『SS』 例えば彼女と……… 後

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 暗くなったからといって、いきなり映画が始まるのかといえばそうではないことは皆様もご存知であろうかと思うが、俺達もまずは盗撮防止だとかの宣伝映像を見せられる事と相成った。カメラがパントマイムをやってるアレだ。
「で、お前はやる必要はない」
 当たり前のように画面とシンクロしたパントマイムを披露する九曜の手を抑える。この時間帯はお子様も待ちきれないのか騒がしくなるので(妹で経験済み)気持ちは分かるのだが、無言でパントマイムをやられても不気味なだけだ。
「――――むう」
 やはり退屈だったのだろうか、それでもポップコーンを食べる事で何とか時間を潰していると、ようやく画面が変わる。
 さあ、お待ちかねの本編……………の前に予告編です。個人的には結構好きなのだ、次回も来ようという気にもなるしな。それで見に行けるのかどうかは別問題だが。それでもDVDを借りる目安にもなるのであった方がいいと思う。
「――――おお―――」
 そんな予告にすらいいリアクションをしてくれる九曜。思い出せば元々映画そのものを観た事のない九曜だ、予告とはいえ大画面での映像に心踊るものもあるのだろう。この頃には周囲のお子様達も大人しいというか準備も万端となっている、そういう意味でも予告は必要なのかもしれないな。




 そして映画が始まった。




 
 正直なところ、映画の内容については感想などは控えておく。ネタバレはいけないからな。一部カットされたシーンについてはブルーレイでも待つしかないだろう(ネタバレだな、これも)
 しかし、俺は映画以上にとても良いものを見ることが出来たのだ。
「――――――」
 あの周防九曜が一心に映画に集中している姿を。ポップコーンを食べることも、コーラを飲むことも忘れて夢中になっている姿を。
 勿論表情は変わらない無表情のままだ。けどな? その瞳の輝きは決して画面の光を反射しているだけじゃないよな? ほんの少しだけ握った手も、知らずにほんのり赤らんだ頬も、わずかばかりに開いた唇も、全ては九曜の喜びなのだと思いたい。
 そんな初めての映画に夢中なおこちゃまを見た俺の頬も自然と緩んじまうのも、これもしょうがないだろう?
 とても楽しく、とても有意義に。俺たちは映画鑑賞を終えたのであった。









「―――ん〜――」
 俺の真似をして背伸びのフリをしてみせた姿(こいつならば一年くらい座りっぱなしでも平気だろう)に苦笑しながら、俺は本日の感想を聞きたくて九曜に話しかけた。
「さて、映画はどうだったんだ、九曜?」
「――――ええ〜っと〜――」
 可愛く小首を傾げた九曜は暫し考えている風だったが、やがて言うべきことをまとめたのか首を傾げたまま、
「―――ミチルと――カオルは―――いらない子――なの―――?」
「ですよねー!!」
 そうだよ、何で霧生 満と薫の姉妹が出てこないのか。これは第三弾になってもというか、最初から疑問すぎる疑問なのだ。
 ちなみに分からない人に説明しておくと満と薫は『ふたりはプリキュア Splash☆Star』に登場したキャラで、最初は敵として出てきたのだがプリキュアの二人と接することで心境に変化が現れて優しい心を持つようになり、それが原因で一度は消滅させられる(!!)
 しかし、後に復活してからはプリキュアと共に戦う正義のヒロインなのだ。きっちり最終回までいたし、後日談にも登場してるんだぞ。
「なのに何で映画には出てないんだよ!」
 元敵キャラが改心したのならキュアパッションだってそうじゃないか! あれか? キュア〜じゃないからか? だったらシャイニールミナスもミルキーローズにも登場資格は無いはずだよね?!
 大人の事情で一年で打ち切られるわ、映画だってたった二人での参加だわって不憫すぎやしないだろうか。だから俺はあえて言いたい。声を大にして言いたい。
スプラッシュスターいらない子じゃないからねー!!」
 どれだけ出来が良くても満と薫が出てくれない映画シリーズを名作と呼ぶわけにはいかないのだ。これがプリキュアを全シリーズ見ている者の真実の叫びと知れ。などと言う誰だか分からない誰かの代弁者として俺は力強くスプラッシュスターの援護に回った。
「――――うわあ―――」
 あれ? いけない、九曜が引いている。マジでドン引きしていやがる。「何この人痛いこと言ってんの」って表情は変わらないけど全身で物語っているー!! やばい、ここら辺で軌道修正を図らなければならないだろうな、と冷静に戻った俺は考えたのだが、
「―――私も―――いらない子――なのかな――?」
 え?
「―――4年も――待たされて――その間―――アニメにも―――ゲームにも―――公式アンソロジーにも―――出してもらえなかったし――――」
 い、いや、それはまあ…………アニメやゲームはともかく、公式アンソロでは佐々木や九曜を取り上げてくれても良かった気もするけど。
「――きっと――アニメ二期にも――出番はないのね―――」
 うわあ、九曜が落ち込んでいる。満と薫が映画で出てこないのと自分を重ねてしまったのだろうか。慌てて九曜を慰める俺。
「そ、そんな事はないぞ! きっとアニメ二期は分裂と驚愕だって! お前の大活躍に間違いないぞ!」
 その前に阪中や生徒会長を出すべきなのだけど、それは置いておいて。あ、雪山でシルエットくらい出すってのもアリなんじゃないだろうか? そこんとこよろしくご考慮願いたいね、まずはアニメ二期があるのかどうかなのだけど。
 とにかくメタすぎる話題から脱出せねば。いくら自由なこのシリーズでもやりすぎはよくない。ダメ、絶対。
「―――私も―――ねんどろいどに―――なれるかな―――?」
 ぶわわぁぁぁああっっ!!
 涙が溢れて止まらないっ! 何だろう、この愛おしさ。俺は思い切り九曜を抱きしめた。
 映画館の前で泣きながら女子高生を抱きしめている冴えない男子高校生。
 言わずもがなの俺だった。
「ああ、なれるとも! ねんどろいどにだってfigmaにだってリボルテックにだってなれるとも! ねんぷちも、ガチャポンHGも、にいてんごも、きゅんキャラだってお前を待ってるぜ!」
 当然、カードダスもな。本当に九曜が出るなら俺は全種類買うぞ、そう心に誓ったんだ。だからせめて『ねんどろいどぷち・涼宮ハルヒの驚愕』くらいは出してください、真剣にお願いします。あ、その時はシークレットは「わたぁし」の後輩でいいと思います。
「―――本当に――?」
「本当だって! お前ならではの商品展開だってありえるって!」
 アニメイト限定九曜こけしとか。市松人形周防九曜とか。基本的に和風というか日本人形チックなら何でも応用が利くんじゃないかって思う。
「――――――そう」
 九曜がそっと俺を抱き返してくれる。そうとも、こんなに可愛い九曜がフィギュアにならないはずがないっ! 各メーカーは全力で周防九曜立体化計画を今こそ推進するべきなのだ!
「まあ、その前に佐々木なんだろうけどな」
「―――ですね――――」
 とにかくお願いします。
 あ、残り二人もついでにお願いしますね。と、最低限のフォローを入れつつ(フォローになっていない気もするが)俺達は映画館を後にした。




 そこから俺達二人は約束どおりに九曜にオモチャを買い与えるべくホビーショップなどを見て回り(さすがにデパートのオモチャ売り場には行き辛い)、財布の中身と相談の結果が小さな人形(それも全シリーズのキャラがあるから結構な数だ)というオチに終わった。まさか変身アイテムがあんなに高いなどとは思わなかった、思わず古泉に『機関』でバイトがないか訊こうかと思ったくらい。
 いや、しませんよ? なので、
「すまんが一体くらいしか買えないぞ、後は少しづつコレクションしていってくれ」
 情けないと言われようが二人分の映画代にポップコーンとコーラ、パンフレットまで買っているのだ。あれ? もしかしたら不思議探索の奢りより使ってないか、これ。
「―――――なう」
 しばらく迷いながら人形を手にとっていたのだが、とにかく九曜が気に入ったのは初代であったことだけは明記しておく。さっきまでの流れだとスプラッシュスターじゃないのかよ。しかも満と薫がやっぱり無いし。
「――――初心に―――帰るの――――?」
 お前、生まれたてだから初心そのものだろ。初めての映画に初めてのオモチャなんだからさ。
「―――ありがとう―――――ございまし――――た?」
 うん、素直なお礼は嬉しいけど疑問系じゃなくていいぞ。などという、いつもの調子で俺達は適当にお喋りしながら繁華街を抜けて帰宅することにした。


 








 時刻は既に夕方、俺と九曜は電車で俺達の街まで戻って来ていた。そして、その道中から確信していた事実を九曜に告げなければならない。
「もう、お別れだな」
「――――どう―――して―――――?」
 ああ、そんな顔をしないでくれ。と言っても表情は無いんだけど。
「仕方無いだろう? お前の事を思えば当然だぜ」
「―――そんな――――私は―――まだ――――あなたと共に―――」
 そう言ってくれるのは嬉しいが、俺は心を鬼にして言わねばならないのだ。
「だって、お前寝てたじゃん」
 うん、帰りの九曜はえらく大人しかったと思ったら人の肩に頭を乗っけて御休みなされておられたのだ。というか、あんなに無防備に寝るんだな宇宙人。
 その間の俺といえば、大量の髪の毛がくすぐったいやら、寝ている状態だと美少女モードになる九曜の丹精な寝顔にドキドキするやらで必要以上に疲れる車内だったのだ。おまけに涎まで垂らしやがったし。
「――――てへ―――」
 だから無表情なのに片目を閉じて舌を出すな、可愛いから。なによりそれはウチの妹の専売特許だろうが。
「ということで、いい子は帰って寝なさい」
「―――え〜―――?」
 え〜? じゃありません。今だって半目で首がゆらゆらしてるじゃねえか。どんだけ眠いのだ、こいつ。
「分かったよ、途中まで送ってやるから大人しく帰ろうな」
 とは言え、九曜の家は未だ分からずなので本当に途中までしか送れないのだけど。それでも九曜は妥協してくれたとみえ、大人しく両手を伸ばしてきた。何でだ。
「―――おんぶ――」
 待て、そこまでおこちゃま化していいのか? 何で怪我もしていない女子高生をおんぶせねばならんのだ。
「――じゃあ―――だっこ――」
 同じだろ。
「―――しかたない―――肩車で―――勘弁してやろう―――」
 それならいいか。ということで俺は九曜を肩車してやった。
「って、これ一番恥ずかしいよね?! なんで俺は女子高生の太ももの感触を肩と頬で味わってるんだよ!」
 いや、後頭部から肩口にかけてというか、ほぼ上半身が九曜に支配されたと言っても過言ではない。何というノリツッコミだ、完全に変態の仲間入りじゃないか。
「―――確信犯――」
「誤解を深めるような事を言うなっ!」
「―――では―――降ろすの―――?」
 いや、それはそれで何というか勿体無いような。うん、九曜って結構柔らかいし温かいんだぜ。気付けばスキンシップという点ではこいつとの接触が一番多いような気がしてきた。
 こうして不本意ながらも俺は九曜を肩車しての帰宅を余儀なくされたのであった。いやあ、本当に勢いって恐ろしいもんだなあ。思わずスキップしたくなるくらい九曜は軽いもんな。別に楽しんでなんかいない、これはノリだけでやってきた事による失敗、事故のようなものなのだ。
「――わ〜い――――たかいたか〜い―――」
 ほら、九曜だって喜んでるだろ? 単純に計算しても2メートル以上の視界なのだから高いというか怖くないのだろうかという疑問もあるが、概ね好評のようである。ただ、動く度に九曜の太ももが俺の顔を締め付けようとするのが難点だが。なので落ちないようにしっかりと九曜を支えねば。
「―――という――大義名分で――私の太ももは―――鷲掴みされた――」
 人聞きの悪い事を言うな、事実として九曜の両太ももは俺の両手ががっちりと掴んでいるのだけど。でも落ちるからね? 仕方無いんだよ、決して役得なんてもんじゃない。
 ああ、また新たなる都市伝説が誕生してしまった。『怪奇! 肩車高校生』である。黒髪の女子高生が男子高校生に太もも鷲掴みされて肩車されているなんて遠目から見ても目立ってしまうだろ。
 間違いなくそんなアホがいたらハルヒは血眼で捜すのだろうが、その時俺の隣には九曜がいないので見つかるはずがないのであった。
 不思議とは、追い求めても手に入らない蜃気楼のようなものなのかもしれない。
 まあ本当に不思議が見つかっちゃったら世界がトンデモな事になるので世界平和の為には不思議が見つからない方がいいのだ。俺が九曜を肩車しているとこなんて見られたら世界以前に俺の人生が終わっちゃうよ?
「――おかしな―――光景じゃ―――ないのにね―――」
 うむ、精神年齢的にも実年齢的にもまったくおかしくないはずなのにな。単に見た目だけだと異常なのだ、そしてそれが全てなのでもある。
 もう一度言おう、冴えない男子高校生が黒髪美少女の女子高生を肩車しているだけの光景なのだ。珍百景にだって登録されやしない、ありふれた日常なのである。
「―――んなわけ――ない――」
 まったくだ。
 てな訳で俺は九曜の感触と温もりを感じながら(あくまで不本意に)急いで駅前から脱出するのであった。









 肩車をしたままの俺と九曜が着いたのはいつもの公園である。ここはもう不思議スポットとして認定してもいいのではないだろうか、ハルヒ以外にとっての。少なくとも俺が出会う非日常のほとんどがここから始まっていると言っても過言ではない。
「――――ここらで――――よかろう―――」
 だから何様なんだよ、お前。ともあれ目的地ではあるので九曜を降ろしてやる。決して名残惜しいなどとは思っていない、字のごとく肩の荷が降りた思いだ。
「―――ハアハア――してたくせに―――」
 それは単に疲労からだ、この場合ハアハアするのは密着させているお前であって俺ではない、よな?
「――ハアハアしても―――いいのかしら―――?」
 いや、色々とまずいからやめて。後頭部に九曜の下半身が密着しているって想像だけで薄い本が描ける人だっているのだから。助長してどうする、おこちゃまのくせに。
「どっちにしろ俺達にはピンク系のネタは似合わないよな」
「―――みたいですね―――」
 軽くニヤケるくらいで丁度いいのだ、ハードなネタは○○(好きなキャラを入れてくれ)相手でまた次回――――なんてないよ?! なんで自分を貶めなきゃならんのだ。
「――――くぅ―――」
 いかん、くーちゃんがおねむだ。早く家へと帰してやらねば!
「――では―――エンディング――ダンスを―――――」
 あ、さっきの映画繋がりか。
「そういえばエンディングがダンスってのはSOS団の十八番だったけど、今ではあっちが主流なんだろうな」
 なんといっても3DCG様である、こっちも特典映像で3Dバージョンがあったが俺と古泉の出番はなかったしな。
「―――私も―――踊るのかな?―――」
 どうだろう、アニメ新作ではエンディングはダンスじゃなかったし。というか、またメタネタかよ。
「―――ウッウー―――ウマウマ――」
 微妙に古いな。
「―――抱きしめて――ミスター―――」
 ヒップダンスをしているのだろうが、大量の髪の毛に隠れて見えてない。
「―――会いたかった――会いたかった――会いたかった―――イエイ――――」
 可愛いのは認めるが無表情に踊られてもなあ。ちなみに俺はポニーテールはシュシュでまとめるよりヘアゴム派だ、シンプルイズベストなんだぜ。
「―――むう――」
 ネタ切れか? と思ったら、
「――――ドドスコスコスコ―――ドドスコスコスコ―――」
 左腕を高く挙げ、右手で腋を隠してクネクネ踊る。その動きは―――!
「――――ドドスコスコスコ―――ラブ――注入―――」
 両手でハートマークを作って決めポーズ。九曜としてはここで笑いに走ったつもりなのだろう。しかし、
「あれはキモカワイイという感じだから笑えるんだ。お前がやると単に可愛いだけで笑いとは違うものになるぞ」
 そのポーズもラブ注入というより、むしろモエモエキュ〜ンの方が近いよな。九曜、お前メイド服着る気はないか?
「―――ちぇ〜―――」
 ちぇ〜、じゃありません。ちょっと拗ねた九曜もなかなか萌えるのだが、いつまでもオチのない話をしてもいられない。


 ここで今回の結論を出そう。


マエケンって凄いよなぁ」
「―――ですねぇ―――」
 フレッシュプリキュアで怪しいドーナツ屋の声優をやった関係だけかと思ったら、まさかの三作品連続エンディングの振り付け指導である。プリキュアファンはマエケンに足向けて寝れないんじゃないだろうか。エアあややだけの人ではなかったのである。
 そんな前田健にリスペクトの念を抱きつつ、俺と九曜はいよいよエンディングに向けてラストスパートを開始したのであった。



 ラストスパート。つまり九曜様のお帰りである。
「―――んじゃ――――まったね〜――――」
「軽っ!」
 凄く気軽でした。というか、次回もあるのかよ。
「―――だめ――?」
 小首を傾げるな、そんな媚びなくてもどうせ出てくるんだろ。
 そして、九曜が佇んでいれば何かしてやりたくなるのが俺なのだ。これはもう遺伝情報を解読するしかないのかもしれない、宇宙人に親切にしなければならないDNA情報があるに違いない。
「―――人形―――」
 はい?
「―――集める―――の――」
 ああ、さっき買ったやつか。結構数があるから大変だろうな、もう少し協力してやれたらいいのだが。次に会った時覚えていたらもう一体くらいは買ってやろう。
「コレクション出来たら見せてくれよな」
「―――もち」
 その時は周防九曜宅に初訪問となるのだろうか。うわ、それもすげえ楽しみだ。今日一日で新たなる九曜を見る事が出来たのではないだろうか、それもかなりフレンドリーな。
「楽しみにしてるよ、今度はDVDを借りて前作も見ようぜ」
「―――」
 数ミリの頷きで肯定する姿はよく見る宇宙人とそっくりで。
 俺は思わず笑ってしまった。
「それじゃあな、また遊ぼうぜ」
 九曜の頭に手を乗せて撫でてやる。目を閉じて大人しく撫でられる九曜は頭からネコミミが生えていてもおかしくないくらいには可愛かった訳で。
「―――――みゃ――」
「っとおっ?!」
 クロネコの九曜がいきなり飛び掛ってきた! といっても攻撃された訳ではない。俺の首に手を回してしがみ付いた九曜を俺は抱きとめたのだけれど、ほとんど体重を感じることは無かったからだ。
 そのまま済し崩し的に俺は九曜を抱きしめるような形になってしまった。あ、あれ? これはまずい体勢なのではあるまいか。こういう時だけ九曜は本来の身長というか温もりを感じさせてきやがる。何より顔も近い、というか頬と頬がくっついてる!
「―――あなたは―――」
 顔を密着させた九曜が耳元に囁きかけるように話しかけてくる。息がくすぐったい、じゃなくてこれはかなり恥ずかしい! まるで恋人同士が愛を囁くかのようじゃないか、俺と九曜だぞ?!
「―――鍵――」
 しかし、九曜の言葉は浮かれかけていた俺の心を一気に覚ますかのようだった。
 鍵だって? それは何度も聞いた例のあれか。その言葉が齎すものは、俺の溜息だけだった。
「はあ……ハルヒや佐々木にとってのってやつか? そういうのは、」
「――違う――鍵は――――あくまで―――鍵―――扉は―――鍵よりも―――多く存在していた―――」
 ますますもって分からん。ハルヒと佐々木、既に二人もいるってのにまだ鍵が必要な奴が居るってのかよ。
「まあ俺が鍵だか何だかは知らないが、頼られて悪い気はしない。けど、ハルヒ相手だろうが佐々木相手だろうが俺は俺だぞ? 何かあいつらの為にしようだなんて思っちゃいない」
 朝比奈さんの未来の為だとか、長門の恩義に感じて手助けしてやろうというのはあるが、それはそれだ。鍵なんてご大層なシロモノになった覚えも無ければ、ましてや俺が世界を救うなんて荒唐無稽な話に付き合うつもりも無い。
 だが、九曜は当然のように耳元で囁き続ける。
「―――そう―――鍵は―――そこにあってこその―――鍵―――変わらず―――変えずにいてこそ―――鍵である―――」
 …………あまりに抽象的過ぎて意味が分からない。わざわざ耳元で囁くような事なのか、これ?
「――――故に――扉は――変わらねばならない―――鍵に相応しく―――鍵と共にある為に―――」
 そこまで囁くと、九曜は静かに俺から離れていった。
「―――私も――そうだから―――そう、ありたいと―――願うならば―――」
「えっ……?」
 俺はその瞬間、どんな顔をしていたのだろうか。ただ、周防九曜の黒曜石の瞳は深遠なまでに澄みきっていた。
「――私も――あなたと――共に――――ある―――」
 ダメだ、あの瞳を見てしまったら。宇宙のように煌めく星の輝きを秘めた黒瞳に吸い込まれるように。
「うわぁっ?!」
 天地がひっくり返ったかのような感覚に捕らわれ、慌てて意識を戻そうとして俺がバランスを崩した瞬間。



 気付けば周防九曜の姿は目の前から消え去っていた。




 誰もいない夕暮れの公園。何事も無かったかのように俺は立ち尽くしている。
「…………新パターンかよ」
 それも俺の心臓にはあまりよろしくないタイプだな、次回は止めてもらおう。いきなり消えるのもアレだがこんな余韻の残し方はもっと悪い。
 抗議しようにも本人がいない、だから俺は九曜がやってきた空に向い呟くしかなかった。
「あのなあ、もう少しわかり易く且つ和やかに帰ってくれよ」
 気付けばそこに居るくせに、気付いた時にはいないなんてあんまりだろ。俺はもうちょっとお前とのんびり話したいぞ。
「ま、次はこういうのは止めてくれ」
 言ってくれれば退屈しのぎのお相手くらいはやってやるさ。まだまだ九曜の知らない日常ってのがあるんだからな。それを一緒に見ていこうぜ、お前なりに思う所があって、それが良い方向に向かえばそれでいいさ。
 あの無口で無表情な宇宙人が小さな人形のコレクションを見て微笑む姿なんて想像してしまい、俺は空に向かって笑うのだった。
 本当に見るのが楽しみだ、ままごと遊びなんてやりかねないな。なんて事を思いながら。



































 いやあ、こんな終わり方もいいんじゃないだろうか。周防九曜の魅力が分かってもらえたら幸いだ。
「…………そう」
 そうですとも、多少誇張はあるけど九曜はやっぱりおこちゃまなんだからさ。色々なものを経験させてやるのが未知との遭遇ってやつなんだろ。
「わたしも未知の生命体?」
 い、いやあ……お前は何と言うか仲間だし、もうすっかり馴染んでるじゃないっすか。ほら、今日だって一人でお出かけ出来てるんだし。
「………………わたしには友達が少ない。略して、にはない」
 惜しい、ちょっと違う。
 などと軽いトークかましているように見せかけて俺の背中からは大量の汗がふき出している。膝だってもうガクガクいってるよ? 会話も噛み合わない歯がカチカチ鳴っている部分を削除してお届けしているのだ。残念なことに殺気だけはお伝え出来ないのだが、まあ立っていたら気絶しない方が奇跡なレベルであるとご理解頂きたい。
 はあ、ここで振り返ったら負け、というか死ぬんだろうなあ。でも振り返らないと死ぬんだろうなあ。どっちにしろ死んじゃうなら最後はお前の顔を見てから死にたいよ、だから俺は思い切って振り返る。
「………何故?」
「申し訳ありませんでした、長門さまーっ!!」
 だが、俺は顔を見る事は無かった。振り返ると同時にジャンピング土下座だったからだ。その間コンマ数秒、トリプルアクセルジャンピング土下座である。
 地面に額を擦り付け(何だったら靴を舐めてもいい、むしろ舐めさせていただきたいっ!)、無様に震えながら土下座をしている俺の後頭部にジャリジャリした感触と痛みに重み。
 ああ、長門様に踏みつけられている。しかも土足で、公園のベンチ前で。誰か人が通れば人生オワタ、な状態なのに何だろうこの高揚感。
 グリグリと頭部を踏みつけられながら、新しい何かに目覚めかけた俺に絶対零度の声が頭上から突き刺さる。
「…………顔を上げて」
 どうやって?! 完全に俺の顔面は地面にめり込んでいるんですけど!
「だから?」
 すいませんでした。俺は長門様の足を持ち上げるように顔を上げようとしたのだが、フット(駄洒落です)頭が軽くなったかと思ったら、
「ぶべらっ?!」
 顔面を蹴られた俺は見事な弧を描いて吹っ飛んだ。
 いや、大丈夫だ。あいつが本気で蹴ったら俺の頭部はこの世に存在しないはずだからな。スキンシップの範囲内です、多分。
「っつつつ…………」
 地面を転がった俺がようやく顔を上げた時、そこには冷酷無比な美しい顔があった。
 我らがSOS団の誇る無敵宇宙人、その名も長門有希様は腐ったミカンを見るかのような蔑んだ視線で俺を見下ろしてくださっていたのである。いかん、興奮する。
「大丈夫?」
 優しい口調ですけど、やったのはお前だからな? それと俺を立たせるのにアイアンクローは無いんじゃないでしょうか、割れる割れるっ! 頭が! 頭があああああっ!!
「黙れ」
 はい。俺よりも背の低い長門に顔面を鷲掴みにされて抵抗も許されずに持ち上げられている。こんな姿を見られてしまえば人生終わりだ。それ以前に既に生命の危機過ぎるっ!
 軽々と俺をアイアンクローで持ち上げている長門は淡々と告げる。
「なにをしていたの?」
「え、ええと…………生まれたてのお子様に社会というものを教えていたといいますか」
 こめかみに激痛が走る。
「すいません! 九曜と映画を観てきましたっ!」
「…………そう」
 何で映画を観たくらいで死にかけているのだろう。あ、段々意識が…………
「何故?」
「いたたたたたたたたたっ!!!! 血が! 血管から血が出てる!!」
 出ていない。と長門様は言われておられるのだが、痛みが酷くてそれどころじゃない! 映画くらいでこんな目に遭わなきゃならないのかよ?!
「く、九曜が映画なんて観た事ないだろうと思ったからだ! あいつにこの世界の良い所を見せてやろうと思ったからだよ! それのどこが悪いんだっ!」
 どう考えても理不尽だ。あいつは敵かもしれないけど、何も知らないだけなのかもしれないじゃないか。だから、俺が教えてやれば敵対なんてしなくなるかもしれない。そう思うのが何故悪い!
「…………」
 不意に長門の力が緩み、俺はようやく地面に膝を着いた。まだ頭痛はするけれど、何とか落ち着いたようだ。
「あなたは、」
 長門が静かに口を開く。
「天蓋領域にこの世界を教えようとしている?」
「あ、ああそうだ。あいつは何も知らないだけで本当は長門みたいに素直で真っ直ぐなやつなんだ」
 見た目は全く以て違うが、その本質はとても似通っている。それが長門と九曜、二人の宇宙人なんだ。
 俺は、出来れば長門にも九曜と話して欲しい。仲良く、とまでは言わないが友人として接するくらいにはなって貰いたいのだ。
「あなたの言いたいことは理解出来る」
 分かってもらえたか。ホッと一息吐く俺に長門は意外な事を言い出した。
「しかし、わたしもまだこの世界を全て理解したとは言えない。わたしも此の世界に実存して数年しか経過していないのだから」
 確かにそうだ、長門ハルヒの能力に呼ばれるかのように俺達の世界にやって来て四年余りしか経っていなかったのだ。
「わたしも…………あなたに教えてもらいたい」
 少しだけ俯いた長門が小さく呟くように言った言葉。
 ああ、そうか。長門だってまだまだ子供というか、知らないことだらけなのだ。それを身近にいるから、万能だからと頼ってばかりで長門自身が興味を持ったかどうかを考えていなかったのかもしれない。
 そこに九曜が現れて、俺がおこちゃまに掛りきりになったものだから長門から見ればもしかしたら羨ましかったりしたのだろうか? あの長門が、ヤキモチなど焼いてくれたのだろうか。
「すまなかったな、長門。ついお前なら大丈夫だと思い込んでいたのかもしれない」
 なんだ、可愛いとこもあるじゃないか。構って欲しいならストレートに言って欲しいところだけどな。
 俺は苦笑しながら長門の頭を撫でてやる。
「俺で良ければ言ってくれ。頼りないかもしれないが、出来る範囲でお前の要望には応えてやるよ」
 まだまだ長門もおこちゃまなのか、そう思うと楽しくなってくるな。


 などと呑気に思っていた俺が馬鹿でした。


「………そう」
 ガチャ。
 え、ガチャって何? 何の擬音だよ、って!
「何で俺、手錠掛けられてるの?!」
 長門の頭を撫でていたはずの俺の手首に銀色に輝く手錠が嵌められている! しかもガッチリ両手がロックされてるっていつの間に?!
「あなたに教えて欲しい事がある」
 間違いなく手錠を掛けた犯人が、冷酷な瞳で俺を見つめている。
「な、何でしょう……長門………様?」
「主にピンク方面の情報」
 何故それを知っているーっ?! って、ここでメタネター?!
「訂正する。主に下半身方面のネタ」
「駄目な方向に訂正するなっ! いや、それ以前に教えて欲しい奴が拘束するってどういうことなんだよ?!」
「安心していい。わたしはどんなにハードなプレイにも対応可能」
 そんなとこに安心出来るかっ! というか次回が早すぎるだろ、これっ!
「では早速、教えを乞うべくわたしの部屋に移動する」
「いや待って! 手錠はともかく首輪は何時着けられたんだ、俺?! そして手が使えないのにリードを引っ張らないでーっ!!」
 哀れなる俺は長門有希様に引き摺られながら長門様のマンションに拉致される羽目と相成ったのであった。
「ハアハアしちゃうぞ?」
「しなくていいからっ! 全然キャラと違うじゃねえか、お前っ! 違う、俺の長門はこんなキャラじゃないーっ!!」
「新シリーズに対応してイメージチェンジしてみた」
「しなくていいわーっ!!」













 まあ、この後長門のマンションでハアハアしたのだが内容は各自の想像にお任せする。
 だが一つだけ言わせて欲しい。
 長門様はおこちゃまではありませんでした。はい。