『SS』 ちいさながと・イメチェン

「なにか、おもしろくないのよね」
 その声に有希と長門は読んでいた本から顔を上げ、俺は携帯ゲーム機のタッチペンを止めた。長門は無表情、有希は不審そうに、そして俺は呆れたようにそいつを見る。
 さて、俺の周りにはこのタイプの愚痴を零す奴というのがいなくはない。主に、カチューシャをつけた傍若無人な女なのだが。
 しかし、今回この切り出し方を使ったのはそいつではない。というか、居られたら困る。何故ならばここは長門の部屋だからだ。折角ゆっくりまったりと恋人と共に過ごしているのに何を言い出したのだか。
 それでも部屋の主に免じて俺から声をかけてやる。長門は無口というか、無関心なので話を進めるためにも仕方が無いのだ。
「一体どうしたんだ、朝倉?」
 俺と有希の二人を除けば、長門宅への訪問が一番多いというか、ほぼ同居に近いくらいに部屋に居付いているのが朝倉である。大体こいつは長門の部屋に食料を持ってきては長門に話しかけながら自分勝手に部屋の片づけをしているか、長門を誘い出すのが常なのだが、今回は俺達が先に来ていて有希が読書中だったので大人しくしていたところなのだ。
 出来ればそのまま大人しくしていて欲しいものなのだが、大体は飽きたとばかりに話しかけてくる。その間隔が段々と短くなってきているところからも、友人の悪い影響を受けてきているのではないかと思うのだ。その友人とは主に、カチューシャをつけた傍若無人な女なのだが。
 兎に角、出来れば話は続いて欲しくはないのだが、委員長スキル以外にお喋りスキル保有者でもある朝倉は嬉々として口を開くのであった。
「あのね、有希ちゃんと長門さんって同一の存在だけど今は違うじゃない? だから長門さんにはもう少し変化というか、見た目を変えてもいいんじゃないかなって」
 これを説明するとややこしい話なのだが、長門と有希は同じ長門有希である。本来の長門有希は俺の恋人で小さな方の有希なのだが、それをハルヒ達に気取られない為に派遣されたのがコピーとも言える長門だった。
 だが、コピーの長門は何も感情の無い人形のような存在であり、それを見た俺と有希は心を痛めたものだった。そして、それが原因で有希は俺の前から消えようとさえしたのだから。
 今の長門は有希が消えようとした事件で自我というものに目覚め、朝倉や喜緑さんと過ごす事により有希とはまた違う長門有希として生きている。誰よりも、有希がそれを喜んでいる。
 勿論、俺も今の長門は有希と違う人格として認めているし、その成長というか有希とは違うキャラクターを好ましく思う。有希は俺と暮らし始めて砕けた性格になったが、長門は無口であるが多趣味な面白い奴になったもんだ。
「有希ちゃんはそのままでいいと思うの、キョンくんもそうでしょ? だけど長門さんはもう少し自己主張して欲しいかなーって」
 朝倉が言いたい事は何となく分かる。普段は俺や有希よりも長門と接する時間が長い朝倉からすれば、長門はもっと自分らしさを出して欲しいところなのだろう。しかし、そうもいかない事情というのがあるだろうに。
「おい、あんまり長門の見た目が変わったらハルヒがうるさいだろ。あいつが無口な文学少女を望んだから長門はこうしなきゃならなくなったんだろ?」
 有希も頷いている。が、朝倉はそんな事は承知の上だった。
「それくらいなら私が勧めたからって言えば大丈夫よ。一緒のマンションで暮らしてるのは涼宮さんも知ってるし、最近は日曜日に朝比奈さんや鶴屋さんも入れて、みんなで遊びにも行ってるから。長門さんの私服だって二人で可愛いのを選んだりしてるんだもん、今がイメチェンのチャンスなのよ」
 そうなのか? 有希に訊いてみても、
「わたしにも報告はない。これは彼女の独断による行動」
 なので俺は朝倉達がそこまでハルヒと親しくなっているとは知らなかった訳だ。
「その分、有希ちゃんとキョンくんは此処で二人っきりでいられるんじゃない。イチャイチャのお邪魔してないんだから知らなくったって当然よね」
 それ言われると痛いんだけど。確かに朝倉が長門を連れ出してくれているから俺と有希は日曜日は一日中長門の部屋でイチャイチャしているのだ。
「別に彼女がいても朝倉涼子がいても、わたしはあなたとイチャイチャする」
 ありがとう、有希。でも恥かしいからやめて。
「ということで、バカップルは放っておいて長門さんイメチェン計画を開始します!」
 朝倉はいきなり立ち上がると堂々と宣言しやがった。本当に誰に似てきたんだか。主に、カチューシャをつけた傍若無人な女なのだが。
「それはいいんだが、肝心の長門はどうなんだ?」
 今まで何も言わなかった長門はどうしていたかと言えば、
「ほら、長門さん! いい加減セーブしなさい!」
 読書していたはずなのだけどなあ。いつの間にPSPを持っていたのかも分からないし、他人事のようにゲームするようなキャラだっただろうか。
「ヘッドホンをしないだけまだいい」
 有希の発言にも首を傾げざるを得ない。取り敢えずは長門宅にはパソコンだのゲーム機が増えたのは事実である。これらはコンピ研の連中が貢いだものなのだが、長門がコンピ研に貢献した実績からすれば正当な報酬とも言える。但し、ハルヒに見つかればこんなもんじゃ済まないだろうな。
 つまり、長門は今や趣味の欄に『ゲーム』と書けるくらいはゲーム通となっていて、それ以外の趣味もありそうだが生憎と俺や有希はそれを見たことが無いのである。前に朝比奈さんと時間跳躍してしまった和室の中に秘密があるようなのだが。此処は長門によって封印され、何故か有希ですら見る事が不可能なのであった。偶然見た朝倉曰く、「見ない方が二人の為だと思うな」だそうだ。余計気になるっていうんだよ。





 まあそれは置いておこう。只今俺は有希と二人でリビングにて待機中なのだ。結局のところゲーム機を持ったままの長門は襟首を掴まれて朝倉に引っ張られて寝室へと消えていったからな。
「朝倉の奴も物好きというかお節介というか、長門が気にしてないんだからそのままでいいんじゃないのか?」
「彼女も抵抗していないのだから朝倉涼子の好きにさせた方がいい。少なくとも疎ましく思ったりはしていないのだから」
 そういうもんかね? それに、世話を焼かれて鬱陶しくないというのは、有希がそうだったからなのかもしれないしな。俺がプレイ中だった携帯ゲーム機を取り上げた有希はタッチペンを抱えて画面の上を滑らせている。長門の影響という訳でもないだろうが、有希もそこそこゲームが出来るのだ。
 ダミーで何も持っていなかった長門から、本体であるはずの有希が影響を受ける。それはお互いが別の人格や個性を持つことが出来たという証拠であり、俺からすれば好ましいことでもある。
 ということで、俺と有希はゲームをしながら朝倉プロデュースの長門を待っていた次第なのであるが。




「アホか、お前は」
「なによう」
 楽しそうに長門の背中を押しながら歩いてきた朝倉に俺はため息も吐かずにそう言った。有希も何も言わずにかわいそうな子を見る目で朝倉を見ている。
「何で? めちゃくちゃ可愛いじゃない、この長門さん」
 確かに可愛いよ。それは認めるよ。だけどな?
「一日でこんなに髪が伸びるヤツはいねえよ」
「…………そう」
 長門は朝倉と同じくらいのセミロングヘアで、ついでにいえば朝倉と同じ髪型になっている。眉毛を除けば姉妹といっても通用するだろうな。
「何故そこで眉毛だけ強調しちゃうかなあ……」
 そっちを気にするのかよ。だが朝倉はまだ未練たっぷりに、
「せっかくだからお揃いにしたのにね、この方が大人しくて清楚なイメージがアップすると思わない?」
 それは暗に自分がそんなイメージのキャラだと言いたいのだろうか? それでも髪を伸ばすのはダメだろ。
「ウィッグとか言えばいいんじゃない?」
「それは校則違反」
 有希にまでツッコまれた。委員長が率先して違犯行為を犯してどうする。ガッカリと肩を落とす朝倉は無視して、俺はオモチャ扱いされた長門に声をかけた。
「すまないな、長門。朝倉に任せたらこんなことになるとは思ってたけど、言わなかったのが悪かった」
「あの、キョンくん? さりげなくひどくない?」
「別にいい。朝倉涼子ならやりかねない範囲、彼女は部屋に入室して以来思考能力が著しく低下していた」
長門さんまでっ?!」
「それじゃ長門も早く戻しておけよ、いつもの髪型でいいからさ」
「…………髪の長さはわたしも好んでいる」
 そうなのか? 確かにいつもとイメージが違うのはあるけどな。
「それに、わたしにもチェンジしたイメージがある」
 ほう、どういうのだ?
「待ってて」
 そう言った長門は朝倉の様に纏めた髪を一度降すと、後ろ手で素早く纏め直す。
 その姿を見た俺に何かスイッチの入った音が聞こえて。
「……どう?」
「いや、いいよ! 最高! お前はショートカットでも可愛いけどやっぱりポニーテールも良く似合うよ、何だったらずっとそのままでいいぞ! 校則? 知ったこっちゃないね、それ言ったらハルヒなんて校則無視しっぱなしじゃねえか! 分かった、俺が今すぐ生徒会にというか、古泉にかけあって校則なんぞおおおおおおおおっ?!」
 長門のポニーテールを賛美していた俺が肩の上にいる恋人の回し蹴りを喰らってすっ飛んで行く様を朝倉が呆れたように見ていたのだった。いや、助けろよ。
浮気者
 すみませんでした。俺の彼女はとってもヤキモチ焼きなんです。壁に逆さまに張り付いた俺を朝倉が引き剥がしてくれたが、「自業自得よね」と言われてしまえばその通りなのだ。
「今すぐに元に戻すべき。急激な見た目の変化は観測対象に余分な情報を与え、それに伴う推測が不測の事態を齎す事が懸念される」
「要は長門さんがその髪型にするとキョンくんがおかしくなっちゃうから今すぐやめろってことね」
 有希がせっかく回りくどく言ったセリフを直訳するんじゃない。それでも長門は若干躊躇した様子を見せたのだが、
「…………わかった」
 言うと同時に髪を撫でると、本当にカツラの様に長かった髪の毛がずり落ちていつもの長門の髪型となった。ああ、もったいない……ことはないですから。もう睨まないで有希さん!
「でも、いいアイデアだと思ったんだけどな」
「時間をかければ髪も伸びたと言えるだろうが、昨日の今日であそこまで伸ばしたら駄目だろ」
 ふむ、と朝倉が首を捻る。有機生命体って面倒よねえ、って当たり前の事を今更言われても。長門は既に関心を無くしたかのようにゲームのスイッチ入れてるぞ。
「なるほど、ここで私の出番という訳ですね」
 いいえ、あなたに出番を与えると色々厄介なんですけど。という心の声は決して漏らしてはいけないのだ。その証拠に俺以外の三人が顔色を青ざめても何も言わないのだから。
 大体、いつから居たのかなどの説明をまったく必要とさせない喜緑さんは当然のようにそこに座ってらっしゃったのだからな。
「では早速、長門さんをお借りしますね」
 誰からの意見も聞く耳持たないんだろうなあ。朝倉よりも乱暴な事に、長門を小脇に抱えて喜緑さんは奥へと消えていった。だが、それよりも抱えられたままゲームを手放さない長門が凄いんじゃないか?
「あの子、段々キャラの立ち方が間違ってきてると思うんだけど」
「ヘッドホンをしないだけまだいい」
 有希の謎の言葉に俺と朝倉は首を傾げるばかりなのだった。





「という訳で、いかがでしょう?」
 いかがと言われてもどうしよう? 俺は肩の上の恋人に助けを求めたのだが、有希は落ち込んで項垂れてしまっている。うん、俺もちょっと泣きたい。幾らなんでもやりすぎだろ、これ。
 朝倉もしばらくの間放心状態だったのだが、俺たちの落ち込んだ姿を見て意を決したのか代表として切り込んでくれた。
「…………あのね、喜緑さん?」
「何でしょう?」
「私、さっき髪を伸ばした長門さんを見せて、ウィッグって言えばいいと言ったら校則違反だって言われたの」
「それが何か?」
「こんな長門さん見せたら一発で停学になるって言ってんのよっ! 長門さんもいくら喜緑さんだからってもう少しは抵抗しなさいっ!」
「…………任せてみた」
 任せないでくれ、頼むから。というか、朝倉が激高するのも当然だろう。喜緑さんは長門の全身を褐色の日焼け肌にして、ラメもきついアイメイクに無意味に光るグロス、髪は無造作に跳ねまくりで耳にはピアス。腕にもジャラジャラとアクセサリーを身につけ、衣装はだらしなく着こなした制服で膝上20センチくらいあるんじゃないかというか、中を見せること前提みたいなミニスカートに、止めは今や伝説になりつつあるルーズソックスで足元を固めてきたのだ。
 そう、これは一時期だけ一世を風靡したガングロ、所謂ヤマンバギャルファッションなのだ。俺と有希が泣きたくなるのも解ってくれるだろ?
「似合いませんか?」
「似合う似合わない以前の問題でしょ!」
 何食わぬ顔で言ってのける喜緑さんに朝倉のテンションが一気に上がる。
「私の長門さんは色白で清楚なの! たとえ喜緑さんでもやっていいことと悪いことがあるわよ!」
「あら、折角のイメージチェンジなのですから大胆にと思ったのですが」
「大胆すぎるわ! これじゃ学校になんか行けないじゃない!」
「校則なら心配いりません。伊達に生徒会に属しておりませんから」
「校則まで捻じ曲げる気だーっ!!」
 これが喜緑さんなのだ。朝倉が必死に抗議しても見事なまでに切り返している。見ろ、言い負かされた朝倉が泣いてるぞ。可哀想だけど俺なんかが何か言っても助けになどなりそうもない。
「うわぁ〜ぁんっ!」
 喜緑さんに言い負かされた朝倉はヤマンバメイクの長門にしがみ付いた。
「お願い長門さ〜ん! 元の長門さんに戻って〜! もうそんな格好しないでよぉ〜……」
 なんか本当に不良少女を改心させようとしてるみたいだな。しかも成功しないパターンの。哀れなくらいにしがみ付いて泣いている朝倉に、長門はゲームから顔を上げようともしない。いや、自分のことに無頓着すぎだろ。
 これはヤバイ、このままだと朝倉がキレるか壊れてしまう。何よりもこれ以上は哀れすぎる。それに俺だってヤマンバ長門をこれ以上見たくは無い。
 どうしようもなくなったこの状態で、やはり頼れるのは俺の恋人だった。
喜緑江美里
「何ですか、長門さん?」
「観測対象である涼宮ハルヒが求めているのは無口な文芸部員。それに伴い、彼女がイメージしている容貌に一番適していると考えられているのがわたしの容姿。長門有希は色黒でもなければ化粧もいらない、服装は制服を校則に違反しないように着こなすこと。今のままでは観測対象が不満を感じる確率が著しく上昇する恐れがある」
「ですが、涼宮ハルヒも変化を望むのではないですか?」
涼宮ハルヒは常識外を求めているが、自分を律する術もまた心得ている。その証拠に彼女自身は校則に違反するような制服の着方などはしていない」
 コスプレは平気でするけどな。だが、有希の言うとおりだ。ハルヒは制服を改造したりしていないし、髪も変な色に染めたりもしていない。古泉の言うところの常識を守る奴でもあるのだ。
「よって、今の長門有希の容姿では涼宮ハルヒが嫌悪感を覚える可能性の方が高い。それに何よりも、」
 有希は喜緑さんを睨みつけるようにこう言った。
「わたしは、自分の容姿を好んでいる。多少の変化は容認出来るが急激な改変を是とはしない。喜緑江美里、あなたはやりすぎ」
 うわ、本当に怒ってるぞ。肩の上のオーラが一気に増し、朝倉ですら顔色を変えている。流石の喜緑さんも『しまったかな?』といった感で首を傾げたが、まだ余裕があるとは思えないんだけど。
 しかし、有希の怒りの矛先は意外な方向に向いていた。
「あなたも、」
 いつの間にかゲームをやめて正座していた長門に有希の叱責が飛ぶ。
「早く着替えて。いつまでもそのような格好をわたしに見せないで」
 はい、とも了解とも言わずに消えるように長門は奥へと駆け込んでいった。ほんの数秒で元の姿に戻った長門が同じ位置で正座する。だが、有希の怒りはまだ収まりそうにない。
喜緑江美里に言われたからといって全てを容認する必要はない」
「…………けど、」
 言い訳をしようとする長門を有希が睨みつけた。
「………………ごめんなさい」
 こえー、有希お姉ちゃんこえー。我が恋人ながら、この迫力だけは恐ろしい。
「あの、私が言い出したことなので長門さんをあまり責めないでください」
 おお、あの喜緑さんが長門を庇っている。いや、喜緑さんも長門に対してだけは甘いのだけど。しかし、
「何も言わず従ったのが悪い」
 そう言った有希に「ごめんなさい」と喜緑さんまで頭を下げてしまった。いや、本当に怒った有希は無敵なんだよ。

 
 結局、残った俺と朝倉が何とか有希を宥めすかし、それでも機嫌が治まるまでかなりの時間がかかったのであった。






「うーん、いざイメチェンとなると難しいのね。涼宮さんのイメージも崩さないようにしないとだし」
 ようやく落ち着いた室内で五人でコタツを囲みながら朝倉がぼやいている。喜緑さんもさっきの件が堪えたのか大人しくお茶を啜っていた。
 肝心の長門も怒られたからなのか、ゲームせずに俯いている。やれやれ、空気が重いんだけど。
 俺としては時間も遅いので帰りたいくらいなのだが、このままって訳にはいかないだろう。仕方ないので有希に小声で、
「どうにかならないのか?」
 と尋ねてみる。有希も何か考えてはいるのだろうが、明確な答えはないようだ。
 はてさて、どうしたもんだろうな。有希と違った長門らしさを出しながら、尚且つハルヒのイメージにも添うものねえ…………

 
 この時、ふと俺に一つのアイデアが浮かんだ。


「なあ、眼鏡でもかけたらどうだ? ハルヒが望んでる文芸少女にもピッタリだと思うんだが」
 すると、妙な反応が起こった。朝倉は『アチャー』って感じで顔を抑えるし、喜緑さんは可哀想な子を見る目で俺を見つめ、有希は軽く肘で俺を小突き、長門はがっくりと肩を落とした。
「な、なんだよ……」
「あなたは物忘れが激しいのか、鈍いのか、バカなのか、その全てですか?」
キョンくん、それは私でもフォロー出来ないなあ…………」
「あなたはもっと自分の言動に注意を払って」
 有希にまで言われるなんて。一体俺が何を言ったっていうんだよ。
「…………わたしは、その言葉をずっと忘れなかった」
 どういうことだ、有希? 戸惑う俺に答えをくれたのは、小さく呟いた長門だった。
「…………眼鏡属性はない。あなたはそう言った。眼鏡が無いほうが可愛い、と」
 有希も頷く。
「だから、わたしは眼鏡をかけない。あなたが無いほうがいいと言ったから」
 あー、いや、それは言葉のあやとかそういうものであってだな? そこまで拘りは無い、つもりなんだけど。まさか有希も長門もそこまで考えててくれたなんて。
「わたしがオリジナルじゃないから眼鏡をかけろと?」
「いや、そういうんじゃないんだって!」
 いかん、長門が完全に落ち込んでしまった。朝倉と喜緑さんの視線が痛い。この鈍感! という言葉が言外から突き刺さっている。
 有希としても傷ついたはずだ。俺の何気ない一言で眼鏡をやめたのに、肝心の俺が気軽に眼鏡でもどうだなんて言ってしまったのだから。



 ――――――実は、眼鏡については思うことがある。それも長門と眼鏡について。
 しかし、どうする? 本当の事を話すしかないのか? 俺としては長門に朝倉もいる状況で話したくはないのだが。



 けれど、俺は見てしまった。長門の目に浮かぶ涙を。信じていたものが失われる悲しみを。
 …………ここで言わなければ二人の長門有希を傷つけるだけになってしまうんだな。
「なあ、聞いてくれるか? 俺は本当に長門に眼鏡をかけて欲しいと思ってる。それにはちゃんと理由もある。ただ、それは俺の勝手な都合でもあるし、有希や朝倉には少しだけ辛いかもしれない理由だ」
 ここまで聞いて喜緑さんだけは察してくれたらしい。何も言わずに席を立つと、台所へと消えていった。残された三人に俺は出来るだけ分かり易く伝えたつもりだ。
「俺は少しだけ前にこの世界とは違う世界に行った事がある。正確に言えば違う未来、と言えばいいのか? とにかく俺が知っている世界とは違う、そこには涼宮ハルヒが北校にいない。そして朝倉、お前がいる世界だった」
「…………」
 有希の沈黙が重い。朝倉も恐らく有希の記憶を同期しているはずだから分かるだろう。それは長門にも言える。だからこそ俺は話さなければならないのだろう。
「そしてその世界には長門、お前も居たんだ。眼鏡をかけて、何も力を持たない大人しい文学少女として」
 それは有希が望んでいたかもしれない世界。積もりに積もったバグという名のストレスが生み出した不思議など存在しない世界。
「けれど、俺はこの世界を望んだ。宇宙人がいて、未来人がいて、超能力者に神様と呼ばれる女までいるこの世界を。だからこそ俺は有希と恋人にもなれたんだしな」
 だから気にしなくていいんだ、有希。今のお前にはバグなんてない、あるのは感情って名前の気持ちだけなんだからさ。
キョンくん……」 
 朝倉だってそうだ、お前は長門を守るためにあの世界に居た。酷い目には遭ったけど、今のお前は別人だって言ってやってもいい。
「ただ、一つだけ心残りがあった。長門、お前のことだ」
「え?」
 そうだな、単なる俺の我がままなのかもしれないが。
「俺はあの世界から脱出するプログラムを発動する前に、お前にやっぱり眼鏡が無いほうがいいって言ったんだけど、あれは嘘だ」
「…………え?」
 驚いたろ、有希。お前は当事者だもんな。ここからが誰にも言わなかった俺の本音だ。
「そうでも言わなければ俺はエンターキーを押せなかったかもしれないからな。元の世界に戻りたい半面、あの世界にも未練はあった。それはな? 長門、お前が笑ってくれたからさ。だから俺はあの世界と決別するために例の言葉を言ったんだ」
 誰もヘンテコな能力など持っていない、けれどSOS団は揃っていたし朝倉も居る、ある意味理想的な世界だったんだ。そこからの脱出を決める為のキーワードとして、俺は長門の眼鏡を有無を利用した。
 結果として長門有希は眼鏡をかけていない、この世界に帰ってきた。しかし俺は、
「正直な話、眼鏡をかけていたお前にも魅力を感じていた。それはつまり、その、なんというかだな…………」
 言いよどんでいてもしょうがないだろ、はっきり言えよ。今の俺なら言えるだろ、それが本音なんだろうが。
「つまり、眼鏡をかけていてもかけてなくても長門長門だ。眼鏡の長門有希も好きだし、かけてない長門有希も可愛い。結論として長門有希が好きなんだから眼鏡があっても可愛いんだよ、分かったか!」
 うわあ、言っちまった。なんだこれ、真面目な話のつもりが改めての長門有希への大告白大会じゃねえか。
 そして、その効果は抜群だった。
「…………そう。わたしも、あなたが好き」
 これはどちらの長門有希だと思う?
「同時に話したからどっちもでしょ。あーあ、何この惚気話?」
 言うな、お前には聞かれたくなかったのにチクショウ。真っ赤な顔で照れて俯く二人の長門有希と、呆れてため息を吐く朝倉。
 俺も顔が熱い、多分頭の中も。あーもう、なんてこと言ってるんだ、俺は。思わず上を向いて絶句していたところに、
「お話は終わりましたか?」
 全部聞いていただろうが空気を読む才能に長けた喜緑さんは、何事も無かったかのようにお茶を煎れ直してくれたのだった。










 翌週の月曜日。授業を有希のおかげで寝過ごすこともなく終えた俺はハルヒに引っ張られて文芸部室へと向かう。
「おっはよー! みんないるわ……ね?」
 そこにはメイド姿の朝比奈さん、ニヤケ面した古泉、そして。
「どうしたの、有希?!」
「…………イメチェン」
 眼鏡をかけた長門有希が窓際の席に座っている。俺は肩の上に乗る恋人と思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
 なあ長門、お前も自分らしさってものが出てきたんだからチャームポイントが眼鏡ってのもいいんだろ? 眼鏡をかけた文芸部員はたまに眼鏡の蔓をクイッと上げながらいつものように読書に励むのだった。













「ねえ、なんで眼鏡をかけるようにしたの?」
「…………眼鏡があっても可愛いと言われた」
「ふ〜ん…………あっても、ねえ?」
 長門さん、そこで俺を見ちゃ駄目でしょ! 有希、どうにかしてくれ!
「がんばって」
 うん、それ無理
 それから数日、長門が眼鏡をかけたことよりも俺への追求に夢中になったハルヒは自然に眼鏡の長門に慣れていったとさ。やれやれ。