『SS』応援したい

衣替えなどをつつがなく終え、苦難の期末試験も水平線ギリギリのラインで無事に飛び越えて後は夏期休暇を待つばかりとなったある日の放課後の事である。
最早定石となりつつある文芸部室への道のりを俺は何を思うともなく歩いていた。
第一、もう夏休みしかすることがないのにグダグダと授業があるのが鬱陶しい。
その上、衣替えを待ちかねたかのごとく上昇していく気温も気に食わん。
などと盛大に愚痴をこぼしながらも俺はこの季節が嫌いになれないのだった。
という事を考えているといつの間にか部室の前である。
ここで勢い良くドアを開ければもしかしたら天使のあられもない姿を拝見できるかもしれないが、そのまま神(黄色いカチューシャ着用)の手によって本当に天国への階段を強制的に昇らされてしまいかねんので、俺は紳士的にノックを欠かさないのである。
すると、
「……………」
という言葉に出来ない沈黙が俺を迎えてくれるわけである。ということは朝比奈さんはまだ来ていないということであり、この部屋にいるのは、
「よう、今日はお前だけか?」
この部屋の正当な権利者であり、宇宙人の作り出した何とかインターフェースという肩書きも持った読書好きの無口少女、長門有希しかいないのである。
その長門はいつもの窓際の椅子に座り、厚みで人を撲殺できそうなハードカバーのSF小説を読破中だ。
いつも読んでて厭きないものかね? と言っても多分厭きてないから読むのであって、俺に理解出来ないからと言ってそれをとやかく言ってはいけないのだろう。
それで俺もいつもの席にと思ったのだがなんとなく、
「なあ長門、お茶でも飲むか?」
と聞いてみた。俺もこのまま手持ち無沙汰なのもなんだしな。
1ミリほど顔が動いたようなので、どうやら肯定のようだ。俺は冷蔵庫から作り置きの麦茶を取り出し、それぞれの湯飲みへと注ぐ。
「ほら、こぼすなよ」
目の前の長机に湯飲みを置く。少しだけ視線が動き、また戻った。
俺も自分の席に着き、一口茶を啜る。朝比奈さんが作り置いただけで一味違う気がするね。
そのままカバンから取り出した下敷きで自分を扇ぐ俺と、変わらない姿勢で読書を続ける長門
沈黙が部室を支配しているのだが、それが心地良く感じてきているのだから俺と長門の関係というものも少しは成長したのかもな。
心が安らぐ静けさの中、長門が口を開いた。
「今日、クラスメイトと話をした」
ほう、あの長門がまさかクラスの話なんてな。しかもクラスメイトと話したとは、お前がクラスで浮いてないかと心配だったが杞憂で済みそうでなによりだ。
「そうか、どんな話をしたんだ?」
興味がないと言えば嘘になる。あの長門がクラス内でどんな話をしたんだ?
「部活の話」
部活? 文芸部のか? すると長門は俺にしか分からない動きで首を振る。それ以外ってSOS団のじゃないだろうな?
だとすれば間違いなく碌でもない話に違いない。
暗澹たる気持ちになりかけた俺に、長門は意外な事を言った。
「………わたしを、応援すると言ってくれた」
はあ、応援ねえ。なんだ、お前、SOS団なんか辞めて体育会系の部活にでもって薦められたか? 
確かに長門の運動能力なら引く手、数多だろうしな。
「違う。だが、わたしはそれを好ましく思った」
そうか、部活って言っても色々あるし、何よりお前は文芸部もあるしな。
何にしろ長門がクラスメイトと普通に話して、そう思えたというのは喜ばしい事だ。
しかも今日の長門は饒舌でもあるようだ。
「わたしは、もっと頑張ったほうがいいとも言われた」
そうか? 俺から見ればお前は十二分なほど頑張ってると思うんだが。
「………………」
どうやら長門自身がそれは違うと思っているようだ。少し落とした視線がそう物語っている。
やれやれ、そんなに落ち込むなよ長門
それならば俺が言うべきことは一つだ。
「そうか、それなら俺も応援するぞ。お前が頑張るって言うならな」
そのくらいはお安い御用だ、俺なんかの応援がお前に必要かは分からないけどな。
「………………ありがとう…………」
ああ、お前にそれだけ素直に礼を言われるとこっちがむず痒くなってくるんだがな。
すると長門の姿が俺の目の前から消えた。なんだ?!
「…………」
うわっ! いきなり俺の真横に長門が座っている。何なんだよ一体?
「あなたが…………」
長門の表情は変わらないまま。
「あなたが、頑張れと言ってくれた。だからわたしは頑張ってみる」
でもその頬がほんの少しだけ赤く見えたのは俺の気のせいかもしれない。
「そうか、頑張れよ長門
俺はそう言ってまた下敷きで扇ぎだす。少しだけ、その風が長門にも当たるように。
「…………頑張る」
そう言った長門の唇がほんの少しだけ、俺にしか分からないほどだが、上っていたのを見て、俺も何か少しだけ微笑んでいた。
心が落ち着く沈黙の中。
俺が扇ぐ下敷きの音。
優しく流れる風がショートカットを揺らす。
それを見ながら俺はこの時間が長くあればいいと思えてきた。
そんな夏のある放課後の話さ。

あとがきにかえて

ちょっと季節外れなのは、まあ許して(笑)