『SS』 これでいつもの二人です。


 唯が唐突に変なコトを言い出すのはいつものコトである。変なコト、といえば唯なのだ。たまに紬も変なコトを言い出すけれども、それはお嬢様だから世間知らずな所があるからであって、あくまで彼女は常識的でもある。むしろ突拍子もないという点では意外な事に唯の次点にくるのは澪であろう。
 などということはさておいて、唯が変なコトを言い出したのはお馴染み放課後の部活動での一シーンであった。
 本日は珍しくやる気を出した部長がお茶もせずに練習開始を告げ、ギターの反対はベースとサイドギターの賛成意見の前に多数決で却下された。因みにキーボードは中立である。
 そんなこんなで練習を開始すれば誰も文句など言わないところがこのバンドの良さなのだろうが、張り切った部長というのは即ち先走りするドラムということと同義語である。それでも、自己中心的なドラムプレーはリズム担当のベースとメロディーラインのキーボードによって上手くコントロールされて、結果として調和ある音楽を奏でているのだった。ついでに言えば、メインギターの暴走はサイドギターがきっちりと抑えている。
 事件は二曲目の練習が終了して、勢いをつけすぎた律が大きく息を吐いたところで起こった。
「あのさあ、」
 全員が唯に注目する。その視線など気にすることもなく唯はトンデモナイコトを言い出した。
「りっちゃんって時々えっちだよね」
 はぁ? これは誰か特定というのではなく、その場に居た唯以外全員の心の声だろう。この手の話にはすぐに食いつく紬でさえ呆然と口を開けている。
 一体全体何を言い出したのか、この子は。教員生活初めての担任を任されたクラスの中でいい意味でも悪い意味でも目立つ教え子の奇妙な言動には毎回四苦八苦させられているさわ子だが、今回もなのかと溜息すら吐きたくなっていた。
 だが、この妙に鋭い癖に空気は読まないという才能を持った女の子は得意満面の笑顔で、
「ほら〜、りっちゃんってドラム叩くとき脚拡げてるし」
「そりゃそうしないと叩けないだろ! ちゃんと下はジャージ穿いてるっての!」
「ぷぷ……だっさー」
「じゃあ、パンツ丸出しで演奏しろってのか?!」
 既に話の方向が大きくずれてしまっている。それを見た梓は『ああ、今日も唯先輩は絶好調だなあ』と思った。最早この程度の脱線は既定路線のようなものだ。
「でも、唯ちゃんは何でりっちゃんがえっちだと思ったの?」
 え、そっちに戻るの? しかも話を戻したのは紬である。というか、笑ってます。完全に楽しもうとしています。
 それに乗っかるのが唯だ。調子に乗るのが唯なのだ。
「えっとね、練習中に汗拭いてるとことかー、水飲んでる時とかって妙にえっちじゃない? あと視線とか」
 意味が分らない。というか、そこまで見ていたのだろうか。多分見てないだろうなあ、と梓は思う。それもいつもの事だし。基本的にその場の勢いと見たまんまでしか話してないからなあ、この人。
「そうねえ、確かに演奏中のりっちゃんは色っぽいかもしれないわね〜」
「そこで話に乗るなよ、ムギ〜……」
 視線は宙を向いたまま、どこか夢見がちな口調で語られても困る。唯が変な事を言ったときに調子を合わせるのは律の役割みたいなものだったが、自分が対象になってしまえばそれどころではない。ガックリとドラムに突っ伏したのに、妄想娘さんたちは止まらなかった。
「ほら、激しく叩いてる時に前髪が汗で引っ付いてたりしたら色っぽいとか!」
「終わった後にペットボトルでお茶を飲んでるとことか! 汗を拭く時に少しだけ襟元開けちゃうとことか! 練習した後に赤くなったほっぺで「ふうっ」てため息吐くとことか!」
「おおー、ムギちゃんやるねえ」
「えへへ〜」
「えへへ〜、じゃねえよ! 人で遊ぶんじゃないっ!」
 ネタがネタだけに紬がウットリと視線を宙に彷徨わせてるのが怖い。瞳がやけにキラキラ輝いてるのも怖い。ちょっとヨダレ垂れてるのはもっと怖いっつーのっ!
 唯に比べて真剣さを帯びた紬の発言に律の顔色も青ざめる。何よりもどこまでが本気なのかさっぱり分らない。いつもなら笑って乗っかるか、引き気味にツッコむとこだけど自分が標的になってしまっている今では逃げを打つのも困難なのだ。狩人ムギ、怖るべし。こんなときこそ、
『どうにかしろ!』
 必殺のアイコンタクト!
『って、私ですかぁ?!』
 その対象になった梓は慌てて手を振った。まさかのムチャ振りである。
『私にムギ先輩の相手なんて出来ませんよう』
『そっちじゃないっ! 今回の原因は唯なんだからどうにかしろよ、梓!』
『だから何で私なんですかっ!』
『唯担当はおまえだろっ!』
 だから何でなんですかって。因みにこの間数秒、抜群のアイコンタクトである。
『担当って何なんですか……』
 そう思いながらも唯担当としては状況打破に動いてしまう。梓はため息を吐きながら唯に近づいた。
「ほら、練習再開しますよ」
「え〜? まだムギちゃんのりっちゃん論を聞きたい〜」
「なんですか、それ? それに、練習で汗をかいて拭くのがえっちなら唯先輩だって同じじゃないですか」
 呆れたような梓のセリフに唯の瞳が輝いた。
「ねえねえ、それってあずにゃんから見て私が色っぽく見えるってコト?!」
はえっ?! い、いやそういうことじゃなくってですね?」
 どこに食いつくのか判らない唯のセンサーが梓のツッコミに食いついた。というか、嬉しそうに梓に擦り寄ってきた。
「もう〜、あずにゃんったら私をそんなにえっちな目で見てたなんて〜」
「ち、ちがっ! 違いますって! なんですか、えっちな目って!」
 慌てまくる梓に唯が頬ずりしていたりする。が、焦っている梓はそれどころではないようだ。
「またまた〜、遠慮しなくたっていいんだよ〜? あずにゃんにだったらどんなえっちな目で見られても平気だから〜」
「って言ってる唯先輩の目がえっちです〜!」
 いつの間にか唯が梓を追い回している。キャーキャーとうるさい二人を紬が生暖かい視線で追っていた。ヨダレ拭いて下さい、紬さん。
 取り敢えず危機は去った。ありがとう梓、やっぱお前は迂闊だよ。ようやく律は安堵のため息を洩らす。
「よーし、休憩にしてお茶しようぜー。ムギ、頼んだ!」
 はーい、と紬がお茶の用意を始めたところで梓を捕まえて抱きしめていた唯の動きが止まる。目の中に『ケーキ?』と書いてあるように見えるが気のせい、だと思いたい。
 いそいそと紬がお茶を煎れ始めたところで、梓を抱いたままの唯が席に着く。諦めた梓も大人しく隣りに座り、箱の中のケーキを選んでいる。この間、顧問のさわ子先生は既にケーキを頬張っていた。さっきまでのドタバタも慣れてしまえば最後に注意するだけでいいものだ。というか、注意したこともないかもしれない。
 そんな様子を見て安心した律もドラムから離れてティータイムに参加することにする。早く行かないと唯が独り占めしかねないし。
 こうして今日も騒がしく楽しいティータイムが始まる。「もう練習おしまいなんですか〜?!」という梓の嘆きだけが音楽室に響いたが、本人がショコラケーキを食べながらなので説得力がまるでない。



 だが、いつもの騒がしいメンバーの中で一人無言の者がいた。いつもならツッコミを入れるか、ガッカリしているはずなのに。
 澪は何も言わずベースのネックを握りしめていた。その視線の先には、さっきまで焦っていた律が笑っている。
 結局、部活の終了まで澪は無言のままだった。










 その日の夕方。部活が終わった帰宅中、五人揃って帰るのはいつもどおりだったが今日は少しだけ様子が違う。それに最初に気付いたのは律だった。
『そういえば、澪の奴は大人しいな』
 元々口数の多い訳では無い澪ではあるが、ここまで無言なのは珍しい。唯と梓が騒いでいるのにツッコミの一つもないなんて珍しいを通り越しておかしいくらいだ。
『誰も気付いて…………ないよなあ』
 別に不機嫌な感じでも無さそうだから気付いたりはしないだろう。それよりも先程の話がまだ続いているのか、唯が梓に引っ付いては剥がされている。紬はそれに夢中でこっちを見てないし。
『まあ、気にするほどでもないか』
 幼馴染みだから気にし過ぎただけだろう、律は気楽にそう考えた。だって、澪はピッタリとくっ付く様に隣に寄り添って歩いてる。それはいつもどおりだし、違和感もない。律の隣には澪がいるのだから。
 などという帰宅風景だったのだが、それも唯たちと別れるまでだった。二人きりになった途端に澪の態度が急変したのだ。
「って、何だよ!」
 律はいきなり腕を抱え込まれて引っ張られている。ご近所とはいえ一度も家に帰らないままで、しかも澪は無言のまま律を自宅に引っ張りこんでしまっていた。
 慣れ親しんだ、といってもいい澪の自室で律は頬を膨らませて不満気に胡坐をかいている。何も説明の無いままでいきなり連れて来られては当然とも言えるのだが。
「さっきからずっと何も話してねーし、一体どうしたんだよ?」
 帰って早々、律を部屋に引き込んだ後は隣に座って無言の澪はずっと無言のままだった。
「あのなあ、何も用が無いなら帰るぞ」
 呆れた律が立ち上がろうとすると、制服の裾を掴まれて強引に座らされた。
「何なんだよ、お前はっ?!」
 流石に苛立った律が大声を上げようとした時だった。澪がボソリと呟いた。
「…………知ってるもん」
「はぁ?」
「律がエロいのは私の方が先に気付いてたし、知ってるもん」
 ええっと。頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。いきなり何を言い出したんだ、こいつ。
「あの〜、澪さん?」
「律はいつだって色っぽいし、仕草だってドキッとするし、それに…………」
 澪が顔を上げた。その瞳が潤んでいる。頬もほんのりとピンクに色づき、律の方がドキドキしてしまうくらいに色気を纏っていた。
「わ、私に…………その…………してる時なんかは凄くエロいじゃんか…………」
 ウルウルと涙目の澪が上目遣いでとんでもない事を言っている。が、律はニヤニヤと笑いながら澪の頬に手を当てた。
「ヤキモチですか、みおしゃ〜ん?」
「そ、そんなんじゃないっ! けど……」
 言い返そうとした澪の唇に律のそれが重なる。
「ん…………」
 そっと唇が離れた頃には澪は蕩けそうな目で視線を宙に舞わせていた。唾液の線が互いを繋ぐように引いている。それを愛しむように舐め取った律が、
「心配すんなよ、澪」
 言いながら澪の首筋に唇を這わせる。それだけで身体を小刻みに震わせながら、抵抗もせずに喘ぐ澪の制服をゆっくりと脱がしていきながら、
「エロいことをするのは澪にだけだよ。私には澪がいるんだからさ」
 律はカチューシャを外してテーブルに置いた。同時に目の色が変わり、纏っている雰囲気すらも一変する。澪は湧き上がる快感と共に陶然とそれを見つめていた。
「この後、どうされたい?」
 前髪を下ろした律が耳元で囁きかける。
「きょ、今日は……パパもママも遅くなるって…………」
「確信犯かよ」
 微笑みながら耳たぶを甘噛みすると、澪は甘い声を上げた。
「だ、だ、だって…………」
「しょうがないなぁ、みおちゃんは」
 律はそう言うと澪をベッドに押し倒した。期待感からか、頬を上気させた澪の息が荒くなっていく。
「りつ〜……」
「まったく、どっちがエロいんだっつーの……」
 そう言いながら、律の顔が澪の顔に近づいてゆき。
 お互いの唇が重なり合って、甘い吐息と絡み合うような水音が部屋に充満していって。
「ああんっ!」
 澪の喘ぐ声がその日の夜に響いていった………………









 翌日。髪もセットしてないままで遅刻ギリギリに教室に入ってきた律と澪は少しだけクラスの注目を浴びたが、まあ律だからという甚だ不名誉な理由によりそれ以上何も言われることなく授業を過ごしていった。
 そして放課後。音楽室には軽音部のメンバーが集まっている。
「なあ、ちょっといいか?」
 律の呼びかけに全員の注目が集まった。
「あのさ、昨日のことなんだけど。ほら、私がえっちなんじゃないかって話」
 ああ、そういえば。梓と紬が思い出し、言いだしっぺの唯がキョトンとしている中、
「そのことなんだけど、」
 と言いながら、律はいきなり澪を引っ張ると、
「なん……んん〜っ?!」
 その唇を一気に奪っていた。しかも、舌を差し入れて舐め回すように。無意識に澪もそれに合わせてしまい、ディープなキスを交わす。
 ぴちゃ、くちゃ、と粘膜が絡み合う音を全員が固唾を呑んで聞いている。どのくらいの時間が経過したのか、誰も解っていないうちに、
「ふわぁ…………」
 ようやく唇が離れると、全身から力が抜けた澪が膝から崩れ落ちていく。律はそれを支えながら、
「うん、どうやら私はエロいってことでいいみたいだぜ」
 ニッコリと笑顔で言い放ったのだった。



 こうして、唯が真っ赤な顔で梓にしがみ付き、梓は「ありえない……何か間違ってますぅ」などと呟き、紬は鼻血を出しながら気を失って、澪はグッタリとしてて、律だけが高笑いしている中。
 さわ子は顧問として、担任として、この状況をいかにしてバレないように誤魔化すかを真剣に悩むのであった。


 けいおん部は、今日も騒がしくも平和なのである。