『SS』 ただ、すき 前編

それは不思議な話なのかもしれない。だが俺は生憎と不思議な事に慣れ過ぎているから、これが不思議な話なのか最早自分では判断が着かない。
ただ…………そうだな、結果としては不思議でも何でもなかったと思う。俺はそう思ってるんだ。
それはいつもの、そうだな、いつもの放課後だった。ハルヒはネットサーフィンだし朝比奈さんは寒いこの時期は見慣れた風景となりつつある編み物をしている。
長門はいつもの席で読書中だし、俺と古泉は相変わらず実入りのないボードゲームに精を出している。そんないつもの光景に俺も不満などなかった。
しかし、そんな日常がいつものもので無くなったのは俺が聞いた声によって、である。
『……………き………』
それは小さな声だった。最初は空耳かと思ったね、なにしろ誰も気付いていなかったしな。
『……………す………』
うん、気のせいではないようだ。確かに何か聞こえてくる。
『……………す…………き…………』
なんだ? なんて言ってるんだ? 小さくて聞こえにくいぞ。
『……………す………き………』
俺は声に気を取られる、何よりもその声がまるで俺を呼んでいるかのようだったからだ。
「あなたの番ですよ?」
は? 意識が謎の声に向きかけていた俺を現実に呼び戻したのは正面に座るハンサム面の聞き慣れてしまった声だった。
「あ、ああ、悪い」
どうせ結果は見えているのだが、とりあえず駒を適当に動かしておく。しかし古泉の奴は気付いてないのか?
「なあ古泉?」
「なんでしょうか?」
見ればニヤケ面に変化はない。こう見えてもこいつとも付き合いが長くなってしまったので、例えば声に気付いているなら俺なら分かるはずだ。
「いや、なんでもない。第一もうこの勝負は結果が見えてるぞ」
「おや? 確かに。いやはや、完敗ですね」
肩をすくめる古泉を見ながら、俺は先ほど聞こえた声が気になっていた。いや、
『………す………き』
まだ聞こえている。それはまだ小さいままながら、はっきりと俺の耳に届いている。しかし何なんだ、俺はどうしてこの声から気を逸らせないんだ?
古泉が次の勝負のために駒を並べ直しているのをぼんやりと見ながらも、俺の意識は声を捉えている。
『………す………き』
そうだ、俺はこの声を知っている気がする。小さくてもどんどんとはっきり聞こえてくる声。
しかし古泉は聞こえていないようだ、ということは俺にしか聞こえていないという事か? 何気ない振りをして回りを眺めて見る。
だが誰も気にした様子はない、いつものSOS団そのものだ。ということは本当に俺にしか声は聞こえていないという事らしい。
『………す………き』
考えてみれば奇妙な話だ、ここにはこんな不思議現象に敏感な奴らだらけのはずなんだが。団長の事じゃない、他の団員の話だ。こいつらが居て、この声が聞こえていないなんてありえるのか?
だが誰も反応がない、あの長門ですらその動きに変化はない。
『………す………き』
いや、もしかしたら長門だけは分かって表情を変えていないのかもしれない。それなら帰りか帰宅後に何らかのリアクションがあるかもしれないな。
そう思って長門のいる方向に顔を向ければ、
『………す…き…』
ん? まるで長門から声が聞こえてきたような。しかしあいつは無表情のまま本を読み続けている、それなら何故俺は声があいつから聞こえたと思ったんだ? その答えも出ないまま、
「ちょっとキョン! なに有希をやらしい目で見てんのよ!」
あのなあ、どこでそんな目をしてんだよ? ハルヒの馬鹿でかい声に釣られるように長門が本から視線を上げる。
『…………すき………』
その視線を受けた時にまた声が聞こえた気がした、まるで誰かが話したかのように………