『SS』世界の幸福な結末について

さて、まずは馬鹿馬鹿しい話で申し訳ないのだが、この話をご存知だろうか?
曰く、人生には三度のモテ期、つまりは異性に好意を寄せられる時期がある、ということだそうだ。
まあ一種の都市伝説のようなものと考えても差し支えないのかもしれないが、何と言っても俺自身がそのモテ期、というものを体感していないものだからどうにも眉唾ものであるというだけだ。
兎にも角にも、そのように人生のモテ期というものがある、ということだけはご理解いただけただろうか?
そして俺は体感していないが、そのモテ期というものがあるんだって事はある人物のおかげで身を持って知ったのである。


その人物とは何を隠そう、俺の友人であるところの谷口である、別にもったいぶる必要なんかないしな。
谷口はナンパこそするが、その成功率は本人の口から聞いただけなので甚だ怪しく、たまに同行する国木田の話の方がまだ信憑性があると俺は確信していた。
それがある日、どうやら谷口の果敢なアタックが功を奏したようで、
「な? 俺の魅力にやっと時代が追いついたんだぜ!!」
などとその次の日の昼食時に口角泡を飛ばさん勢いの熱弁を振るっていた。
俺と国木田といえば、
『そんなこともあるもんかね?』
『さあ?』
などと視線で会話を交わしたもんだ。


ところが時代とやらは本気で谷口を追いかけていたのか、その熱弁を振るった次の日から奴の人生は大きく変わっていったのである。
朝から下駄箱には大量の封筒がひしめき合い、肝心の上履きは盗まれている始末。
授業中も女生徒の視線がチラチラと飛び交い、それはあいつの元へと集中しているのが分かる。
昼休みは俺と国木田は定番の席を追い出され、谷口の周りには弁当箱を持った女子達が行列を形成してしまっているので俺たちは中庭まで移動して弁当を食うはめになった。
教室内にスペースが無いわけではないんだが、なにしろ女どもが騒がしい上に恨みがましい男子生徒の視線が谷口の近くにいれば突き刺さりそうなので気分が悪いことこの上ない。
国木田が苦笑しながら、
「まあ人生には三度モテる時期があるって言うからね」
と言っていたのを、なるほどそういうもんかね、と聞き流していたほどなのだから。
所詮は人事である、谷口のささやかな努力を知る者としては素直におめでとうと言ってやりたいくらいさ。
ところが事態は俺の身近にも変化を見せてきたのだった。


それは最早恒例となった谷口の朝のラブレター処理を近所の下駄箱のよしみで手伝っていた時の事なのだが、俺の見慣れた形の白い封筒を見て驚愕した。
しかもその裏には丁寧な字で『朝比奈みくる』と書いてあったのである。
まさか朝比奈さんまで谷口に? それでいいのか、未来的には?
だがまさか禁則事項に引っかかる訳にも、谷口に事情を言える訳でもなく、俺は谷口に朝比奈さんの手紙を渡した。
「ま、マジか? よし! やはり時代は俺に微笑みかけてるんだぜ!!」
ああそうかもしれないな、ぼんやりとだが俺はそう思った。
朝比奈さんが動くと言う事は即ち未来に関わる事であり、それは恐らく規定事項という言葉で済まされてしまうものなのだろう。
そして谷口はどうやら朝比奈さんに放課後に告白され、谷口いわく何十番目かの恋人となったのである。
憧れの天使は今や地に落ちた堕天使で、谷口の為にメイド服を新調しているようである。
どうやら事態は只事ではないようだ。俺の直感はそう告げたが、事は恋愛事であり、それは俺にはなかなか理解できるものではなかった。


そしてついに時代というか、神は谷口に微笑んだ。
ハルヒが…………あの涼宮ハルヒが、である。
谷口に告白をした。場所はクラスメイト全員がまだ揃う放課後の事である。
「谷口………いいや、谷口くん! あ、あたし、あんたの事が好きなの!! お願い、あたしと付き合って!!」
衆人環視の所の告白がいかにもハルヒらしかったが、谷口は余裕の笑みで、
「涼宮かー、いいぜ、ちょうどお前が俺の記念すべき百人目の恋人だ! それでいいよな?」
などと言う。ハルヒの反撃が怖くてハラハラしながら見ていた俺なのだが、なんとハルヒは、
「なっ? ……………いいわ、あたし何番目でもいい! 谷口くんと付き合えるなら!!」
周囲の誰もが驚愕し、愕然としたと思う。俺など魂がどこかへ飛んで行った、とすら思えたのだから。
こうして涼宮ハルヒは谷口と付き合うようになった。
神だかどうだかは知らないが少なくともハルヒは、と思っていた俺の予想をあっさりと覆したんだ。
ふう、何故だか俺は肩の荷が下りたような気がしてしょうがなかった。
俺がハルヒに? 谷口と付き合うような女に何かある訳ないな。
結局あいつのポニーテールはあれが最初で最後だった。
まあ神ってのもあいつのトンデモ能力を知っているからであって、今のあいつはただの恋する乙女ってやつなんだろ。


まあハルヒの能力がどれほどのものか、良く知る者としては当然の結果が待っている。
俺たちのクラスは席替えがあり、俺と谷口はそのポジションを綺麗に入れ替えたのだ。
ちょうど国木田が近い、俺たちは中学時代と変わらないやり取りをするようになった。
「谷口はいいのかい?」
「まあ幸せなんだからいいんじゃないか? 元々ここで知り合ったんだ、あいつのやりたいようにしたらいいさ」
「そうだね、谷口はあれでいいみたいだし」
そうさ、と言って俺は国木田から借りていたノートを返す。
こういう会話や何気なくノートの貸し借りが出来る分だけ今の方がマシだ、俺は本気でそう思う。
教室の後ろではハルヒと会話しながら他の女生徒にも気を配る谷口の姿。
なるほど、あれだけマメなのがモテるコツなのかね?
俺には到底出来ない芸当だ、尊敬するよ。
そう思いながら俺は国木田の答えを写したノートを頭の中に叩き込む作業に専念することにした。


ところでここ北校にはSOS団なる学校非公認の団体があったのだが、それはあくまで涼宮ハルヒという自己中心な女が勝手に作ったものであり、俺は嫌々ながらその行為の片棒を担がされただけである。
よって、涼宮ハルヒが谷口の彼女という存在となり、その谷口が放課後に何もせずに帰るのだから彼女としては一緒に帰りたいと思うわけだ。
それにSOS団の団員であった朝比奈さんも谷口の彼女の一人であり、すなわち谷口と行動を共にしたいと思うのは当然の事であって別に反論の余地はない。
そして残りの団員の一人でありながら涼宮ハルヒの忠実なるイエスマン兼超能力者は、
「申し訳ありません、僕の役割はあくまで涼宮さんの監視及び保護なのです」
そう言って俺に頭を下げた。
「いいって、気にすんな。だがハルヒはあれでいいのか? 自分が一番でも特別でもないなんて、世界の危機だとか言ってお前が騒ぎそうなもんなんだが」
「それが…………よほど谷口氏の扱い方が上手いのか、涼宮さんは閉鎖空間どころか能力の収縮すら確認できたほどで…………」
そいつはよかった、お前のお役御免も近いかもしれんな。
俺は心からそう言った。思えばこいつが一番ハルヒのせいで苦労しているかもしれん、これで平和なら何も言う事なんか無いな。
古泉は俺の言葉にそのスマイルを少し曇らせ、
「ですが、僕は今まで苦労を共にしたあなたに何も出来ない事が心苦しいんです。ですが『機関』としても現状の涼宮さんの状態に満足していますし、これ以上僕がSOS団に存在する理由も…………」
ふう、お前もつくづく苦労症だな。
俺は古泉の肩を叩き、
「谷口はいい奴さ。それにハルヒの力が無くなった訳でもないんだろ? いいからお前はお前の役目ってのを果たせ。俺なんかにゃ過ぎた話だったのさ、気にするんじゃない」
俺の話はもうない。後はハルヒの機嫌が悪くならないように谷口の尻でも叩いてな。
「…………ありがとうございます…………ですが僕はあなたに友情を抱いているという事に変わりはありません」
ああ、俺だってそうさ。ハルヒの奴が能力が消えるなりしたら国木田たちと遊びにでも行こう。
ま、男同士の友情ってやつだが結構照れるもんだな。学園ドラマの主役なんか柄じゃないぜ。
「では、その時を楽しみにしています。それではまた」
頑張れよ、古泉。
しかしハルヒの言った通りだな、と俺は一人ごちる。
恋愛は精神病か、自分で罹ってりゃ世話ないぜ。苦笑しながら古泉を見送った。
こうして北校からSOS団なる珍妙な名前を持った奇妙な履歴を持った面々の集まる謎の集団は自然消滅と相成ったのである。


だがそれにも関わらず、俺の足は放課後の鐘を聞くと同時に旧校舎へと向かう。
最早目を閉じてもたどり着けるのではないかと思えるほど通いなれた道を通り、文芸部室の前へ。
ちなみにここに貼ってあったSOS団の張り紙は、ハルヒが谷口と一緒に帰りだしてすぐに引っぺがして捨てた。
未練がましいのは俺のキャラじゃないんでね。だからここは本来の役目をようやく取り戻した文芸部、なのである。
ノックの必要が無くなったドアを勢いなんぞ無く開く。
するとそこには文芸部員がいるに決まっているのだ。
「よう、待ったか長門
俺の方へ読んでいた本から視線を外した小柄な少女は、そのまま本を置いてドアを閉めた俺へと近づいてくる。
「…………二分四十秒待った」
それはすまん。俺は待たせた償いにショートカットの文芸部長を抱きしめた。
「それにここでは名前で呼んで、と言ったはず」
重ねてすまん。流石にまだ慣れなくてな。
「あー、待たせて悪かった……………有希」
「そう………」
小さく頷いた長門…………いや、有希が目を閉じている。
やれやれ、待たせたお詫びは足らないか?
俺はその小さな唇に自分のそれを重ね合わせた…………


SOS団が消滅した時、俺は有希に尋ねた。
「なんでお前はここにいるんだ?」
その答えは意外とも言えるものだった。
「わたしは元々文芸部員」
おいおい、それはハルヒがここを占拠するための、いわばカモフラージュみたいなもんじゃなかったのか?
「観測対象の観測行為そのものはここからでも出来る」
まあお前の力ならなんでもないだろうな、それでここにいるってことか。
小さく頷いた有希にもう一つの質問をぶつけてみる。
「お前は谷口はいいのか?」
なんといってもハルヒさえ惹きつけた谷口である、俺の質問は当然だろう。
それに対し、
「わたしには問題ない。むしろ観測対象としては低レベル」
いやそうじゃなくて、その、彼女とかにはならなくていいのか、と聞いてるんだが。
「必要ない。わたしという個体は彼と接触する意義も、そうしなくてはならない道理もない」
これはまた随分な言われようだ、あの谷口をここまで言える女性はもう有希しかいないだろう。
「あなたは何故ここに?」
「ああ、今日はたまたまさ、あの張り紙ももういらないだろうと思ってな。心配すんな、もう迷惑かけたりしないからさ」
そう言って部室を後にしようとした俺の制服の裾を掴む有希。
「な、なんだ長門? 俺はもうここには用はないぞ?」
しかし有希の力に逆らえるはずもない。俺は有希と向かいあった、何なんだよ一体?
そして有希は俺の運命を決定づける一言を言った。
「ずっと…………ここに来て。わたしの為に」
な、何言ってんだ、こいつ?
「わたしという個体、いや、わたしは…………あなたが好き、だから」
衝撃だった。長門が、長門有希が俺に?
「あなたが、好き、これはわたしのエラー? ではない事をわたしは確信している」
そうか……………俺は……………俺の答えは…………


夕暮れが迫る部室に二人の影。
俺と有希が並んでいる。
静かな空間に響くのはページをめくる音だけ。
ああ、こういうのが俺が望んだ世界だ。
モテ期なんてもんはこれからも来るかは知らん。
だが俺には愛する女が一人いて、愛されている男が一人いる。それだけで十分だし、それが続いていくならそれがいいのさ。
それを教えてくれた女性は本を読み終えたあとに俺の膝の上に乗り、俺の首に両腕を回している。
「なあ有希、今日はどうだった?」
いつもの質問。そしていつもの答え。
「観測対象に異常なし」
そうか、それでいい。俺は愛する女を抱きしめる。
「なあ、いつまでこうしていられる? もしハルヒの力が無くなれば、お前は…………」
俺は不安に囚われる。もし有希がいなくなれば、俺はどうすればいいんだ?
「たとえ涼宮ハルヒが能力を消滅させたとしても、わたしはあなたと共にある」
「出来るのか? そんな事が!」
涼宮ハルヒの能力はコピー済み。能力消失と同時に、わたしが力を解放して情報統合思念体との接続を遮断する」
あの時の、眼鏡をかけた彼女の優しい微笑み。
「そうか、俺はお前と一緒にいられるならそれだけでいい」
それ以上も求めないが、それ以外も認めない。俺はお前さえいればいいんだ。
「まかせて、」
目の前の少女が微笑む。吸い込まれそうな黒瞳に、少しだけ唇の端を上げて。














『情報操作は、得意………』