『SS』 観測観察観賞感情 2

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 翌日。いつもどおりの朝がいつもと違っているのは昨日からであり、まさか進行形だとは思わなかった俺は見慣れた後姿を見つけて戸惑うしかない。
「おい、本当にどうしたんだ?」
 それでも訊くしかないのだろう。俺のすぐ先を歩いていた長門は足を止めて振り返った。数ミリの会釈で挨拶をしたつもりになっている宇宙人さんは、今日はどんな理由で遅めの登校をしているというのだろう。
「まさか起きられなかったなんて訳ないよな、遅刻はしないだろうが長門らしくないだろ」
 もしも体調などが悪いようなら言ってくれよ、お前は見た目で分かりづらいんだからな。とまでは言えなかったが、長門の事だから俺が何を言いたいのかくらいは理解してもらえるはずだ。
 しかし、長門は本当にどこか悪いのかと不安になるくらいたっぷりと間を空けると、
「問題ない」
 とだけ言って、再び俺を正面から見つめている。その姿は何も変わりないように見える、いつもの長門だ。
 一応話しながら辺りを見渡したのだが、やはりハルヒの姿は見えない。けれど長門は問題ないと言っている。
 …………さっぱり分からん。長門は何で遅めの登校派に宗旨替えしたんだ? 朝が弱くなったとでもいうのだろうか。大体、長門の奴が家で寝ている姿が想像出来ん。一応布団はあるようだし、パジャマ姿も見たことあるはずなんだけどな。
 などと長門のパジャマ姿を思い出そうとすると、何故か制服姿のままで布団を被っているというシュールな絵しか浮かばなかったので、話を戻すことにする。
「問題ないなら構わんが、早く行かないと今度は遅刻だぞ。どうせ同じとこに行くんだから一緒に行ってやるからさ」
 数ミリの肯定で俺の隣に並んだ長門と連れ立って坂を登っていたのだが気遣ってくれているのか俺の方を向いたまま歩くので、自然と話をしなくてはいけない気になり、登校時には珍しく饒舌になった俺はいつもよりも楽に坂を登り終えたような気がする。
 下駄箱で靴を履き替え、隣のクラスなので廊下も並んで歩く。
「それじゃまた放課後な」
 六組の前で別れ際、長門が数ミリ頷いたのを見てから俺も自分のクラスへ。話しながら歩いたからか、思ったよりも早く着いたな。





 教室では既にハルヒが席に着いていた。挨拶しながら自分の席に着く。
「もう少し早く来なさいよね、遅刻が原因で進級出来ないなんてSOS団の団員として許されないんだから」
 失礼な、ホームルームまではまだ時間があるだろうが。それに俺が遅刻なら長門も遅刻になってしまう、あいつが居てそんな事にはならない、と思う。
 そういえば長門はクラスで話など出来ているのだろうか、今日もギリギリだったが心配する友人などいないのか? などと思いながら午前の授業をほぼ滞りなく終えた。因みに内容については訊かないでくれ、板書だけは写してるからさ。







 昼休み。俺は弁当箱を持って国木田の席へ。と、いう訳にいかなくなったのも二日目か。
「言ったろ、ハルヒがいるから食堂に行けって」
前置きを飛ばして教室の前で待つ長門に言う。まさかの連続財布忘れなど、長門以外なら有り得そうでも長門だからこそ有り得ない話だよな。
ところが、これは俺の早とちりであったようで、
「昨日の礼として、今日はあなたを食堂に招待する。わたしが支払うので心配いらない」
いや、俺は弁当があるんだけど。知ってて言ってるのか、こいつ? しかし、あの長門がお礼と称して昼飯を奢ってくれるとはな。
「すまんな、俺は弁当があるから遠慮しとくよ。気持ちだけありがたく受け取っておくからさ、構わず食ってきてくれ」
長門の優しさみたいなものを感じて胸が温かくなる。こういう気遣いをどこぞの団長さんにも見せて欲しいものだぜ。
しかし長門は、うどんを注文したら伸びてしまうのではないかと思えるくらいにたっぷりと間を空けると、
「それでは不公平」
そう言って無表情に俺の制服の袖を引っ張った。意外というか、見た事の無いくらいに強引な態度だ。こいつもハルヒ同様、借りを作るのが嫌だとか言いたいのだろうか。
まあ長門が我がままを言うなど滅多に、いや、今まで無かった変化だ。それも俺への礼だと言うならば、ここは受けておいてやる方がいいのかもしれない。
「分かったよ、それじゃお言葉に甘えさせてもらうか」
ちょっとだけ呆れて苦笑しながら、俺は長門の隣に立つ。袖を引いた長門は、「そう」と少しだけ頷いて袖を掴んだまま歩き出した。
おいおい、掴んでる場所は違うがハルヒみたいだぞ、お前。だが、長門の意外な一面が見れたようで面白くはある。俺は、笑いながら遅れないように長門の横を歩くのだった。




食堂に着くとまたもハルヒに目敏く見つかり、何をしたのかと俺が責められそうになったのだが、長門が事情を説明してくれたので、
「ふーん、まあいいわ。でも、流石は有希よね! あんたもあたしに受けた恩をちゃんと返すように心がけておきなさい、毎日のようにね!」
などと、長門を誉めつつ俺を糾弾したのであるが、お前には恩など受けてない。むしろ、利子をつけて返して欲しいくらいなのだが、ハルヒの恩返しなど被害が倍加するに決まっているので黙って頷いておくだけにした。
そんな俺達のやり取りや、後で弁当を食うので遠慮して頼んだかけうどんを食べているところも、長門は黙って見ていたのだった。いや、だから食いにくいって。







放課後。いつものようにハルヒに引きずられながら部室へ。いつ破壊されてしまうのか不安視されているドアをハルヒが力一杯開くと、既に朝比奈さんはメイド服であった。
「こんにちは、涼宮さん。今すぐお茶を淹れますね」
ありがと、と言いながら団長席に座るハルヒに、ようやく解放された俺が恨みを込めた視線をぶつけてやる。まあ、そんなもんが通用するはずないけどな。構わずパソコンのスイッチ入れてやがるし。
朝比奈さんがコンロの火を見ながら調節している中で、俺は定位置である長机にパイプ椅子を持ってきていた。
「今日はいつもどおりのようですね」
うるせえよ、俺の首が絞まるのが日常になっているというのがおかしいじゃねえか。嘘臭い爽やか笑顔の副団長が用意していたのはオセロか、今日も連敗街道をひた走る準備は万端のようだ。
 適度に駒をひっくり返しながら古泉が駒を置く場所を探す時間が段々と増えていき、その間が暇になりつつあった時だった。
「ねえ有希、さっきから何見てんの?」
 パソコンの向こう側からいきなり声をかけたハルヒに俺達が視線を向けると、ハルヒも不思議そうに長門を見ているという状況だった。その注目の長門は、本から視線を上げて俺達の方を見ている。と、いうことはさっきから俺と古泉を見ていたということなのか?
 だが、俺は長門の視線などに気付かなかったし、古泉も同じだと思う。その証拠に古泉はハルヒの言葉に少し首を傾げると、再び盤上に目を落とし、
長門さん、オセロが気になりますか?」
 と訊いたからだ。いや、長門なら勝敗がほぼ読めているオセロになど興味を持つとも思えないんだが。それとも、たまにはオセロなどやってみたいとでも思ったのだろうか。
 しかし、長門は古泉が次の一手を思いつくくらいたっぷりと間を空けると、
「観察」
 とだけ言って本の世界に戻ってしまった。残された側としては発言の真意も分からずに呆然とするしかない。ハルヒも納得出来ないのか、
「観察って何を? さっきからキョンと古泉くんの方しか見てないじゃない」
 その長門をずっと見てたのか、お前は。どちらかと言えば、ハルヒの方が観察してたような気がしてくるな。
「まあたまには長門ボードゲームに興味を示すこともあるんじゃないか? 何だったら参加するか、長門?」
「今日はいい」
 そうか。そんな訳で話は終わりである。ハルヒも面白くは無さそうだが、興味も無くした様でマウスをカチカチやってるし。ここでタイミング良くお茶を差し出した朝比奈さんには感謝しないとな。
 古泉も黒の駒を置きながら、
「どうやら退屈なようですね、そろそろ何か必要な時期でしょうか」
 などと物騒な事を言い出した、それよりも、そこに置いたら俺が角を取ることになるけどいいのか?





 この時、ハルヒの言う事は正しく、俺は気付いていなかっただけなのだ。
 長門が視線を落とした先、いつもは正しいリズムで刻まれるはずのページがめくれる音がしていなかった事を。
 そして、俯いた長門の目線は横を、俺のほうを向いていたという事も。




 
 

 帰り道。いつものように歩く中で古泉が話しかけてくる。
「どうやら長門さんの様子がおかしいようなのですが、何か心当たりは?」
 本人が前を歩いてるんだから直接聞け。それに、こんな話を聞かれたら長門だっていい気はしないだろ。まあ、長門に内緒話が通じるとも思えないが。
 それを承知で古泉も訊いているんだろう。それでも出来るだけ小声で、
「このままでは涼宮さんも口には出しませんが不信感を持ってしまいます。出来ればあなたから長門さんにそれとなく注意していただけないかと」
 それはいいが、顔が近い。内緒話にならないから顔を近づけるな。
長門の調子がおかしいなら自分から言ってくるだろ。それに俺が言ったところであいつが聞くとも思えないが」
「それでも僕から言うよりはマシですよ。これ以上涼宮さんの機嫌を損ねない内に手は打っておきたいですからね」
 何はさて置き、まずハルヒか。少々過保護だと思うのは気のせいか? 
「大体、長門のどこがおかしいんだよ。お前は分かってるのか?」
「それを言われると僕にも…………ただ、涼宮さんは長門さんがいつもと違うと感じていますし、実際に視線のようなものは感じてましたから」
 どうやら鈍感なのは俺一人だったらしい。古泉は長門の視線を感じていたという事なのか、それとハルヒの疑問。
「だが、長門は観測すると言ってたぞ。それはハルヒだけでなくSOS団全員って事じゃないのか?」
「観測ではなく観察、と言っていたようですがね。まあ、長門さんというより情報統合思念体としては我々人類そのものを観察しているとも言えるかもしれませんし」
 そういうものかもな、たまたまハルヒが暇で長門を見ていたからそう思えただけだろう。
 なので、マンション前で解散したついでに、
「観察もいいけど、ハルヒが気にしない程度にしとけよ」
 そのくらいの軽い気持ちで言っておく。すると長門は、帰りにコンビニで弁当を温められるくらいにたっぷりと間を空けて、
「善処する」
 と言った。いや、そこは善処ではなく了解、と言って欲しかったのだが。
「ま、まあ頼む」
 どことなく不安だが、長門の言う事に間違いは無いだろう。少なくとも古泉が心配するような事態は無いと思う。
 話は終わったとばかりに振り返ることなく帰っていく長門の背中を見て、俺は再びため息を吐くしかなかった。
「やれやれ、何だって言うんだ? まったく……」





 家に帰って部屋で着替えて、ベッドに倒れこむ。今日一日を思い返して出した結論は、
「誰も彼も、自意識過剰だろ」
 ハルヒ長門を見ていたのだって暇だからだし、古泉は余計な気を回しすぎだ。長門だって、たまには本から目を上げる事もあるだろうし、俺達のゲームに興味を持って悪い訳じゃない。
 それを特定の誰かを見ていたとか、それは穿ちすぎだろう。俺はそう思ったが、そういえば今日も長門と一緒の時間が多かったよな。
「…………アホか」
 俺が一番自意識過剰だ。長門が向けた視線の先に自分が必ず居るなんてな。
 明日になれば元通りだ、今だってどこが変わってるのか分からないが。そんな事より妹が呼びに来たから晩飯でも食うことにするさ、明日は明日でなんとやらだ。