『SS』 ちいさながと そのに 4

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 それは放課後も当然のように同じであったのだ。即ち、
「やっほー! おっまたせー!!」
 と俺の腕を引いたハルヒが文芸部室のドアを勢いよく蹴っ飛ばし、それを冷静に、
「あ、涼宮さん、こんにちは〜」
 とメイド服の朝比奈さんが迎えるところまでがセットになっているくらい日常的な光景と化していたのである。いや、メイドがいる風景を日常としていいのかと言うのは置いておく。
 ところでどうでもいい話なのだが、何故ハルヒと俺が一緒の時には朝比奈さんは着替え終わっているのに俺が一人で来たら着替えシーンに遭遇してしまうのだろうか? しかもノックしてない時に限って。
「……………なに?」
 いや、お前がいる限り今後俺がノックを忘れる事はないだろうと思っただけだ。精神的にも緊張感があるが、万が一忘れてしまえば物理的にも生命の危機を迎えかねないのだよ。誰もいない廊下で真横に吹っ飛んでいく俺はさぞかし不思議だろうな、肩の上に乗っている彼女はそのくらいはやりかねない。
 閑話休題
 部室に入った俺達はいつもの席に着くと、
「はい、キョンくん」
 と清楚で可憐なメイドさんから心づくしのお茶の配給を受ける。ありがたく一口いただき、
「いつもありがとうございます、美味しいですよ朝比奈さ」
 礼を述べる声を遮るように、
「みくるちゃーん! おかわりー!!」
 などと無粋な団長のがなり声に気分を害しながらも、
「はーい、ちょっと待っててくださ〜い」
 甲斐甲斐しく我がまま女の世話を焼く上級生に心の中で頭を下げたところで、
「では一局いきますか」
 ニヤケた面の副団長の連敗記録の更新を手助けするために将棋盤を向かい合うのが俺の、俺と有希の放課後の日常である。そしてもう一人の長門有希は窓際の席で読書をしているというのも見慣れすぎた光景なのだった。
 こうしていつものSOS団の活動が始まる。俺と古泉の将棋を眺めるのも最近は飽きてきた有希が俺の肩の上から長門の肩に飛び移り、一緒になって読書をしているのも当たり前のように捉えている。少しだけ寂しかったりもするのだが、古泉が弱すぎるので確かに見ていても楽しいものでもないんだよな。ハルヒの観察? ネットサーフィンをしているのを見ているだけなんて面白くないだろ。
 淡々と静かに、だが誰もが気にもならない程に落ち着いた空間。たまにハルヒが突拍子もない事を言い出したりもするが、それはそれで有希も長門もいる。古泉や朝比奈さんだっている訳だし、それなりに俺も心構えが出来ているつもりだ。要するに、なるようになるってことだけは分かっているんだ。それならば今現在は適当にのんびりと過ごすだけさ、俺の彼女だって絶賛読書中なんだからな。
「そういえば、おかしな噂を聞いたのですが」
 目の前の古泉がそう話を切り出したのは、俺の飛車が古泉の王将をどこにも行けなくしてしまった頃だった。
「何だ? おかしな噂話なら俺じゃなくてハルヒにでも言えばいいだろうが」
「いえ、どちらかといえば涼宮さんの耳に入ると困る類の話なのですよ」
 こう言った時の古泉はニヤケ面に幾分かの生真面目さを混入しているのが分かってしまうから参ってくる。第一こいつの笑みから僅かな違いを感じ取れても得をした事など一度だってないのだからな。そして変わらない表情から僅かな変化を読取るというスキルを俺に与えてくれた彼女は、
「………………」
 読書を中断して俺の肩の上へと戻ってきていたのであった。どうやら気にはなったらしい、定位置に戻った有希にも聞こえるように俺は古泉を促した。
ハルヒには聞かれたくないって事は厄介な話って事なのか?」
 すると古泉は少しだけ眉間に皺を寄せると、
「それがまだ僕には判断が付かないのです。ただし情報ソースから推測するに、あなたにはお伝えしておいた方がいいだろうと思いまして」
 いかにも思わせぶりに話しやがる。毎度の事ながら用件を簡潔に伝えられないもんかね、こいつは。それに顔が近い、有希がその面を蹴飛ばしかねないから話を続けさせるぞ。
「どんな噂だ? いや、噂じゃないだろ。お前の言い方だと確実な情報だがハルヒには聞かせたくないってとこだな」
「流石に分かりますか。いえ、どちらにしろ涼宮さんも後から分かる事なのですが、あなたがその時にはフォローに入っていただきたいというだけなのですよ」
「いいから続けろ、一体何を言いたいんだ?」
 いい加減回りくどい話し方にもうんざりしてるんだ、それに本当に有希が接近しすぎの古泉の顔面に靴の裏をめり込ませかねなくなっている。だが古泉が次に発した台詞は半分上げかけていた有希の足をも止めるものだった。
「どうやら5組に転校生がやってくるようなのです、何故こんな時期に、等とは聞くまでもありませんね」
 なるほど、奇妙な事この上ないな。だが、それでもだ。
「いくら何でも転校生がくるたびに疑う訳にもいかないだろ? それにお前らなら事情まで調べ上げる事も簡単だろうが」
 それにそんな事があれば有希も長門も気付かないはずがない。にも関わらず長門は本から顔を上げる事も無いし、有希も初耳のようだしな。この時点でも俺は呑気にそう思っていた。
 だが古泉は衝撃的な一言で俺達のゆるい気分を吹き飛ばした。それは奴の言う情報ソースだった、即ち、
「『機関』でも把握していない情報です。それに、この話の出所は喜緑江美里なのですから」
 意外すぎる人物の名前に有希の動きが止まる。喜緑さんが? 何故そんな話を知ってるんだ、あの人は?
「僕が生徒会長と打ち合わせをしている時に唐突に話しかけてきたのです。会長も把握していないような感じだったので、もしかすると……」
 古泉の視線の先には読書中の宇宙人がいる。ここまで声を潜めていたのはハルヒだけじゃなく長門にも聞かせたくなかったって事か。もちろん長門の能力からすれば無駄な抵抗だとしても、そうしたくなる心情だった事は間違い無い。
 まあ俺の肩の上には有希がいるのだから、どちらにしろ無駄な努力なのだが。しかし古泉が疑うのも無理はない、あの喜緑さんが何の意図も無く古泉を混乱させるような情報は流さないだろうからだ。俺達をからかうのではない、そこには何かあるはずだ。
「ですから、あなたにだけは耳に入れておきます。万が一何かあるようでしたら、すぐにでも連絡をいただければ」
 古泉の言葉に曖昧に頷きながら肩の上に視線を動かせば、有希も俯いて何か思案している。まさか自分の知らない所で話が進んでいるなどとは思いも寄らなかったに違いない。
 どうなってるんだ、昼休みの喜緑さんの態度はこれを伝えたかったのか? それならばどのような形であれ、有希にだけは話しているはずなのに。それに、有希が知らなくてもお前だけは知っていたはずだよな?
 俺の視線の先にいた長門有希は、いつもとまったく変わりなく読書を続けていた。
 奇妙なまでに当たり前だったその光景を、俺は疑うべきだったのだ。それなのに俺は長門の姿を見て安心してしまっていた。有希にはまた後から伝えられる、ハルヒへの退屈しのぎなら喜緑さんと長門だけで話を進めることもあるさ。まだ俺は愚かにもそう思ってしまっていたのだった。
 初めて覚えたのかもしれない不安な気持ちの有希が寄り添ってくるのをどう慰めるべきか、その時の俺はそれだけしか考えていなかった。
 その時の長門の表情を読み取れなかったくせに、何が長門を助けたいだ! 俺は朝比奈さんに頼んででも、この時の俺を殴ってやりたいと今でも思っている。