『SS』 彼女たちのバレンタイン

 これはとある高校のとある音楽室での一コマである。
「いよーっしっ、そんじゃ皆の分な! ちゃんと作っちゃったから残さず食えよ!」
「おおー、りっちゃんすごーい!」
「料理とかはちゃんと出来るんですよね」
「ありがとう、りっちゃん」
「……サンキュー」
 本日は2月14日、世間ではバレンタインデーということでどうやら彼女たちもチョコレートの配り合いをしている模様。昨今では友チョコなる言葉も出来ているので違和感は無いようである。
「はい、これは私から!」
「お、唯も手作りなのか?」
「唯ちゃんもありがと」
「どーせ憂ちゃんに作ってもらったんだろ?」
「ぶ〜、ちゃんと作ったよう」
「あ、ありがとうございます……」
 わいわいと騒がしくもチョコレートの交換は続く。
「これは私からね。ごめんなさい、手作りする時間がなかったものだから」
「げっ! この包みってまさか!」
「いや、ここのチョコレートって高すぎだろ、ムギ!」
「わわ、私このお店のお菓子なんて食べたことなんてないですよう」
「うわあ、憧れだねえ。ありがとう、ムギちゃん!」
「いえいえ、どういたしまして」
 おっとりした彼女の持ってきた高級チョコが一粒800円もすることを知るのは後々の話である。
「わ、私からも……」
「おお、手作りぽい! わーい、ありがと澪ちゃん!」
「ありがとう、澪ちゃん」
「ありがとうございます、澪先輩」
「失敗してないのか、澪?」
「するかっ!」
 余計な一言を言って脳天にチョップを食らった人もいたけれど。
「こ、これは私からです!」
「うわあ、あずにゃんの手作りだー!」
「お前もしっぱ「うるさいっ!」」
「嬉しいわ、梓ちゃん」
 こうして賑やかにバレンタインのチョコレート交換は終了して、結局今日も部活らしいことをしていないと気付いても後の祭りだったりする放課後は過ぎていったのであった。




 …………さて、ではその後チョコはどうなったのか。それぞれを追って見てみましょう。




1・Y→A
 梓は家に帰ると着替えもそこそこに鞄の中から四つの包みを取り出した。紬から貰った高級チョコの包みが燦然と輝いているようで、一瞬だけ気を取られかけたけど真っ先に開けたのは可愛いピンクの包み紙である。
 中身は不恰好に丸められたトリュフチョコ。なるほど、本人の手作りだと梓は笑った。唯先輩らしい、不器用だけど一生懸命作ってくれたチョコ。手にするだけであったかい、そんな気がする。
「ちょっと、勿体無いかな」
 唯から貰った、それだけで嬉しくなってくる。梓はチョコに添えられていた手紙を手に取りながらそんなことを思っていた。
 そこに書かれていたのは。
『大好きなあずにゃん
 
 ハッピーバレンタイン! いつもありがとう!
 高校に入って、あずにゃんと知り合って、すっごく毎日が楽しいよ。
 私の高校生活もあと少しになってきてるけど、これからもずっとよろしくね! 
        
                                  ゆい』
 短いけど、感謝と愛情が籠もった手紙。
「あ……」 
 けれど、梓はその文面を読んで愕然とする。
 そうだ、あんなに楽しいのに唯先輩は私より先に卒業しちゃうんだ。忘れがちな、見逃したくなるような事実がそこにはある。梓はそこに気付いてしまったのだ。
 一気に血の気が引いていくのが分かった。楽しさよりも不安が先に顔を覗かせてくる。
 こんな風にチョコを渡せるのも、貰えるのも、もう…………ないかもしれない。卒業してもきっと、という思いと、一人になってしまう寂しさが嵐のように交互に訪れては梓の心を乱していく。
「唯……せんぱい……」
 嬉しくて、寂しくて。唯がいない学校、唯がいない部活。そして、唯がいない…………自分。
 怖い。怖くなってくる。今までの自分ではなくなるようで、今までの自分が何だったのか分からなくなりそうで。ここまで自分は唯先輩に依存していたのだろうか、自然に隣りに居る事を当然だと思っていたくらいに。
「やだ……唯先輩、いなくなっちゃやだよう…………」
 梓が口に入れたチョコは甘いはずなのに、ほんの少しだけ涙の味がした…………

2・A→Y
 みんなと別れてから一気に走って家まで帰る。玄関のドアを開けて「ただいま〜!」の声を置いていくように靴を放り出して階段を昇る。
「おねえちゃん、ケーキ焼いてるよ〜」
 いつもならば最優先事項にカテゴライズされるはずの憂特製ケーキすらも、
「あとで〜!」
 今の唯を止める力にならないのだ。早く、少しでも早く。階段を駆け上がって飛び込むように部屋に入る。
 着替えなんてどうでもいい、急いで鞄を引っくり返すと教科書やノートと一緒に四つの包みが落ちてくる。
 あんなに神々しかったムギちゃんの高級チョコも、美味しいのは分かってるりっちゃんのチョコも、頑張って作っただろう澪ちゃんのチョコも全部後回し!
 唯の目当てはただ一つ、梓から貰ったチョコを殆ど勢いだけで開ける。
「おお〜!」
 綺麗に整ったチョコケーキ。腕を上げたな、あずにゃん! って、早速口に入れた唯なのだったが。
『苦っ?!』
 一瞬で顔色が変わる。焼きすぎ? カカオパウダー? 何か分からないけどとても苦い。
 だからといって食べないなんて選択肢もないし、残すつもりもないけれど。唯は涙目になりながらも必死になってケーキを口に運んでいた。
『あれ?』
 ちょっと休憩のつもりで視線を動かしてみるとグチャグチャにしてしまったはずの包み紙が妙に形が整っている。何故か気になった唯は放り投げていた包み紙を手にとってみた。
『あ!!』
 ラッピングの端に小さく貼りつけてあったのは間違いなく手紙だった。こんなに折り畳んでしかも包みの方に貼っていたら、いつもの唯ならば気付かなかっただろう。というか、唯でなくとも気付かないかもしれない。
 けれど、梓から貰ったチョコなのだ。興奮してたけど包みまで取っておくつもりだったのだ。間違いなく気付く、気付かないなんてことはない。梓からの手紙に気付かないなんて絶対にない!
 唯はいそいそと手紙を開いた。小さく折り畳まれた小さな手紙。そこに書かれていたのは。
『大好きです。いつもありがとうございます。大好きです。
                        
                          梓』
 短いけれど、簡潔な言葉だけど。きっと精一杯の勇気と、想いがこもった手紙。
あずにゃん……」
 嬉しくて手紙を抱きしめる。梓の温もりがそこにあるようだった。
 出会えて良かった。年下だけど、ちょっと素直じゃないとこもあるけど、梓が居てくれることが嬉しい。みんなと一緒の時間も楽しいけど、やっぱりあずにゃんがいないとダメなんだ。
 この気持ちを何と名付けたらいいんだろう。大好き、でも足りないくらいに溢れる想い。
「……愛、してる?」
 うわ、これは……すごい、恥ずかしい。けど、嬉しい。真っ赤になった顔で唯はケーキを頬張った。
 苦かったはずのチョコケーキは、とてもとても甘かった。

 3・T→R
「ちょっと待って、りっちゃん」
 部活が終わり、それぞれが楽器や鞄を持って帰ろうとするところを茶器の片づけで一番最後になった紬が律を呼び止めた。
「どした、ムギ? もう帰るぞー」
 これでも一応は部長である。律は音楽室の鍵を持って紬を待っていたのだった。
「えへへ〜、これあげる」
 嬉しそうに紬が律の手に握らせたのは、
「なんだ、これ?」
「チョコよ」
 そう、それは律もよく知っている小さなチョコだった。最近は見なくなってしまった、小さなチョコ。
「いや、それは知ってんだけど。こんなもんどうしたんだよ?」
「えへへ〜、実はね? この間一人で駄菓子屋さんに行ってみたの。あの、りっちゃんと一緒に行ったとこ」
「へえ、ムギ一人で行ったのかよ? それはなんつーか、すごいというか成長したなあ」
「でしょ〜?」
 律は得意気な紬の頭をついつい撫でてしまう。お嬢様の紬にしたら一人で駄菓子屋なんて大冒険だったのだろう、どんな顔をしてこの小さなチョコを買ったことやら。
「ありがとな、ムギ」
 きっと紬にはいい思い出になってくれたのだろう。そう思うと律も嬉しくなる。
「それでね? あの、」
「今度は皆で行こうな。唯なんかきっとはしゃぎまくるぜ」
 そう言って笑った律を見た紬は、
「うん、きっとそうよね」
 笑うしかなかった。言えなかった言葉を胸の奥にそっとしまって。
『二人っきりで、また』
 言いたかったけど、だけど。
「行こうぜ、ムギ」
「うんっ!」
 このお節介で優しい彼女の隣りを歩ける今を幸福なのだと思いながら。

4・M→R
 澪に顔が赤かったのがばれていないよな、皆にチョコを渡してからずっとそうだったんだけど。律は澪と別れて家まで帰ると挨拶もそこそこに部屋に飛び込んだ。こんな顔を家族に見られたらやばい、つーか恥ずい。
 それでも鼻歌混じりで鞄からチョコの包みを取り出すと、先ずは紬に貰った高級チョコをつまみ食い。
「うわ、すっごい美味い! 口の中で蕩けるのに後味がスッと爽やかだ!」
 失敗したグルメレポートのような感想を口にしながら一気に食べきった。うん、やはり美味しいものは先に食べるに限る。
「さーて、次つぎっと」
 次に梓の作ったチョコケーキを…………
「み、水! みず〜!」
 何でこんなに苦いんだよ! 見た目はちゃんとしてるのに! それでも可愛い後輩の作ったものだ、何とか食べきった。えらいぞ、田井中律
 よし、次だ次! 律は唯の形は歪だけど味はちゃんとしているチョコで何とか口直しをする。ほんとに自分で作ったんだな、憂ちゃんが作ったにしては形が変だし。
『あいつ、やれば出来るんだよなあ』
 しかし梓の失敗を唯がフォローしているみたいだな、いつもとは逆な感じがしてちょっと可笑しい。本当にいいコンビだよ、あいつら。
 そして、いよいよ。大好きなものは最後の最後に取っておくんだ。
 いつもの律からは考えられないほど丁寧な手つきで澪から貰ったチョコの包みを開く。そっと箱のフタを開け、そこにあったチョコを見て目を丸くして。驚きのあまり再びフタをしてしまった。
『やばい! やばいだろ、これ!』
 心音が高まる。顔が熱くなる。息が、苦しくなる。
 まずい、こんなになるなんて。まるで爆弾だ、澪のやつとんでもない事しやがって。
 確かめるように律は再度箱のフタを開ける。チョコを確認して大きく息を吐いた。
「反則だろ、みおしゃ〜ん……」
 そこにあったのは大きめのハート型のチョコレート。それに、クリームで大きく『愛してる、律』とだけ書かれていて。
 手紙も何も入っていない、ただそれだけしかない。シンプルで、それだけに説得力のあるメッセージ。
 あの不器用な澪が、勇気を振り絞ってくれた言葉。
 律は感動して、嬉しくて泣きそうになった。そうか、澪も…………そう思ってくれたのか。
 どうしよう、チョコを食べられない。嬉しくて、勿体なくて、それに。
 この想いを伝えたくて。
「あーもうっ! ダメだ、我慢なんか出来るかっ!」
 今すぐに、澪に会いたい。
 律は部屋を飛び出し、勢いよく家まで飛び出したのだった。

5・R→M
 はあ、と澪は部屋に入るなりにため息を吐いた。緊張していたのが律にばれなかっただろうか。はっきり言ってチョコを渡してから皆が何をしていたのか殆ど覚えていない、そのくらい緊張していた。
 とにかく、やることはやったのだ。自分の想いは確かにチョコに込めたのだから。
 落ち着く為に制服から部屋着に着替え、改めて貰ったチョコをベッドの上に拡げてみる。まあ、最初に開けるのは決まっているけれど。
『バカだよなあ、私も』
 苦笑しながらも律から貰ったチョコを最優先してしまうのだ。我ながらどうかしていると思いながらも、いそいそと包みを開ける。
友チョコ、かあ……』
 いい言葉だと思う。そう言えば想いを包み込んで、笑ってチョコを渡せるのだから。そして想いは包まれたまま、笑って流されてしまうのだけど。
 それでもいい、澪は寂しさと共に思う。律が笑ってくれるのなら、それでいい。それに、想いは確かに込めたのだ。あのチョコレートに、隠しきれなくなった想いの全てを。
 だから、いいんだ。律はきっと笑って大袈裟だなんて言うに違いない。私もそうか? なんて言いながら笑えばいい。それだけで、いいんだ。
 寂しいけれど、律の作ってくれたチョコを食べよう。あいつ、こういうのだけは上手いからな。気持ちは落ち着かないのに、やはり律のチョコを前にすると微笑んでしまう。澪はそっとチョコの入った箱を開けた。
『え?!』
 見た瞬間に固まってしまった。そんな、嘘だ…………何度も見直して、同じだと分かって。でも、信じられなくて。
 そこにあったのは大きめのハート型のチョコレート。そこに器用にクリームで『大っ本命っ! 愛してるぜ、澪!』と書かれてて。
 手紙なんか無かったけど、それだけで十分なくらいに伝わるメッセージ。
「り、りつ〜……」
 ダメだ、目の前がぼやけてくる。嬉しくて、嬉しくて涙が止まらない。しゃくり上げながら何度もチョコに書かれたメッセージを読む。
 どうしよう、こんなの食べられない。嬉しくてm勿体なくて、それに。
「律…………」
 どうしようもなく、律に会いたい。
 そんな時、階下からチャイムの音が聞こえて。

6・R=M
 少しだけ話し声がしたかと思うと大きな足音が近づいてくる。この足音は…………知っている!
「澪っ!」
 ノックもせずに開かれたドア。荒い息、走ってきてほつれた髪。
「り……つ…………?」
 何で制服のままなんだ? それに、顔が赤い。走ったにしても赤すぎる、近いんだぞウチは。
「なん「みおーっ!!」」
 澪が問い質すよりも早く、律は勢い良く澪に飛びついていた。
「うわあっ!」
 支えきれなかった澪はそのまま押し倒されてしまう。後頭部を打たなかっただけマシなのかもしれないけど、いきなり何だっていうんだ!
 けれど、澪は怒ることなど出来なかった。出来るはずもなかった。何故ならば、
「み〜お〜」
 律が、抱きしめて離してくれないんだ。それも、甘えるようにむねに顔を埋めて。
 うわ、やばい。汗の匂いが、髪の柔らかさが、温かい体温が、部屋着越しにでも感じてしまう。澪が真っ赤な顔になって、どうすればいいのか解らないままに空中に手を伸ばしている間も律は澪にしがみ付いていた。
「な、なあ、律? 一体どうしたんだ……」
 澪の言葉はまた最後まで言えなかった。律が、顔を上げたから。その瞳は、潤んでいたから。
「澪!」
「な、なに?」
「…………愛してる」
 心臓を、射抜かれたかと思った。本当に澪の呼吸は一瞬止まったのだ。言葉の矢は、澪の奥で戸惑い泣いていた想いを確かに貫いた。
「へへ……どうしても言いたかったんだ。チョコに書いたんじゃなくて私の言葉で、澪の前で言いたかったんだ」
 そうだ、澪にだけ、澪だから言いたかった言葉。律はその衝動のままに澪に会いたかったのだから。
 律は満面の笑顔でそっと指を伸ばす。
「だから、もう泣くなよ。な、澪?」
 止まらない涙を拭いながら。律は澪の頭を撫でる。嬉しくて、愛しくて、今まで言いたかった言葉がやっと言えた喜びが律の胸を暖かくする。
「うう……だって…………だってぇ……りつが……あいしてるって……グスッ…………いってくれて……」
 嬉しくて、幸せで、秘めた想いが今やっと報われた喜びで澪の全身は震えているのだ。
「なあ、澪?」
「……なに?」
「返事」
「えっ?!」
「私はまだ澪から何も聞いてないんだけど〜」
 ニヤリと笑う律の顔。分かっていても、言わせたい。分かってるけど、言いたい。だから澪は涙を拭って、笑顔で律の顔を見て。
「愛してる、律。今までも、これからもずっと……」
 そう言って、律の胸に飛び込んだ。さっきとは逆の状態に、律は優しく澪を抱きしめた。
「澪……」「律……」
 自然と顔が近づいていく。唇から洩れる吐息を互いが求めるように。鼻先が擦れるように唇が相手のそれを求めていって。



 二人の影が一つに重なった…………














 喜びも、哀しみも、幸福も、寂しさも。
 ただ、この一日がきっかけで。
 彼女たちの明日がどうなるのかは彼女たちが決めるのだとしても、今日は甘い香りに包まれて。
 チョコレートはやっぱり甘いのであった。