『SS』それはまるで恋のように 前編

「ふう、まったくやれやれですね………」
まるで彼の口癖が移ったように嘆息しながら、僕、古泉一樹はスポーツバッグを肩にかけ、いつもの場所へと向かうのでした。
この場合におけるいつもの場所、というのは残念ながらSOS団の待ち合わせ場所ではありません。なにより今日は日曜日で団の活動はお休みですから。
僕が向かういつもの場所、とは『機関』が運営しているスポーツジムなのです。これは『機関』側から命ぜられている訓練なんです、日常生活においてではなく有事の際に対応できるよう肉体の鍛錬は欠かせないという訳ですね。
もちろん僕自身も身体を動かす事が嫌いなわけではありませんが、何分ほぼ命令なのですから多少は気も滅入ってきます。
そんな訳ですから休日のはずの僕の足取りも重くなっても仕方ないかと思われます、愚痴を言ってもどうしようもありませんが。



さて、そうした僕の目前でなにやら騒いでいる男女がいます。とは言え痴話喧嘩、といった類のものではありませんね。
何故ならばお二人はれっきとした兄妹なのですから。
そしてお二人とも僕は面識があり、それどころか僕としては兄の方には一方ならぬお世話になっているのですから。
では僕がこの場合どう行動するべきか? 当然声をかける訳ですが。
「どうしました?」
すると彼は僕を見て驚きの表情を浮かべます。仕方がありませんね、僕らが学校以外で会う機会などSOS団絡みでなければまず無いと思われているでしょうから。
だからこそでしょう、彼の視線がみるみる不審の色に染まっていきます。些か悲しいものがありますが、彼が受けた苦労を思えば多少の同情は否めませんね。なによりも僕ら『機関』も彼を利用していないとは言い切れませんので。
しかし今回は本当の意味で偶然であり、僕自身もこのような場合に対しての対処というものには若干不安がありますが。しかも妹さんがいらっしゃるならば余計にです。
「あ、古泉くん聞いてよー! キョンくんったらヒドイんだよー!」
しかもその妹さんが僕に訴えかけるようにしがみ付いてくる事態なんて想定してる訳ないじゃないですか? 僕はとりあえず妹さんを受け止めたんですが、あのー、どうすればいいんでしょうか?
「こら! 古泉にいらん事言うんじゃない!」
彼が妹さんを引き離そうとしますが、
「やーっ!! キョンくんが悪いんだもーん!!」
意地になっているのか、妹さんは益々僕にしがみ付いて離れません。さすがに困ってきますね、何より周囲の目線も結構痛いんですが。
「とりあえず何があったか教えていただけませんか? ここではなんですから、ちょっと端に寄りましょう」
僕は妹さんを促して少し道の端に寄りました、妹さんが離れてくれないので渋々ながら彼もそれに従います。
「いったいどうしたんですか、あなた方が言い合いするなんて」
僕から見れば理想的な程仲が良いご兄妹ですからね、こんな往来で言い争うなど思いもつきませんでしたよ。
「あー、その、まあなんだな………」
歯切れの悪い彼に代わり、
キョンくんったらヒドイんだよ! 今日はあたしと遊びに行く約束してたのに急に行けないとか言い出しちゃって!!」
妹さんがまるで僕に助けを求めるように訴えかけてきたのですが、なるほど、それでここまで言い争ってきたという事ですか。
「ずっと前から約束してたから、この間もハルにゃんたちと遊びに行くのも付いて行かないで我慢して待ってたのに………」
あ、先週の件ですか? あれは僕も提案というか企画に参加していたんですが、そうですか………………それは僕らも配慮が足りませんでした。妹さんは涙を堪えています、その原因の一端が僕にもあったのかと思えば胸も痛みます。
しかも今回もまた、となればそれは妹さんも我慢の限界というものでしょう。僕は彼に尋ねてみました。
「何故急に行けなくなったんですか? 妹さんとの約束を反故にするようなあなたとも思えませんが」
すると彼は心底苦々しげに、
「お前も知らないって事は、俺としても教えてやりたくはないんだが…………」
ここまできてもそう言われるのは多少心外ですね。しかし彼は、
「とも言ってられんだろ、ホレ」
そう言って携帯の画面を見せてきたんです。そこには、
『11時に駅前集合! ただしあんただけだから、もう奢り決定だからね!! だからといって遅れないこと! 遅れたら死刑だから!!』
…………………………そういうことですか………確かに僕らにはまったく連絡はありませんでしたけど。しかし涼宮さんとしてはかなり努力しているなあ。
「いきなりこんなメールがきたんだ、断ってもいいがお前ら抜きというのが気にかかってな? ハルヒのことだから朝比奈さんとかを驚かそうとしているなら止めなきゃならんので渋々行く事にした。お前らならハルヒの話を聞いた後でどうにでもなると思って事後承諾でもいいかと思ったんだが」
…………………………そういうことですか………ここまできて気付かないのか、そういうフリなのかが僕にすら分からないのは彼が凄いのからなのでしょうか?
とりあえずは理由は分かりました、流石にこれで涼宮さんよりも妹さんを優先すれば僕の仕事が増えるだけですね。かといって、これでは妹さんがあまりに不憫です。
「う〜……………」
泣きそうになりながらしがみ付いている妹さんには罪がありませんから。それどころか彼も僕らのことを気遣っての行動ですから、申し訳ないとしか言いようもありませんし。
仕方ない、少しでも僕が力になれそうならいいんですが話だけは聞いておきましょう。
「今日はどちらへお出かけだったんですか?」
僕は妹さんに聞いてみました。おい、と彼が何か言おうとしましたが、妹さんはそれよりも早く、
「プール………」
小さくそう呟きました。しまった! という彼の顔。妹さんは堰を切ったように、
「一緒にプール行くって言ったのにぃ〜!! ちゃんと水着も持ってんだよ?!」
確かにビニールのバッグを持っています、諦めきれないというより持ったまま出たのを彼が追いかけた、というのが正解のようですね。強引にでもついて来て欲しかったのでしょう。
これで決定ですね、妹さんのお怒りは本物のようです。彼としても不本意でしょうけど、今回ばかりは堪忍袋の緒が切れた、というところでしょうか。
しかしまあ偶然というのもあるんですね、彼女が望んだ訳でもないでしょうに。
僕は笑ってしまいそうに、おっと笑顔はいつものことですか。それでも僕は笑顔で妹さんに、
「それでは僭越ながら僕がお付き合いいたしましょうか?」
と提案した訳です。パッと妹さんの顔が輝き、彼が驚きます。
「おい古泉! それは、」
「いいの? 古泉くん?!」
まあ当然でしょうが、彼は慌てて止めようとしますが妹さんは僕の言葉に少しは希望を持ってもらえたようです。
「構いませんよ、僕としては予定はあってないようなものでしたから」
正直『機関』の訓練などより余程有意義ですからね、これで少しでも喜んでいただければ。
「古泉、簡単に妹に言うなよな。大体お前、水着とか……」
「これが偶然にも水泳道具一式は持ってるんです、ちょうどジムに行く途中だったものですから」
彼としては妹さんに諦めさせるつもりだったんでしょうが、僕がバッグを見せると何も言えなくなります。また少し不審そうに見られてしまいますが、流石にそこまで上手くスケジュールを合わせて水着までは用意しませんよ?
「む………」
彼としても僕がそこまでやるとは……………まあ思われてるかもしれませんが。ですが妹さんからすれば関係の無い話ですよね、
「それなら連れてって!! キョンくんが券持ってるから!!」
となるんですよ。どうやら入場券までは彼から取り上げては無かったようですね、逆に取り上げていたら彼が逃げるには都合がいいですから案外計算づくだったのかもしれません。
おっと、小さな子供さんがそこまで考えているとは思えませんか、僕も余計な心配をするようだ。だがこれで彼としては逃げ道が無くなったのも事実ですね。
おまけに時間がありません、僕は彼にも分かるように腕時計を見るふりをします。彼も気付いたようです、そう、涼宮さんとの待ち合わせまで時間が迫りつつあるのです。
「少しは信頼してもらえませんか? 大事な友人の妹さんです、決して不快な思いはさせませんよ」
とはいえ男一人に任せるというのは不安でしょうけど。あくまで一般論としては。
しかしこう見えても僕らにだってそれなりの信頼関係というものは築けた自信というものもあります、何よりも僕とすればこのような形で彼に恩返しできる機会などそうはないのですから。
「……………………ふう、しょうがねえ」
彼も不承不承納得したようです、胸元のポケットからチケットを2枚取り出し、
「ほれ、後は任せたぞ」
僕に押し付けるように渡しました。そして一言だけ、
「いいか、お前が『古泉一樹』だから信用してやる。妹になんかあったらタダじゃおかんからな」
そう言って妹さんには、
「スマン、この埋め合わせは必ずしてやるからな。なんだったら苦情は全部ハルヒにでもしてくれりゃいい、それか古泉でもいいぞ」
おっと、そこまでこちらに振られても困りますけどね。僕の後ろに隠れてしまった妹さんに通じたか分かりませんが、それでも時間が無くなってきた彼は急いでその場を立ち去りました。
さて、涼宮さんのご機嫌だけは損ねないようにお願いしたいものですね。僕は笑って手を振りましたが、最後の彼の一言は何気に重いことも分かっています。
彼は『機関』の一員だとか関係なく『古泉一樹』という人間だからこそ妹さんを任せるのだと言いたかったのでしょうから。その期待には答えたいものです、古泉一樹個人として。
それに、
「………………キョンくんのばかぁ…………」
僕の後ろでまだ彼を見送りながら拗ねているこの小さなお姫様に笑顔を取り戻させるのも僕にとっては大事な役割なんでしょうから。
「さて、そろそろ僕らも行きませんか?」
まだぐずっている彼女を促すように、僕は歩き出そうとします。すると、
「…………………」
シャツの裾を強く掴む彼女。どうしたんでしょうか?
「………………ごめんね、ありがとう………」
おやおや、まさか彼と一緒に居られないのにお礼を言われるとは思わなかった。少しだけまだ涙目の彼女をどうにかしなくちゃな、と柄にもなく思えてきます。
「行きましょう、彼が羨ましがるくらい楽しみましょうね」
そう言って小さな手を握る。そのくらいは僕にも出来ますから。
「………………うん!!」
やっと見られた笑顔はとても輝いていました。それはまるで太陽のような、そうですね、僕らの団長よりも輝いて見えたと言えば言い過ぎになるのでしょうか?
僕らは並んで歩きます、あれだけ重たかった足取りも嘘のように。
せめて今日くらいは僕も楽しもう、彼女を楽しませるためにも。
などと思いながら、僕は妹さんとプールまでの道を仲良く手を繋いで歩いていったのでした。