『SS』 ちいさながと そのに 18

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「どうするんだ、長門はこのままじゃ消えちまうんだろ?」
 突然の朝倉の登場に内心で動揺しながらも、他の二人が話し出す様子を見せないので俺が朝倉に問いかけた。
「そうね………………とりあえずは長門さんの申請は取り消してもらわないと。それから対応を考えましょう」
 朝倉はそう言うと、
「ということでお願いね、長門さん」
 そこは長門次第らしい。長門はどうするのかと思ったが、
「…………………出来ない」
 ある意味予想通り拒否してきた。今までのやり取りでも分かっていたが、長門はこうと決めたら梃子でも引かない。有希と共に過ごした日々でそれは骨身に染みている。
 それは以前一緒に居た朝倉も承知の事だったのだろう、
「やっぱりこっちの長門さんも同じなのね、でも今は私の言う事も聞いてもらいたいかな?」
 苦笑しながら長門の肩に手をかけた。その姿はまるで我がままを言っている妹を優しく諭す姉のような。俺が知らない長門と朝倉とはずっとこんな感じだったのかもしれないな、それを見る有希の顔も自然と目を細めているように見えた。
長門さんなら分かると思うけど、このままじゃ有希ちゃんが悲しんじゃうの。私だって何も考えてない訳じゃないから、お願い!」
 今度は下手に出だした。なんというか無表情な長門をどうにかして宥めようとしている朝倉っていうのが二人の定番なのだろうか? 今や朝倉はべったりと長門にくっ付いている。四年前まではこれが当たり前だったのかもしれないな、長門も別に嫌な顔もしてないし。
朝倉涼子はいつもこうだった。わたしはあの時は会話という行為そのものを重視していなかった為に対応は無かったけれど、彼女は話すという事を重要視していた節がある」
 有希の言葉に妙に合点がいく。そうなのかもしれない。朝倉はクラスの中心にすぐになったし、話し好きだった。それは役目としてコミュニケーションが必要だったという事ではなかったのかもしれない。今も根気良く長門に話しかける姿は四年前に不機嫌そうなハルヒに話しかけるクラスの委員長を彷彿とさせた。
「そしてわたしはいつも朝倉涼子の言葉に最後は従った。それは彼女が言語というものを通して真実を述べていたから」
 そう言った有希の声色に多少自慢げな雰囲気を感じたのは間違いはないだろう。朝倉を信頼している、それを言葉の端から垣間見る事が出来たような気がした。
 ということは、有希と同じである長門も、
「勝算は?」
「ないわけじゃないわよ?」
 どうやら朝倉の勝ちらしい。本当に勝算があるのかどうか不明ながらも長門を説得させるという難題をクリアしたのは俺達にすら出来なかったのだから、朝倉涼子とは本当に優秀なんだろう。
「…………………わかった」
 瞬間、長門の全身が白い光に包まれた。いつか見た有希と長門の光景が蘇るが、光は一瞬で消えた。
「申請は取り消した。朝倉涼子、あなたの案件を聞かせて」
「その前に有希ちゃんとキョンくんに謝りなさい。もう少し遅かったら申請は受理されてたじゃないの!」
 何だと?! そこまで事態は切迫していたというのか? 有希も気付かなかったのか?
「わたしの知る申請コードとは別のアカウントで情報思念体とアクセスしていた。長門有希はわたしではない一個体として存在している、その為にわたしは気付けなかった。迂闊、止める事さえ出来ないなんて……………」
 落ち込む有希に慰めの声をかけたのは俺ではなく朝倉だった。
「いいのよ、それがあなたと長門さんが別の『人間』なんだって証拠なんだから。だから長門さん、有希ちゃんに謝りなさい!」
 本当に姉妹のようだ、朝倉が長門に説教なんてな。そしてさりげない一言に俺は小さな感動すら覚えている。あいつは、朝倉は確かに長門と有希を人間、と呼んだのだ。
 朝倉涼子、というやつに対しての認識を今度こそ俺は改めなければならないようだ。何よりも長門の事を見ている、考えてくれているこいつはバックアップなんて存在じゃなかったのかもしれない。それは確かに長門が持つべき『家族』だった。確実にこいつらはそうやって北校に入学するまでの時を過ごしていたんだろう、無機質な感情を表すのが苦手な妹に世話好きな姉の姿で。
 そして妹は姉の言う事に素直に従った。すなわち俺と有希に対し、
「………………わたしの独断だった、謝罪する」
 と頭を下げたのだった。うんうん、と頷く朝倉と呆然とする俺、そして懐かしそうな目をする有希がそこにいた。それは在りし日の思い出なのだろう、朝倉と有希はそんな日々を送っていたのだから。
 だが今は感傷に浸るような余裕は無い、朝倉は自ら切り出した。
「さあ、それじゃどうしよう?」
 …………………待て。お前確か勝算があるって言わなかったか?
「うん、それ嘘」
 俺と有希は思わず前のめりでこけた。流石に長門だけは無反応だったが。いや、これが朝倉の本来の姿なのか? などとは言ってもいられない。
「だってそう言わないと長門さんが情報申請を却下しないでしょ? 苦肉の策ってやつよ、ここからはみんなで考えればいいじゃない」
 あっさりと朝倉は言ったが、そのどうするかという点で俺達は悩んでいるのだ。朝倉に策があるというから期待すらしていたのに振り出しに戻っただけというのならば意味が無い。だが朝倉だけは自信ありげに笑っているのだった。
「別に何も考えていない訳じゃないのよ? 例えば涼宮さんの能力を使うとか」
 それは俺も考えていた。ハルヒは朝倉がここに居ることを望んでいる、少なくとも週末には朝倉が居なければならないのだ。ならばその一点を追求すれば朝倉がこの世界に存在する理由にならないのか?
「それは推奨出来ない、朝倉涼子の存在の為に涼宮ハルヒが能力を使用すれば即ち涼宮ハルヒが希望する全ての存在が世界にある、という事になる。そこまでの強力な情報爆発を情報統合思念体は望んではいない」
 長門の台詞の意味が分からず俺は首を傾げた。ハルヒが朝倉を望む事と情報爆発の関連性って何だ? それに対し有希が答える。
「例えて言うならば涼宮ハルヒが望めば死者すらも蘇る、という事実が確定するということ。それはこの世界における禁忌。それに存在しない全てが存在してしまう可能性もある」
 それはお前ら宇宙人やそれ以外のUMAとかか? だが有希は首を振り、
「可能性として最も高いのは四年前の七夕」
 それを聞いて背筋に寒気が走る。つまりはハルヒが望めばあの七夕の時に出会ったジョン=スミスっていう男にも会えると言う事か? しかしそれは俺であり、俺がここにいるのにジョン=スミスは存在しない。だがハルヒの能力が無意識の内に朝倉の存在を認めるほどの強さを持てば俺以外のジョン=スミスを作り出す可能性がある、ということなのだろう。
 あくまで可能性の話だ。だが間違いなくゼロではない。長門はあの一瞬でここまで考えていたということなのか? 長門は静かに頷き、
「だからこそ涼宮ハルヒの能力を使うことは出来ない。あくまで情報統合思念体の能力と権限において我々の処理は行なわれる事が望ましい」
 つまりは朝倉の考えたハルヒの能力を使った解決策は不可能だと長門は判断したということなのだ。それは俺の考えも甘かったと言われたに等しい。  
 だが俺はこの可能性をまだ諦める事が出来なかった。
「そうは言うが四年前の七夕の事を知っているのは俺達だけだ、ハルヒに常識があればいい加減諦めているだろうし上手く話せば回避出来る話じゃないのか?」
「たとえそうであったとしても涼宮ハルヒが望む全ての事象において説明をすることは事実上不可能。彼女が誰にも告げることなく内心で創造した事にまで我々は関与出来ない、それに現実的な問題として何か一つの事象が実現する際に世界では大規模な情報操作が行われている」
 長門は徹底的に俺の意見を否定した。それどころか情報操作だと? それは朝倉の復活の際に何かあったというのか?
朝倉涼子の復活は情報統合思念体の意思。よって世界には影響はない」
「そうね、だけどこれが涼宮さんが望んで出来た事なら何らかの影響があってもおかしくなかったって訳」
 まさに諸刃の剣ってやつだったのか、ハルヒの能力は強力故に使えない。それだけを改めて思い知らされただけだったのだ、まったくもって神さまは役に立たないもんだぜ。と悪態もつきたくなってくる。
「だったらどうするんだ? このままじゃ八方ふさがりじゃないかっ?!」
 もう限界だ、たまらなくなって俺は叫ぶしかない。それなのに俺の周囲の当事者達だけは冷静なままなのが逆に腹が立って来さえする。
 その当事者の一人、朝倉涼子は笑顔のまま、
「まあ他の手段がない訳じゃないけどね」
 そう言って俺の方を横目で見た。嫌な予感がする、俺が止めようとする前に、
「私の情報解除を申請すればいいのよ、少なくとも後は喜緑さんに任せておけばいいわ」
 やはりこいつも分かっていなかった! 朝倉は最初からそれが狙いだったんだ! 朝倉の口元が小さく動き、高速で呪文のような言葉が詠唱される。
「…………させない」
 それを止めたのは長門だった。真横に座っていた長門が朝倉の腕を掴むと朝倉の口の動きが止まる。
「それは推奨出来ない、それならばわたしの存在を消去する方が合理的。わたしの処分の再申請を行う」
うん、それ無理。だって私はあなたと有希ちゃんを救いたいんだもの、あなたの動きを制限させてもらってその上で私の情報解除を申請するわ!」
 お前ら何を、と俺が言う前に空間が変化した。あの何もない空間、俺が四年前に閉じ込められた教室そのものだ! ということは、
「そう、ここは私の情報制御空間よ。長門さん、あなたを止めて私はこの世界から消えるの!」
 朝倉はいつの間にか立ち上がり、俺達と距離を置いている。そして上空にはあの時と同じ結晶が浮いていて……………………危ねえっ!!
 結晶が槍となって長門に降り注ぐ。俺はとっさに有希を抱えて転がるように床に倒れた。その真上に槍が落ちてくる、もうダメだと目をつぶったのだが衝撃音と共に槍は空中で砕け散った。
 恐る恐る目を開けると、長門が俺を庇うように両手を広げ、有希は俺を守ろうとして俺の上で仁王立ちをしていた。二人の張るシールドが俺を守ってくれたらしい。
「……………朝倉涼子、これはどういうつもり?」
 静かだが間違いの無い怒りを込めて有希が朝倉に対峙する。長門も油断なく朝倉を見つめていた。しかし朝倉は微笑んだまま、
「さっき言ったとおりよ。長門さんを消耗させて行動を制限して、その上で私の情報解除を申請する。まあ多少傷ついちゃうかもしれないけど修復は可能なレベルで留められるから大丈夫よ」
 やはり朝倉は根本的な部分で変わっていなかった。こいつは力技でも自分が思う事に前進しちまうやつだったのだ。長門を傷付けてでも長門を守る? その上で自分が消えてもいいと言いやがる、朝倉涼子はどこまでも自分本位で周囲を助けようとしているのだ。
 間違ってる、間違ってるんだ、お前らは! 本当に助けたいならやり方はまだあるはずなんだ、それを短絡的に考えすぎている。これだけ相手の事を考えてやれるのに自分の事には無頓着過ぎるんだよ、こいつらは。
朝倉涼子、今ならば間に合う。空間を開放して」
「無理ね、そうすれば長門さんが処分を申請しちゃうもの」
 有希の説得にも耳を貸さず、
「だから長門さん、大人しく動かないでもらえないかな? 多少情報制限させてもらうけど影響はないわ!」
 朝倉は高速で長門に襲い掛かった。有希が両手を広げてシールドを張ろうとすると、
「あなたは彼を守って」
 長門が一歩前に出て俺達を庇った。朝倉の一撃を両手で受け止める。俺は有希を抱えて後方に下がるしかなかった。
朝倉涼子、あなたの行動は理不尽。わたしはあなたを止めてあなたと長門有希を守る」
「そうはいかないわ、私はあなたと有希ちゃんを守るためにあなたを止めてみせる!」
 二人の激突で火花のような光が散る。
 止めろ! お前ら何考えてんだ?! 俺と有希を取り残し、朝倉と長門は構えて対峙していたのであった……………