『SS』 長門有希の憂鬱

長門有希の憂鬱



 クリスマスイブに何の脈絡もなく出会った異世界人の魔法使いは言いました。
異世界は想像を絶するほど半端なく宇宙空間よりもはるかに広い上に、異世界というものは大宇宙を含めて一つ。そんな世界がいったいどこにどれだけあるのか想像もつかないので異世界の目的地を自由に行き来できる可能性は皆無に等しい」と。
 ところが俺の右肩を安住の地とした小さな恋人・長門有希は、条件付きではあるが、その困難なことをやり遂げる方法を見つけたらしく、前回はちょっとした手違いで違う世界に行ってしまったんだけど、どうやら再度挑戦するつもり満々だったようだ。
 とある土曜日。本来であれば不思議探索があってもおかしくない日なのだが、年中無休がモットーのはずのSOS団団長が休みを言い渡した日の午前8時半のことである。
 理由は知らん。
 まあもっとも、俺と有希は、前回、本当に休みにしてくれたハルヒを信じることにして、今日はせっかくの休みだから何か特別なことをして過ごさないかと有希に持ちかけたところ、そう提案してきたってわけだ。


「今度こそ、かの魔法使いが住む世界に。手筈は整えてある。ほぼ確実に行けると思う。わたしはクリスマスのことと、以前、助けられたことのお礼を言いに行きたい。もちろん、あなたと一緒に。許可を」


 シチュエーションも語りも前回とほぼ同様だ。
 と言う訳で、今、有希は俺の右肩ではなく、目の前の机の上にちょこんと正座している。
 まあ、さすがに今度はあんな訳の分からない偶然はないだろう。と言うか、有希曰く、あの可能性は奇跡という言葉すら生温い偶然だったらしいから、そう何度もあるとは思えない。と言うか、いったい、どこで有希はそんなことを知ったんだ? 少なくとも俺が知らないということは、今の俺と有希は二十四時間一緒にいるわけだから、お互い別行動なんてほとんどした覚えはないので、俺と一緒に暮らす前の話なのだろうか。
 いやまあ……正確には、俺にとっては半日、有希にとっては何日間かほどではあるが離れ離れになったことはあったがな。
 ……ひょっとしてその時か?
「おう。今度こそ行けるよな?」
 つっても俺は、その時の有希のことをほじくり返すつもりはない。半日ほどでも俺は耐えられなかったんだ。有希にしたって同じだろうし、俺以上の日数を離れ離れになっていたことは確かなんだからそれを蒸し返させるなんざ断固止めておくべきさ。
「そう」
 笑顔の俺の了承に、有希はジャンプして俺の右肩に見事着地。
 そのまま、すっと何もない空間に指を突き出して高速呪文開始。
 とと、今回は携帯電話を所持だ。前回はそれでえらい目に遭ったんだから同じことを繰り返すわけにはいかん。
「オープン・ザ・ゲート」
 有希が静かに呟くと、その先に空間が風景ごとうねり渦巻いて、やがて――




 結論から言おう。
 結局、今回もかの魔法使いの住む世界に行くことはできなかったのである。と言っても、別に有希が失敗した、とかじゃない。
 何と言うか……
 どうやら異次元の扉を開いた途端、それを通じて、常に発し続けていたとある人物の切なる願いが届いてしまったようで、当初は気付くことができなかった有希ではあったのだが、どうも深層の部分がそれを感じ取ってしまったらしい。
 それゆえ、その世界に行ってしまったのだが、まさか、あんな世界があるとは思わなかった。
 いや違うな。
 パラレルワールドの存在を知っている以上、そういう世界もあると認識すべきなのかもしれないな。




 時間は三十分ほど遡る。
「なあ有希」
「あなたの言いたいことは理解している。なぜならわたしたちほどお互いのことを誰よりも解っている二人はいないから」
 うむ。別のシチュエーションで言われたなら赤面ものでも二人の絆を再確認できる最高のセリフなのだが、今、この場で使われてしまうと体よく誤魔化しているようにしか聞こえないのは何故だろう。
 まあそれはともかく、異世界に着いた途端、どうも釈然としない思いがしたんで、
「あの魔法使いが住む世界ではないことは解った。で、ここはどういう世界なんだ?」
「わたしたちが普段いる世界の並行世界。しかし、以前行った世界とはまた別の世界かどうかは現在不明」
 そりゃそうだ。
 なんせ、あまりに見覚えがありまくる風景だからな。
 窓の外の風景。今いる部屋の広さ。まだドアの向こうを確認したわけではないがこの家のレイアウトも想像通りだろう。
 しかし、ただ一点違うところがある。
「何でこんな殺風景なんだ?」
 そう、その部屋には普段あったはずのものが何一つないのである。
 テレビ、本棚、机、ベッド、クローゼット、おまけに窓のカーテンもない。
「原因を推測すれば、おそらくこの居住家屋に有機生命体、言い換えて人が生活していないということ」
 なるほどな。まあ確かに他に理由は考えられない。
 無理矢理にでも考えるとするならば、建ったばかりの家でこれから住人が荷物を運んでくる、なのだろうけど、先にも言ったが、この風景には見覚えがありまくる訳で、壁、窓、ドアですら年季が入っているということは建築ど素人の俺でも一目瞭然なんだ。それもしばらく前まで生活していた空気さえある。とても新築だとは思えん。
「……つまり、この世界の俺と俺の家族はどこかに引っ越したってことか?」
「おそらく」
 いったい何があったんだろうな。
 やましいことはなかったと信じたいところだが、知る術がないのだからどうにもならん。
 ましてやここは並行世界という異世界なんだ。だったら無理に調べる必要もないだろう。
 それにしても、やけに寂しい気分だな。長年、住み慣れてきただけに、この風景は俺の心にぽっかり穴を空け、その穴に虚しく寒い風が吹き抜けやがるぜ。
「大丈夫?」
 とと、いかんいかん。どうやら俺の遠くを見るようなノスタルジック思考が顔に出ていたらしい。有希にいらん心配をかけちまったようだ。
「まあ、少しは堪えるものがあったけどな。けど、ここは本来、俺たちの住む世界じゃない。だから気にしないから安心しろ」
「そう」
 言って俺たちは部屋を後にして家を出た。
 まず、この世界の『有希』に会わなきゃならん。
 いつまでも別世界の俺のことで郷愁に浸っているわけにはいかんからな。
 ん? 家に鍵がかかってなかったのかって?
 説明が必要か?
 有希がいるんだ。それだけで答えは解りそうなもんだと思うんだが。前にコンピ研部長氏の部屋の鍵をあっさり開けたじゃないか。
「ところでまずどこに行きゃいいんだ?」
「とりあえず、この世界のわたしの部屋」
 俺たちはそういう会話を交わしながら、しかし、既に足は、本来俺たちのいる世界での99.9871%の長門有希がいる高級分譲マンションへと向いている。
 穏やかな青空の下、心地よい風に身を委ねながら変わり者が集まるメッカのような気がしてならない公園を横切り、
「いきなり尋ねて大丈夫なもんか? もし仮にこの世界の俺とお前に面識がなかったらどうする? 現に前、行った世界じゃ『俺』は北高の生徒じゃなかったからな。学校が違えばよほどのことがない限り、面識を持つなんてないと思うぜ」
「問題ない。この世界でも情報統合思念体の存在が感知できる。もし、この世界の『わたし』と『あなた』に面識が無いとしても、わたしが異世界同位体であることは理解できるはず」
「了解。で、もう一つ、いいか?」
「何?」
「……もし、『お前』が居なかったら?」
「あ。」
 あ、て。
 このあたりがどうも、有希が十二分の一になってから抜けているところなんだよな。
 などと苦笑を浮かべる俺なのだが、突然、その足を止める羽目になった。
 理由か?
 そうだな。とりあえず、この世界に『長門有希』がいない、という事態だけは避けられたとだけ言っておこう。
 なんたって、確認するまでもなく、俺の目の前にいたからだ。
 俺の右肩にいる有希と体長以外、まったく瓜二つの長門有希が。
 と言っても突然、俺の前に現れたわけじゃない。まあ、突然っちゃ突然なんだが、それは『長門有希』が俺たちの死角になっていた、ってだけだ。
 そう。ちょうど、マンション近くの門の前の角を曲がったところで出くわしたってことさ。




 という訳で、この世界に来て、三十分経った俺と有希は、この世界の長門有希の部屋にお邪魔している。
 お互いの情報交換のためにな。この『長門有希』にしたって俺たちの素性を知りたいと思ったんだろうぜ。
 どうやら危惧していたことは何一つ問題なかったようで、この世界でも『俺』と『長門有希』には面識があったし、ハルヒもいれば、古泉もいるし、朝比奈さんだっている。しかもSOS団はちゃんと結成されていて、俺以外の四者の裏設定もそのままのようだった。ついでに、この『長門』も銀河を統括する情報統合思念体によって作られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェイスだったおかげで、あっさり俺と有希が並行世界から来たことを理解してくれた。ついでに多少、お互い自己紹介もすませてある。むろん、なぜ、俺と有希が一緒にいるのか、という理由も話したさ。
 で、これだけは結構凹んだんだが、どうも、この世界の『俺』は親の仕事の都合で引っ越す羽目になったらしい。『長門』に状況説明してもらったんだが、『俺』の心情を察するにこれはキツイ。なんせSOS団と別れた、って意味だからな。とてもじゃないが俺は耐えられそうにない。仮に俺に同じことが降りかかったとき、有希はハルヒを観察する役目を負っているわけだから当然、有希と別れる羽目になる。前はダミーだったが今は一個人となった長門はあくまで有希の影武者であり、ハルヒを観察できる能力が備わっているかどうかは正直疑問で、おそらく0.0129%のメモリー不足分がそれに該当するような気がしてならない、というのは勘繰り過ぎかもな。
 俺だったら、引っ越す前日なんかは誰憚ることなく泣き喚いているんじゃないか?
「そう。彼は涼宮ハルヒの腕に抱かれて泣き崩れていた」
 やっぱりか。
 妙に俺は納得して、しかし、続けた『長門』の言葉に俺は言い知れぬ罪悪感を感じたんだ。


「その役割はわたしが請け負いたかった。しかし、彼にわたしは選ばれなかった」


 そう呟いた『長門』の瞳を見ることはできなかった。なぜなら、面を下げ、前髪の影に隠してしまったから。しかも心なしか全身が震えているようにすら見える。
 そっか……この世界の『俺』はハルヒを選んだのか……
 などと思ってはみても、それを口に出すことはなかった。
 当然だろ? そんなデリカシー0なんて真似できるわけがない。たとえ世界が違っていようともこいつは『長門有希』なんだ。
 俺が『有希』を傷つけるわけにはいかんし、傷つけたいなんて微塵も思うはずがない。
「わたしはあなたを羨ましく思う」
「――!」
 再び俺たちの方を、正確には有希を見つめながら言った『長門』の言葉に、どこか今にも嗚咽が漏れそうに感じたのは気のせいではなかっただろう。
 悲痛の叫びってやつだ。
 そんな、『長門』を見れば有希だって目を見開くさ。
 しばし、この場が重く沈黙。
 その沈黙を破ったのは、
「わたしと彼は元の世界に戻りたいと感じている」
 静かに切り出したのは有希だ。『長門』を同一人物と理解している有希だからその口調は明らかに彼女を気遣っていた。
「そのためにはあなたの協力が必要不可欠」
「そう」
「しかし、何の見返りもなく要請するのは不公平。そこで提案がある」
 無言で先を促す『長門』に、有希はどこか断固たる決意を込めて言った。
「今日一日、彼をあなたに預ける。あなたにとって彼は『彼』でないことは理解している。でも、彼と『彼』は異世界同位体。このこと以外にあなたの協力を得るための方法が浮かばない」
 有希!?
「彼女はわたし。わたしには彼女の心情が誰よりも理解できる。わたしもあなたと離れたいと思わないし、万が一、離れるようなことになったとしても、あなたにはわたしを選んでほしい」
 そ、そうか……そうだよな……
 あまりに真剣なまなざしの有希に俺も納得して、
「いいの?」
 って、『長門』が懇願するような、どこか捨てられた仔猫のような庇護欲そそられること間違いなしの瞳を向けてくるし!
 んな瞳、俺と一緒にいる有希でもそうそう見せてくれたことはないぜ!?
「いい。ただし今日一日だけと約束してほしいし、また必要以上に接触することだけは避けてほしい」
「了解した。わたしにとっても彼は『彼』ではないから、その点は同意する」
「では」
 言って、有希は俺の右肩から降りて、部屋のちゃぶ台の上に立つ。
 しかし、背を向けたまま、
「行って」
 とだけ呟いた。
 ……だよな、お前だって俺が他の女と一緒にいるのを好む訳ないもんな。それがお前と同一人物だとしてもだ。
 俺だって前に99.9871%とは言え、『長門有希』が他の男の隣にいるのを目の当たりにしたときは怒りに等しい嫌悪が走ったんだ。それが親友の古泉一樹だったとしてもあんな嫌な気分は今後一切ご免だ。
「分かった。行ってくる」
 とだけ返して、俺は『長門』と部屋を出た。
 一人残される有希。しかし、どんな表情をしていたかを知る術はないし、後から教えてもらうつもりもない。
 ただ、元の世界に戻れたら誠心誠意、有希を慰めなきゃならん、という気持ちだけは強く持った。



 さて、『長門』とのデートの話になるが、これはもうコースは決まっている。
 などと思っていたのだが、この『長門』が妙なことを言い出した。
 午前中は予想通り図書館で過ごしたのだが、昼食を挟んで午後の話。
 その昼食時に、俺が知る長門有希の印象からすれば、驚天動地もののセリフを吐いた。
「遊園地と呼ばれる娯楽施設に。許可を」
 ええっと、今、遊園地って言いましたよね?
「そう」
 何ゆえ遊園地に……?
「デートと呼ばれる男女の親睦を深める行動では定番コースと聞いたことがある」
 なるほど。つまりは将来、こっちの『俺』とそういう話になった時の練習をしたいって訳だな。
「……そう」
 うわぁ。初めて有希が顔を赤くして俯いたのを目にしたときは既に小さくなった後のことだったから、実寸サイズの長門有希がこういう表情をするのはまた乙なもんだ。
 などと少しニヤけた笑顔を浮かべたであろう俺だったのだが、その瞬間、脳裏に部屋を出る前の有希の背中を思い出して、その気持ちは一瞬にして霧散した。
 ……そうだった……有希は今、たった一人で俺が他の女と一緒にいることを嘆き悲しんでいるんだよな……
「よし分かった。じゃあ午後からは遊園地だ。何に乗るかはお前が決めればいい。とと、この世界の通貨と俺が本来いる世界の通貨は同じなのか?」
「見せて」
「お、おう」
 言って、俺は財布を差し出し、
「問題ない」
 そっか。なら行くか。
 俺は当然のようにレシートを掴んで席を立とうとしたのだが、
「待って」
 などといきなり『長門』に呼びとめられたのである。
「どうした?」
「わたしはあなたに奢ってもらうつもりはない。だから割り勘」
 …… …… ……
 まあ、食事の量は明らかに『長門』の方がはるかに多いんだが、それは言うまい。
 俺と長門は肩を並べて店を出た。


 遊園地までの道のりは徒歩と相成った。
 この世界の『俺』は別の土地に引っ越したし、当然我が愛車のママチャリも一緒に行っただろうから、俺には『足』以外の移動手段が存在しない訳で、それでも駅前からとある遊園地まではそう遠くもなく、散歩がてら歩くのに少しちょうどいい時間だからそれもいいか、とか思う。
 ちなみに『長門』は俺のすぐ横をどこか躊躇いがちに並んで歩いているわけだが、何かの拍子に肩が触れ合ったりすると少しだけ慌てたように離れる仕草がなんとも初々しいんだ。無表情なままだとしても、俺が長門有希という人物像を知っているだけに強がっているようにしか見えないところがまたこいつの可愛さを助長してしまっている。クーデレってやつだな。前に一度だけトチ狂って秋に桜を咲かせた、あの河原を向こうの世界で朝比奈さんと初めて二人で歩いた日を思い出してしまうぞ。これは。
 というか、この『長門』。なんとなく少し乙女チックだ。
 閑話休題
 さすがに世界が違えば共通の話題がある訳でもなく、かと言って、この『長門』が住む世界と俺たちが住む世界のことを情報交換したところで、戻ってしまえばもうほとんど再会の可能性がないのだから、何の意味も持たないので沈黙せざる得ないのだが、それでも、この『長門』の仕草を見ていれば飽きることはない。
 心揺れるものは、『長門』には悪いが俺にはないし、微笑ましさしか感じないんだが勘弁してくれ。
「お、どうやら着いたみたいだな」
「そう」
 俺は手を翳し、笑顔で『長門』に声をかける。愛想良くするくらいは構わんだろう。
 遊園地のゲートまでの入場券売り場で入場券を購入し、乗物に関しては中で切符を買う形のようなので、とりあえずはゲートをくぐる。
 俺が先、んで『長門』が付いてきて、


 いきなり軽快かつ祝福のファンファーレが鳴り響き、軽い破裂音と供に色鮮やかな紙吹雪が長門を彩ったのである。


 って、これは……?
「おめでとうございます! あなたが当遊園地600000人目の入場者でございます!」
 突然、妖精っぽいお姉さんがマイク片手に軽やかに飛び出して来て、その後ろからクマっぽいのとコアラっぽいのが長門に花束と、何やら目録を手渡した。
 しかもあっという間に出来上がった人だかりが盛大な拍手を送っている。
 いったい何が起こったんだ?
「当遊園地では10万人ごとに規格を設けておりまして、今回が600000人目ということでございます」
 って、あんた誰!? 白髪でチョビ髭の執事服を纏ったダンディなところは新川さんを彷彿とさせるかもしれないけど新川さんじゃないんだぜ!?
「当遊園地の案内人でございます。さて、どちらに向かわれます?」
 腰を折り、腹部のところに手を置くあくまで紳士な態度を見せる案内人とやら。
 ところで、ひょっとしたらツッコミを入れると負けなのかもしれんが、何で『10万』は略して『600000』はご丁寧にアラビア数字で表すんだ?
「さて、それは私には何のことだが――」
 あくまで静かな笑顔を絶やさない執事は何も答えてくれなかった。



 どうやら『長門』が貰った60万人記念の商品はこの遊園地のアトラクションすべての無料ペアチケットだった。
 これはラッキーかもしれない。
 なんせ、『長門』と一緒ならどの乗り物もタダだからな。
 おっと、だからと言って俺の主張をする気はないぜ。『長門』が乗りたいものに乗ればいいし、『長門』が俺に促して来ない限り、俺は何も要求しない。
 さて、何に乗ったかな?
 優雅な遊覧船に、ちょっとだけスピード感が楽しめるティーカップ、鈴なりの音楽と供に回るメリーゴーランドを『長門』が前、俺が後ろの木馬に乗ったのは少し恥ずかしかったかもしれない。
 ……案外、二人で乗るものって多いんだな。
 そんなこんなでいくつも乗った後、風景が茜色に染まった頃、最後に『長門』が選んだのは、この遊園地一、大きな観覧車だった。
「あなたに訊きたいことがある」
 ん?
 回り始めてすぐ、『長門』が真摯な視線で俺に問いかけてきたんだ。ちなみに俺たちは正面向かい合う形で座っている。
「どうして、あなたは『わたし』を選んだ?」
 随分ストレートだな。
「何でそんなことを知りたがるんだ?」
「質問に質問で答えるのはよくないこと。まずはわたしの問いに答えるべき。その後、わたしはあなたの問いに回答する」
 OK了解。確かにその通りだ。
「そうだな。理由、か……」
 俺は有希に告白した日のことを思い出す。
 有希の決死の決断でダミーが99.9871%ではあるが意識を持った『長門有希』個人として生まれ変わった時に迫って来て、それを見た有希が――


 …… …… ……
 …… ……
 ……


「――私の人間でいう願望。こうなりたいと望むもの」
 なんだって!?
「私は……あなたと……ああなりたいと望んでいる」
 ……俺は何も言えなかった。
「それは……人間でいう好意に相当すると思われる。つまり私は、あなたが……」
 もういいんだ。俺は小さな長門をその手に包み込んだ。いつもの大きさなら抱きしめてやれるんだがな。
「ごめんな、女の子にここまで言わせるなんて俺は最低だ」
 そのまま俺は長門を自分の顔の高さまで持ち上げた。
「俺は今までお前に何度も助けられた。それを当たり前のようにしてた。お前の気持ちなんか考えてなかった」
 そうだ、長門だって一人の女の子だったのに、だ。
「でもな、小さなお前と一緒に居て、なんとなく嬉しかったんだよ。長門に頼られてる、信頼されてるってな」
 一緒に居てわかったんだ、お前が甘えん坊だったり我儘言ったり可愛いとこがたくさんあったりするんだって。
「そして部室でのお前の悲しそうな顔を見た時、俺も自分の胸を締め付けられたみたいに痛かった……」
 そして気がついたんだ、俺はいつもこの無口な女の子を見続けていたことに。
 どんな気持ちで見続けていたのかってことに。
「…………………」
「だから俺の方から言わせてくれ」
 小さな長門の小さな瞳に。
「俺はお前が好きだ。長門有希が好きなんだよ」
「……あなたは……『鍵』……」
「関係ないね、俺の気持ちまで誰かの思い通りにされてたまるか」
 たしかにハルヒの笑顔が浮かんできた。
 だけどそれより目の前の女を選んだ。それだけのことなんだ。
「……本当に……?」
 ああ、お前に嘘なんかつけないし、なにより嘘をつくつもりなんかない。
「私も……あなたが好き……」
 そう言ってくれるのか、嬉しいぜ長門
「…………」
「…………」
 俺達は黙ったまま、ゆっくりと長門を持った手を近づけて――


 ……
 …… ……
 …… …… ……


「なるほど……」
「まあ俺も、その時まで、有希を本当に失ってしまうんじゃないかという直前まで、自分の気持ちに気づくことはできなかったがな」
 これは正直な感想だとは思う。
 この『長門』と有希の最大の違いは、『長門』が小さくならなかったために俺と一緒に過ごす時間が無かったことに尽きる。
 俺だって、有希が十二分の一になった時に俺を呼んでくれなければ、有希の別の一面を知ることなく過ごしていたならば、いずれ、もしかしたら有希よりも多くの時間を一緒に過ごしていたであろうハルヒを選んでいたかもしれない。声を掛け合うのも、触れ合うのも、あの日までのことで言えば、ハルヒの方が圧倒的に多かったし、有希は俺たちと一緒に居ても基本、何事においても無関心を装っていて自分から率先して何かする以前に、話しかけてくることすらほとんど無かった。
 しかし有希が十二分の一になって、積極的に俺と一緒にいることを望み、そして一緒にいたからこそ、有希が俺のためにどれだけ頑張ってくれていたかを感じ取ることが出来たし、色々な有希のことを知った。感じ取った以上は俺はその子が気になって仕方がないって意味になるんだ。なら、もう本当の自分を隠すことは無意味だ。
 俺はハルヒよりも有希にそれを強く感じた。ただそれだけのことさ。
「あなたの理屈を総括するならば、わたしは決して彼に選ばれることはない……?」
 『長門』が今にも消え入りそうなか細い声で聞いてくる。
 なるほど。世界は違っても長門有希長門有希ってことか。
 なら、俺が『長門有希』を傷つけるわけないだろ。
「それは今後のお前次第だ」
「え……?」
「この世界の『俺』は単純にハルヒと過ごした時間の方が長いから、より多くを知っているのはハルヒだから、今はハルヒを選んだだけで、別にお前のことを嫌っているとは思えん。現にお前が話を振ったとき、『俺』は即答で断ったか?」
「ううん……彼も辛そうだった……」
「だろ? こっちの世界の『俺』だって、お前の頑張りには気づいているさ。んで『俺』のことだから幾度も助けてもらったことがあるだろうし、何とかお前を傷つけたくなかったんだと思う。『俺』だって、お前の気持ちに応えてやれないことに言い知れぬ罪悪感を持っただろうぜ」
「そう……」
 お? どうやら声に少し安心感が戻ってきたようだ。
「それにお前はハルヒに自分から身を引く、とでも宣言したか?」
「あ……!」
「だと思ったよ。身を引くって言ってないならまだ諦める必要はないと思うぞ」
「しかし彼女は親友……」
「親友だからこそ、だ。お前らが『俺』に愛想を尽かさない限り、『俺』からお前らの気持ちを無碍にすることはない。断言してもいいぜ。
 だから、どちらを俺が選んだとしても、お前らは納得して相手を祝福する気持ちを抱かなきゃならない。それが親友てもんだ。
 もし仮に、元の世界で俺と古泉が有希を奪い合う羽目になったとして、ルックスはともかく有希を想い慕う気持ちで負けるつもりも譲るつもりもないが、有希が古泉を選んだとしても俺は古泉を祝福してやろうと思っているし、古泉だって俺を祝福してくれると信じている。まあ、あいつはハルヒか朝比奈さんに気がありそうだからあり得ない仮説で

しかないがな」
「……」
「お前はその晩、初めて自分の気持ちとして能動的に『俺』に伝えた。言わば、やっとハルヒと同じ道へと向かうスタートラインに立ったってことだ。残念ながらまだハルヒの方が先に行っていることは認めなくちゃならんがな。けど、これから追いつき追い越せばいい。ただそれだけだ」
「そう……」
 呟いて『長門』がしばし沈黙。
「さらに問う」
 再び顔を上げた長門の瞳には断固たる決意の炎が見えた気がした。声にも張りが戻っていたもんな。
「わたしも『わたし』のようになれる?」
 ふっ、なんとも質問の時点で答えが出ているようなことを聞いてきたもんだ。
 なんたって世界が違っていようとこいつだって『長門有希』なんだぜ。
 だったら俺の言葉は決まっている。
「なれるさ。別に小さくならなくても、な。お前の素直な気持ちを『俺』にぶつければいい。それこそハルヒのようにでもあるがな」
 俺は当然の答えを返す。
 観覧車のゴンドラは一番上に来ていた。夕焼けの柔らかい光がこの室内を暖かく包み込む。
「ありがとう――」
 そう言った長門は、元の世界であの十二月十九日の夜に見せた細く小さな微笑みを浮かべていた。
 その頬に赤みが差して見えたのは夕焼けの所為ではなかったろうぜ。



 ところで、その『長門』なんだが、ちょうど下りに差し掛かったところで妙なことを言って来た。
「あなたは『わたし』の態度の本当の意味を理解している?」
 は?
「部屋を出る前、彼女は背を向けたまま見送った、その理由」
 そりゃお前、有希はいくら本人とは言え、別人でもあるから、俺の隣に他の女がいるのを見たくなかったんだろ? 俺だって有希が他の男と一緒にいるところを見たいとは思わないぜ。
「ある意味正解ではあるが根本的には間違い」
 え?
「彼女の本当の意図はわたしの気持ちを理解しようとしたこと」
 待ってくれ。さっぱり分からない。
「あなたが言った「『わたし』の横に別の男性がいることを好まない」のと同様、『わたし』もあなたの横に別の女性がいることを好まない」
 まあな。
「そして、わたしも『彼』の傍に他の女性がいることを好まない」
 だろうぜ……って、あ!
「そう。彼女はわたしの気持ちを理解しようとした。異世界同位体であるが故、その気持ちは当然、わたしにも理解できる。だから、わたしはあなたとの接触を極力避けてきた」
 なるほどな……有希が言った『何の見返りもなく要請するのは不公平』とはこのことだったんだな……俺を貸すだけじゃなく、『長門』の本当の気持ちを知るために、あえて俺の横に別の女がいる状況を作り出したんだ……
 チクショウめ。まだ俺は有希のことを理解してなかったってか?
「案ずることはない」
 ん?
「彼女はあなたを信じている。あなたがわたしに何もしていないことを信じていることは断言してもいい。だから、元の世界に戻ったら彼女に気を使えばいい。たとえば、わたしのように遊園地に連れて行き、同じコースを回るのも一興」
 って、なんか俺が『長門』に慰められてねえか?
 しかしまあ、その通りだ。
 やれやれ、明日で今、持っている小遣いの半分以上は吹っ飛んでいきそうだが、有希の嬉しそうな笑顔を見ることができるならそれでもいいか、とか思う俺もいるんだ。
「そう」
 『長門』がまた、今度は小さくではあったが無邪気な笑顔を見せて相槌を打っている。
 それを見た俺は苦笑を浮かべるしかできなかった。
 もっとも、「その表情を『俺』にも見せてやれよ」などと心の内で思ったりもしたがな。




 さて、『長門』の協力があって元の世界に戻ってきた翌日曜日。
 俺と有希は二人で光陽園駅に向かっていた。時間は午前八時半。
 二人ともかなりの上機嫌、しかし少し上気した思いが胸の内を渦巻いている。
 そりゃ有希の表情を見れば判るさ。
 いつものように無表情に見えるが、その視線はただ前を見つめていて、その頬が少し赤らんでいる。
 何かを期待していて高揚感に包まれているってやつだ。そうだな、小学生が遠足に行く前の日や中学高校の文化祭前日のわくわく感と同じ心境なのだろう。
 今日は、向こうの世界で『長門』と俺が行った遊園地に、こっちの世界で有希と行くことにしたんだ。
 『長門』が言ったことが本来の理由である以上、俺にはこれしか有希に対する罪滅ぼしが浮かばないし、同一人物でもある『長門』の提案なのだから間違いないだろう。
 今はあの魔法使いの住む世界に行くよりも、有希と同じ時間を過ごしてやることの方が何よりもの最優先事項だ。
 ただな、はたして有希が楽しめるかどうかと言うと、宇宙規模で鑑みれば遊園地のアトラクションなんざ文字通り子供だましだろうからなんとも言えん。
 もちろん、俺は有希にそう言った。
 しかし、有希の返答は、
「あなたが楽しめるものであればわたしも楽しめる。絶叫マシンやお化け屋敷でなくても遊覧船、観覧車、ティーカップあたりに乗りたい」
 だ、そうだ。
 どれも結構ゆったり時間をかけて乗るものだ。静かな環境を好む有希からすれば当然の選択と言えよう。
 ただ、周りの視界からすれば、有希は俺以外にはスティルスモードなわけだから、俺が一人で乗っているようにしか見えないだけに、観覧車はともかく、遊覧船やティーカップだとなんとなく真っ白い視線か同情の憐れむ視線を向けられそうな気がするのだが。
「問題ない」
 ん? どういう意味だ?
「わたしは、かの魔法使いが存在する世界に飛ばされたとき、時間制限はあるが、身体を大きく見せる、、、、、、、、、、能力をプロムグラム化しインプットしてきた。それを行使して、あなたが一人では躊躇いそうな遊具を選択するときはそのプログラムを行使する」
 マジですか?
「マジでです」
 それは朝比奈さんの言い回しじゃなかったか?
 まあいいさ。なら、楽しめそうだ。俺は吹っ切って再び前に視線を移す。
 で、これはいったいどういう冗談なんだ?
「あら、キョンじゃない。珍しいわね。こんなに早く来るなんて」
 俺に笑顔で声をかけてきたのは光陽園北口、SOS団集合場所に長門と一緒にいた涼宮ハルヒだったのである。古泉と朝比奈さんは居ないようだが……
 って、何で!?
「うんうん。良い心がけよ。ちゃんと留守電で今日の不思議探索パトロール開催を確認していたのね。なんか繋がらなかったから少し不安だったけど、来たところを見ると解っていたようだし」
 腕を組み、不敵な笑顔を浮かべたハルヒが瞳を伏せてふむふむ頷いている。
 え゛……留守番電話、、、、、……?
 と言っても、まさかこの場で携帯を確認する訳にもいくまい。
 俺は愛想笑いを浮かべてただただうやむやに誤魔化すしかできなかったのである。
 そんなわけで今回の不思議探索では奢る必要はなかったのだが、有希が情報操作して不思議探索の相手を午前、午後とも長門にしてくださったおかげで、俺の財布の中身は全て羽根を生やして飛んで行ったのは言うまでもない。
 有希の自棄食いってのは初めて見たな――
 などと考えつつ、のどかで諦観な笑顔を浮かべながら窓の外を眺めいていたのは、目の前のテーブルの山積みという現実から目を逸らしたかったからさ。




 って、こういう感じのオチって別世界の『俺』の話じゃなかったか……?




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 『わたし』と『彼』は元の世界に戻って行ったものと思われる。わたしには確かめる術がないから推測でしか語れない。
 わたしは今、一人で駅の改札口と呼ばれる場所に立っている。
 彼女を待っているから。
 もし、『わたし』と『彼』と出会わなければ、わたしは彼女と供に彼の元へと赴くつもりだった。
 その思考は人でいうところの焦燥に駆られていたと断言できる。
 しかし、あの時点でわたしと彼女が彼の元へ行こうとも、彼は彼女を選び、わたしは辛いという感情を抱き、絶望に身を浸していた可能性は高い。
 だから『彼』と『わたし』に、奇跡という言葉すら超越した偶然で出会えたことに感謝している。
 もしかしたら『わたし』はわたしの思念を察知して、この世界に来てしまったのかもしれない。
 そのおかげでわたしは『彼ら』に出会ったのだとしたら、偶然ではないのかもしれない。
 『わたし』はわたしの思考を察してくれて『彼』を貸してくれた。
 『彼』はわたしの思考を察してくれて、わたしにとって、重大かつ有意義な助言をしてくれた。
 だからこそ、今、私は彼女を穏やかな気持ちで迎えることができる。
 もっとも、人でいうところの悪戯心と呼ばれるやや下劣な思考を抱いていることは否定できない。
 それはそうだろう。
 彼女は、わたしを差し置いて一人で彼に会いに行ったのだから。
 何をしていたのかは聞くつもりはないし知る必要もない。
 なぜなら、過去に意味はないことはないが、この事象に関して言えば意味がないから。
 これから訪れる未来。
 そこで彼女が選ばれるか、わたしが選ばれるかは、過去未来問わずいかなる時空連続体に存在する自分の異時間同位体と同期することがが不可能になっているわたしには知る術はないが、わたしはわたしが選ばれる努力を重ねればいい。
 思えば、わたしは、『彼』に指摘された通りで彼女ほどの努力を、目に見える形ではしていなかった。
 ならば、これからは目に見える形で彼に訴えていけばいい。
 まだ充分追いつける、『彼』はそう教えてくれた。
 しかしそれでも、彼女には言おうと思う。今、私が発する言葉で彼女が聞けば辛辣であると感じる言葉を。
 抜け駆けした彼女が悪いのだから。
 わたしを欺くなんてできないことを教えてあげなくてはならない。
 おそらくは最高の笑顔で戻ってくるのだろうけど、それを引きつらせるのが今のわたしの役割。
 ……?
 どうしてだろう。
 今、些細ながらわたしは笑みという表情を浮かべている。
 彼女を貶めようとしているのに?
 それは悪いことなのに?



 でも――親友の彼女を本気で困らせるつもりはない――



長門有希の憂鬱(完)