『SS』それはまるで恋のように 後編

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体力の限界を試すような時間でした、と言えば言いすぎかもしれませんが僕はこれでも『機関』で体は十分鍛えたつもりでしたよ? それでも彼女は無尽蔵のエネルギーがあるかのようでした。
「おにいちゃん、次はあっちー!」
本当に元気です、しかも勢いは増していくばかりで。しかし、おにいちゃんにもすっかり慣れてしまっている自分の順応性には驚かんばかりですね。
それにしても室内とはいえ様々な種類のプールがあり、飽きさせないように出来ているものですね。
始めは普通のプールでおとなしく泳いでいた妹さんはすぐに、
「あ、あれ! あんなのあるんだー!」
隣にある流れるプールへと移動して浮き輪で漂っていたかと思えば、
「すごーい! おにいちゃーん!!」
こちらに手を振られてしまったので少々恥ずかしい思いもしましたが。まあすぐに近くまで行ってあげれば、
「へへへ〜、なんかプカプカ浮いてるのも気持ちいいね」
と笑っているので、こちらも釣られて笑ってしまうしかないですね。
そして彼女の視線を先ほどから釘付けにしているのは、どうやらここの目玉というやつです。最初から行くかなと思っていたのですが楽しみはとっておくタイプなのですかね?
だが最早我慢も限界なのでしょう、行列に並んでいる妹さんの顔は輝いていますから。大人しく列に混ざってくれているのも助かりますね、これが涼宮さんなら………と、考えるのはやめておきましょう。そういう時は僕ではなく彼の出番でしょうし。
兎にも角にも僕らは階段を昇り目的地へと向かいます。
「うわ、たっかーい!!」
そうですね、このような所にしては十分な迫力かと。先ほどから悲鳴も聞こえていますし。
目の前には滑り降りていく人たちの姿、もうお分かりでしょうがここはウォータースライダーの入り口という事です。
妹さんでなくとも一度はやりたくなるでしょう? まあ彼なら遠慮するところでしょうが。
しばらく待っていたら僕らの番になりました。まずは妹さんがスライダーに乗ろうとしましたが、
「あ、おにいちゃん、ちょっと来て?」
はい、なんでしょう? 順番待ちですぐ後ろにいた僕が呼ばれるままに妹さんの近くへ行くと、
「はい、乗って乗って!!」
おや、僕が先なんですか? まあ初めてですし見本ということでしょうか、などと軽い気持ちでスライダーに乗った僕だったんですが、これが大きな間違いだった訳でした。
ではお先に、と言う間も無く、
「よいしょっと」
何故か僕の足の間に妹さんが、って何してんですか?! 
「え? 一緒に滑るんだよ〜!」
そうですか、何故ですか。何ですか、新手の拷問ですか、これは? いやいや、意識しすぎだ古泉一樹! 相手は小学生ではないか!!
「はい、お兄さんは離れないようにしっかり妹さんを抱えてください」
係員さん、空気を読んでください。これはあれですか、皆で僕をいじめてるんですか。
「妹さんもしっかりくっ付いてくださいね」
「はーい」
だから空気読めよ! そして何故そんなに素直なんですか、あなたも?! 妹さんは僕に背中を預けて、というかピッタリと背中とか全身をくっ付けてきちゃいまして。
えーと、そのー、まあ当たってるんですよ、何が? って下半身に下半身がですよ! それ以上僕に説明させないでください!!
しかもこの体勢で僕は彼女に腕を回して抱きしめなきゃいけないんですよ? そんなこと出来る訳ないじゃないですか! 
いやいや、待つんだ古泉一樹。お前はこんなキャラじゃないはずだろ? そうだ、相手は小さな子供じゃないか、何を動揺しているんだ、僕は。
相手は小学生で、しかも彼の妹だ。僕は彼に信用されてここにいるんじゃないか! それをこのような不穏な考えに囚われるなんて僕もまだまだ修行が足らないぞ、そうだ、彼ならまったく気にする必要がないことじゃないか。
僕は彼の代わりであり今日は彼女の兄なんだ、だから僕は覚悟を決めて妹さんを抱きしめたんですが。
「もっとギューッってしないとダメだよー」
そう言われてもなあ……………なんでこんなに彼女の体は柔らかいんでしょうか? 本当に抱きしめると折れそうな、という表現が似合いそうなほど妹さんを抱きしめた感触に。
それなのに水着越しに感じる温かさに不意に女性を感じてしまうのですから、僕はいよいよおかしくなってきているんでしょうか?
「離さないでね、おにいちゃん」
そう言って僕の腕にしがみ付いた彼女の温もりに不覚にも胸を打たれてしまったのは僕としては痛恨と言えるものかもしれませんね。
とか思ってたら、
「はい行きまーす」
って、おおおおおおおっ?! 
「キャーッッ!!!!」
あっという間に滑り落ちていく中で、僕はついつい妹さんの体を力強く抱きしめてしまいました。かといって感触がどうとか感じる間なんかありませんでしたけど、残念だとはいいませんよ?
滑りながら巻き起こる水しぶきと彼女の楽しそうな歓声、そして僕も大声を上げていたのかもしれません。
とにかく時間にすれば十数秒だったかもしれませんが、大きく水しぶきを上げてプールに滑り降りた時には僕はしっかりと妹さんを抱きしめていた訳でして。
「あ、す、すいませ…」
何を恐縮してるのか分からないままに謝ろうとすれば、
「あー、楽しかったねー」
振り向いて輝く笑顔の彼女がいました。それに惹きつけられるように何も言えなくなっている僕がいるんです。
「それじゃもう一回行こー!!」
まあ彼女は僕の事を兄として見てくれている訳ですし、僕が変に動揺しているだけだろうけど。
だから妹さんが僕の手を引いた時。
よく見えなかったけど、その頬が少し赤くなっているように見えたとしても。
きっと僕が自意識過剰なのだと思うことにしておこう、そう思ったんです…………





夕暮れが街並みを赤く染めていく頃。それが訪れるのも早くなってきた、と思いながら僕は一人プール帰りの道を歩いています。
歩いているのは僕一人です、何故ならば、
「く〜…………」
僕の背中で疲れてお休みになっているお嬢様がいらっしゃいますので。
体を預けられている心地よい重み。その温もりは決して負担など覚えるはずもなく。
あまり弾んでは彼女を起こしてしまうな、と思いながらゆっくりと、だけど気分良く歩く事が出来ているんですね。
そう、この温もりを離したくはないという気持ちに陥りそうなほどにですね。


しかし、その時は確実に訪れるのです。


所在無げに座っている彼の姿を前にして僕の足が止まりました。どうやら早めに涼宮さんから開放されたようで、ここで僕らを待っていたようですね。
「………なんだ、寝ちまってるのか?」
僕に気付いた彼は立ち上がります、妹さんが背負われているのですぐ分かったのでしょう。
「ええ、大分はしゃいでいましたから。僕などがお相手していて果たして良かったのか不安だったんですけど妹さんには関係なかったようですね」
僕は少しだけ背負った彼女に視線を向け、彼に対してそう言いました。実際に彼女は楽しそうでしたしね。
「そちらはどうでしたか? 涼宮さんの御用とはなんだったんでしょう?」
まあ聞かなくても分かりますが。涼宮さんとしては精一杯且つ限界でしょうからね。後は彼の反応如何ですが、どうにも通じないのが彼ですし。
予想通り彼は怪訝な表情で、
「それがハルヒのヤツはどうにも的を得んような話ばかりでな。結局誰かを驚かそうとか、とんでもないイベント事を起こそうというような感じじゃないから一安心といったところだが」
いかにも徒労だったかのように言うものですから。これでは流石に涼宮さんも報われませんね、仕方ないので助け舟でも出しますか。
「それは所謂デートというものじゃないですか?」
すると彼は意外な事にあっさりと、
「途中でそう思うことにした、そうでもなけりゃ俺の財布が可哀想なんでな」
まさかお認めになるとは思いませんでしたね。財布を理由にするのが彼らしいですが、閉鎖空間が発生しなかった事でも涼宮さんの気持ちは分かるというものです。
「そうですか、それならば良かったのですが」
僕の言葉に彼は面白くなさそうに鼻を鳴らすと、
「フン、そっちはいいだろうさ」
そう言うと僕の顔を覗き込むように、
「………………てめーもそんな顔で笑えるんじゃねえか」
おや? おかしな事を言われたような。僕が笑顔でいることは常なる事なのではないかと思っていたのですがね。
「気付いてないのか? お前の顔はいつもと違うんだぞ」
……………僕が? それはどういう事、
「できればそういう顔でいやがれ、俺たちの前でもな」
それは僕に出来るのかどうか。そうですね、努力してみます。
「まあ今日は妹が世話になった、礼は言っとく」
そう言って彼は僕から妹さんを自分の背中へと移しました。少しだけ軽くなり温もりを失った背中に寂しい、という思いを抱いてしまったのは仕方が無いのだと感じながら。
「ん…………………あー、キョンくんだ……………」
どうやら起こしてしまったようですね、失礼な事をしてしまいました。
「お、起きたか。どうだ、歩いて帰れるか?」
彼の声に答えるのではなく、妹さんは僕の方を向いていました。はて、なんでしょうか?
「えへへ〜、今日はありがとう」
「いえいえ、どういたしまして。僕も楽しかったですから」
素直にお礼を言う彼女に僕も素直に返します。彼も黙って見てくれていますし。
「ん〜とね、ちょっとしゃがんでもらっていい?」
はい、わかりました。とにかく彼女の言うとおりにしゃがんでみます。
そして彼女の顔がゆっくりと近づき、

チュッ

と頬に唇の感触がって、ええっ?!
「おい! お前何やってんだ!!」
「え〜、今日のお礼だよ?」
それは彼も慌てるでしょう、何より僕の今の心臓の鼓動を誰かに静めてもらいたいんですけど!
「また遊ぼうね、一樹おにいちゃん…」
それだけ言うと彼女の瞼が静かに下がって、ふらりと体が、危ないっ!!
「おっと、まだ寝ぼけてたのかよ」
僕が手を出すより早く彼が妹さんの体を支えました。さすがによく見ていますね、とはいえすぐに動けなかった自分に対しては忸怩たるものもあります。
「まったく…………どこで覚えてくるんだか」
彼は妹さんを背負うと、
「まああいつも寝ぼけてたんだ、見なかったことにしてやる」
そのまま荷物を持って立ち上がりました。僕は間抜けにもまだしゃがんだ体勢のままでしたが。
「しかしお前がここまで表情豊かだとはな。こいつには悪いがいいもんを見させてもらったぜ」
顎で背負った彼女を指しながら彼は笑って言いました、どうやら僕は余程間抜けな顔をしていたと見えますね。
「あ、あのですね、」
僕が言うよりも早く、
「そんじゃあ俺らは帰るわ。また明日学校でな」
さっさと彼は背中を向けてしまったのです、いやせめて何か釈明をですね?
「言っとくが今回だけだからな、次回はハルヒの相手をお前がやれ」
それは無理があるでしょう、あなた以外に涼宮さんが誘うわけないじゃないですか!
「それなら全員が楽しめる企画でも考えておくこったな、忘れないように」
ヒラヒラと手を振って彼は妹さんを背負って帰ってしまいました。最後に、
「やれやれ、『古泉一樹』を信用しすぎたのかね?」
という言葉を残して。
残された僕はといえば、彼の言葉を半ば呆然と聞くしかなかった訳ですが。
しかし彼はこう言いました、全員が楽しめる企画と。
それならばSOS団に誰かを入れて、という事なのでしょうね。きっと彼女の笑顔は団員皆さんの心も明るくしてくれるでしょうから。
その時は僕も彼の言う『そんな顔』で笑っているのでしょう、それは僕自身が望むところでもあるのかもしれません。
やれやれ、後は『機関』にお伺いを立てることにしますか、まず反対されない事を願います。
ならば僕も帰って早速企画でも練ることにしますか。
僕は今日一日の思い出を忘れる事がないだろうと思いながら帰宅の途に着いたのでした……………











さて、彼は全員で楽しめる企画をとおっしゃいましたが。
それなら今僕が考えているのはどうも違うようです、何故ならば。
僕はどうやって彼女を喜ばせるか、を考えてしまっていますから。
厳しいお兄さんの目を盗み、厳しい団長の追及をどう避けながら彼女を誘って遊びに行くか、考えるのも楽しいものだと思いながら。
それでも、今度は「おにいちゃん」は勘弁していただこうと思う僕なのでした。
出来れば「おにいちゃん」ではない僕でありたいものなのですけど、ね?