた。古泉一樹に用があるって言ったらどうするの?」
 笑いながらとんでもない事を言い出しました。ふむ、どうやら『鍵』とは接触するつもりがないのでしょうか?
「そうね、多少状況が変わったと言うべきかしら?」
 おや、それは意外ですね。少なくとも彼と彼女の関係はより強固なものとなっていると思いますが? 僕の疑問は彼女にとっては想定内だったようで、
「うん、キョンくんと涼宮さんの関係は良好のようね」
 まるで祝福しているかのような笑顔のままで。
「でも、それはあなた達全員に言える事でもあるのよね」
 少しづつ距離が近づいていた。彼女が僕に向かってきている、接近をこのまま許していいのか? 自然と足は下がろうとしている。
「私がこの世界から消滅してからの間で、涼宮さんの作ったSOS団かしら? その絆というものは私たちには理解出来ないけど、彼女に影響を与えるに足るものだという認識はあるわ」
 随分な言い草だ、僕たちがSOS団に感じている思いは決して涼宮さんだけの為のものではない。僕たちが自分の意思で選んだ道なのだと、今の僕ならば言い切れるのだから。
「それで? どこからあなたは情報を得たのか教えて頂きたいですね」
 朝倉涼子はSOS団の活動やその後のことを知らないはずだ、その割りにまるでそこに居たかのように先ほどから話している。
情報統合思念体は派閥はあるけど本質は一つよ?」
 それが答えか。
「情報は共有出来ていたという訳ですね、長門さんから」
 朝倉涼子は頷いて、
「彼女は優秀ですもの、最近はちょっと不必要な情報も増えてきたみたいだけど」
 そのあなたが不必要だと言う物こそ僕らにとっては大事なのでしょう、それは彼が長門さんに教えたものでもあるのです。
「あなたには永遠に理解出来ないでしょうけどね」
 それとも情報統合思念体と言った方が良かったか? だがそれだと長門さんが報われない。
「構わないわ、私は必要なものだと思えないから」
 それが思念体の総意でないことを願います。もしそうなら僕らは長門さんの為にもあなた達と対峙するくらいは出来ますよ。
「いい心がけね、長門さんが羨ましいわ」
 そう言いながらも近づく距離。背後にはもうドアしかない、狭い教室だから追い詰められるのも仕方ないですか。
「あなた達の絆は深まった。それは即ち、キョンくんじゃなくても涼宮ハルヒの情報フレアは起こせるという事になるんじゃない?」
 そういう事か、そこまで涼宮さんの信頼を得たというのは嬉しいような気がしますね。だが逆に彼女の弱点を増やしてしまったという事でもあるのか? 僕ですら狙われてしまうという状況に於いては。
「まあ今のキョンくんには流石に私でも近づけないわ。長門さんのガードはあなたが思っている以上に硬いからね」
 それだけ彼を大切に思っているわけですね、長門さんは。苦笑する朝倉涼子は、しかし大事な友人を見守る優しさに満ちていたように見えてしまったのは彼の影響でしょうかね?
「だから僕ですか」
「そう、だからあなた」
 おやおや、僕は彼のおまけですか。それでも彼ほどの効果が涼宮さんに与えられるとも思いませんけどね。
「あまり自分を卑下しなくていいわよ、あなたが死んでも相応の情報爆発は観測出来そうだからね」
 冗談です、それなりに僕もSOS団の一員としての地位は築けたと自負していますからね。だからこそ貴女の憶測通りにはいかないですよ。
「うふふ、そういうあなただから私はここにいる。あなたは『機関』の戦士として、閉鎖空間で戦う能力者としての自負がある、それ故に自分自身に対してのガードが甘いわよ?」
 なるほど、朝比奈さんならば庇護を受ける前提だからガードはしっかりされていると。まあ確かに僕は自分の身くらい自分で守れるという自信はありますけれどね。
「その過信が私にターゲットを決めさせてくれたの。有機生命体ごときが油断も甚だしいわ」
 本当に随分な言い方ですね。僕らは貴方達のように万能ではありませんが、それでもそれなりに生き方には愛着があるんです。
「でもその愛着も、もうお終いね」
 気が付けば彼女の手には大柄のナイフが握られていました。その黒光りする姿は本能的な恐怖を呼び起こすに値するものでしょう、ただし一般人にとっては。
「やっぱり平常なままか、流石にキョンくんみたいにはいかないわね」
 それは彼も災難ですね、しかも今ほど知識もない上では。ですが同じパターンで通用するとは僕も舐められたものですね。
「では諦めていただけますか? 今ならば温和に済ませることも出来るはずですよ」
 しかし朝倉涼子は微笑みを絶やさないままで、
うん、それ無理。あなたも随分と優しいけど、あなたじゃなければキョンくんを殺すだけよ?」
 そうかもしれない、それが彼女の使命なのだろう。
「やらないで後悔するよりもやってから後悔する、か。私はあの時後悔したのかしら? それは今でも分からないわ」
 僕には分からないセリフを呟き、彼女がナイフを構える。
「でも私にはこうするしか方法を知らないの。だから、死んで!」
 朝倉涼子のナイフが襲い掛かってきた。速い! だが僕は余裕を持ってかわせる、あくまで女子高生として考えなければ訓練の範囲内でのスピードだ。
 背中に壁があるとまずい、まずは回りこんで…………と思ったが、
「そうもいきませんか…………」
 気付けば側面にも壁。空間として間違ってますけど、これも彼女の能力ですね?
「そう、ここは私の情報制御空間だもの。あなたの思い通りにはならないってわけ」
 思い通りにならないのは閉鎖空間だけで十分ですけどね。
「だから抵抗するだけ損よ!!」
 と言われて大人しく出来るはずもない。突いてくるナイフをかわしながらも反撃の余地がないかを探し続ける。
「ふうん、流石にやるわね」
 褒められても仕方がない、向こうは余裕がありすぎるからですね。
「でももうお終い」
 その一言で僕の動きが封じられた。そういう事まで出来るとはね。もう指一本動かせなくなっている、流石にこれは反則と言えるんじゃないですか?
「初めからこうしても良かったんだけどね、ちょっとだけ私も楽しみたかったから」
 余裕の笑みを浮かべる朝倉涼子。その姿は清楚であり、とても今から人を殺す様には見えません。殺されるのは僕ですけれど、不思議なもので実感は沸いてきませんでした。多分閉鎖空間での戦闘で生命の危険に慣れすぎた弊害じゃないかと思いますけど。
 とはいえ黙って殺されるわけにもいかないんですよ! 僕は動けない体を無理やり倒して転がりました。
「あら? キョンくんより往生際が悪いわね。でも生き残ろうとする意思の強さってやつ? 私には分からないけど惨めで哀れね」
 どう思われても構いませんね、とにかく僕は死ぬわけにはいかないんです! 体は動かなくても勢いだけで距離を取ろうと転がって、
「小賢しいわよ?」
 それも止められた。まるでピンで留められたように。くそっ! ここまでか…………
「それじゃ、死んで?」
 振り上げられたナイフが勢い良く僕に下ろされた瞬間でした。



 灰色の壁に亀裂が入り、黒く空間が開いたのです。それは爆発などではありませんが、モーゼの十戎と言った感じでしょうか?
長門さん?!」
 すぐに浮かんだのは我々の仲間である宇宙人でした。彼女ならばこの状況を黙認するとは思えませんので。しかし、朝倉涼子は、
「まさか………あなたが来るとはね……」
 倒れているため視線に入っていませんが、どうやら長門さんではないようです。では誰が? この空間に入れる程の能力を持つ人物といえば…………
「お久しぶりですね。それともこちらの世界では初めまして、ですか?」
 その声には覚えがあります。恐らくSOS団では長門さんの次に接触しているはずですからね、その時は会長の影で会話がある訳ではありませんが。
「さて、あなたをそのままにしておく訳にもいきませんか」
 声と同時に体に自由が戻ったのが分かりました。立ち上がって埃を払うと、
「やはり随分と余裕がありますね」
 いえ、正直内心は焦っていますよ。ただ状況的に何も出来ないと観念しているだけです。
「ありがとうございました、喜緑さん」
 そう、彼女がいたんです。朝倉涼子が消えて以来の長門さんのバックアップ。最近ではお目付け役ですかね? そしてこちらが把握している生徒会では書記も勤めているのですね、恐らく何らかの意図によって。
 つまりは僕にとっては接点が多い上での登場という訳です。喜緑江美里はどのような目的があってここにいるのか、それは僕には分かりませんけれども。
 そしてそれは彼女にとってもイレギュラーだったのだろう、朝倉涼子の様子は先程とは変わっていました。そう、これはどうやら、
「穏健派は静観するんじゃなかったのかしら?」
 宇宙人同士にも派閥争いがあるようだ。まあこちらの都合を考えていないという点に於いてはどちらでも構いませんがね。
「今回は特例です。今の観測対象及びパーソナルネーム長門有希にとっての必要以上の過度な刺激は我々の望むところでありませんので」
「あら? 私も特例でここにいるんだけど? 涼宮ハルヒの安定並びに長門さんに発生したイレギュラー要素は情報統合思念体にとって進化の可能性を秘めているのはあなた達も理解しているはずよね」
 ふむ、この辺りは彼女達の事情なのでしょうけど。緊張感を孕みながらも二人の会話は続きます。
「今回の件については私一人の独断じゃないの、分かるでしょう?」
「はい、ですから私がここにいるのですから。長門さんには些か荷が重い懸案ですからね、あなたを二度も消すような事はさせられませんので」
「随分優しいわね、長門さんには」
「いえ、これも職務ですから」
 一見和やかにすら見える二人の会話。しかしその間に流れる空気は僕が閉鎖空間で感じる以上の爆発力を秘めているのです、空間が震えるほどの力が充満していくほどに。
 その空気を破ったのはやはり朝倉涼子の側からでした。
「でも私も随分と舐められたものね」
「どういうことですか?」
「あなたは二度消えるって言ったわ。それって私をデリート出来るって言ってるわけでしょ? それが舐めてるって言ってるの!」
 ナイフを構えて戦闘態勢を取る朝倉涼子。しかし喜緑さんは笑顔を崩すことも無く、
「あなたは長門さんのバックアップとしては優秀でした。ですが、」
 何も構えることもなく言いました。
「あなたには無理です」
 その言葉と同時に襲い掛かる朝倉涼子。ナイフは喜緑さんを貫こうとしましたが、彼女の手前で壁のようなものに阻まれました。バリアーですか、いきなり非現実的ですね。
「ところで邪魔なので下がってもらえませんか?」
 喜緑さんがあっさりと手を振ると、僕の体は後方へと吹き飛ばされました。床に叩きつけられる前に受身は取りましたけど、衝撃はかなりのものでしたよ? 安全は確保してくれているようですけど。
 その間も朝倉涼子のナイフは喜緑さんのバリアを貫こうとしているのですが、全て防がれています。正直ここまで能力差があるとは思えませんでした。
「くっ! そんな! この空間内でこれだけの情報量を…………」
「生憎とあなたがいない間に私はこういう事を想定していたのですよ。準備は万端です、それにあなたは一つ一つの詰めが甘すぎますから」
 涼しい顔で目の前まで迫るナイフを見ていた喜緑さんですが、
「だから簡単に進入されますし、こうして私が優位に立てるんです」
 手を振るだけで朝倉涼子も吹き飛ばされました。僕と違って壁が破壊される程の勢いですけど。しかし喜緑さんはこのような状況も見越していたのだとすれば、長門さん以上ですね。情報統合思念体も一枚岩ではないようですが、その中で彼女は準備し続けていたのでしょう。
 崩れた瓦礫の山から朝倉涼子が立ち上がる、無傷だが顔は屈辱に満ちています。
「こんな…………穏健派ごときがここまでやるなんて……」
「急進派ごときに何度もいい顔をさせるほど寛容ではありませんから」
 どこまで実力があるのか未だに計り知れない穏健派TFEIは尚も姿勢すら崩すことなく朝倉涼子を見つめていました。
「でもまだここは私の制御空間なの! 少し本気で行くわよ!!」
 と同時に朝倉涼子の腕が槍のような形状に変化した! 肉体変化も出来るとは、彼女達の能力は人知を超えていますけどここまでとはね。
 槍は先程と同様に喜緑さんを貫こうとするが、同じようにバリアに阻まれる。ただ先程よりも激しい激突に、閃光と擦音が轟き渡ります。甲高い金属音は思わず耳を塞いでしまうほどに。
「なるほど、長門さんが戦闘を行った時よりも攻性情報の構成密度が増しているようですね」
 それでも喜緑さんの余裕は消える様子は無い。冷静な分析の中に揶揄するような気配すら感じてしまうのですが。
「これならどう?!」
 掛け声と共に喜緑さんの立つ地面から多数の結晶化された槍が飛び出しました。流石にかわしようがない、そう思った瞬間僕の体が自然と動きました。
 喜緑さんを庇うようにして槍の前に! 思わず目を閉じましたが全身を貫かれる、そう思いながらで僕の人生もお終いですか。まあ面白くはありましたけどね。
「勝手に死なないでください、私の立場がありません」
 目を開ければ喜緑さんに抱えられるような形で僕は宙に浮いていました。正確には、そうですね、朝倉涼子の突き出した槍の束の上に立っていたというべきか。
「そんな?!」
 眼下で驚愕の表情を浮かべている朝倉涼子。僕自身も信じられません、喜緑江美里には一体どれほどの能力があるというのか?!
 そんな僕らの驚きをよそに、喜緑さんが軽く足踏みすると槍は見る間に崩れていき、僕を抱えたままの喜緑さんは静かに地面に降り立ちました。まるで何事も無かったかのごとく。
「半端なヒロイズムは余計です、あなたは後方で待機していてくれればいいので」
 僕としても自然な行動だったのですが、軽く一蹴した宇宙人は再び敵対する仲間に向き直り、
「いい攻撃ですがまだ甘いですね」
 そう言って微笑んだのであった……………