『SS』 そこにいる


 気が付けば闇の中にいた。何も無い中に一人。
 それにも関わらず、俺は不思議な位に落ち着いている。慣れとは恐ろしいものだ、度胸が付いた代わりに危険に対して鈍くなったとも言えるのかもしれない。
「やれやれ……」
 だが、恐怖心を感じないのも確かなのだ。取り敢えず周囲など見てみよう。ということで、首をぐるりと一周回す。そして出した結論は、
「何もねえな」
 本当に驚くほど何も無かった。先ず始めに地面が無い。上を見ても空も無い。右も左も分からないし、そもそも目印が無いので自分が動いたのかどうかすら把握出来ていない。
 宙に浮いているような感じでもあるが何かを踏みしめているので立ってはいるのだろう。それが天井に張り付いているのか、正しく立っているのか判断は付きかねるが。
 さて、こういうような空間には妙に縁がある者とすれば原因をそこに求めようとするものである。しかし、俺は最初に原因であろうとする存在を可能性から消去した。
「アホか、あいつらじゃないのは分かるっての」
 一人は灰色の空間だし、もう一人は真っ白な空間だ。それにどちらの世界も風景だけは残っていた。それはあいつらが現状というものを認識しているという証拠でもあり、破壊であろうが静寂であろうが世界は世界であるべきだという主張でもある。と思う。
 それに引き替え、ここには何も無い。景色も、空間すらもないただの暗闇だ。触感と重力があるだけマシなのかもしれないけれど、あいつらがこんな世界を望むだなんて思えない。
「…………と、いうことは」
 どういうことだ? あいつらじゃない誰かの新しい策略か? その割には俺が落ち着きすぎているのだが、それも奇妙だと言える。
「こうしていても、しょうがないか」
 誰もいないのだから、存在を証明するためには独り言でも呟くしかない。足元だけに感触があるという違和感をどうにか堪えて俺は歩き出した。



 勿論目的など無い。訳でもないが、曖昧な目標のようなものを目指して歩く。何も見えない暗闇の中を。
 足元は不安定、というか見えない。分かっているのは歩いている、という実感だけ。それでも歩みを止める訳にはいかないのだ、そこに歩く道があるはずなのだから。
 トボトボと、スタスタと、一向に休む事もなく歩く。疲労感はあるが、立ち止まるほどでもなく。何よりも前に進まなければ何も変わるはずがないのだ。
「やれやれ」
 いつもの口癖を呟きながら、俺はただただ歩く。疲れても前へ。休んでも前へ。見えなくても前へ。それだけが今の俺に出来る事なのだろう。

 こうして俺は見えない出口を探すように歩き続けた。

 暗闇なのに目が見えている、そこに疑問を持たなかったのは何故だ? 歩いていても座り込まないのは何故だ。答えは簡単だ、歩かなければ進めないからだ。延々と、淡々と、俺は歩を進める。
 何も見えず、何も聞こえず、感覚だけが頼りなのに歩いている実感だけでそこにいることを確認するかのように。
「ったく、労働系じゃないって何回も言ってるだろうが」
 愚痴くらいはいいだろ? 体力バカなキャラじゃないのも自覚してるってんだ。まあ足を止めないだけでもマシだと思ってもらいたいもんだ。
「まだ閉鎖空間の方がいいって言ったら古泉辺りに文句を言われそうだよな」
 代わりにこの暗闇をひたすら歩く権利でも与えてやろう。いや、多分なのだが古泉も歩いているはずだ。


 俺も、古泉も、朝比奈さんや鶴屋さん、谷口に国木田だってそうだと思う。橘に藤原、あいつらの事など考えたくもないが一緒であるのに違いは無いはずだ。
 それに、ハルヒも佐々木も。あいつらだってきっと歩いているのだろう、この暗闇の中を。


 確信に近い。だが、暗闇かどうかは解らない。ただ、歩いているはずなのだ。同じように愚痴を言いながら、曖昧なままに足を止めずに。
 ただ違うのは、俺はほんの少しだけ知っている。この道にもなっていない道を歩く意味を。そこに何があるのかを。それを教えてくれたのは前述した連中だ、いい意味でも悪い意味でもあいつらがいなければ俺は歩みを止めていたかもしれない。





 そして、俺にはこいつもいる。居てくれる。





「よう。久しぶり、なのか?」
 何もなかった暗闇に突然浮かんだ白い影に、俺は軽い気持ちで手を上げて挨拶した。勿論歩きながらなので影との距離は近づいていく。
 ぼんやりとしていた輪郭が段々とはっきりしてくる。見慣れている北高の制服。アッシュグレーの髪をショートボブにカットしている小柄な少女。
 そうだ、長門有希は俺を待っていたかのようにその場に佇んでいた。本当に久しぶりに会ったみたいだぜ、どのくらい歩いていたのかは分からないけどな。
「わたしは、」
 再会の挨拶も無しかよ。いきなり話を切り出してくるのも長門らしい。
「常にあなたを見ている。それがわたしに与えられた使命。あなたに危機が及ぶような事態が起こらないように防衛し、あなたに危機が訪れればそれを除外することがわたしに課せられた任務」
「そうだな、お前にはいつも助けてもらってばかりだ。何も返せないどころか頼りっぱなしで気が重くなるよ。今回だって結局はお前頼みになっちまってる」
 情けない話だが、俺がこうして闇の中で落ち着いていられるのも長門が来てくれるだろうという変な安心感からだ。それは即ち依存といっても良いものであり、自らの弱さを認めるようなものだろう。どれだけ偉そうな御託を並べたところで長門の能力を当てにしている時点で駄目なヤツなのさ。
 そう思えば長門の顔を見たところでホッとしてしまっていることを含めて何とも酷いものだ。安心してる自分を殴りたくもなってくる。
「そうではない」
 だが、俺の自己嫌悪を見透かしたように長門は首を振った。珍しく俺じゃなくても分かるであろうほどに大きく、強く。
「あなたは、わたしに『場所』を与えてくれた」
「場所? なんだ、それは」
「わたしがわたしである為の『場所』、わたしが『長門有希』でいられる『場所』。それを与えてくれたのはあなた。わたしの存在はあなたが居て創まった」
「いや、それはハルヒが望んだからだろ? お前の親玉だってハルヒが目的でお前をここに派遣したんだろ」
情報統合思念体の望みは涼宮ハルヒの観測。だが、わたしが『長門有希』である必要は無かった。彼女が望んだのは宇宙人であって、わたしではなかった。わたしが『長門有希』であることを望んだのはあなたであり、わたし自身でもある。わたしに、わたしの意志というものが存在するのであれば、それはあなたの与えてくれたものであり、わたしが望むものである」
 それはつまり…………どういうことだ? 俺が長門を望んだから長門長門でいる事が出来る。そんなはずはない、長門はいつだって長門なのだから。
「理解出来なくていい。ただ、あなたにだけは知っていて、覚えていてもらいたい。わたしが、わたしでいる事を。そして、あなたと共にある事を」
 ああ、それなら俺にでも出来そうだ。お前が長門有希であることは、俺が保証してやるさ。勿論、そんなもの無くたって長門長門なんだけどな。
「要するに、こんな俺なんかでも少しはお役に立ってるって言いたいのか?」
「…………少しではない。だが、概ねそう理解してもらっていい」
 そうか。そいつはありがとうよ。これがハルヒならバカにされた気分だが、相手が長門なので面映いな。何と言ってもこいつの言葉には嘘が無いのだから。
「………………」
 少々照れていた俺の顔を更に紅潮させたいのか、長門が黙って手を差し出してきた。これを断るって選択肢は無いのだろうな。無言の圧力に押された訳でもないが、俺も黙って手を握る。
「……来て」
 はいはい。どうでもいいが、その言い方だと誤解を与えかねないので改めた方がいいと思うぞ。
 などと、どうでもいいことを思いながら長門に導かれるままに歩き出す。
「なあ、どこに行くんだ?」
「待っている」
「誰が? ハルヒか?」
「誰、ではない。皆が待っている。当然、わたしも」
 …………そうか。待っててくれるのか。俺なんかでも。いや、俺だからか。
 それはとんでもない事だ。途轍も無い話だ。長門長門でいるのが俺のおかげと言うのなら、俺が俺でいられるのはお前たちのおかげさ。
「ありがとな」
 素直に礼の言葉が出た。待っててくれる連中に、そう思わせてくれた長門に対して俺からの感謝の言葉。俺が俺でいられる『場所』をくれた人たちへ、尽きることの無い喜びの言葉なんだ。
「別にいい」
 素っ気無いけど、長門が続けたかった言葉は俺にも解る。
 
 当然だから。

 俺も同じ立場ならそう言っていただろう。ハルヒも、朝比奈さんも、古泉も、他のやつらだって同じだ。何てことない誰でも思う普通の話。ちょっとだけ具体的になってるだけの俺以外でも誰でも入り込んじまう闇の中の話なのさ。
「…………」
 たまたま俺には長門がいた。そして長門は俺と共にあると言ってくれた。誰にでもそういう奴が一人や二人はいる、それに気付かなかったとしてもだ。
 そして、そんな奴らがいるから俺も歩いていけるのだ。この闇の中でも、まっすぐに。
 やがて暗闇の先にかすかな光が見えてきた。長門に手を引かれるままに光へと歩を進める。
 僅かでも、ささやかでも、そこに光はあるのだから。
「わたしは、あなたと共にいる。此処に、そして、そこにいる」
 ああ。俺もお前と一緒にいるよ。此処に、そして…………


 俺は光の中に歩いて行き………………
















 


「なんじゃこりゃ?」
 開口一番に発したのがそれだった。場所は俺の部屋、ベッドの上だ。
 どうやら夢を見たらしいのだが、内容がさっぱり不明だ。元々印象に残る夢の方が少ないのだとしても、起き抜けに何だと言ってしまうような夢なのだから突拍子も無い夢だったのだろう。
 悪夢じゃなさそうなのが幸いだ、むしろ寝起きにしては快適なくらいだしな。ということで、妹にも起こされずに済むという最近では珍しい事態に自分でも驚いている次第である。
 妹の理不尽な不満を聴き流しながら朝飯を食い、面白さの欠片もない坂道を一向に登る作業を終えるとそこには不思議な学校が待っていない。
 無機質な教室には不機嫌を隠そうとしない団長が俺の神経を逆撫でして、ついでに背中にシャーペンで物理的にもダメージを与えてくれるので午睡も楽しめない状況だ。ちなみに学生の本分についてはそれなりに、ああそれなりに、というやつだ。察して頂けただろうか。
 そんな無風の高校生活は放課後に文芸部室で非生産的な非認定部活動に終始することとなる。唯一の安らぎといえば放課後ティータイムは本当にあったんだ、ということくらいか。バンドではなくて紅茶が飲めるという意味で。
 窓際には文学少女、コンロの側にはメイドさん、正面にはイケメンがオセロの駒を持って悩み中でパソコンの向こうでは団長がカチカチとマウスを鳴らしている。
 なんでもない、普通の日常。俺が居るべき『場所』。それはこいつらにとっても、であってもらいたいもんだ。
 放課後のチャイムが鳴り、長門が本を閉じて朝比奈さんの着替えを待つために古泉と室外に出る。
「どうされました?」
 廊下で待っている間、話のネタを見つけたとばかりに古泉に話しかけられる。
「何がだよ」
「いえ、どこか心ここに在らずという雰囲気でしたので」
「…………ちょっとばかり夢見が悪かっただけだ」
「はて、どのような夢だったのですか?」
「覚えてない。だから余計に気になるんだよ」
 ふむ、と古泉が考え込む。どうせハルヒと結びつけようとしているのだろうが、生憎と覚えてないのは事実だからな。夢の中にまでハルヒと付き合いたいとは思わないぞ。
 しばらく考えていた古泉が口を開こうとしたタイミングでドアが開き、朝比奈さん達が部室を出てきたので話は終わりとなったのだが。まあ、いい暇つぶしにはなったんじゃないか、古泉。


 


 帰り道に古泉が先程の話を蒸し返そうとしやがったのを徹底的に逸らしながら、前を歩く女性陣を見る。ハルヒと朝比奈さんは相変わらず何かを話しながら帰っていて、長門はその後ろを黙って歩いている。
 その後ろ姿が、何故か見覚えがあった。いや、毎日のように見ているはずなのに懐かしさというか、つい最近見たというか。
 何なんだ、と思いながら解散場所へ。ここでハルヒと朝比奈さん、古泉はそれぞれの家路へと着く。
 古泉にそれとなく相談に乗るといった感じで話されて、そんなんじゃねえよと返したところで俺は長門と二人になった。長門はすぐ後ろのマンションに帰り、俺も家へと帰るだけだ。


 それだけのはずだったのに何故か俺は長門の頭に手を置いていた。


「なに?」
 いや、何だろう。どうしてもそうしたかったというか。柔らかい髪をクシャと撫でつける。そのまま頭を撫でてやると、抵抗もせずに長門が目を瞑った。もしかしたら嬉しいのか?
「ありがとな」
 自然と長門に礼を言っていた。どこかで同じことを言ったような、そんな気がする。
「別にいい」
 ああ、確か長門はそう言っていた。そして、
「当然だから」
 あの時に聞けなかった続きの言葉を、はっきりと言って。そうかい、と俺も笑う。
「……また、明日」
 長門は表情も変えず、小さくそう言ってマンションへと帰っていった。これで手でも振ってくれれば最高なんだけどな。
「やれやれ」
 何やら色々考えすぎた。帰ってから横になりたいぜ。









 つまりは俺は一人じゃない。家族がいて、友人がいて、SOS団がいて、そこが俺の『場所』となる。
 迷っても、悩んでも、一人で闇の中になんかはいない。闇に迷っても引きずり出してくれる奴もいる。
 だから、歩く。歩ける。そんなもんなんだろう、人生ってのは。
 などと益体も無いことを考えてはみたものの、差し当ってやるべきなのは。

 今度の週末、小柄な文学少女と図書館デートでもやるか? 昼飯はカレーでいいよな。
 
 そんなデートプランを明日披露するくらいなのさ、団長に内緒でこっそりと、な。