『SS』 金銀・ダイアモンド&パールプレゼント 3

前回はこちら

「ええと、どちら様でしょうか?」
 俺達四人の前に立つ少女にとりあえず声をかけてみる。こういう時に率先せねばならないのが俺の役割というのも納得が出来ていないのだが、何でも分かっている宇宙人や超能力者に何も分かっていないだろう未来人がいるので仕方が無いのだ。
 そしてそれに対する反応は決して芳しいものではなかった。というよりも、
「――――――?」
 さっきから首を傾げてばかりで何も話そうとはしないのだ。それどころか事態をまったく把握していないのか、左右を見渡す様子すらもなく正面だけを見つめている。
「これはどういうことですか、長門さん?」
「……今調査中」
 後ろで古泉と長門が何やら相談しているのも聞こえていないのかもしれない。どうやら女の子の形をしているだけで違う生き物であることは間違いなさそうだ、これ以上は距離を近づけないようにした方がいいのか? と俺が離れようとすると何と女の子が近づいてきたのだ。うわ、近い! いきなり目の前に顔がある、どうも俺よりも頭一つ分ほど低い身長に顔立ちは幼さが残っている。年齢は俺達よりも下だと思って良さそうだ、だが長門の例もあるしな。
 いや、冷静に見ている場合じゃない。ここからナイフでも出されたら俺の命は終わってしまう、俺は後ずさろうとした。が、
「待って」
 長門が背後に立っていた。そして俺越しに少女に手を伸ばし、何やら高速で呟いた。何で俺の後ろから? と言おうとすると、
「――――――アー」
 目の前の少女が急に声を出したのだ。お前か、長門
「発声機能が未成熟だった為に言語化が不可能だった。今は声帯を振動させる方法を喉に直接刺激させる事により可能とした」
 つまりは今までは見た目と違って話す事すら不可能だったってことか。頷く長門よりも目の前の少女はあーとかうーとか声を出す事自体を不思議そうに行っている。
「それで彼女と会話は可能なのですか?」
「我々が現在行っている通常会話ならば可能。あの者が言語というものを理解している限りは」
 そうですか、と言った古泉が、
「では、はじめましてと言えばいいんですかね?」
 と少女に声をかけた。
「は、し、め、まして?」
 どうやらまだ話しにくいらしいが会話を成立させようとする意思はあるらしい。まだまだ自分の声に自分で驚いているような感じだが。
「あ、あの〜、何か飲み物でも用意しましょうか?」
 先程からの流れで危険性を感じなくて済みそうだと判断した朝比奈さんがおずおずと提案した。そうだな、喉を潤せば少しは違うかもしれない。
「お願い出来ますか、朝比奈さん」
 はい、と返事をされた優しき天使は慣れた手付きでお茶の用意を始めた。それを興味深げに見ている少女、しかし何者なんだ? それに少女は答えてくれず、長門も何となく分かっているようだったが何も話してはくれなかった。






「はい、まだ熱いかもしれないけど」
 あまり時間をかけずに朝比奈さんはお茶を淹れてくれた。元々作り置いていたものを温めただけだと言うが流石だなと感心してしまう。俺達もご相伴に預かり、全員がとりあえず席について落ち着いた状態で事情聴取の再開となった。
「で、結局君は誰なんだ? 恐らくは俺達も知らないが君は俺達を知っている、そう考えて間違いないな?」
 するとゆっくりとお茶を飲んでいた少女が顔を挙げ、
「わたしーは、あなたをー、知っているー。あなたーも、わたしーを、知っているー」
 先程よりも聞き取りやすい声で話してくれた。左右を見回し、
「あなたーも、あなたーも、あなたーも、わたしーは、知っているー」
 全員に向けて言ったようなので矢張りこいつは俺達だと認識した上でここにいるということになる。つまりSOS団だと分かった上で、という意味で。やれやれ、厄介事で決定だな。
「では単刀直入にお伺いします。あなたは何者ですか?」
 古泉の質問に首を傾げる。
「難しい単語はまだ理解出来ない、急速に理解力は高めているが質問内容は考慮すべき」
 珍しいな長門がフォローしたぞ。まあ古泉も理解が早いもので、
「では、あなたはどこからきたのですか?」
 と簡潔に訊きなおした。すると少女は首を傾げたまま、
「どこー? わたしーは、ここーに、いるー」
 質問の答えとして正しいのか? 視線を彷徨わせている先には、
「あれーが、わたしーの、いるーところー」
 水槽がそこにあった。いや、何となく嫌な予感はしてたんだけど。
「あ、あの、キョンくん? どういうことなんですか?」
 ああ、朝比奈さんには難しい話だったのだろうか。
「朝比奈さん、水槽を見てください」
 古泉の言葉に朝比奈さんが水槽を覗く。どうやら古泉も分かったようだな。
「あれ? ドジョウさんがいませんよ? どこに行ったんでしょうか……」
「いなくーないー、わたしーは、ここーに、いるー」
 朝比奈さんの呟きに答えたのは少女だった。
「へ? あたしはドジョウさんがどこに、」
「ここーに、いるー」
 朝比奈さんの言葉を遮るように少女が主張した。やれやれ、やっぱりなのかよ。それでも理解出来なかったと見え、目をパチクリとさせて少女を見つめていた朝比奈さんだったのだが。
 しばらく見詰め合う少女と朝比奈さん、なかなか絵になる構図ではあるが埒が明かないな。やがて恐る恐る口を開いた朝比奈さんが、
「あ、あのですね? あなたはもしかしたらドジョウさんなのですか?」
「えー、わたしーは、なにー? あそこーに、いたのーは、わたしー」
 つまりはドジョウだろ。そしてようやく朝比奈さんも気がついたようだった。水槽と少女を何度も見直すと、
「ひょえぇぇぇぇぇ〜っ?!」
 いや、流石に人が来ちゃいますから叫ばないでください。気を失わないだけマシなのかもしれないけど。






 朝比奈さんも落ち着いたところで改めて説明を求めたいんだけどな。どうぜ中身は分かっているが。
「恐らく涼宮さんはドジョウが進化したらいいと思ったのは間違いなさそうですね」
 ああ、多分そうだろうな。だが何故ドジョウが進化したら女の子になるのかは説明出来んぞ。
「そうですね、こう考えると分かりやすいかと。涼宮さんは当初ドジョウが巨大化したりする進化を望んだ。しかしあなたの指摘の通り、そのような事は起こるはずがない。しかし進化はして欲しい、そこであなたの言葉です」
 俺か? 一体何を言ったんだよ。
ダーウィンですよ。あれで涼宮さんは進化論を思い出したのです。そして進化の最終系は自ずと人間、ということになりますよね。だから涼宮さんはそのままドジョウが進化して人間になればいいと思ったのではないでしょうか」
 あー、あんなツッコミからここまでやるのか。アホらし過ぎて開いた口が塞がらない。
「恐らく涼宮さん自身の常識的な部分でも通常の進化と言えば人間へとたどり着くと思ったのかもしれません。突拍子も無いようで道を外さない方なので」
 どっちにしろ迷惑なことしかしてないだろうが。というか常識的な部分など欠片もありゃしない。俺は眉間に寄りそうな皺を無理矢理揉み解した。
「まったく、やる事なす事滅茶苦茶だろ……」
 大体本当にドジョウを進化させるやつがあるか。しかも何故人間型、しかも女の子なんだ? 進化の頂点が人間だったとしても女性にする必要はない、それともハルヒの中での進化の頂点とは萌えなんだろうか。いや、女の子だから萌えという訳でもあるまいが。
 その進化に成功させられたドジョウ娘は尚も自体を把握していないように一点を見つめた状態でゆっくりと冷ましながらお茶を飲んでいる。まあ訳が分かっていないのは確かなんだろう、自分が何者なのかは理解出来ているようでもあるが怪しいものだ。
「それで、どうすればいいと思いますか? 彼女には罪はありませんが些か具合が悪いのは間違いありませんし」
「そうだな、ひとまずドジョウの代わりは用意しないとまずいだろ。死んだと言っても納得しないだろうし、一晩でどうにかなったなんて何言われるか分かったもんじゃない」
「そこは『機関』にでも替え玉を用意してもらいます。問題は彼女の方でしょうね。彼女、という表現が正しいのかも不明ですが、どのようにすれば元に戻れるのかも分かりません」
 彼女、ねえ? 元ドジョウで現女の子は朝比奈さんがお茶のお替りを淹れてくれるのを興味深げに見つめている。そこまでジッと見てると朝比奈さんが緊張で手元を狂わせそうだ。
「なあ長門、」
「問題ない」
 俺の質問は最後まで言わないうちに長門に遮られた。どうやら解決策は既にあるようだ、長門が出した結論は何だ?
「翌日に涼宮ハルヒが替え玉のドジョウを確認した時点で自らの願望が現実では無いという事実を認識する。そうなればかのドジョウの変異体は自らの存在意義を喪失し、消滅する」
「なるほど、無かった話になる訳ですね。無いものは存在しない、映画の時と同じですか」
「そう」
 古泉の解説に長門が頷く。つまりはハルヒがフィクションだと思えばそこでこの女の子の存在が無くなる訳だ。ドジョウはあくまでドジョウであって女の子なんかにはならないという、当たり前の話なんだが。
 そうか、明日になれば何もせずとも片がつくんだな。ハルヒが『機関』の替え玉のドジョウを見て、やっぱりドジョウのままだったのかと思って、そうしたら元ドジョウの女の子が消えておしまいと。
 ………………待て、何か腑に落ちん。
「おい長門、それはこのドジョウ娘が消えちまうってことか? 元に戻るとかじゃなくて」
「そう。涼宮ハルヒはドジョウはドジョウとして認識するが、それは替え玉のドジョウを認識することによって成立する。従って現在我々が認識しているドジョウは存在そのものを抹消される」
 いやいや、それはおかしいだろ? 確かにドジョウはドジョウのままでいてほしいが、だからってこいつが消えていいってもんでもないだろう。
「大体こいつは妹が持って帰ってきたただのドジョウだぞ? それがこっちの勝手な理屈でいきなり消されるなんておかしいじゃねえか」
「そうは言いますが、このままという訳にもいかないのはあなたもご承知のはずです。妹さんには替え玉のドジョウを見せておくしかないですよ」
 だからそういう問題じゃないんだって! なんて言えばいいんだ? 映画の時と違って今ある命が勝手な理屈で消されようとしている、それがおかしいと思うんだよ。
「それはあのドジョウが我々人間に近い形だから抱いた感情なのではないですか? ドジョウがドジョウのままならそう思えたかどうか……」
 古泉の鋭い指摘に俺は口を噤んでしまった。確かに人間、それも女の子だから助けようと思ったんじゃないかと言われればそういうものなのかもしれない。それでも、
「え? あの、この子消えちゃうんですか? それは…………可哀想です」
 と、ほぼ無反応なドジョウ娘の相手を一人懸命にされていた朝比奈さんの言葉を聴かなくとも何とかしようと思うもんだろ。やはり命は命なんだ、ドジョウだろうが人間だろうがハルヒの都合でどうにかなっていいもんじゃない。
「しかし……」
「待って」
 尚も反論しようとする古泉を遮ったのは意外な事にドジョウが消えてしまうと言った長門だった。
「彼の言いたいことは理解出来る。わたしは情報統合思念体によって作成されたインターフェース、しかしそれは涼宮ハルヒの願いでもあった。だがわたしは今は自分の意思でここにいる。かのドジョウも同様に自らの意思というものを確認すべきである」
長門さん……」
 俺は感動していた。長門の意思、自分の意思でここに居ると言う言葉に。そうだ、ハルヒの願望なんかじゃなくても長門長門として、俺達の仲間としてここにいるのだから。
「ふう、そう言われてしまうと僕もここにいるのは涼宮さんの能力あっての話なのですが。しかし僕も長門さんと同じですよ、今は古泉一樹として、SOS団副団長としてここに居ることを誇りに思っていますからね」
 きっと朝比奈さんもそうだと思いますよ、古泉の視線の先で何とかドジョウ娘とコミュニケーションを図ろうとする未来人さんもきっと同じように言ってくれるに違いない。だとすれば後は簡単だ、意図せずにこの場に現れたが不思議なものには慣れている俺達にとっては。
「なあ、結局お前はどうしたいんだ?」
 朝比奈さんと噛み合わない会話をしていたドジョウ娘に俺は話しかけた。まずは目的だけでも知っておこう、その後はそうするかはまた別の話だ。
「わたしーは、あなたたちーに、助けてーもらったー。わたしーは、それをー、お礼したいー」
 お礼? お礼ってのは助けたお礼だよな? 素直に頷いたドジョウ娘は、
「なんでもー、できるかもー、しれないしー、なにかー、したいー」
 何も出来なさそうな顔をして俺達に頭まで下げたのだった。えーと、さっきまでの空気が嘘のように解けていく。
「なあ古泉?」
「なんでしょう?」
ハルヒの奴が望んだのって進化じゃなくて恩返しなんじゃないのか?」
「そのようですねえ」
 俺は今度こそ本当に頭を抱え込んだ。アホだ、ほんまもんのアホだったんだ、あのアホ! 二十一世紀だぞ? 高校生なんだぞ?! それがドジョウを助けて恩返しを期待するってどんだけあったかい脳みそしてるんだよ!
「まあ夢があっていいんじゃないですか」
 見返りを期待してる時点で夢見がちじゃねえよ! 中途半端に打算的なのが逆にムカつく。というか昔話でも見当たらないぞ、ドジョウの恩返しなんて。
 すると今まで無反応だったドジョウ娘がいきなり立ち上がると俺の目の前まで歩いてきた。
「あなたーは、わたしーの、いのちのーおんじんー。たすけてーくれたー、おれいをーしたいー」
 まあ俺はシャミセンの攻撃からこいつを救ってやって学校まで連れて来て餌もやってるので直接的な恩人ではあるかもしれない。どうやらドジョウとしての記憶の認識としては俺が最優先の恩返し対象であるらしい。
「あー、お礼はいいんだが何してくれるんだ?」
 俺としてはお礼などどうでもいいのだがこの娘が満足してくれればいいんだろ。ドジョウ娘はしばらく首を傾げて何やら考えていた風だったが、おお、と一声呟くと当たり前のようにこう言った。
「子作り?」
 謹んで遠慮する。
「確かに人間以外の生物では優秀な遺伝子を残す作業というものが最優先されますから彼女としては最高級のお礼なのでしょうねえ」
 感心するな、人事だと思いやがって!
「ふぇ? キョ、キョンくんがお父さんにー?!」
 なりませんって!
「大丈夫、わたしがさせない」
 だからしないっつうの! まったく、悩んでいたのがアホみたいじゃないか。結局いつものSOS団の雰囲気に戻ってしまって、俺はいつもの口癖と共に溜息をついたのだった。