『SS』 彼と彼女の密かな事情 中編

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「くっ!!」
 最早朝倉涼子に先程までの余裕は無い、大きく手を振ると空中に結晶体の槍が浮かび上がった。その数は空を多い尽くすほどに。
「ありえないわ! 喜緑江美里!!」
 豪雨のごとく降り注ぐ蒼い結晶、それは僕の頭上にも! しかし逃れる術はない、
「諦められても困ります。まったく、一々面倒ですね、あなたはもう少し生に執着してもよろしいのではないですか? どうせ短い生命活動時間なんですから」
 僕のすぐ真上で繰り広げられる破壊的パノラマにも微動だにすることも無く喜緑さんは僕を見ていました。
「すいません、それなりに覚悟というものがあるんですよ」
「それは閉鎖空間だけにしておきなさい、自虐と覚悟は似て非なるものです」
 まさか宇宙人に説教されるとはね。
 …………それに自虐か、確かに僕には自分を大切に思う気持ちは薄いかもしれない。組織の一員として、作られたキャラクター古泉一樹として、僕はここにいるのだから。
「それでもあなたは必要なのです。今のあなたは、ですが」
 そう言ってもらえるとはね。
「では喜緑さん、お任せしてよろしいでしょうか?」
「無視するんじゃないわよ!!」
「……当然です」
 会話の間隙を突くような朝倉涼子の一撃を軽く受け止めながら、喜緑さんは面白くも無さそうに呟きました。
「あなたにも少々言いたい事がありますので」
 再び吹き飛ばされる朝倉涼子。それを見やる喜緑江美里の瞳には今までにない色が浮かんでいました。何だ?
「私には言う事はないわよっ!!」
 まだ土煙が立ち込める中を切り裂くように朝倉涼子が飛び出してきた! その腕が再び槍状に形成されている、あの形態が彼女の攻撃パターンのようだ。
 僕の目にすら残像でしか見えないほどのスピードで繰り出される腕を最低限の動きで避け続ける喜緑江美里は格闘技を経験している人間からすれば究極とも言える動きでしょうね、一寸の見切りというやつですか。
 しかもまだ彼女には余裕さえある、それもポーズなのだろうか? 
「攻性情報を集約しましたか」
 かわし続ける喜緑さんの背後から槍が突き出てきました! だが予測されていたのか、槍は直前で崩れていく。
「なかなかやりますね、少し危なかったです」
 その割には表情は微笑みを浮かべていますがね。あれではからかっているようです、朝倉涼子もそう思ったのでしょう、
「まだ私の方が有利なのよ? そこまでバカにされる必要はないわね!!」
 攻撃の速度が上がっていく。段々とかわす喜緑さんの動きも余裕が無くなってくるように見えた。
「ほらほら! まだ上がっていくわよ!!」
 全方向から空間に槍が発生し、一斉に喜緑さんに襲い掛かった。その悉くがきらめく光の粒となって彼女の周りを彩ってゆく、それは幻想的にすら見える光景でした。
 しかし先程から疑問があります。それは喜緑江美里の側からの反撃がまったくないということです。確かに朝倉涼子の攻撃は激しく、それを受け止め続けるだけでも精一杯とは思えますけども。しかしあの喜緑江美里である、これは大人しすぎないか?
 何度目かの爆発と、雪のように降り注ぐ結晶のかけら。一体この空間内にどれだけの結晶が飛び交っていたのか最早分からないくらいです。それを僕は後方で見る事しか出来ませんが、その僕の足元にすら結晶の粒は降り積もりつつあるのですから。
「どうしたの? 何もせずに立っているだけじゃ押し込まれるわよ!!」
 確かにこのままでは埒が明かないでしょうね、持久戦でどうにかなる保障があるようには見えませんけれどインターフェース同士の戦闘時間というものはどうなっているんでしょうか?
 黙って攻撃を受けている喜緑さんの表情はまったく変わらないところを見れば策が無い様には見えませんが、この状況が好転するような感じでも無さそうですけれど。
「持久戦? この私の情報制御空間内でそこまで持たせる訳ないでしょ!!」
 その通りだ、接近戦と遠距離からの槍とを同時に繰り出す朝倉涼子からは疲労などは見受けられません。それどころか勢いは増していく一方です、流石の喜緑さんも危ないのではないかと、
「持久戦? この私がそのような非効率的な行為に終始するとでも?」
 その笑顔は、僕の知るある人物が浮かべるそれに酷似していました。笑顔なのですが、恐怖を感じてしまうという。あの朝倉涼子が一瞬動きを止めてしまうほどなのですから笑顔も凶器となるのですね。
「ふうん、随分と自信があるようね? まさか防御が出来ればどうにかなるなんて思ってないわよね!」
「思いませんよ。むしろあなたが優位だと思っているのが油断なのです」
 どういうことだ? 状況は圧倒的に朝倉涼子が優勢だ、今は余裕を持って防いでいる喜緑さんもどうなるか分からないとすら思っていたのに。
「強がってる場合じゃないわよ!!」
「そのような虚勢などに興味はありません。現実的に現状を評価しての発言です」
 これは完全に挑発ですね、何を考えているんでしょうか? 何よりも挑発などという人間的な行為がTFEIである朝倉涼子に通用するとは…………
「面白いわね、この状況を何とか出来るならやってみたらいいじゃない!!」
 まさかとは思いましたが、見事にかかっていますね。不思議なくらいに彼女は人間らしく感情が豊かに思えます、長門さんよりも遥かに。もちろん彼に言わせれば長門さんも感情を表すようになってきているようですが。
 その言葉を裏付けるかのように、朝倉涼子の両腕が槍状になって喜緑さんを貫こうとする! 先程と同じように紙一重でかわし続ける喜緑さん。だがその動きははっきりと分かるほどに大きくなっている、余裕が無くなってきているのか?
「ほらほら! このままだと後が無いわよ!!」
 未だ降り止まない結晶の雨の中を朝倉涼子の繰り出す腕をかわし続ける喜緑江美里。ここに至っても反撃の気配は無い、接近戦での余裕は既に無くなっているにも関わらず。
「!!」
 ついに朝倉涼子の槍が喜緑さんの頭を掠めた! 髪留めが宙に舞い、髪の毛が何本がはらりと落ちるのが僕の位置からでも見える。
「喜緑さん!!」
 反射的に体が飛び出そうとする。何の力にもなれないのは承知の上だが、それでも囮にはなれるはずだ! 
「わざわざ死にに来るなんて、本当に人間の思考パターンって分からないわね」
 あの混戦の中でも僕の動きは捉えていたのだろう、朝倉涼子は僕が走り出したと同時にこちらに向けて襲い掛かろうとする! 少しでも喜緑江美里から注意を逸らせれば何とかすると信じるしかない!!
「これでお終いね!」
 朝倉涼子が腕を一閃する! 接近戦ではなく空間からの攻撃か?! 

 …………だが、そこには何も生まれなかった。あれほどまでに空を埋め尽くしていた結晶の槍も全て消え失せていたのだ。

「そんな?! どうして?」
 朝倉涼子の絶叫が空間内に木霊する。この部屋全体を覆いつくさんばかりの結晶の粒さえも今は綺麗に消え去っていた。
「かつて長門さんはあなたからの攻撃を受ける事により、接触時に攻性情報を直接注入するという手段を取った事がありますね」
 いつの間にか、喜緑江美里朝倉涼子のすぐ後ろに立っていました。
「ですが、それは緊急手段であったからこそです。本来ならば情報操作であなたに負けるはずがありません」
 淡々と、冷酷なまでに。
「言ったはずです、私は既に準備は済ませていたと。それはこの学校内全てに私の情報制御を構築していたという事です」
「!?」
 そんな事が! それならば長門さんが気付かないはずが、
「あくまでもエマージェンシーに対応した場合ですけれど。まあこのような事態が無い事を願っていましたが、私は慎重にいきたいのです」
 …………改めて恐るべしと言わざるを得ませんね。我々が涼宮さんたちと共に過ごしていた時間に、彼女は黙々とここまでの仕掛けを作り上げていたというのですから。
「ですから朝倉さん、あなたの情報制御空間は私の情報制御空間内に作られたスペースに過ぎないのです。後は徐々にあなたの攻性情報を解析して、その構成を私の空間に同調させていけば良かっただけなのですよ」
 つまりは喜緑さんは攻撃を受けながら、その情報を取り込んでいたということか? 外から徐々に朝倉涼子の空間を締め付けていった、という形なのだろう。
「……………信じられないわ!」
 朝倉涼子が喜緑さんに振り向きざまに襲い掛かる。しかし、その腕は変化をする事もなく、ただ殴りかかったようにしか見えなかった。
「なっ?!」
 喜緑さんは簡単にその拳を受け止めると、
「正直に言いましょう、あなたと私には個体のスペックとしての差はほぼ存在しません」
 寂しそうに、悲しそうに。朝倉涼子の動きを止めた喜緑さんは静かに話し出しました。
「ですが、あなたの言った通りなのです。朝倉涼子が消えてからの一年で私はここまでの準備を終えました、全ては変化してゆくのです」
 朝倉涼子の手を放す。さっきのように吹き飛ばした訳ではない、だが彼女はバランスを崩して尻餅をついた。まるで力無く、ただ突き飛ばされたように。
「……………このようにですね」
 喜緑さんが右手を上げ、指を一度鳴らした。
「ああっ!!」
 すると、朝倉涼子の作り上げた空間が壊れてゆく。そう、神人を倒し、閉鎖空間が消えていくように。空間が裂け、そこから新しい景色が生まれていく。それは僕が見慣れている光景、つまりは全てが終わったという証なのでしょう。
「あ、あ、ああ……………」
 もう朝倉涼子には反撃どころか、叫ぶ力も無いようだ。ただ呆然と自らが作り上げた空間が崩れゆく様を見つめている。
 それを見つめる喜緑江美里もまた悲しそうに、
「あなたは…………取り残されていたのです………それすらも理解出来ないままに」 
 静かに呟いたのでした……………