『SS』 私の、彼女 2

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 いつもより早い時間に少し重い頭を振る。最悪の目覚めだった澪はふらふらとシャワーを浴びる為に風呂場へと向かった。ほとんど寝た感じがしない、まだ頭がぼーっとしている。
 熱い湯を頭から浴びてようやく目が覚めてきた。するとまるで昨日の事が夢ではなかったのかと思えてくる。風呂場を出てから制服に着替え、朝食を取る頃には何とか気持ちも入れ替えられたようだった。時計を見ればまだ律を迎えに行く時間までありそうだ、澪はようやく落ち着いて食後の紅茶を飲み干した。
 しかし、律の家に向かった澪は、
「…………え?」
 律の母親に律が既に登校したと聞かされて驚きのあまり目を丸くしてしまった。いつもの律ならば寝ていてもおかしくはないのに。でも、遅刻の心配をしなくていいのだから安心…………していいはず、だ。
 分かってる、律だって子供じゃないんだ。一人で学校にも行くし私よりも早くたっておかしくなんてない。
 なのに。何故走ってるんだろう、何でこんなに焦ってる? 訳が分らないけれど足だけは意思と関わりなく動いている。走り去っていく澪を驚いて見ている登校中の生徒たち。
 いつの間にか、澪は全力で学校に向かって走っていた。その隣りに、誰も居なかったから。





「おー、澪。どしたよ、息切らせて」
 勢い良く教室の扉を開けてクラスメイトの注目を浴びながら呼吸を整えていた澪がようやく顔を上げた時、律はお気楽に手を振っていた。人の気も知らないで。
「り……つ……?」
 澪の目は律を見ていなかった。律の机に手を置いて。律の隣にいるのは、
『……なんで?』
 昨日の今日だ。それなのに、当たり前のようにいちごは律と話している。なんで、どうして? 目の前の光景に違和感を感じつつ澪は律の席に近づいた。
「おはよう、秋山さん」
 白々しい。笑顔が皮肉にしか思えない。そう思いながら、言えないままに、
「おはよう」
 いちごに挨拶の言葉だけをかける。いちごはそっけ無い澪を無視するように、
「それじゃ、また後でね」
 律の肩を叩いて自分の席へと戻って行った。「お〜う」と答える律の態度が、たった一日なのに凄く親しげに見えて。いや、クラスメイトなんだからおかしくないだろ。そのはずだ、そうじゃないとダメだ。
 知らず先程までいちごが立っていた位置に移動していた。律が座っていて、傍らには自分が立っている。それが自然なはず、だと思いながら。その上で内心を隠しながらさり気なく律に話しかける。
「どうしたんだ?」
「何が?」
「いや、律がこんなに早く学校に来てるなんて珍しいというか、私が迎えに行く前に出てるなんて滅多にないから」
「あ、そうだっけ?」
 そうとも。律は朝が弱いし、いつも迎えに行っても待たされてるくらいだし。だから澪は仕方なく律を迎えに行って、それが当たり前で。いつもそうだったじゃないか、律。
 なのにどうして律が先に学校に居る? 何故、どうしてあの子と話してるんだ? あんなに仲良く、あんなに楽しく。
「いやあ〜、いちごがさ? 昨日の夜に電話してきたから何だと思ったらCD貸してくれるって言うから。ほら、澪も知ってるだろ、あのバンド」
 それは澪も知っている。というよりも、律に何度も聞かされている。インディーズのバンドでドラムのプレイスタイルが好きだと何度も言っていた。それが、
「でさ! いちごがデビュー前の自主出版? だっけ、そのCDを持ってたんだって! 興味無かったけど、私が話してるのを思い出したって! すっげー偶然じゃね? それで授業の前に借りようってことで早く来たんだよ。まあ、興奮して寝れなかったから早起きだったしな」
 確かに目が少し赤い。興奮して寝れなかったというのも間違いないだろうな、律は好きな音楽については一直線なくらいに熱中するタイプだ。
 しかし、澪の心に何かが引っかかった。『嘘だ』という思いがどうしても消えない。
 律の喜びが、ではない。いちごだ。あいつがバンド好き? それもインディーズの、しかもデビュー前のバンドのCDを持っている程の? ありえない。それならもっと前に律や私に話しかけてくるはずじゃないか。けいおん部にだって興味を持たない訳がない。チャンスもタイミングも何度だってあった、唯やムギにだって話せたはずだ。
「…………澪?」
 暗い考えが頭を離れない。何だって今なんだ、それもピンポイントに律の好みを知っているかのように。昨日の会話が嫌でも脳裏に蘇る、付き合ってる? 貰ってく? それって、
「おい、澪っ!」
 律に背中を叩かれて我に返った。それもかなり強く、苛立つように。
「った! 何すんだ、律!」
 その返答は呆れたような声だった。
「よ・れ・い! もうチャイム鳴ってるぞ、さわちゃんに見られたら煩いだろ。早く席に戻れよ」
 え? と、時計を見るまでもない。澪以外のクラスメイトは既に着席済みで、唯ですら席に着いて澪に急いでとばかりに手を振っている。
「あ、え、ごめん!」
 慌てて自分の席に戻る。変に注目を集めてしまって頬が熱くなってきた、目立ちたくなんかないのに。思わず机に伏せてしまう。
 だが、横目でチラリと覗いた時に見てしまったのだ。
 口元を押さえ、澪を見て笑ういちごの姿を。
 また、あの目だ。見下すような、蔑むような、憐れむような、見透かすような、瞳。
 カーっと頭に血が昇る。先程と違った意味で顔が赤くなる。何だよ、何であいつにあんな目で見られなきゃいけないんだ! 言い様の無い、ぶつける所の無い怒りが胸を渦巻いている。



 だから、といってしまえば全てが遅い。けれど、やはり澪はどこかおかしかったのだろう。何も目に入っていなかったのだから。
「……ちょっとは一緒に喜べよな、折角一緒に聴こうと思ってたのに」
 不満そうに呟いた律が自分を見ていた事にすら気付かなかったのだから。