『SS』 長門有希の焦燥 4

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「無事かって聞くまでもないな? 長門、怪我は治せそうか?」
 たった一日なのに懐古の念を持ってさえ聞こえる彼の声。わたしの状態を憂いた声色に自らの状態を鑑み、インターフェイスの損傷を検索する。
「…………修復は不可能。わたしは全能力を朝倉涼子との戦闘に使用した為にこの身体を修復する事は出来ない」
 結論を出すまでも無い、わたしはそれを承知で朝倉涼子と対峙したのだから。
「バカヤロウ! 簡単にそんな事言うんじゃねえ!」
 彼の怒鳴り声がわたしの耳朶を打つ。怒っている、彼が。わたしは当然の行動をしていたはず。
「何でも一人で抱え込みやがって……………」
 彼の瞳に薄く浮かぶ水分。涙腺が開いている。あれは……………何? わたしは完全に場違いな疑問を浮かべる自分のエラーに困惑を覚えた。
 しかし彼は唇を噛み締め、
「諦めるな、まだ何とかなる!!」
 そう言うとわたしを抱え上げた。彼に血痕が付く、わたしは何故かそのような思考を巡らせた。
「そんな事気にする必要ねえよ、とりあえずあいつから離れるぞ!」
 わたしを抱えたまま駆け出そうとする彼に、
「いきなり現れて何のつもりかしら?!」
 朝倉涼子が襲いかかろうとする。わたしにはそれを防ぐ手段は無い。また彼を危険な目に巻き込み、彼の死を見ろというの?!
 わたしは彼から離れ、迎撃の態勢を取ろうとする。しかし彼はわたしを降ろそうとはしない。
「………………駄目!」
 わたしは彼から強引にでも離れようと、
「大丈夫だ、長門
 彼の声が聞こえ、朝倉涼子の攻撃は突然現れた何者かに防がれた。シールドを貼り、わたし達を守ったあれは誰? 北校の制服を着たわたしのデータベースには認識されていない女性体は、わたしと同様の能力を発揮している?
「遅れて申し訳ありません」
 シールドを維持している女性は落ち着いた様子で朝倉涼子の攻撃を受け止めていた。彼女はわたしと同じ存在なのだろうか? 情報統合思念体が我々以外のインターフェイスの情報をわたしに伝えないはずはないのだが。
「どうやら情報封鎖を施されているのは間違い無いようですね。安心してください、少なくとも私は味方です。後で説明はいたしますけど」
 情報封鎖? わたしが何らかの記憶を操作されているというのか? わたしの記憶中枢に異常は…………………
「喜緑さん!」
「こちらは私が抑えます、まずは長門さんを!」
 喜緑? 彼の言った名前にわたしは覚えが――――――――――


 脳内で記憶がフラッシュした。


 そう、わたしは彼女を知っている? 何故? 一度も会った事の無いはずの彼女は、
「喜緑……………江美里?」
「分かるのか、長門?!」
 見覚えの無い女性の名前をわたしは確実に知っている。それは記憶が混同しているから。わたしの記憶に無い記憶が確かに存在している。
「チィッ! 余計な事を!!」
 データ以外の情報にわたしが違和感を持っている間も、朝倉涼子の攻撃が襲い掛かる。空間を操作した朝倉涼子は攻撃因子を結晶化してわたし達を消滅させようとする。
「死になさい!!」
 高速で結晶は空間を走り、わたしは成す術も無くそれを見るしかない。
長門!!」
 彼がわたしを庇うように覆い被さる。駄目、あなたまで!
「させません!」
 喜緑江美里のシールドが展開し、結晶が空中で崩壊してゆく。高密度のシールドは喜緑江美里の能力の高さを示していた。これほどの能力を有したインターフェイスがいたとは、そしてわたしがその存在を認識していなかったなどという時点で異常なのだろう。
 確かにこの世界は狂っている。朝倉涼子の独走、喜緑江美里の存在、そして彼の死と、何故消えた彼がここにいるの? わたしの今の状態では判断出来ない。外部情報が大量過ぎて記憶と差異が有り過ぎる、わたしはそれを処理し切れないでいた。
 だが事態は切迫している、朝倉涼子の攻撃は厚みを持って喜緑江美里のシールドを攻撃していった。
「結構やるじゃない!」
「紛い物に遅れを取るような事はありませんから」
 また喜緑江美里が謎の言葉を発した。紛い物? 朝倉涼子が? 思考が混濁する。
長門! しっかりしろ!!」
 彼の声で思考を中断する。先程から庇うように抱きしめられている彼の温もりが、わたしの意識を繋ぎとめていた。
「でも役立たずを二人も抱えながらいつまでそうしていられるかしら?!」
 朝倉涼子が接近してくる。腕を変化させ、喜緑江美里に接近戦で接触する。シールドに抵触するたびに閃光が走り、喜緑江美里が衝撃を支え続けていた。
「ほらほら、守ってるだけじゃどうしようもないわよ!」
 朝倉涼子の攻勢は凄まじい勢いであり、喜緑江美里はわたしと彼を庇っているため守勢一方だった。このままではいずれシールドも破壊されるだろう。わたしには何も出来ないの? しかし自己再生すら覚束無い現状においてはわたしは無力でしかなかった。
 彼に守られ、喜緑江美里に守られ、自らは生命の維持すらも危うい。わたしは己の無力さに絶望さえ覚えた。駄目、せめて彼だけでも助けたい。
「…………確かに長門さんだけのものとは言え情報統合思念体は侮れないという事ですか。あなたの能力を過小評価するつもりもありませんしね」
 シールドを多岐に展開して朝倉涼子の攻撃をかわしながら喜緑江美里は呟いた。そして彼を見やり、
「そういう事なので早めにお願いしますね」
 笑顔でそう言ったのだが、どういう意味なのだろうか? しかも彼も慌てて、
「え、えーと、やっぱりあの方法しかないんでしょうか? 俺には少々以上にハードルが高いというか何と言うか………」
 先程とは違い、体温、心音共に上昇。顔色が赤い、発汗もある………………何故? わたしを抱きしめる腕にも自然と力が入っている。
「事態は切迫していますので手段を議論する余裕はありません」
「ならなんで他の方法が無かったんだよ?」
「余所見してる場合じゃないわよ!!」
 彼と喜緑江美里の会話を遮るように朝倉涼子が突撃した。シールドがそれを防ぐが、喜緑江美里は勢いで数メートル飛ばされた。
「喜緑さん!!」
 彼の叫びが木霊するが、
「なんでしょう?」
 何事も無かったように立ち上がる喜緑江美里。しかし、
「さすがに拉致が開きません、お願いですから早めにやっちゃってください」
 口調は変わらないが状況の悪化は避け得ない。喜緑江美里の能力を持ってしても朝倉涼子の攻撃を受けるには限度があることはわたしからみても理解出来た。
「させないって言ってるでしょ?!」
 朝倉涼子が腕を振ると空間に結晶が浮かぶ。そして的確にわたし達に向かい降り注ぐ! 目前まで迫ったそれを高速移動した喜緑江美利のシールドが防いだ。だが、
「そこっ!!」
 その間を突いて朝倉涼子の接近打撃が喜緑江美利に!
「くっ!」
 寸前で防ぎながら朝倉涼子をシールドの反発で弾き飛ばしたが、制服の袖が裂け、血が飛んだ。一瞬の差で間に合わなかった?! 
「流石に…………少々不利なようですね…………」
 傷口はすぐに再生したが、最早喜緑江美里に余裕の笑みは無い。彼に向けた視線も真剣さを増し、
「早く! 私が支えている間に!」
 シールドの展開を広範囲に保ち、朝倉涼子の放つ結晶の槍を防いでいる。
「あー、ちくしょう! 俺が迷っててどうするんだ!!」
 彼は自棄気味に頭を掻くと、
「いいか長門、俺は喜緑さんからお前の能力を開放する鍵っていうのを預かっている。それを今からお前に渡す」
 口調は乱暴ながら真実を告げているのだろう。わたしの能力を開放する? その鍵とは何なのだろうか?
「あー、だが、その鍵を渡すに際してだな? お前は俺がいいと言うまで目を閉じていて欲しいんだが。いや、何かする訳じゃないぞ?」
 彼が言うのならばそれに従おう。喜緑江美里が処置をしているのであれば恐らくこの状況を打破出来る手段であると判断する。
 それに、わたしにはもう残された手段も時間も無いのだ。このままではインターフェイス体は生命活動を停止してしまうだろう。
「………わかった」
 わたしは目を閉じた。視界が闇に覆われる、そして彼が覚悟を決めたのか、
「いくぞ、長門
 その声と混じるように喜緑江美里の呟きがわたしには聞こえた。
「………長門有希は未だ眠っている」
 抱きしめられている彼の気配がより密着した。顔がわたしの顔に近づいている?
「眠りの姫に目覚めを。それは王子の役目、扉は一つではない……」
 視覚が遮断され、何も見えないわたしの唇に感触がある。それは柔らかく、優しく、熱い。
 彼の呼吸と心音を感じ、唇の感触の心地良さに心を奪われそうになる。これは…………彼の…………
 


 わたしの思考が唇の感触に捕らわれたその瞬間だった。


 全ての記憶がフラッシュバックされる。彼、喜緑江美里朝倉涼子涼宮ハルヒ、SOS団、全てがわたしの中で一つに繋がってゆく。
「な、長門?!」
 そしてわたしの肉体が自己再生されてゆく。情報統合思念体とのコンタクト成功、情報操作能力解禁。そう、これがわたしのスペックだったもの。
 全ての事が理解出来た。わたしは再生された身体を起こし、彼はわたしをそっと離してくれた。
「もう大丈夫だな?」
 安堵を含んだ彼の視線に、わたしは頷いた。もう大丈夫、わたしは立ち上がり、朝倉涼子らしきものに視線を送った。
「………何をしたの?」
 朝倉涼子の額に汗が浮かぶ。否、あれは朝倉涼子ではない。
「返してもらいました、私達の長門さんを」
 喜緑江美里の顔に笑みが戻っていた。その彼女と視線を交わして情報の交換を行う。今までわたしが捕らわれていた檻からの開放、その為に彼女はいるのだと。
「…………まさか、ありえないわ!」
 朝倉涼子の突撃を、わたしは自ら展開したシールドで防ぐ。
「!!」
 驚愕に目を見開く朝倉涼子を吹き飛ばした。壁に激突する朝倉涼子。しかし無傷で立ち上がり、
「やってくれるわね、長門有希!」 
 その暗い笑みを湛えた表情は、間違いなく彼女が朝倉涼子ではない事を証明してみせていた。
 わたしは彼に向き直る。展開の速さに呆然とする彼に、
「この状況を打破する。朝倉涼子を倒し、ここから脱出する。わたしは全能力を開放する、許可を」
 あなたがいてくれるから。だからわたしは戦える。
 すると彼は笑いながら、
「やっちまえ長門、あんな朝倉なんてあっという間に倒せるだろ」
 その声がわたしの力となる。わたしは彼に背を向け、睨みつける朝倉涼子に向かい合った。
「…………了解!」
 今度こそわたしは勝利する。今度こそわたしは彼を守る。
 わたしは朝倉涼子に再度対峙したのであった………………