『SS』 ちいさながと そのに 12

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「わたしの処分が検討された」
 長門は唐突に切り出した。そんな馬鹿な、と言うまでもなく有希が反論する。
「そのような報告は受けていない。何よりも涼宮ハルヒへの影響を考慮した場合、長門有希というパーソナルの不在は悪影響をもたらす。それは情報統合思念体も理解している」
 言葉はまともに聞こえるが、有希もどこか焦っているのではないだろうか。今の有希にとって長門はもう一人の自分でありながら、また別の長門でもあるのだから。
「情報の伝達に齟齬が生じた。訂正する、わたしの消去に伴いパーソナルネーム長門有希の現状への復帰、及び朝倉涼子のバックアップとしての現存時空への復帰が決定した」
 長門は既に決まっている事を原稿を読むように淡々と伝えたつもりだったのだろうが、聞いてしまった俺と有希のショックは計り知れないものがあったんだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! それは有希が元に戻るってことか? それで朝倉がバックアップで必要だというのかよ?!」
 長門は数ミリの首肯で俺の言葉に同意した。それに驚きもしているが冷静な自分がいる、何故ならば有希がいつまでも小さいままでいられないという事は俺にだって分かっていたからだ。
 ただ急激すぎるだけだ、それに朝倉の存在が気になる。頭ごなしに決められても、こっちにだって都合ってのがあるんだからな。いきなり長門がいなくなると言われてハイそうですかって風にはいかないってのが何でわからねえんだ!
「元々オリジナルはメンテナンスの為に存在を縮小していた。それを戻せば現状としての変化は周囲には感じられない。情報統合思念体はメンテナンスよりも現状維持を優先し、その上で朝倉涼子の復帰による状況変化を観察する事にした。少々の変化は進化の可能性を促進する確率が高い、それが情報統合思念体が出した結論でもある」
 確かに今のハルヒは前と違い、周りの人間との接し方も大分落ち着いてきた。それはさっきまでの朝倉との会話でも分かろうというものだ。だが、それでも長門をいきなり消す理由にはならないだろう? 朝倉が復活する、それを俺達に伝えるだけでもいいはずだ。
涼宮ハルヒの極近辺にインターフェースが集中しすぎている。これ以上は不要、その中で一番影響がないわたしが消え、長門有希を本来の役目に戻すのは当然の判断」
 冷静すぎる長門の言葉が突き刺さる。こいつは自分が消されるという事に対して何も思う事はないのだろうか? 何よりも、その言葉で一番傷ついたのは俺の恋人だ。有希は自分が戻る事よりも長門が消えてしまう事に衝撃を受けている。それはインターフェースらしくはないかもしれないが、人間としては当然の反応なんだぜ? そんな事も分からないはずはないだろう、長門
「それでも理解出来ない、わたしはあなたが処分される事に反対する」
 有希ははっきりとそう言った。当たり前だろう、俺達は仲間を誰も失くしたくはない。それは俺が長門に対して言ったこともあるセリフだからな。
 しかし長門は冷酷なまでに有希の言葉を否定した。
「それは単なる自我の発露でしかない。情報統合思念体の意思はオリジナルである長門有希の存在を最重要視している、その為にダミーであるわたしの存在が不要であるが故の処分に過ぎない。あなたは、あなたであるためにわたしの処分を受け入れるべき」
 あまりにも無常なセリフに俺の方がカッときた。思わず、
「おい! それは無いだろうが! 有希はお前の事を心配して、」
「……………待って」
 長門に怒鳴ろうとした俺を止めたのは小さな恋人の小さな呟きだった。その声に浮かせかけていた腰を再び下ろす。有希は内心を押し隠すように冷静な声だったからだ、そうじゃなければ俺は長門に怒鳴っていたに違いない。
 その冷静な声は一種の力強さを持って長門に話しかけたのだった。
「わたしが現在自我の発露による無自覚的発言を有していることは理解出来ている。それが情報統合思念体がエラーとして処理するであろう有機生命体の感情、と呼ばれるべきものであることも含め全て容認済み。あなたが、わたしがわたしであると言うのならば、わたしはこのエラーも含めてわたしであると主張する」
 まだ全てを理解したとは言えないけれど、そう言った有希は誰よりも感情を理解出来ていると思う。少なくとも俺と付き合う前、いや出会った当初の有希がここまで自分の意見というものを言えたのかもう分からなくなっている。
「その上で、エラーであっても構わない。わたしはわたしであるが故に、長門有希、あなたを助けたい」
 それは真剣で切実なる願いだった。黒曜石を思わせる美しい瞳にダイヤモンドの輝きを内包して。有希は心から長門を救いたいのだ、その為の手段を必死に探そうとしているのだ。どうだ、俺の長門有希はこんなにもお前の事を心配しているんだぜ? それは分かってるだろ、お前も長門有希なんだから。
 その言葉は間違い無く長門に届いたに違いない。にも関わらず長門の瞳には光が宿ることは無かった。いや、違う。意図的に光を隠していたのかもしれない。
「あなたを救う方法を知りたい。わたしには伝達されていない情報があるのならば、そこから何か得られる可能性は高い。情報開示を申請する、お願い」
 有希は長門に深々と頭を下げた。長門有希長門有希に頭を下げてお願いしているという異常な光景も、真剣な雰囲気に押されて違和感がない。俺も有希に倣って頭を下げる。
「俺からも頼む! 俺達はお前を無くしてまで有希が元に戻ってほしいなんてこれっぽっちも思っちゃいないんだ! だからお前が助かる方法をこれから探せばいい、その為ならなんでもするぞ!」
「…………………」
 俺達は頭を下げていたからこの時の長門の顔は見ていない。だが、多分だが長門は泣きそうだったんじゃないかと思う。その瞳に光が無かったなんて思いたくも無かったからな。
 頭を下げたまま、重苦しい沈黙がしばらく続いた。長門は何も言わず、俺たちも何も言えずにただ時が止まったかのように動けなくなっていただけだった。
 そして、沈黙を破るように長門が口を開く。それは決意に満ちた硬い声だった。
「……………方法は、ある」
 俺達は勢い良く顔を上げる。それは微かに見えた希望の光だった。可能性じゃない、方法と長門は言った。つまりは長門が助かるということだ、有希も俺も長門の言葉の違いが判らないわけが無い。
「どうすればいいんだ? 何かややこしい手続きとかいるならどこにだって行くぞ?」
「オリジナルが現在の状態を確保するよう情報統合思念体に申請すればいい。メンテナンスはまだ終了していない、現時点での申請により現状は確保される」
 あまりにも呆気無い手続きにこっちが呆れてくる。単に有希が言えば収まるなら、ここまでややこしい話にはならないんじゃないか? 有希も頷いた。
 だが、希望は即座に絶望へと堕とされていったのだった。その後に長門が続けたセリフによって。
「ただし、申請が受理された瞬間に朝倉涼子はその存在意義を喪失し、再消去される」
 今度こそ俺達は立ち直れそうも無い衝撃を受けた。俺はまだいいだろう、正直朝倉がいなくなればホッとしてしまうところもある。しかし有希は、
「……………何故?」
「まだ朝倉涼子の転校は認識されて日が浅い、情報操作で記憶の改ざんも容易い故に周囲への影響も低いと考えられる」
「そうではない、何故朝倉涼子が消去されるのか理由を聞きたい」
朝倉涼子長門有希のバックアップとしてのみ存在する。それ故に長門有希がオリジナルとダミーとして存在する場合、互いがバックアップすればよい。朝倉涼子は存在する理由が無くなり消去される」
 冷酷な長門の言葉が有希を打ちのめした。要するに朝倉は有希が元に戻る前提で復活したんだ。その有希が元に戻らないのなら朝倉は要らないって事になるって言う訳だな。
「ふっざけんなっ! 何だその理屈は! それなら最初っから有希に戻るかどうか聞いてから朝倉を甦らせりゃいいんじゃねえか! 事後承諾で有希に責任だけ被せる気かよっ?!」
 ああ、最低だ! 今度こそ長門の親玉とやらを目の前に引きずり出してぶん殴ってやりたいぜ! 有希の気持ちも、長門の思いも全て無視して勝手に朝倉を復活させて挙句にどちらかを消すだと?!
「そんな馬鹿な話が聞けるか! 有希、いいからそんな話聞くんじゃねえ! いいか、今からでもハルヒに全部話して情報統合思念体とやらを消し去ってやる!!」
 目の前が真っ赤になりそうな程に俺の怒りは頂点に達していた。今すぐにでもハルヒを呼び出して事情を説明してやる、長門の危機だと言えばハルヒは必ず動くからだ。俺達の団長を舐めるんじゃねえぞ!
 だがしかし、俺の怒りの炎に長門は冷水を浴びせかけたのだ。
「現状を涼宮ハルヒに報告した場合、わたしではなくオリジナルの長門有希に影響が出る可能性が高い。涼宮ハルヒはオリジナルを認識しておらず、わたしを長門有希と確信しているから。万が一長門有希が二人いると理解してしまえば物理法則を無視した能力でオリジナルを元来のサイズに戻す可能性が高く、その影響がいかほどのものになるか予測は不能
 つまりは長門有希が二人いるこの状況に於いてはハルヒの能力は危険なだけだって事か?! 有希を見れば否定もせず頷いている。言われなくても分かっていた、そう全身が物語っている。頭に昇っていた血液が一気に急降下していく気がした。
「……………どうしろっていうんだよ…………チクショウ……………」
 全身から力が抜け、俺は倒れるように椅子に座り込む。抱えたくもない頭を抱え、俯きたくもないのに俯くしかなかった。
「最初にあなた達には有益にならない、と言ったとおり。わたしは既に処分が決定している、この話は本来するべきものではなかった」
 だから何でそんなに冷静なんだよ…………………長門はあくまで長門らしく、いつものように窓際の席に座っている。それがあまりにも俺に違和感を与えていた。
 このままだと長門は消える。だが長門を助けようとすれば朝倉が今度こそ消されちまう。
 どちらかを選べだと? そんな事出来る訳がない。しかも判断を下すのは俺じゃない、
「…………………」
 有希は、俺の恋人は小さな体を丸めるように俯いて何も言えなくなっていた。有希が人間らしくなったから、俺達と同じ様に悩んでいる。それなのに俺は何も言える事がないままに長門と有希を見ているしかなかった……………
「まだ、判断を下す時間はある。これ以上の在室は不利益、一旦帰宅したほうがいい」
 あくまでも冷静な長門の声に俺達は逆らえるはずも無かった。飛び移る力も無くなった有希を、そっと肩の上に乗せた。有希はあまりにも軽く、まるで消えてしまいそうな感触に思わず力が入りそうになる。
 なあ、俺はどうすればいい? お前になんて言ってやればいいんだよ? いつものような安定感もない有希の体を支えるように、俺は手を差し伸べる事しか出来なかった……………