『SS』 ちいさながと・お月見

 俺と小さな恋人長門有希の周りには所謂知り合いと言える人物は多い。SOS団などは知り合いと言うよりも運命共同体の体を成しつつあるが、それ以外にも関係者が増えていっているような気がする。
 そんな中で俺達に密接した関係者の代表といえば今ならこいつだろう。
「ねえ、ちょっとこの後予定あるかな?」
 いつもの放課後のSOS団の活動を終えた俺と有希は古泉の話に適当に相槌を入れながら団員揃って帰宅の途に着いていた訳であるのだが、先頭をハルヒと朝比奈さんと共に歩いていた朝倉がいきなり声をかけてきたので多少驚いて足を止めたのだった。ちなみに朝倉は別にSOS団に入った訳ではなく、たまに時間があれば部室にやってきてハルヒの話し相手になるようになっただけだ。要するに準レギュラーといったポジションで、鶴屋さんのような立場なのだ。まあ、鶴屋さんよりも頻繁に訪れては来るのだが。
「それは僕に対してですか、それとも彼にですか? 二人に、という事でしたら僕は予定はありませんけど」
 隣の古泉がいつものスマイルで対応したのだが、
「ごめんなさい、今日はキョンくんだけになのよ。古泉くんにはまた後で話があるかもだけど」
 朝倉は少しだけ申し訳なさそうに手を上げると、どうかな? と今度は俺に訊いてきた。この後の予定と言われてもいつも通り帰って有希と静かに過ごすだけだから別段用事などは存在しない。残るは俺の肩の上に乗っている恋人のご機嫌次第といった所なのだが、有希は朝倉の言葉に軽い頷きで答えたようだった。
「別に予定などはないから何か用があるなら付き合うぞ」
 有希の許可が下りたことは朝倉も解っているので、
「そう、それなら、」
 と話を続けようとしたのだが。
「ちょっと待ってもらえますか。朝倉さんの用件と言うのは彼だけに聞かせる内容のものなのでしょうか? その、出来れば涼宮さんが聞いてもいいのかだけでも……」
 いきなり古泉が口を挟んできたので何事かと思ったのだが、朝倉は苦笑して、
長門さんもいるから大丈夫よ、涼宮さんには内緒だけど」
 そう言うと後で電話するね、と言ってハルヒ達の会話に戻っていってしまった。残された俺と有希は朝倉の勢いに押されたようで意味が分からないままなのだが、それは古泉も同様だったとみえ、
「一体何の用なんでしょうかね」
 訊かれてもこっちも困る。まったく身に覚えは無いし、有希も小さく首を振った。
「知らん、だが長門もいるというからには大丈夫な範囲なんだろう。宇宙人二人がかりで解決できないような事件なら俺よりもお前に話が行くだろうからな」
「だといいのですけど。朝倉涼子の意図は分かりませんが、涼宮さんをあまり刺激しないようにはしてもらいたいものですね」
 お前も大概心配性だな、長門もいるからって言ってるじゃないか。
「それでも、いや? それだからこそ、なのかもしれないのですけど」
 意味不明な事を言って肩をすくめるな、そして何故に有希は分かったように頷くんだよ?
「あなただから安心しているが、あなただから心配」
 よく分からん。とりあえずは朝倉の頼みを聞かなければ、それもそれで面倒な気もするので相手をするだけだ。
「出来れば穏便にお願いします。聞かせてもらえるようなら後ほどお話ください」
 ああ、出来ればそうするさ。言っている意味は分からないまでも古泉としては気を使うところなのだろうからな。ハルヒのお守りも大変なもんだと同情もしてやろうというもんだ。
 こうして朝倉から謎の予定をスケジュールに入れられて俺は解散してから家へと戻ったのだった。




「で、結局朝倉が何を言いたかったのか分かるか?」
 着替えてから一応有希にも訊いてみたのだが、何も知らされていないようだった。
「けれど朝倉涼子なら問題無い。もう一人のわたしも何も知らないようだった」
 それでも心配ないと言うのだから本当に大丈夫なのだろう。
喜緑江美里からというのなら心配していた」
 それについてはコメントを差し控えさせていただく。とにかく後は朝倉からの連絡待ちなのだろうと思っていたら携帯が鳴り出した。どこかにカメラでも設置されてるんじゃないかと本気で不安になりながら電話に出れば、
『あ、キョンくん? 用意が出来たなら私達のマンションまで来てくれないかな? とりあえずは私の部屋のインターフォンを鳴らしてくれればいいから。それじゃ、待ってるね!』
 もしもし、の挨拶も無しに一方的に用件だけを告げた電話は返事を挟む間も無く切れていた。何なんだ、この性急さは。それとも朝倉ってこんな奴だったのか?
「少なくとも再構成前にはこのような事は無かった」
 ああ、それなら間違い無くハルヒの影響だな。まったく、友達は選んだ方がいいぞ。とはいえ予定が無いと最初に言ってしまった手前、今更行かないなどと言えばまた刺されてしまうかもしれないのでおっとり刀で身支度を整えた。
「それじゃ行くか」
 右肩の上という定位置に既に着席している恋人に一声かけると俺は自転車を漕ぎ出した。
朝倉涼子との会話の終了時から計算した我々の行動予定時間から逆算すると、予定よりも二分四十秒オーバー。急いだほうがいい」
 そんなに慌てるもんでもないとは思ったのだが、有希から見れば予定通りにいかないのは気に入らないのかもしれない。
朝倉涼子はあなたの予想通り気が短い」
 脳裏にナイフが浮かんだのでスピードをアップする。何で全力で自転車を漕ぐ羽目になってるんだ、俺? 宇宙人の簡略された脅し文句に脅かされながらも、自転車は有希曰く予定時刻ちょうどにマンションの駐輪場に到着と相成ったのでありましたとさ。やれやれ。
 自転車を駐輪してからふと見回せば、辺りはもう暗くなっている。何だかんだと言いながらも日が暮れるのも早くなったもんだと季節の移り変わりを感じながら俺達はマンションの入口へ。言われたとおりに朝倉の部屋のインターフォンを鳴らすと、
「あ、ちょうど良かった。あのね? 屋上まで昇ってきてくれると嬉しいんだけど」
 声と同時にオートロックの扉が開いた。屋上? そういえば前に天体観測か何かで長門のマンションの屋上には登ったような記憶はあるが、何故今頃になって朝倉は屋上になど用があるのだろうか。
 だが扉は既に開いているし、朝倉の声が聞こえないところからも向こうも移動しているのかもしれない。俺は一応有希にも確認してみたのだが、
「この建物内において危険性などは有り得ない。情報統合思念体及びインターフェース三体の情報網を無効出来るとすれば、それは涼宮ハルヒの能力による情報改変のみ」
 まあそうだろうな、朝倉が何かするなら別の話だろうが長門に喜緑さんもいる場所で不穏な行動など不可能だろう。何よりも今の朝倉涼子が俺や有希に危害を加えるなんて考えも付かないじゃないか。
 ということでエレベーターはいつもの階を通り過ぎて真っ直ぐ最上階までやってきた。
「鍵はいいのか?」
「既に開錠済み、彼女たちは先に到着していた模様」
 有希の言うとおり、屋上へと続く扉のノブを回すとすんなりと開いた。彼女たち、ということは朝倉以外に誰か居るということだが恐らく長門だろう。さて、長門まで巻き込んで朝倉は何をするつもりなのやら。
 俺と有希が屋上のテラスへと出てみると、
「あ、来た来た!」
 明るく呼ぶのはウチのクラス委員長だ。隣には無口な同級生。流石に暗い中で本を持っていることはないが、俺たちを見ると軽く会釈で応えてくれた。
「よう長門、お前は何で呼び出されたか知ってるのか?」
 挨拶代わりにそう言うと長門は小さく首肯した。まあ朝倉が理由を言わずに長門が大人しく付いてくるとは思えないから当然なのだろうが、最近は有希にも内緒で二人が行動するものだから有希は内心寂しがり、俺は内心ヒヤヒヤものなのだったりもする。
 なので長門が知っていて俺と有希だけが知らない事情というものを今から問い質さねばならないってわけだ。
「で? 俺だけならともかく長門や有希まで引っ張り出して一体何の騒ぎだ? 内容によっては俺と有希は即刻帰らせてもらうからな」
 すると朝倉はSOS団団長直伝なのか得意満面の笑顔で、
「これよ!」
 と天に向かって指を差したのだった。本人はかなりカッコいいつもりらしいのだが。
「…………なんだ?」
「あれえ? 気付いてない?!」
 いや、ただ単にフィーバーしてるのかと。
「何十年前のディスコよ、それ?!」
 ディスコってのが既に死語な感じもしなくはないがな。というか自覚はあるのか、サタデーナイトフィーバーの。すると有希が静かに首を振る。
「彼女はそのような悪ふざけはしない。あれは意図を持った行動、気付いて」
 そうなのか? 朝倉も分かってくれたかとホッとしている。有希はまっすぐに俺の目を見て言った。
「彼女はこう言いたかった。我が生涯に一片の悔い無し! と」
 おお! 天に還るのか、朝倉。
「ちっがーう! 有希ちゃんまで私の事からかってるー! みんなちょっと酷くない?」
 そうだな、少々やりすぎた。今までの会話を聞いていながら完全に無視していた長門を含めて、全員で涙目の朝倉に謝った。
「まったく、せっかくのイベントが台無しになるとこだったじゃない」
 改めて朝倉が言い出したイベントって何だ? 今度こそ上空を見上げてみて、俺と有希は何があるのかと思ったのだが。
「…………なるほどな」
 そこには美しく輝く満月が静かに天空を彩っていた。都会の空故に星の光が少なく感じたものの、月はその輝きを失う様子すら見せる事は無い。
 無言でその月を見上げる有希の端正な横顔が月光を浴びて白く輝いているように見え、俺はその美しさに思わず息を呑んだ。
「どう? 今日が中秋の名月っていうものらしいからちょっとだけ調べてみたんだけど」
 はあ、俺も知らなかったが今日が十五夜か。それにしても何も内緒にしなくても良かったんじゃないか?
「せっかくならサプライズがあった方が面白いかなって思ったのよ」
 思うな、本当にお前は悪友の影響を受けすぎてるぞ。そう言うと朝倉は本当に楽しそうに、
「そうかもね、何となくだけど涼宮さんが喜びそうな事が分かるような気がするわ」
 いつも笑顔がデフォルトの朝倉だけれど、この時の笑顔はまったく別物だった。そう、俺の良く知る百万ワットの笑顔に匹敵するかのような。
「待ってて、今から用意してくるから」
 何を用意するのか分からないが、朝倉は一旦屋上から出て行った。それを見送った俺と有希は長門に向かって話しかける。
「わかってたのか、長門?」
 長門は数ミリの頷きで首肯すると、
「今晩が十五夜と称される月夜であり、それを人間は観覧する趣向を好む事は理解していた。朝倉涼子はその習慣を実践する事により有機生命体の文化における趣味趣向という概念を理解しようとしている」
 いや、そんなに堅苦しいものじゃないと思うのだが。あれはただみんなで集まって騒ぎたかっただけのような気がするぞ。
「そう」
 有希も頷く。
「それで長門は俺達にも内緒にしてたって訳か? 俺はともかく有希には言っても良かったんじゃないか」
 すると長門は俺達にも分かるくらいの数センチの首振りでそれを否定した。
朝倉涼子が楽しそうだったから」
 だからお前も乗ったという訳か。まさか長門がここまで朝倉との関係を深めているとは思わなかった。呆れたような嬉しいような、何となく長門が俺達の手を離れていくようで寂しくもあるような複雑な心境だ。
 有希も同様だったのか、微笑んでいるような寂しがっているような、それでも無表情にしか見えないだろう表情で長門を見つめていた。だけど瞳に浮かぶ光だけで有希の事なら分かってしまう俺としては黙って体を寄り添わせるしかないのだったりもする。
 長門の成長を嬉しさ半分、寂しさ半分で見守る俺達はまるで長門の両親のようだな、と笑いそうになったところで朝倉が戻って来た。
「うん、これでいいのかな? 有機生命体の月見の概念なんて理解出来ないんだけど資料通りだとこれでいいはずよ」
 そう言って朝倉がセッティングしたのは花瓶に生けた薄(すすき)と三方に乗せた月見団子、それに里芋を煮た物にお神酒という今時の日本人でもなかなか知らないくらいの立派な品揃えである。
 というか、団子と薄は分かるのだが里芋は何であるんだ? それに答えたのは長門だ。
十五夜は、中国が始まりとされる。中国では中秋節として盛大に祝い月餅を作ってお供えする。この月餅が日本に伝わって、月見団子に変ったという。朝鮮にも伝わり「チュソク(秋夕)」とよび、ソンピョン(松餅)をつくる。韓国ではチュソク前日と翌日が公休日となり、休暇をとり帰省する者も多い。これは日本の月見や中国の中秋節の過ごし方とは異なっている点。里芋を供えるのは中国ではこの時期に里芋の収穫があり、収穫祭の一面もあったからではないかと推測されるが詳細は不明」
 なるほどな、日本でもそれが伝わっていたっていうことか。まあイメージとしては薄に団子って感じだけどな。
「里芋を供えるのは十五夜のみ。十三夜の場合は栗や枝豆を供えて祝う」
 十三夜? 何だそりゃ? 俺が長門に続きを促そうとしたのだがタイミング良く朝倉が、
キョンくんも長門さんも、十五夜の話もいいけどそろそろお団子でも食べない? ちょっと我慢出来ない子がいるみたいなの」
 苦笑しながら視線を俺に向けるので何事かと思えば右肩の上で視線を団子にロックオンしている恋人がそこには居た訳で。おいおい、同じ長門が団子よりも俺との会話を楽しんでるのに何やってんだよ?
「会話も楽しみながら食すると良い、食事は歓談しながらだと味わいも変化する」
 ああ、確かにみんなで食べる方が楽しいよな。だけど視線を団子から俺達に向けてくれないと説得力はまったくないぞ。ということで有希のお楽しみである月見団子を賞味する事と相成った。
 朝倉は料理の腕は確かなものがあり、それは月見団子とて変わらない。市販の白玉粉ではなく手作りの米粉から作った団子はとても美味いものだった。だからといって口いっぱいに頬張るんじゃありません、サイズと相まってハムスターと化した有希を嗜めながら俺も団子を十分味わった。
「そういえば何で突然十五夜なんだ? ハルヒですら忘れていたようなイベントだぞ、いくらお前でもそこまでチェックしていたとは思えないんだが」
 団子を食って長門の淹れてくれた緑茶を飲みながら、ふと朝倉に尋ねてみた。十五夜なんてイベントはハルヒなら喜んで飛びつきそうなものなのに何も無いのが不気味なくらいだ。するとそれに答えたのは何故か長門だった。
十五夜とは旧暦で行なう行事。旧暦(太陰太陽暦)は、月の満ち欠けで日付を決めるものであり、現行の太陽暦(グレゴリオ暦)とはシステムが異なる。そのため両者の日付にはまったく関連がなく、従って月見の日付(旧8月15日、旧9月13日)も年によって一定していない。涼宮ハルヒはそこを失念し、既に十五夜が終わったものと認識している」
 なるほど、確かに今年は十五夜としては遅いような気がする。イメージとしては九月だと思ってたからな。
「九月十五日を過ぎた時点で終わったと思った」
 有希、それはあまりにもハルヒに失礼な気もするんだけど。いや、案外ハルヒならと思わなくもないから何も言えないのだが。
 とにかくハルヒの事は置いておくとして、朝倉が何故月見をしようと思ったのかだ。流石にそこまでは長門も教えてもらってなかったのか、有希と共に興味深げに朝倉を見つめている。その朝倉はあっさりと、
「私も良く知らなかったんだけど今日がそうなんだって教えてもらったの。それで皆でお月見をしないかって言うから用意をしてみたんだけど」
 誰が教えたんだ、そんな行事? などと言うつもりもなかった。朝倉に地球上の習慣を教え、それで用意までさせる事の出来る人物などただ一人しか居ない。有希の顔が青ざめ、長門が不審そうな視線を入り口に向ければ、
「あら、先にお団子を食べちゃったんですね。デザートから先に食べるなんて、はしたないですよ」
 とまあ、宇宙人姉妹の長女役であり、今回のイベントの首謀者だろうお方がお盆に湯気を立てた皿を乗せて持ってきたのであった。
「あ、喜緑さん手伝うわ」
 朝倉がいそいそとお盆を受け取ると喜緑さんは後は朝倉任せで座ってしまった。仕方ないのか長門までが自主的に朝倉の手伝いをする。俺も、と立ち上がろうとしたのだが、
「男子厨房に入るべからずですよ」
 と言われてしまい、
「サイズの問題でやりたくても出来ない人もいるのですから」
 などと言って一部の恋人の気持ちを軽く傷つけながらも優雅にお茶など飲んでいた。何より屋上なのだから厨房など何処にも無いし、単に有希をからかいたかっただけなのは明白である。
 それでも何も言えない有希が可哀想なので少しでも何か声をかけてやろうとしたら、
「はい、お待たせ」
 朝倉と長門が食事の用意を済ませてしまっていた。とはいえ喜緑さんがほとんど調理していたので仕上げを施しただけなのだが。有希も気を取り直したのか興味深げに皿を覗き込む。
 それはうどんを炒めて中央にくぼみを作り、そこに卵を落としたものをひっくり返して焼いたものである。つまりは焼きうどんなのだが。
「天まど、と申します。天窓より月を眺めるといった風情をイメージした福岡県北九州市の名物です」
 はあ、そうなんですか。何故九州の端の名物料理を喜緑さんが知っているのかは分からないが、美味そうではあるな。有希が肩からずり落ちそうになっているのを支えながらそっと降ろしてやる。
「私は月見バーガーが良かったんだけど」
「そのような出来合いでは面白くないじゃないですか。それだから太るんです」
「なっ?! 太ってないって言ってるじゃない! ちょっと抱き心地が良くなっただけよ、ねえキョンくん?」
 うわっ! 抱きつこうとするな! 
「ってグッハアッ!!」
 とか焦る間も無く吹っ飛ぶ朝倉。吹っ飛ばしたのは勿論俺の彼女ともう一人の彼女である。分かってて何故やるかな、あの馬鹿。
「普通の月見うどんでも良かった」
「それはまたの機会にしましょうね、今日は趣向を変えてみたかったのでいいでしょう」
 本当に長門には甘いな、喜緑さん。何故朝倉と有希に対しての態度と違うのか、多分わざとだけど。
「では、いただきましょう」
 最終的に朝倉は放置されたまま俺達は焼きうどん、いや天まどを大変美味しく頂いたのだった。いや、出汁で焼いたうどんとキャベツが合うな。シンプルだけど美味い、有希も長門も何も言わずに口いっぱいに頬張っている。
「北九州は焼きうどん発祥の地であり、このうどんはその最初の焼きうどんを作った『だるま堂』の焼きうどんを忠実に再現しています。店主の方が高齢になり、お店もなかなか開いておりません。このような伝統を絶やさないのもまた必要なのですよ」
 だから何故喜緑さんが伝統を受け継がなければならないのかという謎が残るんだけど。でも美味いからいいか、有希も小さく頷いた。
 綺麗に食べ終える二人の長門有希を愛しげに眺めていた喜緑さんだったのだが、
「それでは本当のデザートをいただきましょう、朝倉さん? いつまでも寝てないで準備してください」
 哀れにも倒れている朝倉を無理矢理引き起こす鬼緑さん。有希も長門もお姉さんの暴挙を止める術などないのであった。
「う、ううん……………あれえ? 私の分はぁ?! ちょっと、何でもうおやつタイムに入っちゃってるのよ!」
 そりゃそうなるよなあ、流石の有希も可哀想な子を見る目で朝倉を見ているし。だけどな?
「朝倉さんの分は長門さんの胃の中ですけど? 長門さん二人分にはやはり不足だったようでして」
 そうだよ、お前らおかわりしてただろうが。長門と有希は顔を見合わせ、ごめんなさいと朝倉に頭を下げたのだった。
「しょうがないなあ、私は後から作ってくるから。それじゃデザート持って来るね」
 やはり朝倉は長門には甘い。というかこの姉妹は本当に末っ子に弱いなあ。スキップで用意に向かう朝倉の背中に、ちょろいもんですね、という喜緑さんの声は聞こえなかったのだろうと思いたい。
 そこで長門の淹れてくれた緑茶を飲んで待つことしばし。というか、これだけ茶を飲むなら長門の部屋と変わらないんじゃないか? などと疑問を浮かべながら月を眺めていると、
「お待たせー! 急がないと溶けちゃうからね」
 何を持ってきたんだって、かき氷だった。しかも、かき氷の上に黒糖蜜、練乳、ドライフルーツなどのトッピングを乗せたあと、まん中にくぼみを作って、生卵の黄身を割り入れたものである。こんなの見たことないぞ? すると食にはうるさい俺の恋人が答えてくれた。
「これは台湾での、かき氷のメニューのひとつ。「月見冰 ユエチエンピン」(月見氷)という名前のメニュー」
 なるほど、ここでも月見繋がりだったのか。ではさっそく一口。ふむ、卵の黄身が意外と合うな。黒糖の甘ったるさをいい感じで中和してくれる。有希もドライフルーツを齧りながらちまちまと氷を食んでいた。
 朝倉も喜緑さんも長門も仲良く氷を食べ、お約束を裏切らない朝倉が頭痛でのた打ち回るハプニングがあったものの(これは喜緑さんが朝倉に一気食いをさせたからである、また長門が無表情で食べきったものだから朝倉が負けじとやったので自業自得ともいえる)概ね楽しい月見であった。
 と、まあこれで終わればよかったのに。そんなほのぼの雰囲気で終わらせる事を是としない人がこのメンバーの中にただ一人存在したのだ。言わずと知れた年長宇宙人様である。
「さあ、最後に準備しましょうか。長門さんもお願いしますね」
「え〜? 本当にやるの?」
 喜緑さんが意気揚々と、朝倉が不安そうに、長門は淡々とついていきながら三人が揃ってまた退場してしまった。俺と有希も、と思ったのだが喜緑さんに待っていろと言われれば大人しくしておくしかない。
「なあ、有希は何をしてるのか分からないのか?」
「不明。喜緑江美里によるプロテクトがかかっている模様」
 そこまでして何がしたいんだ、あの人。いよいよ不安になりながら待つのは辛い、かといって逃げ出す事も不可能だ。
 俺と有希が我慢の限界を迎えて一か八かの脱出を図るべく相談しようとした時だった。入り口の扉が開いたのは。
「申し訳ありません、お待たせいたしました」
 喜緑さんの声に抗議しようと振り向き、俺は動きを止めて固まらざるを得なかった。いや、有希も固まってしまっている。それはそうだろう、何故ならば。
「あー、あのですね? なんて格好してるんですか、喜緑さん?」
 そこにいたのは緑色のバニースーツに身を包んだ喜緑江美里さんだった。いや、何でバニー?
「月といえばウサギじゃないですか、せっかくなのでサービスです」
 いや、そんな事していただかなくても結構ですから! これが罠なのは分かってる、見ろ、有希の暗黒メーターが見る間に上昇中だ!
「あら、そんな事言われると悲しいですね。他の皆さんにも悪いじゃないですか」
 他の? という疑問などあっという間に吹っ飛んだ。そこにはウサギが三人いたのだから。
「どうかな? ちょっとだけお尻とかキツメなんだけど、私には有機生命体の趣向なんかよく分からないからこれでいいって喜緑さんが……」
 網タイツからはみ出しそうな太ももが異様に目を引くが、胸だって負けてはいない。全身から詰め込んだムチムチ感が溢れ出ている紫のバニースーツ。朝倉涼子は脱いだら凄かったのだ、委員長キャラからフェロモンキャラへと華麗なジョブチェンジを遂げた朝倉はしかも無自覚に、
「ねえ、やっぱりこれ小さくない? 息が苦しくなりそうなんだけど」
 などと言いながら谷間を強調するかのように胸の部分をいじくるのだから目を向けるわけにはいかないじゃないか! 本当に分かってないのか? だからこっちに確認を求めるな!! 有希は暗黒オーラに包まれて最早動こうともしないんだぞ!
 俺が朝倉から逃げ回る様を楽しそうに眺める喜緑さん。あ、悪魔だ、この人! 頼みの有希は怒りのあまり硬直してしまって周辺を黒く染めているんだから!
 するとこのような時に頼れる存在は今もまた俺を救うべく袖を軽く引いてくれたのだった。
「助かったぜ、なが………とォッ?!」
 この驚愕をどのようにして伝えればいいのだろう。そこにいたのは小さく可憐なウサミミ少女だった。無表情なのが玉に瑕だが、そんなもん関係あるか! 見ろ、白のエナメルのバニースーツに身を固めた長門有希の美しさを! たしかにバニーとは胸の大きさが必要不可欠なのかもしれない、それは朝比奈さんやハルヒ、今見ている朝倉や喜緑さんだってなかなか負けてはいなかったりする。
 だがしかし、胸などは飾りなのだよ! 偉い人はそれが分かってないに違いない。長門がそれでもスーツの胸元を寄せて作りあげたささやかな谷間に俺の目は釘付けじゃないか! 貧乳はステータスだ、希少価値なんだ! いや、長門はステータスで俺のものなんだ!!
「そう」
 ああそうさ、その細い足を網タイツで包み込むなんて神が作りたもうた芸術としか言えないだろ? しっかり足を閉じても隙間が空いているのが素晴らしい、その隙間に色々差し込みたくなるのは男として当然だと思わないか!
「ちょ、ちょっとキョンくん?」
 しかも何だそのウサミミは? いや、似合いすぎる。長門は寂しがりやさんだからな、ウサギさんなんかピッタリだ。俺の胸でよければいくらでも抱かれてくれていいぞ、お前のふわふわな耳とか触ってやりたいよ。
「………そう」
 そうだとも! むしろ俺が寂しい! いや、長門がウサギさんだから悪いんだ! お前は可愛らしく小首を傾げなさい、俺はそれを抱きしめて頭を撫でたり、その谷間に何らかを突っ込んだりしたいんだ!
「そう………………………」
 ああ、そ、う、ですね……………圧倒される暗黒のオーラ。どす黒い感情の渦が俺を押し流そうとする。俺はやり過ぎた事に今気付いたんだ。ええ、俺が今まで相手をしていたのは長門有希であって。それは通常サイズであり、誰もが良く知る長門有希なのだけれど。
 だが俺の長門有希とは十二分の一スケールで小さくて可愛くて。
「言い残す言葉は?」
 とっってもヤキモチ焼きさんだったりするんですよー、これがあああああああああああ!!! 薄れゆく意識の中で最後に俺が見たものは。
 苦笑する朝倉と少しだけ頬を染めた長門
 そして満面の笑みでさようなら、と手を振る喜緑さんの姿だった。悪魔だ、本当の悪魔がここにいる! 俺は確信と共に恋人の右拳の感触を感じながら意識を飛ばしていったのであった。








「起きて」
 ああ、有希か。すまん、どうやら悪い夢を見ていたようなんだ。緑色の髪をした悪魔が俺を地獄の底に突き落とす夢だったんだけどな?
「そう」 
 目覚めれば俺は自室のベッドの上に横になっていた。なんだったんだ、あの夢は。確か俺は朝倉に請われて有希と一緒にマンションに行って…………
「今日は十五夜
 ああ、そうか。窓の外を覗けば確かに美しい満月が輝いている。満月には魔力があると言われるが、確かに引き込まれそうな輝きに目を奪われてしまう。
「綺麗だな……」
 思わずそう呟いて有希の姿を探す。有希だって月に劣らず綺麗なんだ、その姿を目に焼き付けたい。
「そう」
 予想した方向と違ったところから声がして、思いがけず振り向く。そこには。
「………綺麗だ………」
 白く輝くエナメルのスーツ。長くピンと立ったウサミミ。細い足を包み込む網タイツ。
 可愛さと色気を兼ね備えた完璧なバニーがそこに立っていた。まさか有希がこんな大胆な衣装を自分から着てくれるなんて。
 感動が胸に押し寄せる。が、何だ? 不思議な事に俺は有希のバニー姿を見たような気がするんだが。デジャブか? いつのだよ。
 思わず生唾など飲んでしまい、俺は恐る恐る尋ねてみた。
「な、なあ、有希? なんだってそんな大胆な格好してくれてるんだ? サービスというなら大歓迎なんだけどさ」
 すると有希は表情を変えず、
「今日は十五夜。満月には兎がいるとこの世界では信じられている」
 ああ、ウサギがいるっていうのは日本だけの伝説だけどな。それで有希のバニー姿が見られるのなら万々歳だぜ。
「………そう」
 相変わらず表情を変えてくれないけど照れてるんだよな? 俺は浮かれて有希を抱きしめようとしたのだけれど。
 あれ? 有希? 何でそんな物持ってるのかな? 有希はいつの間にか自分の身長に近い長さの木製の道具を手にしていた。ええっと、それは、
「杵」
 そうだ、杵だな。だがそんなもの何故必要なんだ?
「月に居る兎は杵を使い餅を突いている姿を一般的とする」
 そうか、それで杵を持ってるんだな。と、ここで気付いた事がある。
「なあ、杵で突くのは分かったんだが肝心の臼は何処にあるんだ? それともポーズだけなのか?」
 まあ有希は拘るところがあるので月のウサギといえば杵が必要と思ったのかもしれないな、俺は気軽にそう思ったのだが。
「臼は無いけど突くものならあるから」
 まっすぐに俺を見つめてそう言い放った有希を見て俺の背筋に電流が走る。じりじりと凶器を持ってにじり寄る恋人から避けるように後ずさる。だが、俺の部屋はそんなに広いものじゃない。あっという間に隅に追い詰められた。
「ゆ、有希? どうしたんだ、俺が何かしたのかっ?!」
 だが無表情で答えずに近づく十二分の一サイズの恋人。恐怖が鎌首をもたげ、俺は悲鳴を上げそうになった。その瞬間、走馬灯のように俺の記憶が蘇る!
「……思い出した?」
 あ、あ、あれは喜緑さんが悪いんだ! 俺も嵌められたんだ、あれは孔明の罠だ!
「言い残す言葉はそれだけ?」
 ああ、本当に有希ったらヤキモチ焼きなんだから。だがふらふらと誘惑に負けた俺も悪かったのかもしれない。でも、これだけは言わせてくれ!
「やっぱり有希のバニーが一番最高だぜ!」
「そう」
 そして杵が振り上げられ、
「………浮気者
 有希の言葉と同時に俺の意識は再び閉じられたのであった。

 


 もう絶対に喜緑さんには関わらない、そんな誓いを立てて。