『SS』 落語ちっくな乙女たち


日曜日。
休日と言う点を利用し、私は読書に勤しんでいた。
この時間は私の生活の中でも一、二を争うほどの貴重な時間。
誰にも邪魔はされたくは無い。その為、私は部屋全体を情報制御下に置き、
外部からの干渉を受けないようにした。


私がゆっくりと読書に勤しむ事二時間と二十六分三十二秒。
本を一冊読み終えた私は、空腹感を覚えている事に気が付いた。
現在時刻は丁度十二時。昼食のカレーを料理しようと腰を上げた。



「___また___カレー__?」
「調理が簡単。そして栄養を一回で摂取できる効率の良い料理だから」
「___先週も___カレーだった___」
「調理が簡単。そして栄養を一回で摂取できる効率の良い料理だから」

会話を打ち切り、台所へ立ち……会話?
私は、今、誰と会話していた?
ゆっくりと顔を上げ、炬燵の方向に目を向ける。するとそこには。


「___私は___激辛で___」


天蓋領域の九曜周防が居た。




私は内心動揺していた。この空間の情報制御は完璧だったはずなのに。
何故、進入を許していたのか。それも気づかれずに。

動揺していたからだろうか。私はその事を九曜周防に尋ねていた。
すると九曜周防は「何を言っているの?」と言う目でこちらを見て、こう言った。



「___鍵が___開いていたから___」


迂闊。まさか玄関からとは。
正攻法すぎるその行動に、私は少し動揺しつつも表面上は冷静を保つ。

九曜周防は問いに答えた体制のまま、私に首を傾げた。

「__カレー___止めるの___?」
「……今から、作る」

私としたことが、カレー作りを忘れていた。
黙々と作業に没頭する事にする。読書をする時の様に。
そうだ、冷静になれ。カレーの缶を開ける職人と化せ。

「___私___激辛___」
「それはない。此処には中辛しかない」
「___じゃあ___中辛___で___」
「貴方にカレーを出すとは一言も言っていない」


私がそう冷たく言い放つと、九曜周防は固まってしまった。
冷たく言い過ぎたかもしれないが、彼女は一応敵なのだ。
敵にわざわざ塩を送ることも無いだろう。
そう思い、作業を再開した。


缶を開け、暖め、皿に移す・・・その途中に。


「__いじわる___ダメ___」


後ろから抱きしめられてしまった。
頭の中でエラーが蓄積していくのがわかる。
キャベツを切っていた手から包丁が落ちる。


その間も、九曜周防は手を緩めてくれない。
むしろ力を少し強めたようにも思える。
エラーが蓄積していく。先程よりもずっと、大きなエラー。

私は無理矢理、九曜周防を引き剥がした。
これ以上エラーが出てしまうと、何をしてしまうかわからない。
あの、世界改変の時の様に。


カレーを二人分用意し、昼食を摂りはじめる。
結局彼女の分も用意してしまった。先程のお詫びと称すれば特に違和感は無いだろう。
ちなみに、彼女のカレーが激辛、私のカレーが中辛である。先程、情報操作で辛さを変えておいた。
そう思って、カレーにスプーンを入れたその時だった。


「__貴方の__怖いものは___何___?」
「怖いもの?」


九曜周防の言動は予測がつかない場合が多いが、この質問はその最たるものだろう。
突然の質問にも驚愕したが、内容が何よりも突飛すぎる。
怖いもの、恐怖心をあおるものという事なのだろうか。
その質問自体が、もう私にとっては「怖いもの」だったが。


暫く思考の海を泳いでみたが、特に怖いものは見当たらなかった。
そのまま返答しようと思ったが、一つだけ、怖い…いや、恐れていることがあった。


「一つの料理を延々摂取し続ける事…」

例えばおでんと言う料理がある。そのおでんだけを延々食べていたらどうなるのだろうか。
おでんと言う料理自体はとても美味だ。作り手にもよるが、大抵美味な料理なのだ。
だが、一日三食。三百六十五日。全ての食事がおでんになったらどうなのだろうか。
想像しただけでも恐怖と言うものを覚える。
つまり、私の怖いものは「一つの料理を延々摂取し続ける事」という事になるだろう。


私の返答に満足したのか、九曜周防はカレーを食べ続けていた。
何も相槌などを打たない所が彼女らしいといえばそうなのだが…
私は、少し気になってしまった。彼女の「怖いもの」を。
気になると、理解するまでは何故か不愉快になってしまいそうだった。


「…貴方の、怖いものは?」



いつの間に此処まで人間らしくなってしまったのだろう。
私は開かれた口を塞ぐことが出来なかった。
その口から言葉が紡がれていくのを意識しながら、私は頭の中で曖昧に思考していた。

何故、此処まで九曜周防の事が気になるのだろう。
何故、彼女の事をもっと知りたいと思ってしまうのだろう。


再び思考の海を悠々と泳いでしまいそうになった私の耳に、抑揚の無い言葉が聞こえてきた。


「___私は___貴方が___怖い___」


聞こえてきた言葉を脳内で噛み砕き、意訳し、私に染み込ませる。
…結論。これは聞き間違いだ。
おそらく、私の言語機能が先程のエラーによって少々正常では無くなってしまったんだろう。
そうに違いない、そうでなければ、先程の彼女の言葉が意味不明なものとなってしまう。

私は、九曜周防にもう一度だけ問うてみた。今度はもう、聞き間違えないという意志を含んで。

「…何?」
「___私は___貴方が___怖い___」



…聞き間違えないという意志が、早くも崩れ去ってしまいそうになる。
また、彼女は同じ答えを発した。私の全ての機能が、聞き間違いではないという事を告げている。
確かに彼女は、私が怖い、と言った。
それだけで、私の中にエラーが蓄積されていく。先程抱きつかれた時以上に、蓄積していく。
此処まで、人間らしくなっていたのかと、呆れてきてしまった。
怖いと言われただけで、人間で言う所の「ショック」を受けるとは…


「___だから__特訓する___」


今からでも遅くない、彼女に情報操作を・・・と泳ぎかけていた私に彼女の声が届いた。
…特訓する、とは?

「__貴方が__怖いから___克服する__ための__特訓」
「…承知した」

表情には出ていないだろうが、内心とても安堵した。
これなら情報操作をしなくても済むかもしれないからだ。
だが、不安な箇所がある。
特訓とは具体的にはどうするのか、と言う点だ。

私は、その点を九曜周防に聞いてみることにした。
すると彼女は今までに聞いた事の無いような声で

「貴方に密着する」

と言ってのけた。成る程、密着と言う手段をとるようだ。
……………密着?誰と、誰が?
考える意味も無い。ただいまこの空間には私と彼女しか居ないのだから。
でも、何故?

「__ショック___療法?」
「何故、疑問系?」


私が思わずそう言うと、彼女はそれに答えず、素早く私の傍まで移動してきた。
そして、有無を言わさず抱きしめられた。
先程台所でやられたのとはまた異質の、何か暖かい気持ちになれるような抱擁だったが。
だが、そこからが大変だった。

私が何故か理解不能のエラーに陥ったり、彼女が正面から抱擁してきたり。
カレー皿を台所に持って行き、洗浄するという行為の間も九曜周防は私から離れてくれなかった。


その間、私は人間の感情で表すのなら「嬉しい・幸せ」と表現するだろう気持ちに、
包まれ続けていた。
今なら確実に言える。私は彼女、九曜周防の事を好いていると。
敵だとか、天蓋領域だとか。そういうしがらみは一先ず放置することにする。
今はただ。彼女の暖かさに包まれていたかった。


抱擁されてから、一時間弱経った頃。私は一つの疑問を問うた。

「いつまで、こうしているの?」

離れたくは無かったが、離れないと出来ない事もある。
私の思い切った疑問に、彼女は何も動じずに。



「__もう__克服したから___大丈夫___」


と言ってのけ、すっと体を離してしまった。
正直、驚愕した。そして同時に、哀しくなった。
その気持ちを押し殺し、私は

「…そう」

とだけ呟いた。
そして、その気持ちを知ってか知らずか。
彼女は、その不自然に白い端正な顔をほんの少しだけ微笑みの形に変え。


「__実は___キスも___怖かったり___する?」

と、言ってきたのだった。