『SS』 月は確かにそこにある 2

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「どういうことだ?」
 前置きも無く単刀直入に尋ねる。すると分かっていたように、
「まずは部室へ行きましょう。長門さんがいるはずですから、そこで事情を説明してもらいましょう」
 と言ったのだが、おかしな点があることに気づかない俺ではない。この古泉が言う部室とは言わずと知れた文芸部室であろうことは間違いのないところだろうし、そこに長門がいるというのもまた当然だと思っているのかもしれない。つまりはこの女が古泉であるという可能性を裏付ける証拠でもあるのかもしれないが、まだ油断は出来ない。なによりも、
「説明してもらうとはどういうことだ? お前もそうなった原因を知らないかのような口ぶりなんだが、本当にお前は古泉なのか?」
 まず疑ってかかるのが定石となっている。それはもしも目の前にいるのが本当の古泉だとすれば当然理解できるだろうし、もしも何かの罠であれば長門や本物の古泉が気付いてくれるだろう。
「ああなるほど、あなたらしいですね。確かにこのような姿ですが、僕は古泉一樹です。ただしこの姿になってしまったのは僕が朝目覚めた時からであって、その原因が不明であることはご承知下さい。その上で僕自身も原因を突き止めるべく長門さんのお力を借りたいという訳です。その際にはあなたがいた方が何かと都合が良さそうなので同行願いました」
 なるほど、この回りくどくも説明が好きな様子は確かに古泉だ。そう言われれば面影のようなものも感じなくも無いが、何しろいきなり女になっているのに冷静すぎると思わないか? 
 とはいえ、本人も与り知らぬところで女になってしまったのは間違いない。ということは何らかの異変があったこともまた間違いがなく、それを確かめる手段として宇宙人の知恵を借りることもまた間違いの無い事実なのであった。
 まだ古泉にも訊きたい事は山のようにあるのだが、一旦端に追いやって俺達は部室へと急いだ。朝比奈さんがいるはずはないのでノックもせずにドアを開けると、そこにはやはり文芸部室の主がいたのである。俺は古泉に対してと同様に単刀直入に長門に切り込んだ。
長門、訊きたい事がある。この古泉の事だ」
「…………………なに?」
 この時、俺の長門の表情鑑定士としての何かが妙に引っかかった。この長門は確かに俺の良く知っている長門なのだが、どこかが違う。その違和感を確かめる間も無く古泉が長門に話しかけた。
「どうやら私はこの私が正しい姿ではないようなのですが、長門さんには分かりますか?」
 ややこしい事この上ない上に古泉が女言葉を使っているのも気持ちが悪い。男の姿の古泉を知っているからかもしれないが、声も女性そのものであるのがまた違和感を醸し出している。
「……………情報操作の痕跡を感じるが問題ない」
 長門の言葉に古泉は安堵の表情を浮かべたが、俺は先程からの奇妙な違和感を拭い去ることが出来なかった。長門が情報操作とやらを感じていながら対応策を講じていないということがありえるのだろうか?
 その不安はやはり的中する。長門の次の言葉に俺と古泉は驚愕するしかなかったのだった。
「古泉一姫は元々女性体であり、一旦の塩基配列の操作により男性体へと変化したに過ぎない。現在はそれも沈静化している、よって問題はない」
「ちょ、ちょっと待ってください! それは僕が元々女だったということですか?!」
 流石に慌てた古泉が男言葉で詰め寄るものの、長門は無表情に頷くだけだった。どういう事なのかは分からないが、長門の認識として古泉は女なのである。それが確定しただけだった。
「つまりは古泉は元々女であって、何らかの事情で一時期男になっていたが今は元に戻っているという事でいいんだな?」
「…………………」
 分かりやすくまとめたはずの俺の質問は沈黙によって無視された。だが沈黙は即ち肯定でもある。ただし長門が俺に対してそのような態度を取ることは異例であり、何となくだがその原因は予測出来てきていた。
長門、解決策はないのか?」
 小さく首を傾げる。確かに長門からすれば問題はないのだから解決策などないだろう、俺はそれを理解した。そして違和感の正体にも、だ。長門は首を傾げたまま古泉に向かってこう言ったのだから。
「…………彼は、何者? 何故わたし達の事を知っている?」
「な、長門さん? 一体何を言ってるんですか、彼は、」
 俺は古泉を止めると長門に向いてこう言った。
「すまなかったな、もう一つだけ訊いていいか?」 
 数ミリの肯定は懐かしくすら感じたが、違和感を消すようなものではない。だとすれば思い切って訊いてみるだけだろう。
「SOS団ってのはもしかしたら四人じゃないか?」
「えっ?!」
 古泉の驚きをよそに長門ははっきりと誰にでも分かるほどの大きさで頷いた。矢張りだな、と俺は得心する。
「SOS団は男子禁制。涼宮ハルヒはそう宣言している、それなのに彼は我々の内部事情を熟知している模様。古泉一姫、説明を求める」
 そうは言われたが古泉に説明など不可能だろう。爽やかスマイルの仮面などとっくに外れ、茫然自失としているのだから。かと言ってこのままにしておく訳にもいかない、俺は古泉の手を引くと、
「悪かったな長門、今の事はハルヒには内緒にしといてくれ。多分あの馬鹿が何かしたんだろうが、全部終わったら説明する。それまでは頼むから俺の記憶の消去なんかは勘弁してくれよ」
 そう言い残して部室を後にした。古泉は不安そうに(女になってからのこいつは驚くほどに表情豊かである)、
「大丈夫なのですか? 長門さんは何も知らないようでしたけど」
 まあ、あの長門が俺たちの良く知る長門ならば大丈夫だろう。幸いな事に話を聞きながら何かされる事もなかったしな。
「……………これからどうするんですか?」
 部室が駄目なら話せる場所は限られるだろう。俺達は中庭へとやってきた、いつだったか古泉の正体を聞いたあの場所である。
「随分と冷静ですね」
 まあな、こういう時は経験値が物を言うのさ。気取る訳でも無くそう言うと、俺は弁当を広げた。とりあえず腹が減ってはなんとやらだ。
 すると古泉もおそらく購買で買ってきたのだろうパンを取り出したのだが、ここでお互いに水分が無いことに気付いた。
「これは申し訳ありません、今すぐ買ってきます」
 そう言った古泉を押し止める。
「たとえどうであれ、今のお前の見た目は女だからな。買いに行かせている姿なんか見られたら何を言われるか分かったもんじゃねえ。とりあえず何がいる?」
 言われた古泉は一瞬意味が分からなかったようだが、すぐに気付くと苦笑しながら、
「まったくあなたという人は…………………分かりました、では紅茶をお願いします。できればストレートで」
 言っておくが奢りじゃねえぞ、後でキッチリ請求するからな。肩をすくめた古泉を置いて俺は自販機へ。
 実際この後どうなるのかさっぱり分からないし不安はあるのだが、少なくとも相手がたとえ古泉であろうが暗い顔をした女というのが近くにいて欲しくないだけなんだがな。まあいつものあいつよりも見応えがある笑顔であるのも否めないが。
 だから自販機に向かう前、俺の姿が見えなくなりそうな時、
「ありがとうございます、本当にあなたといれば何とかなるような気がしてきましたよ」
 と言ったのは聞かなかったことにしておいてやる。ついでに言えば、その時浮かべた自然な微笑みが古泉と思えんほどに魅力的であったことを含めてだな。