『SS』 彼と彼女の密かな事情 後編

前回はこちら

 空間は元の世界へと戻り、夕暮れが迫りつつある教室にオレンジの光が陰を落としてゆきます。
 その中で、跪いた朝倉涼子と見下ろす喜緑江美里、それを見ている僕の三人。それぞれが何も言えず、何を考えているのか分からないままにこの場所へと戻ってきたのでした。僕自身も戻れた事への喜びよりも、喜緑さんが朝倉涼子へ言った言葉の方に気を取られていました。
「……………そうか、私が消えてから……………これだけの時間が経っていたのよね………」
 俯いたまま小さく呟いた朝倉涼子は覚悟を決めたように顔を上げました。
「あーあ、時間の概念なんて私たちには関係ないって思ってたのになあ」
 口元に浮かんでいるのは自嘲の笑み。全てを諦めたような口調は先程までの迫力が嘘みたいに消えていました。
「了解、私の負けね。さて、次はいつになるのかなあ…………」
 遠くを見つめながら独りごちる姿は最早諦観そのものであり、自分が消されることを素直に受け取りすぎているようにさえ見えたのです。

 ……………何だろう、この胸の中にある釈然としない思いは?

「またダメだったかあ、私はどうしてもあなた達に勝てないようになってるんだね。それも情報統合思念体の意思なのかしら?」
 その朝倉涼子の呟きが、僕の疑念を晴らしてくれた。そうだ、何故彼女だけがこんな思いをしなくちゃいけないんだ?! 同じように生まれ、同じように生きる権利は彼女にだってあるはずなのに!
 しかも彼女自身が諦めているのも気に入らない、こっちは生きるという事に必死だったのに。いや、待て? それはさっきまでの僕もそうだったんじゃないのか? 覚悟と自虐は違う………
「本当にそう思いますか?」
 僕の疑念も、朝倉涼子の諦観も無視するように喜緑さんは問いかけました。冷静なその声はまさに冷水を浴びせかけられたような気分になります。
 それは朝倉涼子も同様だったようで、不審そうに喜緑さんを見上げています。
「朝倉さん、あなたはそれでいいのですか? 勝手に再構成されて、勝手に前回と同じように誰かを襲って、勝手に消されてしまう。そのような事が許されているとお思いですか?」
 何という事だろうか、これじゃまるで情報統合思念体を否定しているかのようだ。さっきの戦闘中もそうだったが、まるで朝倉涼子を煽っているようにしか見えません。
 いや、実際に煽っている。そこには何らかの意図がある、喜緑江美里ならではの意図が。そしてそれは恐らくだが僕が苛立った事と無関係であるとは思えない。
 彼女も同じ思いを持ったに違いない、朝倉涼子の表情が歪んだ。そうだ、そんな理不尽を受けているのは彼女自身なのだから。
「いいも悪いもないじゃない…………それが私の存在理由なんだから…………」
 それは彼女の置かれた立場の複雑さそのものだったのでしょう。ただ涼宮さんの情報フレアを起こすという目的で動かざるを得ない朝倉涼子は自らの存在意義をどのように捉えていたのでしょう?
 それを言うならば、『機関』の中の一員として存在する僕と、SOS団の一員である僕の存在意義とは? 逆らえないはずの組織に対して今僕は何をしているのだろうか………
「そんなものですか、あなたはまだあの時のままなのですね」
 捕らわれている、見えない何かに。それは僕も捕らわれているものなのかもしれない、そして喜緑さんはその何かから彼女を救おうとしているのかもしれない。
 僕は、僕には何も出来ないのだろうか? それともそれはおこがましい事なのだろうか、彼女達の苦しみを僕は理解出来ているとは言えないのだから。
「分かりました、あなたがそう言うのであれば私には何も言う言葉はありません」
 そう言って喜緑さんは朝倉涼子の目前に自らの手のひらを向けました。何をする気だ?!
「………情報解除開始」
 喜緑さんの手が淡く光り、その光が朝倉涼子を包み込もうとしている。情報解除? それはつまり、
「今度こそゆっくり眠らせてね? って喜緑さんに言ってもしょうがないわね」
 光に包まれた朝倉涼子の体が足元から細かい粒子となってゆく。朝倉涼子が消えていく?! それは僕もはじめて見る光景でした。
 これで本当に終われる、そう思いながら何故か僕は自然と足を踏み出していたのです。分からない、僕は何をしようとしているんだ?
「待ってください!」
 ごく自然に僕は喜緑さんのまえに立ち塞がっていた。
「なっ?!」
 光が僕を包もうとする。あの光は僕をも消し去ろうとするのだろうか? しかしそれでも、そう、それでも僕は彼女を守りたいと思ってしまったのだ。
「あなた!? 何考えてるのよ!」
「まったく、安いヒロイズムはいらないと言ったはずですが?」
 朝倉涼子の叫びと喜緑江美里の呟きが同時に聞こえたかと思うと、あの光は跡形も無く消えてしまいました。どうやら喜緑さんが止めてくれたようですが、
「あなたを消してしまったのが私などという本末転倒は願い下げですから仕方ありません」
 つまりは光の中にいたら僕も消えてしまったということか。確かに無謀にも程がありますね、
「あなたのような訓練された人間が行うには馬鹿馬鹿しい行為だと思いませんか?」
 まったくです。我ながら何故体が動いたのか理解出来ませんね。しかも、
「本当に馬鹿じゃないの? そんなことをしても誰にもメリットがないに決まってるじゃない!」
 助けた相手にまで罵倒されては立つ瀬がありませんが。それでも僕は後悔はしていません。何故ならば、
「それが人間というものなのですからね、目の前で人が消えていくのに何もしないなんて出来ないんですよ」
 そう言うしかないんです。
「あまりに不条理で、非効率的ですね。それとも自己満足というものが人間なのですか?」
 何と言われようともです。それに喜緑さん、
「あなたは気付いていたはずですよね? 僕がこうするということを」
 返答は無く、ただ微笑むだけですが。それは答えそのものとも言えるものなのでしょう、それが分からない僕でもありません。
 しかし、それが分からない人もいました。それは彼女がまだ何も知らないからなのかもしれません。朝倉涼子は今はもう元に戻っているにも関わらず、その場から動くことも無く座り込んでいました。
「…………なによ…………何なのよ、あなたたち…………」
 俯き何かを小声で呟く彼女。あまりにもそれは人間的な。そうだ、何故に彼女はここまで『人間』なのだ?!
「馬鹿じゃないの? 私なんかいなくたって誰も困らないじゃない! そうよ、長門さんだって……………」
 執着、後悔、誇張、欺瞞、猜疑、愛憎、その全てを彼女が持ちえているのはどういう訳なのだろうか。長門さんよりも、喜緑さんよりも大きなその起伏は彼女を彼女足り得ている事に彼女自身が気付いていないのだろうか?
 そしてそれを分かっているのか? 傍らで微笑むTFEIはまるで聖女の母性のごとく朝倉涼子を見つめていたのだから。
「………………私がここにいる理由なんてもう無いのに」
 そんな事は無い。朝倉涼子がここにいる理由は確かに存在するはずだ、それはきっと、

「………よござんしょ」

 はあ? いきなり何を言い出したのだ? 突然両手を打ち鳴らした喜緑さんは、まるで名案を思いついたかのごとく、
「それでは朝倉さんの情報解除は取り止めます。別に大した問題ではありませんので」
 そして僕の方を向き、
「ですから朝倉さんの監視と管理はお任せしますね」
 などと言い出した、って何を言ってるんですか?!
「えっ? ええええっ?!」
 それは驚きますよね、朝倉涼子も顔を上げざるを得ません。しかし喜緑さんは一方的に、
「あなたが情報解除を止めたからには責任を取っていただきます。言ったでしょう? 半端なヒロイズムは余計なものになると」
 そういう意味だとは思いませんでしたけどね? しかも呆然とする僕らに、
「朝倉さんの転校手続きなどの情報操作はこちらで行いますので。それと朝倉さんの能力は私が掌握しております、安全については保障しますからご安心ください」
 矢継ぎ早にそう言うと、
「ではお願いしましたから」
 と教室を出ようとしました。ちょっと! このままで帰ってしまうのですか?
「ちょっと待ってよ! 私まだ何も言ってないわよ!」
 朝倉涼子も慌てて喜緑さんを止めます。当たり前ですよね、さっきまでの雰囲気が嘘のようだ。しかし喜緑さんはもう話は終わったとばかりに、
「あら? あなたも消滅せずに済んだのですから良かったではないですか。それとも、」
 笑顔が消え、
「あなたはまだ消えたいのですか?」
 それは先程よりも遥かに迫力を感じました。いや、これが彼女の本音なのでしょう。仲間が消えゆくところを見たくないのは長門さんではなくても当然のはずですから。
「う…………」
 何も言えなくなった朝倉涼子の肩に手を置いた喜緑さんは、
「いいんですよ、あなたはここにいても」
 その顔は、やはり母性に満ちた微笑でした。そう、心から朝倉涼子を心配しているからこそ彼女をここに残そうとしたのでしょうから。
「喜緑さん…………………」
 戸惑いと喜び、内面の複雑さが表情に浮かんでいます。その瞳に光るものが見えたのも気のせいではないでしょう。ですが、
「何故僕なのですか?」
 そうだ、正直に言えば僕よりも朝倉涼子を任せるに値する人物ならば他にもいるだろう、例えば彼など。
「おや、あなたは『扉』に長門さんに朝倉さんまで彼に任せるのですか? それはあまりに責任を放棄していると思いますけど」
 そう言われてしまうと困りますね。
「なによりもこれ以上長門さんを困らせないでください」
 まあ確かにこれ以上ライバルを増やしたくはないだろうな、そう思うと苦笑してしまいますが。朝倉涼子も同様のようで、
「確かにキョンくんには長門さんの方がいいと思うけどな」
 などと言っているのですから。それでも僕には若干荷が重いような気がしますね。なにより僕自身が彼のように出来る自信がありません。
「あまり過小評価しなくて結構です、私はそれなりに考慮してあなたに朝倉さんをお任せするのですから。それに別にあなたに『鍵』になれという訳でもなければ、そのような振る舞いを期待しているつもりもありません」
 そこまで言われてしまう僕が何故選ばれているのかまったく理解できないですね、喜緑江美里の考慮なのか情報統合思念体の考えなのかも疑わざるを得ないのですから。
「…………その先はお二人で考えてください。長門さんが何故変われたのか、朝倉さんがどのように変われるのか、それが進化の可能性なのかを我々は見守りたいのです」
「……………………」
 僕たちは黙って聞くしかありませんでした。進化の可能性? それを僕と朝倉涼子にも見出すきっかけになれというのか? しかし彼のような人物ならともかく、僕も朝倉涼子も恐らく期待には添えないだろう。
「無理よ、私は長門さんのように出来ないもの。例え能力が抑えられようとも使命を変えるつもりもないわ」
 自嘲気味に吐き出した言葉にはどこか僕の心にも突き刺さるものを感じました。そう、使命と役割は常に我々を縛り付けるものなのです。その為に僕たちはここにいるのですから。
 しかし大きく溜息をついた喜緑さんは、
「その為に古泉一樹に全ての権限を渡しています。彼がどうするか次第ですよ、私はそう言いました」
 もう彼女の中では話が終わっているのだろうが、そこまで大きな力を僕に任せているというのですか?! 朝倉涼子のあの能力の使用権限が僕に一任されている、それはある意味核爆弾のスイッチを持たされているというのと同義語じゃないですか。
「ちなみに朝倉さん? 彼を脅しても無駄ですから。そこまで私は甘くありません」
 そのくらいは僕にでも分かる。だが何故か図星を指されたかのように動きが固まる朝倉涼子は、やはりどこか甘いのだろうか?
 だがこれで本当に話は終わったようだ、喜緑さんは今度こそ教室の扉を開けた。
「質問は後からでも聞くことは出来ます、まずは助かった事を感謝してください」
 そう言い残して。そういえばお礼の一つも言っていないという事に今になって気付きました。僕としてはありえないミスですが、それも彼女が落とした爆弾が大きすぎるからではないでしょうか?
「ふう、生徒会室に次に行くときは何か持って行きましょうかね」  
 まさかと思うが、全て彼女の手のひらの上での出来事のような気もしてくるのだけれど。そう思って傍らの少女に笑いかけた。
「あなたもそれでよろしいですか?」
 憮然とした表情の元北高生は、
「随分順応性が高いわね」
 と嫌味で答えてくれましたが。仕方ありませんよ、SOS団にいれば嫌でもこのような状況には巻き込まれます。いや、正確に言えば巻き込まれるのは彼だけだと思っていましたけど。
 そう思えば僕も不思議な世界の一員になってきたのでしょうね、それが嫌な気分でもありません。そう伝えると、
「呆れたわ、あなたも涼宮さんに毒されたものね。それともキョンくんのせいかしら?」
 それは言えるかもしれませんね。それに、
長門さんもあんな風だし、喜緑さんまで。まったく、どうなっているのかしら? この世界は」
 小さく溜息をつく朝倉涼子は呆れながらもどこか楽しそうに見える。そう思うのならばあなたも見てみればいい。この世界を、ここに暮らす僕たちを。
 その為にあなたは帰ってきたのだろう。そして何故か僕はその手助けをしなくてはならなくなった、それだけの事なのです。
「やれやれですね」
 彼の口癖も言わなければならない理由が理解できましたよ、今後僕もこれが板についてくるのでしょうかね?
 さて、肝心なことを聞いておかなければ。
「それであなたはよろしいですか?」
 先程と同じ質問。そして彼女は、
「仕方ないわね。これ以上何を言っても私には力が無いし、それに喜緑さんに逆らっても意味が無さそうだしね」
 本当にお人よしなんだから、そう言って笑う笑顔は初めて見た時よりも柔らかく、それは魅力的と言っても差し支えの無いもので、思わず見とれそうになってしまったのは心の内にだけ留めておきましょうか。
 本当にこれからどうなるのでしょうね? 心配や不安は後を尽きませんが、それでもこうなったのですからしょうがない。僕は僕に出来ることを考えながら探すとしましょう。彼もそうだったように。
 とりあえずは僕がここで出来ることはこのくらいでしょう。僕は目の前の女性に手を差し出し、
「お帰りなさい、朝倉さん。そしてようこそ、この世界へ」
 そう微笑みかけたのです。一瞬だけ目を見開いて驚きの表情を見せた朝倉さんは笑って、
「これからよろしくね」
 僕の手を握り返したのです。その手の感触は、僕らと同じ人間そのものでした。いや、女性特有の柔らかさがって、そんなことはどうでもいいですね。
 とにかく朝倉涼子はこの世界に戻って来たのです。ここからどのような出来事が起こるのかは僕には分かりませんけれど、それでも彼女が笑っていられる世界であればいいのではないかと柄にも無く思いながら。
 

 
 その後、再転校した朝倉さんが涼宮さんに詰め寄られたり、彼がトラウマを刺激されて登校拒否になりかけたり、それをからかおうとした朝倉さんが長門さんに怒られたり、朝比奈さんが朝倉さんに優しかったので涼宮さんが拗ねたりしたのはまた別の機会にでも。
 ただ僕は彼と溜息をついて同じ口癖を呟くだけでした。
「やれやれ」
 と、ね。

ぷちっとあとがき

今回は定番を書こうシリーズなのですが、朝倉復活というとすぐにキョン長門が絡むのも面白くないなあと。それで前回「なんと素敵な紆余曲折」というSSを書いたのですが、これは市松さんとたしもさんという両美麗絵師さんのお力あっての作品でして。あれはイラストあってだったから、自分なりに出来ないものかという思いもあったので、今回古泉くんに頑張っていただきました。長門さんが出なければ朝倉を抑えるのは喜緑さんしかいないだろうと。それに喜緑さん最強説が俺の中にはあるのです(笑)
ということで二次創作ならではのIFストーリーを目指してみました。いかがでしょうか?
実はこのお話、続きといいますか考えてることがあります。それは朝倉がいたらこの先どうなるのかというIFであり、まったく本編とは関係ない流れですね。普通の日常に朝倉がいる話を書きたいなあ、まあ古泉くんがメインで非日常ストーリーもいいかなとか考えてます。
もし良かったらシリーズ物にしようかと思いますので、感想よろしくお願いします(笑)

では次回は多分長門メインの長い話が書けたらいいなあ(他力本願)