『SS』 ちいさながと そのに 16

前回はこちら

 文芸部室までの間、俺と有希は何も話さなかったがそれも今朝までのような重苦しいものではなかった。まあ開き直ったと言えばそうなるのだけれど、落ち込みすぎるよりは遥かにマシなのだ。
「…………大丈夫?」
 それはこっちの台詞だぜ。こう見えても結構精神的には丈夫な方なんだ、それもこれもあのヘンテコパワーの神様のおかげだがな。
「そう」
 ああ、俺は大丈夫だ。だから有希も気にするな。こういう時、古泉なら似合いそうだが俺には今二つばかり似合いそうも無い笑顔で有希に笑いかけた。
 そうこうしている間に部室の前までやってきた俺達だが、一応ノックだけはしなくてはならないだろう。ということでノックをすると、
「は〜い、開いてますよ〜」
 と天使のソプラノが聞こえたので着替えは終わっているのだと理解する。まあ着替えて無くても返事をする可能性も無くはないが。それならば有希が止めるだろうからドアを開けてみるのだ。
 まあ俺の心配は杞憂に終わり、いつものSOS団の光景が繰り広げられては………………………………いなかった。
 朝比奈さんがメイド服で給仕をしていて長門が窓際で読書をしている。そこまではいい、だがそこで古泉が朝倉と将棋を指していてハルヒがそれを覗き込んでいるとなると話は別だ。しかも奇妙なくらいに違和感が無い、まるで最初から朝倉も団員だったかのように。
「ああ、お体は大丈夫ですか? もしかしたら欠席かと思っていましたが」
 古泉の胡散臭い気遣いに答えようとしたら、
「遅いわよ! 授業なんかどうでもいいけど団の活動だけはきちんと来ないとダメじゃない!」
 という団長の一言で事情を察した古泉が肩をすくめた。まあそういう訳だ、将来を左右する授業の出欠よりも何の見返りも無いSOS団を優先しちまったってことだな。
「本当に大丈夫? さっきまで涼宮さんも心配してたんだけど」
「ちょ、何言ってんのよ! あたしはそんな…」
 朝倉の言葉に過剰に反応するハルヒを見ると、本当にこの二人が仲良くなったと思う。しかも朝倉の方が優位にすら見えるなんて意外すぎるよな。
 騒ぐハルヒを朝比奈さんが宥めるのを笑って見ている朝倉は本当に違和感なく溶け込んでいる。古泉も思うところはあるだろうが静観の構えのようだ、少なくとも表面的には上手く付き合っていられるのだろう。とにかく姦しい事この上ないのだが。
「まあいいわ、来たからにはちゃんと活動に専念してもらうからね! みくるちゃん、ボード用意して!」
 ふぁ〜い、と可愛く返事をしたメイドさんがホワイトボードを用意する。一体どうした、と訊くまでもなかった。
「それじゃ、朝倉涼子のSOS団入団試験の為の会議を始めたいと思います!」
 バンバンとボードを叩いているハルヒは満面の笑顔である。朝比奈さんと古泉がお義理のような拍手をしているが誰か状況を把握してるのか?
「おい、入団試験って何のことだ? しかも試験って言っておいて本人も参加ってのはないだろうが」
 多分ツッコミどころとしては違うような気もするが、訊かない事には始まらないような気もするんだよな。それにしても朝倉も何も言わなくていいのか? ニコニコと笑ってるけれども古泉の女版じゃないんだから。
「あら、せっかく歓迎してもらってるんだから嬉しいわよ? それでどうするの、涼宮さん?」
 気楽に訊くんじゃねえよ。ハルヒも嬉々としてマジックでボードを埋めていく。体力測定に筆記試験、面接に特技? どこの会社の面接だよ。というかそんなに厳しい基準があるのか、SOS団は。
「そうよ、あんたみたいに偶然入れたラッキーなヤツと違ってSOS団は敷居が高い少数精鋭主義なんだからね!」
 学校中に団員を増やすとか言ってたような気もするが気のせいだったか? と言うのも馬鹿馬鹿しいので黙っておくことにする。朝比奈さんが苦笑し、古泉が苦笑し、朝倉が微笑して長門と有希が無表情な中でハルヒの満面の笑顔の会議は続いたのであったが、
「そうね、せっかくだから不思議なものの一つでも見つけて欲しいところなのよね………………」
 と突然言い出した。嫌な予感しかしないのだが、肩の上の有希が頷いてしまったので予感は確信に変わるのだろう。
「うん! それでは涼子の試験は週末の不思議探索での実戦と言う事にします! 涼子、気合入れておきなさい!」
 このハルヒの宣言によって会議というか独演会は終了したのだが、要するに週末の面子に朝倉が加わるってことらしい。いいのか? と有希を確認しようとした時だった。
「あ………うん。楽しみにしてるね」
 変わらないように見えた朝倉が少しだけ表情を曇らせたように見えたのは気のせいだろうか? 俺だけがそう思っているだけなのかもしれないが、ハルヒは得意満面で他の連中も気付いた様子は無い。いや、長門だけは少しだけ視線を朝倉に向けたような気がした。有希もそうだ、これは俺が気付くくらいなのだから二人は分かって当然なのかもしれないが。
 だが確認出来る余裕もないままに通常の活動に戻された俺達は内心の焦りを隠して時間を過ごすしかなかった。古泉が何度か視線を合わせようとしたのだが、今回の件は話すわけにもいかない。訊くな、という意味を込めて一度だけ古泉を見れば肩を小さくすくめたので分かったのだろうと思う。あまりこういうアイコンタクトが出来て嬉しいもんじゃないけどな。
 そういう意味で言えば今一番アイコンタクトを取りたい相手は視線をこちらに上げてくれないのだがな。長門は会議の時は流石に遠慮していたのだが、今は本から視線を外そうとしなかった。もしかしたら俺達を無視しようとしていたのかもしれない、有希も長門に寄ろうとはしてないからな。
「不可視のフィールドが存在している、朝倉涼子も同様」
 やはり団活中は接触を拒否しているらしいな。心臓には悪いが我慢するしかないのだろうか、有希も動かない中で何も出来るとも思えないのだが。こうして時間だけが無意味に、無常にも過ぎてゆくのだった。俺は古泉と出してあった将棋をしていて、朝比奈さんはファッション誌を読んでいる。ハルヒと朝倉は二人でネットサーフィンである、共通で盛り上がる話題などあるのか、あいつら。
 やがて長門の本が閉じられる、その音を合図に、
「あ、もうそんな時間なのね? それじゃ帰りましょうか」
 余程朝倉との会話が面白かったのか、珍しくハルヒも時間を忘れていたようだ。そうさせる朝倉を流石だと言えばいいんだろうか? とはいえあまり調子に乗せないで欲しいとこなのだがね。
 と言う事で朝比奈さんの着替え待ちで男性陣二人と有希は追い出された訳なのだが。
「さて、どういうことかご説明いただけますか?」
 今回は随分といきなりだな、と笑ってないお前は無意味に美形だからやめておけ。そう言って窓際に背を預ける。
「あなたがまだそんな冗談が言えると言う事は事態を把握しているからだと思っていいのですかね? こちらとしては無意味な焦りで暴発しそうな意見を抑えるので精一杯なのですが」
 ……………分かってるよ、『機関』の都合ってやつなんだろ?
「ええ、朝倉涼子はあくまでイレギュラーな存在です。今のところ涼宮さんにとってマイナスだとは断言できませんが、今後どうなるかの保障は誰も出来ないのですから」
 古泉の言っている事は正論だ、ちょっと前の俺なら否応無く賛成しているところだろう。ちょっと前までなら。だが今は違う、肩の上の有希もそうだろう。
「昨日も言ったが、朝倉はそんなヤツじゃないぞ。多分ハルヒも分かってるはずだ」
「それも承知しています。けれど僕がいくら主張しても『機関』の総意ではないと言ったはずです」
 古泉の発言に不穏なものを感じ、俺は思わずそちらを振り返った。古泉は笑顔を消して、
「このままでは涼宮さんの暴発も可能性として考慮しなければいけません。『機関』としては朝倉涼子の真意を知る為にも接触機会を望んでいる、いえ、排除したいと考えています」
 無機質にそう言い放った。おい! その言葉の意味は何だ?!
「そのままの意味です、『機関』の上層部には未だ強硬論は根強いのですよ」
 僕はあくまで組織の一員ですからね、と言った古泉の忸怩たる顔はある意味で見たくはなかったな。それに現実的には色々とまずい。
「そうは言うが相手は朝倉だろ? 人間の俺達にどうにかできるとも思えないんだが」
「TFEIについてならば交渉も出来るという判断でしょうね。情報統合思念体からすれば些細な事でしょうし、まだ我々のバランスを崩そうとも思ってはいないでしょうから」
 ある一点においては『機関』の見立ては正しいといえるだろう。思念体は確かに長門達の気持ちなんか考えてないようだからな。だからって『機関』の連中にまで言われたくないぜ、そこまでお前らに好き勝手されてたまるか!
「僕としても不本意ですが、『機関』としての立場も理解出来るのです。僕らは何も説明されていませんし、これ以降どうなるのかは分からないのですから」
 一々ごもっともだ、古泉自身も懸念が無いとは言えないだろう。しかし説明など出来はしないし、俺だってまだこの先にどうなるのか分かってはいない。つまりは答えようもないのだが。有希の方を見ても小さく首を振るだけだ。
 ただし古泉にそう言っても納得することはないだろうが、俺としても他に言葉が見つからない。
「……………『機関』が動くまでまだ時間はあるのか?」
「ええ。ですがそこまで待てるというものではないでしょう。週末の不思議探索というのもありますから早目の行動に出る可能性は高いですね」
 確かに今の状態でハルヒと朝倉が長時間一緒にいる事を『機関』が容認するとは思えない。
「僕が分かっているのはここまでです。後はあなたからの説明があれば『機関』の方は抑えられるとも思うのですが」
 随分と俺の意見というものも影響があるもんなんだな、などと言ってもいられない。答えようも無いことでもあるから、というのもあるが実際に俺もどうすればいいのか分からないのだからな。
「…………週末まで待ってもらえないか? それまでには何とかなる、と思う」
 少なくともそう言って時間稼ぎをするしかなかった。俺の一存で決められる事でもないのだが、古泉相手に真実を全て言うわけにもいかない。苦し紛れに話を長引かせるしかなかったんだ。
「そうですか、何か根拠でもあるのですか?」
「根拠というか、勘に近い。少なくともハルヒは週末の不思議探索を楽しみにしている、それを妨げるようなものはハルヒ自身が望まないはずだ」
 無意識だがハルヒの能力が発動しないとは限らない、それは朝倉を救う手段として俺も頭に入れておかないといけないだろうな。それは古泉も感じていたのだろう、
「そうですね、涼宮さんの精神は高揚感はありますが概ね落ち着いています。あなたがそう言われるのであれば『機関』にも上手く説明は出来るのではないでしょうか」
 そうあってもらわないと困る。だがこれで制限時間を自分で設けてしまったのだ、内心は焦りまくっているんだぜ。
「すまんな、そっちは頼む」
「いえいえ、前にも言いましたが僕は『機関』の一員であると同時にSOS団の副団長でもあるのですから」
 これは貸しということなのだろうか? だがここは古泉を信じるしかないだろう。
「………………長門さんはお任せしますからね」
 そう言った古泉がニヤケ面を取り戻したのを見ると貸しも無くしてもいいんじゃないか? 大体そこに長門は関係無かったじゃねえか、と文句を言おうとしたら、
「お待たせー! さあ帰るわよ! 有希、今日は忘れ物ないでしょうね?」
 とけたたましく朝比奈さんを引っ張ってハルヒが出てきたので何も言えなかった。朝倉と長門が後に続く、二人に多少距離はあるが別に何か言葉を交わしたりはしていないようだ。
 古泉も如才無く加わったところで俺も帰るしかない。とりあえず最後に出てきた長門と話せないかと思ったら長門がすれ違いざまに、
「これを」
 と一冊の本を差し出した。これは?
「あら? どうしたの、キョンに本なんか渡して」
「面白い本を貸し出してほしいと依頼されたので探していた。先程まで読んでいたので保障できる」
 そういえば背表紙に見覚えがある。
「ふーん、キョンには難しそうに見えるけど………………まあいいわ、自ら知識を増やそうとするのは歓迎すべき事だしね。キョンもいつもマンガばかりじゃなくて有希のように読書に勤しむべきなのよ」
 お前には言われたくない、と言いたいところだがこれ以上ややこしくしてもしょうがない。俺は礼を言って借りるつもりもなかった本を受け取った。
「………………」
 ああ、分かってるよ。有希に言われるまでもなくヒントはこの中にあるのだろう。一々回りくどいのは仕方ないと諦めておくさ。
 それによって帰りは特段話す事も無く普通に帰宅することとなった。相変わらず朝倉とハルヒは話し込み、朝比奈さんが分かっているのか分からないままに相槌を打っている。その後ろを無言の長門が続き、俺と古泉が最後尾にいた。
「それで長門さんは何と?」
「わからん、だがどうにかなるんだろう」
 まだ本も開けていない、俺はそう言って古泉の追求をかわすしかなかった。
「わかりました、あなたにお任せするしかなさそうですしね」
 もう何度目か分からないが古泉は肩をすくめた。こっちもそうしたいが有希もいるしな。
 そうして長門のマンションの前で解散となり、朝倉と長門は結局一言も会話の無いままに同じマンションへと帰っていく。ハルヒの、
「それじゃまた明日ね!」
 と言う声を聞きながら俺は家路を急ぐのだった。まずは帰らないことには本も開けないからな。
 自転車を飛ばして家まで帰り、妹を振り切って部屋に飛び込んだ俺はネクタイを外すよりも早くカバンの中から本を取り出した。中身を確認せずに急いでページをめくる。
「246ページ」
 有希の言葉にページをめくると、予想していたものがひらりと落ちてきた。シンプルな栞を慌てて拾うと表面を見る。そこには印刷されたような明朝体で『午後7時、わたしの部屋で』とだけ書かれていた。あまりにもシンプルすぎないか? 
「連絡手段としてはこれしかなかった、喜緑江美里の監視はわたしも感じていた」
 どうやらそういうことらしい。それで朝倉も長門もそっけなかったってことか。有希も自重していたってことなんだな?
「そう。恐らくマンションへ呼ぶのも危険性は高いが、最適だと判断したものと思われる」
 まだ自分のテリトリーの方がマシだってことだろうな。それが分かればこっちとしても覚悟は決めておくさ。
「いいのか? 有希」
「………………行く」
 そうか。俺はまず着替えておくことにする。とりあえずは親への言い訳を考えておかないとな。



 そしてしばらくして俺は有希を肩に乗せ、長門のマンションへの道のりを自転車を飛ばしていたのであった。
 ここから話は一気に進んでしまうのだろう、週末までの時間を思えばそうならざるを得ない。
 俺は肩の有希を何度も見る。小さな恋人はその胸の中に何を思うのか、何も話してくれないままで俺の肩の上で遠くに視線を向けていたのであった……………