『SS』 ちいさながと そのに 8

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 初めに口を開いたのは有希だった。
「状況を知りたい。わたしに情報開示されなかった理由、及び朝倉涼子を再びこの次元へと創出した理由を問う」
 有希からすれば当然の要求だろう。同じ仲間だった喜緑さんから何も聞かされていなかったというのは有希からすればショックだし、朝倉復活などという重要な出来事が有希の頭ごなしに行われるなどとはあってはならないはずだ。
「俺も知りたいですね、何で朝倉がここにいるんですか?」
 俺達二人からすれば寝耳に水の話だ、これが誰の意図なのかで話は大分変わってくる。喜緑さんは当然のように頷くと、
「そうですね、あなた方から見れば一番の疑問はそこになるでしょう。簡潔に言えば、今回の件は情報統合思念体の意思に私の私見を交えたものとなっています」
 あっさりとそう言った。それが当たり前過ぎてこっちが戸惑う、思念体は何を考えているんだ?! 有希も返答出来ないままでいるっていうのに。
「…………情報統合思念体の意図とは?」
 有希の質問に、喜緑さんの返答は非情と言えるものだった。
「その原因は長門さん、あなたにあります」
「ちょ、ちょっと待ってください! 有希が何かしたって言うんですか?!」
 おかしいだろ、朝倉の復活の原因が有希だって言うのか? それはどういう事なんだ? 喜緑さんの言っている意味が分からない、俺は思わず大声で抗議した。 
 しかし喜緑さんは俺の言葉を無視するように有希に目を向け、
「あなたと、もう一人の長門さん。二人の長門有希がいるという状況に違和感はありませんか?」
「それは涼宮ハルヒの観察の為に必要な処置。情報統合思念体も容認していたはず」
 そうだ、長門有希がいなくなる状態をハルヒは納得するはずがない。だからこそ長門は消えなかったのだし、今もここにいるのだから。それを今更何を言ってるんだ、喜緑さんは?
「確かに涼宮ハルヒの観察という点ではそれでいいのですが、こちらとしてはインターフェースの管理そのものに支障が出る事は想定しておりませんでしたので」
 一々言い方が引っかかる。なんだ、このもやもやとした感覚は? まるで有希が………
「とにかく二人の長門有希が存在する、その為に私以外のバックアップが必要となり、朝倉涼子が選ばれた。そう思ってもらって結構です」
「それでも納得いきません! それなら他のインターフェースとやらで十分じゃないですか、そういうのが何人もいるって聞いてますよ?!」
 有希から聞いただけだが、そういえば古泉の『機関』もそうだが何人この学校内だけでも関係者がいるのか分かったもんじゃないな。にも関わらず、わざわざ朝倉を復活させる必要はなかっただろう?! 
「わたしも疑問に思う。バックアップならばあなた一人でも十分、朝倉涼子の存在は涼宮ハルヒにとってイレギュラーとなり、どのような影響を与えるか予想出来ない」
 有希の懸念も最もだ、さっきまでのハルヒの態度を見ていると閉鎖空間が出来ていなかったのか古泉に確認したくもなってくる。だが、喜緑さんの表情は変わることもなく、
「その点については私の私見です。先程そう言いましたが?」
 やはりとんでもない事を言い出した。俺と有希は思わず目を見開いた。何を言い出したんだ、この人は? 
「理解出来ない。情報統合思念体の意思に一インターフェースの私見などというものが介在出来る事など不可能。何よりも喜緑江美里、あなたに自己意識による私見というものが存在するという事実が不可解」
「私もそれなりに成長しているとお考えください。いえ、これが記憶の蓄積による思い出を追う、という行為なのかもしれませんね」
 喜緑さんの言葉の後半の意味が俺には理解出来なかった。いや、有希には分かったのかもしれない。その証拠に俯いた有希の顔は暗く沈んでいた。その喜緑さんは有希から視線を俺の方に移し、
情報統合思念体のバックアップが必要という意思に朝倉涼子の再構成を申請したのは私です」
 今度は俺にも分かるくらい、はっきりと喜緑さんは言った。自分が朝倉涼子を復活させたと。聞いた俺の耳がおかしくなったんじゃないかと疑いたくなる、と同時にあの狂気を孕んだ朝倉の瞳が蘇る。
「何やってんだ、あんたっ?! 何であんな奴がまた出てこなきゃならねえんだよ!」
 相手が誰だろうと関係なかった。本能的に俺は椅子を蹴倒すように立ち上がり、喜緑さんに向かって叫んでいたのだった。あいつは、朝倉涼子は俺を殺そうとした、いや、一度俺は殺されていた。あの冬の日に突き刺さった脇腹の痛みは、嫌でも脳内に染み付いちまっている。それなのに何故またあいつはここにいるんだよ?!
 正直に言おう、この時ほど俺は喜緑さんが憎いと思ったことはない。有希や長門の味方だとばかり思っていたのに、ここで裏切られた。有希の親玉である情報統合思念体も含めてこっちの都合なんかお構いなしなのかよ! だが、喜緑さんは俺の怒りに対して冷酷なまでに平静な声で答えたのであった。
「あなたには申し訳無いとは思います。しかし、私は私の意志により朝倉さんを再構成させました。それは長門さん? あなたならば理解していただけるはずですよね?」
 まさか? 有希がそんな事を許す訳がない、俺は思わず有希を見やる。そこにいたのは、
「………………」
 打ちひしがれる恋人の姿であった。あの長門有希が、何も言えずに俯いたままで悲しみを瞳に湛えているなんて。頭の中が真っ白になった、こんな事態になるなんて想像出来た訳ないだろ…………
「有希…………」
 何か俺にも出来ないか、そう無意識に有希に手を伸ばす。
「わたしは……」
 だが有希の声に手の動きが止まった。
「わたしは、喜緑江美里の言う事が理解出来る」
 衝撃的な一言に俺は愕然とした。有希は、有希は朝倉が居ることに反対はしないっていうのか?! 
「ふざけんな! あいつは俺を殺そうとしたんだぞ?! 何でだ、お前はそれを止めてくれたんじゃねえのか!」
 一瞬で頭に血が上る。長門は、有希はあの時も俺を守ってくれた。それなのに今度は朝倉を庇うのか? 分からない、分かりたくもない! 俺は思わず小さな有希の体を掴みかかった。
「落ち着きなさい! あなたは何をしようとしているのですか!」
 冷水を浴びせたような喜緑さんの声に我に返る。その時、俺が見たものは。
 握り潰さんばかりに有希の体を掴んでいる俺の右手だった。有希は何も抵抗せずにされるがままになっていたが、それが余計に自分のやった事の重大さを表しているようだった。
「あ…………す、すまん!」
 慌てて有希を降ろしたが後悔の念だけが圧しかかる。有希は表情を変えていないが、何て事をしてしまったんだ、俺は…………
 最低だ、有希も同じ様に悩んでいたはずなのに俺は自分が怖いだけで有希にまで当り散らすなんて。有希には頼ってばかりなのに俺は有希の話を聞くどころか、カッとして彼女を傷付けようとしてしまった。
 どうしようもないくらい後悔している俺を、有希は肩の上に飛び乗って抱きしめてくれた。
「いい、気にしないで。あなたの気持ちは理解しているから」
 そんな事を言われても、やってしまった行為は取り戻す事は出来ないんだ。だから許してくれだなんて言えない。
「あなたの不安や恐怖は理解出来る。でも聞いて。わたしが喜緑江美里の話を理解出来る、それはあなたがわたしに教えてくれた事」
 ………………何だって? 有希が朝倉が居る事を納得するのは俺のせいだって言うのか?! 益々理解出来ない中で、有希は静かに語り始めた。
「あなたは、わたしに思い出というものの良さを語ってくれた。そしてわたしと喜緑江美里には朝倉涼子との思い出がある」
 それは俺も知らない、きっと三人だけで過ごした時間の話なのだろう。喜緑さんが有希の言葉に頷いた。
「わたしにとって、それは消去出来ない記憶。彼女と過ごした時間は、あなたと過ごす時間と同様にかけがえの無いものとして認識しているから」
 きっと、ハルヒが北校に入学するまでの三年間の事に違いない。俺は朝比奈さんと寝ていたのだが、その間も朝倉を入れた三人は自分達だけで過ごしていたのだろう。それは当時の感情を表せなかった有希にとっても楽しかったと思い出せるものだったのだろうな。
 それなのに、有希は俺を守るために朝倉を消してしまった。自らも傷つきながら、自分自身の手で。そして喜緑さんはそれを止める事も、見る事も出来なかったのだから。
「ですから私は、朝倉さんが再構成出来る機会があるのならば優先して叶えます。たとえ多少の不利益になろうとも、私は朝倉涼子にここに居て欲しいのですから」
 喜緑さんは決意を込めて言い切った。有希も静かに頷く。
 俺はというと、二人の決意に押されていた。確かに朝倉への恐怖が無くなったなどとは口が裂けても言えないが、有希の事を思えば一人逃げ出そうなんて出来るもんじゃない。むしろ俺が朝倉と話す事によって有希が安心してくれるのならば………………………怖いなんて言ってられないだろう。
 自分の中で決心さえしてしまえば、後は朝倉本人と話せるかどうかだろう。それは有希もいるんだ、頼るって訳じゃないが万が一の時はどうにかなるだろう。そう思えば少しは気が楽になったような気がする。
 しかし有希の次の言葉で、俺の決心も吹き飛ばされてしまうのだった。
「……………彼女は、知っていたの?」
 彼女? 朝倉、じゃないな。だとすれば、
「はい。ダミーは、長門有希は今回の件を全て承知しています」
 喜緑さんの言葉は有希と俺に最大級の衝撃を与えたのであった。何故だ? あの長門は知っていて有希に伝えていなかったっていう事なのか? 
「喜緑さん、それはどういう………」
 俺が話そうとした瞬間に昼休みを終わる予鈴が鳴り響いた。
「……………ここまでですね、後は長門さんに聞いてください」
 喜緑さんは静かに立ち上がった。授業には遅れないでくださいね、そう言い残して部室を後にする。
 結局弁当は蓋を開けることも無く俺の手に下げられていたのだが、そんな事を気にする余裕など無かった。
「………………何故……………?」
 肩の上で悩む有希と同じく、俺も長門にどう話せばいいのか、という事だけに思考を奪われてしまっていたからだ。
 教室に戻れば朝倉が待っている。その事すらも忘れて俺達は長門の事を考えていた。ダミーなんかじゃない、俺達の長門有希は一体何を思っているのかを……………