『SS』 ちいさながと

 月日が経つのは早いというか、光陰は矢の如く流れてゆきながらも少年は老い易く学は成り難いものでありながら急いては事を仕損じるんだと自分に言い聞かせて何もしないままで早一ヶ月が経っていた。
 さて、現在俺は最大の懸案を抱えている。それは悩みながらも嬉しい悲鳴を上げる類のものであり、世間的には羨まれても反論出来ない悩みなのだった。
 何が言いたいかって? そうだな、答えは簡単だ。バレンタインから一ヶ月経てば男は女性にお返しをしなくてはならない日を迎えるってことさ。世間ではそれをホワイトデーって言うけどな。
 とは言え用意はほぼ済ませている。妹にはキャンディを買ってるし、阪中と喜緑さんにもそこそこのお返しは用意出来た。
 SOS団の女性陣、一人除きたいがこれは三人一緒じゃないとまたうるさいからな、は古泉と相談の上でイベントも考えてはいるのだから不満は古泉のせいにすればいい。
 問題は、俺にとっての本命である女性に何を贈ればいいのかって事なんだ。きっと彼女は何でもいいと言うに決まっているし、実際にそう言われた。だがそれでは俺にもささやかながらプライドがあるのだから納得は出来ないだろ?
「わたしには、あなたがいる事が全て。これ以上の要求はない」
 そこまで言ってくれる肩の上の恋人を少しでも喜ばそうと思うのは当然の話なんだってことなんだよ。本当に有希には喜んでもらいたいしな。
 とは言え問題は山積していた。まず他の女性陣に贈るお菓子やらで予算が逼迫している事が一点。しかも有希とは別に長門にもお礼を兼ねて何かしなくちゃいけないしな。これが一点。
 そして有希の目を盗んで用意をしなければならない、これが最大の難点でもある。
 俺と有希は俺の家で一緒に暮らしているから、ほぼ二十四時間共にいることになる。風呂も一緒に入るし寝るのも当然一緒だしな、あえていえばトイレくらいのものだが、これは有希さえよければって話が逸れた。
 とにかく四六時中俺は有希と共に過ごしているのであって、それはまったく苦痛ではないのだが、こういう時は少々やりにくいものなのだったな。
 まあ俺ごときでは有希に隠し事をしても隠し切れないのは言うまでもないのであるから、むしろ有希には積極的に意見を言ってもらいたいくらいなのだが。
「あなたがわたしに与えてくれるものは、全てわたしには宝物。どのようなものでも不満はない」
 などと言われてしまえば、その嬉しさと同時に済まない気持ちにもなってくる。どうしても有希に満足してほしいと思わないか? ここまで言ってくれる彼女にさ。
 しかし困難なミッションだ。何をあげても喜んでくれるってことは、逆に何をあげたら一番いいのかが分からないってことでもある。有希は嘘をつかないから、本当になんでもいいってことなんだよな。これは何気にハードル高くねえか?
 だとしても俺にも意地もあるし、何よりも有希の為なんだってことで、ここ何日かを有希との会話や観察によって少しでも欲しいものを知ろうとした訳なのであるが、
「…………ここまでとはなあ………」
 唯一一人になれるトイレで俺は独りごちた。別に有希の表情を読み取れなかったんじゃない、逆に満足してもらってることを実感してしまい、照れてしまう事この上ない気分なのだ。
 これでは本当に何を贈っても喜ばれるだけだよなあ。俺の頭では女性を喜ばせるようなセンスが無いことだけは再確認出来たけどな。
 かといって有希がやったような自分がプレゼントなんて、とてもじゃないが出来る訳がない。なにより男がやったら気持ち悪いだけだ、そういうアイデアはネジの外れた団長さんに任せておけばいい。
「さて、どうするか…………」
 これ以上入っていたら有希から不信感を持たれそうなギリギリまで、俺はトイレの中で悩むのであった。




 そんな感じで有希を気にしながらも時間だけは過ぎていき、何と放課後まで終わってしまったのだった。
 流石に平日なだけあって、古泉と打ち合わせを重ねた割にはハルヒ達にプレゼントを渡したのがあっさりとしたものだったのは少々残念だった気もするが。
「…………ホストはやりすぎではないかと思う」
 そうだな、朝比奈さんが泣くとは思わなかった。ところでこのネタを提案した古泉はハルヒから怒られていた、ある意味珍しいことである。そのままバイトに直行したのは自業自得であると言えるだろう。
 阪中にも渡したし、喜緑さんはわざわざ生徒会長の見えるとこで渡すはめになった。あれはどういう計算だったのかは尋ねたらえらい事になるだろう。
「あなたの判断は正しい、喜緑江美里は場合によってはあなたを拘束することも厭わないはず」
 そこまでして会長の気を引きたいなら自分から言えばいいのにな。
「……………あなたがそれを言う?」
 いや、人の恋路に口を出す柄じゃないさ。ただ巻き込まれたくはないけどな。
「…………そう」
 そういう事だ。まああの二人はあんな感じなんだろう。
 それよりも俺達だ、まだ有希に何をしてやればいいのか悩んだままなのだからな。帰り道もそれに気を取られてハルヒの機嫌を悪くしかけてしまった。古泉の奮闘を祈るぜ、だが、
「今日はこのくらいにしておいてあげるけど週末にはもう一回チャンスをあげるから、もうちょっとみくるちゃんも喜ぶような企画を考えなさい!!」
 などと一人でダメだしを食らったのだから勘弁してもらおう。どうやらもう何回かミーティングは必要なようだしな。
「あ、あの〜、あたしならもう気にしてませんから……」
「いいのよみくるちゃん、キョンにはもっとちゃんとした企画をやらせないとすぐに怠けるんだから!」
 散々な言われようだが、それも古泉のせいなのだから後で文句はあいつに言えばいい。とにかく解散は無事終わったのだった。明日からまた古泉の顔が近くによるのかと思えば憂鬱にもなってくるのだが。
「わたしがさせない」
 頼んだぜ、有希。小さな頷きは俺を安心させてくれる。それなのに応えてやれないのが歯痒いもんだな。
 すると有希は俯いてしまった。どうしたんだ?
「むしろ謝罪しなければならないのはわたし。あなたに余分な思考をさせ、涼宮ハルヒの機嫌を損ねてしまった。ごめんなさい……」
 しまった、これは俺が悪い。有希を喜ばそうと思って逆に負担をかけちまうとは。
「有希が気にすることじゃないぞ? 俺の方こそ有希の事考えてたはずなのに謝らせるなんて最低だ、すまなかった」
 二人だけになった帰り道で有希を頬に寄せる。大人しく寄り添ってくれる恋人は暖かくて柔らかい。
「謝らなくていい。わたしは嬉しかった」
 少しだけ微笑みのようなものが浮かんで見える。さっきまで俯いていたのにな。
「あなたがわたしの事だけを考えてくれている。それはわたしにとっての幸福でもある。わたしは、」
 間違いない。有希は笑ってくれた。
「何よりもそれが嬉しい」
 ……………そうか。俺が知る限りで最高の笑顔を見てしまったのだ、これは何か応えないと男じゃねえだろ。だから俺は携帯を取り出した。
「………なに?」
 いや、ちょっとな。履歴の一番上を押しながら言い訳を考える。
『………何?』
 ワンコールで取ったくせに挨拶もないのか。とは言わないが、
「すまん、週末に急用が入った…………ああ、今さっき電話があったからとりあえずお前には伝えておこうと思ってな」
「!!」
 ああ、驚かないでくれ。万が一でもあいつは気付くかもしれん。
「………いや、俺だって驚いてるさ。団長を最優先しただけでも感謝してほしいくらいだぜ。ああ、うん。分かってるよ、次回は俺が奢る。すまなかったな」
 思ったよりも上手くいったな、優先ってのが効いたのかもしれん。まあ次の奢りは怖いものの、通話が終わった時点で安心はしたな。
 しかし急に俺が行動したことが不思議だったろうな、
「……………何故?」
 当然のように訊いてくる彼女に、
「これで連休で一緒にいられるからな、まあ遅れてしまうけどホワイトデーだからいいだろ?」
 当然のように答えてやる。これくらいなら俺でも出来るんだよ、それでいいのかは分からないけどな。
「…………あなたに負担がかかる」
 奢りはいつものことだろ? 古泉あたりと話を合わせておけばどうにかなるだろうよ。
「ごめんなさい………」
 いいんだ、俺が何よりも有希と一緒にいたいんだからな。だからこれでいいか?
「…………ありがとう」
 こっちこそありがとうだ。有希がいてくれて感謝しかないからな。
「流石に家でゆっくりとはいかないけどな? ハルヒに見つかると厄介だ、ついでだから遠出しようぜ」
 そういうのもいいだろうな、まあ近場なら一泊も出来なくはないだろう。予算は……………土下座でもするか。
「何処に行くのも構わない」
 ああ、そりゃそうだ。
「あなたと共にいるのだから」
 それが一番大事なんだよな。俺もそう思うよ。
 だから俺は有希をそっと寄り添わせて。帰り道を週末の企画の予定を立てることに集中することにした…………








 ホワイトデーっていうにはお粗末なものでも、俺達にとっては楽しかったというだけの話さ。















「で、どこに行く?」
「……………温泉」
 ………ここから先は禁則事項だからな?