『SS?』 ゴキくよう 〜飛翔編〜

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 ゴキくよう 〜飛翔編〜

 今日も今日とて俺の夜は熱狂と共に鬼ごっこで過ぎてゆく。このオンボロアパートの一室にヤツが現れて以来、俺の日常は大変化を遂げてしまった。
 何と言っても食後には毎回ヤツとの壮絶なる鬼ごっこが待っているのだ。神出鬼没、常在戦場、消えたかと思えばまた現れ、ここかと思えばまたあそこ、といった高速移動を繰り返すエネミーを、
「おりゃー! どりゃー!」
 と、掛け声だけは荒々しく、ペッタンペッタンとスリッパを振り回して追いかける。そうこうしている内に夜も更けて、ヤツの気配が完全に消えてしまったところで失意のどん底に落ち込んだまま汗を流すために風呂に入る。
 そして心地よい疲労感に包まれて布団に倒れこんだ俺は、どれだけ蒸し暑い夜であろうとも深い眠りについてしまうのであった。
 おかげで適度な運動に風呂でのリラックス、深い眠りに早寝早起き、と非常に健康的な生活サイクルを構築し、この夏を快適に過ごせてしまっているのだ。
 ………………あれ? なんかいい事尽くめじゃないか、これ?





 などという真夏のダイエット大作戦(4キロ減)を敢行しつつもやはり貴奴は害虫にカテゴライズされてしかるべきものであり、それを滅するは我が使命であると言えようぞ(武将風)
 1DK即ちダイニングキッチンという範囲を十分に活かすようになった黒い彗星(三倍速い)は今や台所というスペースを越えてダイニング部分(ほとんど使っていない。飯も寝室部分まで持っていって食っている)まで侵蝕している。バトルエリアの拡張は俺の運動量の増加を意味していて、それは圧倒的な敵の優位性を示していた。
「ぜー、はー、チクショウ……」
 肩で息をしながらヤツを目で追う。大体、あちこちから現れやがって何処にそんな隙間があるんだよ。このボロアパートには俺の知らない謎の通路が多数存在するらしい。
 そんな俺を尻目にヤツは絶好調である。ヒョコヒョコと首?を出してはスリッパで叩こうとすると引っ込める。これじゃゴキ退治じゃなくてモグラ叩きだ。
「―――スピード――ア〜ップ――――」
 やめんかい。ここは俺の部屋であって、ゲーセンじゃねえ。それに一対一だろうが。
 などと言う会話中(何故会話出来るのかなど遠い忘却の彼方である)にも、俺の腕はスリッパを振り回している。パンパンという小気味良いリズムがフローリングの床に刻まれ、ヤツはそれに合わせてゆかいなステップなど踏んでやがる。
「――ある――はれ〜た―――日〜のこと〜――――――」
 いやいや、そんなリズムで叩いてはいないだろ! 
「大きな――――ムネ――ムネ――――好きでしょ――――?」
 さり気なく歌詞を変えるな。それに俺は巨乳と同じくらいに貧乳を愛せる男だ。
「――――そう」
 自分の胸?を押さえなくていいぞ、あってもなくてもゴキに関係あるのかよ。それよりも大人しくお縄につけ! 勢いをつけて振り下ろしたスリッパはまたも華麗にかわされる。
「にゃろう!」
 再び追いかけっこの再開である。青い猫と茶色いネズミばりのドタバタ劇は、俺が壁に頭を打ち付けたり、角のとこに足の小指をぶつけたりと一方的にダメージを負いながらしばらくの間続けられていたのであった。





 しかし、物事には全て始まりと共に終わりがある。
「ふっふっふ、もう逃げられんぞ。神妙にするがいい」
 この悪役そのものなセリフは勿論俺が発したものである。目の前には憎き黒尽くめのヤツがいる。その背後には壁。そう、ヤツは背後に壁を背負い、俺に追い詰められたのだ。
「――――おお――ピンチ――――」
 そのとおりだ、お前は今まさに最大の危機を迎えているのだ。いかにヤツのスピードが速かろうが、ここまで追い詰めれば逃げ場は無い。あとは俺の必殺スリッパアタックを食らって昇天するのみなのだ。
 ここで行数稼ぎの追記をしておくと、既に俺の攻撃選択の中に殺虫剤の項目は消えている。何故かといえば、ヤツのスピードに狙いが定まらないまま乱射された殺虫剤のおかげで息苦しくなるわ部屋がベタベタするわで酷い目にあったのだ。無駄な買い物をしちまったぜ、殺虫剤も良し悪しなんだなあ。
 だが、殺虫剤のおかげで行数が稼げた。そこだけは感謝しよう。
「――――言い切った――――行数稼ぎと――――言い切りやがったぜ――――」
 おう。この話はメタでもいいと開き直ってるからな。
「――――ぱねえ」
 ぱねえのはお前の立場だ。もうこんなバカ話は終わりにするぞ。俺は目標めがけて必殺のスリッパスラッシュをぶちかます
 これで終わった。誰もが(一人だけど)そう思った。
 唸るスリッパ。潰れるゴキ。ガッツポーズの俺をバックに流れるエンディングテーマとスタッフロール。場面が転換してNG集をお楽しみいただく。そこまで完成されたシナリオのはずだった。
 だが、若干一匹だけそれを是としないゴキがいたのである。

 


「――とりゃあ〜――――」
 気合がまったく入ってない掛け声が耳に入ったかと思った瞬間、目の前に迫る黒い影!
「うわあああああああっっっ!!!」
 俺は恐怖のあまり叫びながら後ろに倒れこんでしまった。思い切りバランスを崩して尻餅をつく。
「いってーっ!」
 臀部を強打した俺が涙目になりながら見上げると、そこには羽(髪の毛ではない)を広げて飛ぶヤツの姿が。
「――フラーイ・トゥ・ザ・ムー――新しいせかーいへー――――フラーイ・トゥ・ザ・ムー――君はーとべーるんだー――――」
「いやちょっと待て! それ鯨だから! お前ゴキじゃねえかっ!」
 痛みを堪えた俺のツッコミが炸裂した時には既にヤツはどこかの隙間に入り込み姿を消していた。
「………………くそう」
 しばらく尻餅をついたまま痛みが引くのを待つ。
 ようやく動けるようになったのは結構な時間が経ってからのことだった。





 情けなく座り込んでいた俺は、痛みが消えたのを見計らって立ち上がる。当然だが誰もいない室内を眺め、大きく息を吐き出した。
「あのやろう……」
 まさか飛ぶとは。いや、ゴキが飛べるのは知っていたがいきなり突っ込んでくるとは想定外だった。昔、友人が同様の経験をした話を何を大げさな、と笑い飛ばしていたが実体験してみるとその驚きが良く分かる。
 だが、俺の懸案は別のところにある。
「この展開、大丈夫なのか?」
 二回続けて十代、二十代はおろか三十代も前半の人には通じないのではないかというネタでオチをつけてしまった。
 もしもネタが分からなければググッてもらうしかない。もしくはコメントでもください。
「九曜……恐ろしい子
 顔に縦線を入れて瞳が無い白い目になりながら、俺は戦慄したのであった。そう、ここに紫のバラの人は居ないのだと…………