『SS』とある宇宙人の普通の日常

放課後を告げるチャイムが校内に鳴り渡り、私は教室を出ます。足が向くのはいつもの所ですね、と言っても何時からいつもになったのかはお教えできませんけど。
職員室の隣にある少々手狭な部屋こそが私の目的地であり、そうですね………職場、と呼んでも差し支えのない場所ではないのでしょうか?
生徒会室の扉を開ける時には、私はいつもこう言います。
「遅くなりました」
例え私が一番乗りだとしても、この言葉を言っておけば周囲の反応が概ね好意的に取ってもらえる、という事は私の情報メモリ内にインプットされています。これが有機生命体の言うところの処世術というものでしょう?
そのような行為に私は何も意味など感じませんが、私という存在をこの学内生活に於いて円滑に行動させる為の一手順だとすれば、言語という幼稚な交信手段しか持てない有機生命体相手にはいたし方のない事なのでしょう。
ただし、この言葉を私が一番乗りして発した事は一度もありません。何故ならば、
「うむ、まだ他の者は来ていないから謙遜することはないぞ」
銀縁の眼鏡の弦を指で軽く直しながら、あの方はいつものように私の前にここに来ているのですから。
「わかりました、会長」
私もそう答え、書記である自分の為の席――――会長の隣の席に座ります。
「………………」
「………………」
二人の間には沈黙しかありません。当たり前です、私には何も話をしなければならない理由などありませんし、彼もきっとそうでしょう。
ですから話をしない。そして時間だけが流れてゆきます。
ですが…………私はこの沈黙が嫌いではありませんよ? 私ですらこの状態を表現する語彙を持たないのが有機生命体の曖昧さを表しているのかもしれません。
しばしの沈黙の間には、彼は必ずと言ってよいほど読書をしています。今日は『成功する経営学』ですか、この人はこのような本を好んで読んでいるようですが。
一度だけ読書について尋ねた時には彼は傲然と、
「これは別に生徒会運営の参考にしている訳ではない。むしろ、このようなやり方の中で生じる矛盾を発見することにより、より円滑な人間関係による組織の運営が可能なのだ」
と述べていました。つまりは粗探しですか、とまでは尋ねませんでしたけど。
「喜緑君は読書などはしないのかね?」
逆に彼に問い返された時には多少返答に窮してしまいました。私は長門さんとは違い、必要な情報は情報統合思念体に接続することで得る事で十分ですから。
「ふむ、成績優秀な君のことだ、私もそこまで追求するつもりはないが、たまには読書などで息抜きをすることをお奨めするよ」
そうですね、ですから貴方のカバンの中に忍ばせている漫画雑誌については私も何も言わない事にしておきましょう。




さあ、生徒会の面々も揃いましたし、会議が始まります。会長がこの座に就いて以来、毎日のミーティングが欠かされた事はありません。
この半強制的なコミュニケーションは、最初の頃こそメンバーの反発も招きかねないものでしたが、いつの間にかメンバー間の結束を高める大事な儀式となっていったのです。
その手腕は強引ながら、会長の高いカリスマ性と共に認めざるを得ないですね。この人でなければ出来ない事なのだと。
私は書記として、その日の議事録を記帳していくのが主な役割となります。
主な、という注釈が付くのは、
「喜緑君、すまないがお茶をもらえないかね」
この会長の言葉を待つまでもなく、私は全員分の湯飲みを用意して緑茶を淹れるのです。
これは別に書記としての業務ではありませんね。ですけど、これも私が情報統合思念体から入手した処世術です。
女性体としての私が率先してお茶を淹れるくらいのことで会議が速やかに進行するのですから、有機生命体の感情と呼ばれるものが単純であることがよく分かりますね。
お茶をゆっくりと飲む会長。それから定番の台詞。
「うむ、喜緑君が淹れてくれるお茶はいつも美味だな」
そう言って微笑む事で会議という緊張感から全員が開放された気分に陥るのです。巧みに計算された演技に、私も助演として貢献しているのですよ。




「では、本日はこれまでとする。例の件については教師の方々と重ねて議論させてもらうので、各自レポートとして提出できるようにしておいてくれたまえ」
会長の訓示とほぼ時を同じくして、下校時間を告げる放送が流れます。この時間配分も会長が独自に作り上げたもので、
「ダラダラと会議の為の会議をするつもりはない。学生の本分である登下校の時間は生徒会が模範となって守られるべきなのだ」
という理屈でミーティングの内容を密にすることにより時間短縮を実現してみせたのです。
その代わりに生徒会のメンバーにはより高度な知識や交渉術が要求されることになりましたが、私が見るところでは及第点に値する働きは示せているのではないかと推測されます。
会長以前の生徒会の惨状は目に余るものでしたからね。生徒による生徒間の健全な自治、という一点に於いても会長の示す方向性にはまったくのブレがありません。
なにより彼自身が、何者にも縛られたくないからでしょうね。
生徒会の面々は各々席を立ち、会長と私に帰宅の挨拶を述べてから退出してゆきます。
私はというと、会議中に速記した部分や、口語調で記入した箇所などを添削してから清書して議事録として完成させます。
会長はその作業中に議事録に自分の意見を加味するよう指示したり、明日の予定を考案しています。
登下校の模範になるのではなかったのですかしら? 結局私たちが下校する時間は運動系の部活動の終了時間と変わらないのですけど。
「ふう、これでよいだろう。喜緑君、つき合わせて悪かったね」
そう言って清書された議事録を読み終えた会長は眼鏡を外して目元を押さえました。流石にお疲れのようですね。
「さて、我々も帰宅するか。喜緑君、近くまで送るよ」
会長がそう言いながら席を立ち、私も頷いて同じく席を立ちます。
夕闇が迫る中を二人で歩く坂道。
変わらない二人だけの時の沈黙。
心地の良い二人だけにある沈黙。
「ではまた明日、朝礼前に短いミーティングがあるから忘れないでおいてくれたまえ」
貴方が忘れても私が忘れる事はありません。脳内でそう呟いたのですが、
「はい、わかりました」
そう言って私は微笑みました。何事も処世術です。
こうして私たちは私が住むマンションの近くで別れます。手を上げながら夕闇に溶け込んでゆく会長の背中が視覚的に見えなくなるのを確認してから、私は自分のマンションへと帰りました。




帰宅した私は、まず私服へと着替えます。長門さんにも何度も注意しているのですが、彼女はあの扉や鍵との行動時以外には着替えという行為を行ってくれません。
読書をするくらいなら、処世術を身につけて頂きたいものなのですが。
ピンクのセミロングスカートにゆったりとした白いセーター。自宅ですから楽な、しかし最低限の女性としての気品を備えるように。
そしてピンクのエプロンを着けたところで、ドアのチャイムが鳴りました。ああ、いつもながらいいタイミングですね。
「ただいまー、と」
靴を脱いで、きちんと揃え(私が懸命に躾けたんですから)彼が私の部屋へと『帰って』来ます。
「あー、クソだるい」
あまり下品な言葉は使ってほしくないんですけど、これも彼なんだから仕方ありませんね。
「絵美里ー、お茶ー!」
眼鏡を外し、ネクタイを緩めながらソファーに沈み込むように座った彼は、学校では使ってくれない下の名前で私を呼んでくれるんです。
「その前に制服はきちんとハンガーにかけて下さいね」
でもちゃんと釘を刺すのも忘れませんよ?
「へいへい、絵美里さまー」
などと言いながらも私の言ったことはちゃんとしてくれるんですから可愛いんですよね。
ノロノロ上着をハンガーにかけてクローゼットにしまったら、またソファーに一直線。キッチンに来て手伝ってくれてもいいんじゃないですか?
「んー、絵美里が淹れてくれるからいいんじゃねえか。俺がそこにいたって何も出来ねえぞ」
はいはい、ちょっと待っててくださいね。私はコーヒーを淹れてトレイに乗せました。彼がお茶と言ったら本当はコーヒーなんですよ? 生徒会室では緑茶か麦茶くらいしかありませんし、彼が、
「絵美里のコーヒーを飲んでいいのは俺だけだからな」
なんて言うものですから。ええ、私も彼の為だけにコーヒーは淹れたいですし。
コーヒーを乗せたトレイを持ってリビングに戻った私は、サッと彼が口に咥えたタバコを取り上げます。
「タバコはベランダで、って言ったでしょ?」
「あー、悪ぃ」
彼のバツの悪そうな顔も何故か可愛いと思ってしまうのですから、私の有機生命体の身体は何か異常が出てしまっているのでしょうね。
長門さんのことは言えませんか」
「なんだ?」
いいえ、なんでもありませんよ。
私は微笑みながらコーヒーカップを彼の前へ。
「はい、どうぞ」
「ああ」
彼はコーヒーの香りを十分楽しみ、一口飲みます。
そして満面の笑顔で、
「うん、やっぱ絵美里のコーヒーは美味いな」
と言ってくれるのです。その笑顔は生徒会室では見られない、私だけが見ることができる顔。
その顔を見るたびに湧き出る消す事の出来ないエラー。
私はそれを知ってます、長門さんはまだのようですけど。
「ふふ、相手が悪いですからね」
「ん? さっきからどうした?」
そうですね、貴方が悪い人なんだって。
「おいおい、俺のどこが悪い人だよ」
未成年が堂々とタバコを吸っていてですか?
「はは、違いない」
そう言って彼はソファーの傍らでトレイを持って立っていた私の腰に手を回し、
「それならもっと悪い事でもするか」
私を引っ張って自分の上に座らせてしまいました。私も何も抵抗することなく彼に抱きしめられます。
「コーヒーはもういいんですか?」
「それより美味いもんが目の前にあるからな」
「タバコは?」
「後にするさ、お前もその方がいいだろう?」
そうですね、貴方の口内からタバコの味がするのも最近は慣れてしまいましたけど。
「今日はまだ1本も吸ってないぜ」
それはいい傾向です、これを機に禁煙はいかがです?
「そいつは遠慮させてくれ」
という台詞と共に、私の唇は彼のそれによって塞がれてしまいました。
まあいいでしょう、禁煙も徐々にしてもらいますから。
そのまま二人はソファーに倒れこみ………………



あら? 明日も朝が早いのです、つまり夜は短いんですから。
あまりお邪魔はしていただきたくないですね。
ねえ? あ・な・た。?

はいはい、言い訳ですよ。

いや、もう、もっさんが俺のコメントで絵を描いてくれたってのが嬉しくてね?しかも喜緑さんブーム(キョン……、の消失参照)もあったから、これは書かねば!!ということで(笑)
魔界都市日記さんの「今日の長門有希」でもネタになってたんですが、確か喜緑さんは一人称で話したシーンがないんですよね?なのでかなり好き勝手にキャラを作っちゃいました。