『SS』 なんか、ズルイ 前編

 おかしい、と梓が思ったのはどうしてなのかと訊かれたら、きっと本人も答えられないだろう。しかし、おかしいものはおかしい。どこが、などというのではなく何となくおかしいとしか言えなくても。
 それは放課後、いつものように梓が部活動の為に音楽室を訪れた時にはそうなのだったから、ずっとこうだったのかもしれない。同級生ではない梓にはそこまでは分からなかった。
 とにかく、おかしいのだ。何がおかしいのかと言えば、その日は紬先輩がお茶を煎れてて、さわ子先生がケーキを食べてて、唯先輩は口の周りをクリームでベタベタにしていた。あれ? あんまり変わってない。って、これが普通になってる部活なんておかしいなんてもう今更言う気もない。
 では、何がおかしいのか。ティーカップを持ったまま横目でチラリと視線を向ける。そこには、律先輩が大口を開けてケーキを頬張り、澪先輩がそれを嗜めている姿がある。これもいつもどおりのはず、なのに変だ。梓はそう感じている。
「あーっ! コラ! それは私が最後に取っておいたんだぞ!」
「へっへ〜ん、好きなものは最初に食べておけって!」
「なんだとー!」
「ニャーッ?!」
 怒った澪の拳骨を頭に喰らった律が涙目だ。まったく、毎回懲りないんだなと呆れて見ていた梓なのだが。いや、やっぱりおかしい。
「ったく、後で返してもらうからな」
「へいへい、って何を返すんだよ?!」
 いつものやりとり。だけど違う。どこが? 頭の片隅に疑問を残しながら梓は紅茶を飲み干していたことも気づいていなかった。
「よーっし! 練習するぞ、練習!」
「ああ、ってこら! まだ話はついてないっ!」
 そう言いながらも澪はベースを取りだしている。何だかんだと言いながらでも練習というか、音楽は大好きなのだ。何よりも部長でありながら律先輩から練習開始を切り出す事は少ないし。結局は上手い事丸め込まれちゃってるんだよな、と自分もギターのセッティングをしながら梓は思う。
「ほら、練習しますよ〜」
「え〜? まだあと一個残ってるよう〜」
 最後までケーキに執着していた唯を無理矢理に引っ張る。何故後輩の自分が、という疑問などとっくに遥か彼方に追いやった。んじゃないけど、唯先輩に言う人がいないだけだ。澪先輩も最後は甘いからなあ。梓は呆れるしかないのだが、もそもそと背中を丸めてギターの用意をする唯を見ている紬の目が温かい。
 ムギ先輩は甘いというよりも唯先輩を調子に乗せちゃうから、とため息をついたところで律がスティックを打ち合わせる。
「うしっ! じゃあいくぞー! 1,2,3,4!」
 その瞬間、梓の違和感は確信に変わった。これは、違う。
 いきなりの激しいリズム。相変わらず置いてけぼりにしていくようなドラムだけど、それに付いていけないなんてことはない。それは、ベースがリズムを調整するようにビートを刻むから。
 今までそれは、澪のテクニックだと梓は思っていた。律のワガママとも言える演奏を澪が支えている、そう思っていた。今でも確かにそうなのだが。
 でも、違う。何と言うか、言葉には出来ない感じなのだが、ドラムに引っ張られている。そう感じるのだ。それをベースがフォローして、メロディが導かれていく。今までと同じようで、まったく違うそれは、ドラムとベースが一体になって全体を引っ張り上げていくような感覚だった。
『……気づいてるのかな?』
 横目で唯を見ると夢中でギターを弾いている。元々楽しそうに演奏するけど、今はいつも以上に楽しそうだ。ムギ先輩のキーボードも踊るように弾いている。
 梓だってそうだ。これだけの音を出されたらノッてしまうに決まってるじゃないか。まるで手を引かれるようにリズムに合わせてギターを弾けば、普段よりも格段に演奏のレベルが上がっていると実感出来る。凄い、音が一体になる感覚が全身を駆け巡っていく。でも、なんで?
 今までだって一体感はあった。でも、それは五人の感覚が一緒になったようなもので、ライブなどで感じる達成感に近い。しかし、今は律と澪の二人が中心となって自分たちを引っ張っている。
 その二人の一体感が、梓には違和感に感じたのだ。確かに幼馴染みだし、前から仲が良かったけど、こんなにも息がピッタリだったっけ。心地よいリズムの中で、梓の奇妙な違和感は疑問となって胸の奥に引っかかる。
 だけど演奏は楽しい、気持ちいい。だから手は止められない。そんな中でふと澪を見ると、完全に曲の世界に入っていた。流れるような指の動き。本当に澪先輩は上手いな、そう思う。だが、偶然澪を見たことで梓は気付いてしまった。
『え?』
 ほんの一瞬だったかもしれない。梓だけが澪を注視したからなのかもしれない。けど、間違いない。澪先輩はあれだけの演奏をしながら視線は後ろに動いている。気にしていないようで、ずっと。何度も。
 そして後ろからの視線もまた、見渡しているようで一点を見ている。気付いたのは偶然でも、意識すれば必然になる。梓は演奏中なのにも関わらず瞬間に絡み合う視線の行方が気になり始めていた。位置としては唯先輩は気付いていないだろう、ムギ先輩は気付いてもスルーしそうだし。だけど、はっきり分かる。ほら、また目が合った。
 瞬間に交差する視線。流れるような動作。あまりにも自然で、それが不思議で。これだけの演奏をしてて何で? と思ったけど、その視線の交差が演奏レベルを引き上げていく事に気が付いた。つまりは律先輩と澪先輩には通じ合う何かがあって、それが音に表れているんだということが。
『……なんか』
 入り込めないなにか。ふっと感じた、そのなにかは梓には分らない。けど、なんか。寂しいような、取り残されたような……………羨ましいような。
「――――――にゃん? あ〜ず〜にゃ〜ん?」
「はへっ?!」
 呼ばれた事に驚いて飛び上がる。呼びかけた唯も、梓のリアクションに目を丸くしていた。
「え、ええっと……」
「もう一曲終わってるわよ、梓ちゃん」
 紬が心配そうに梓を見ている。慌てて周囲を窺えば、律は呆れて、澪は早くもベースを持ったまま「ほ、保健室行くか?」とオロオロしている。声をかけた唯の眉が心配そうに寄っているのを見て、梓は慌てて弁明する。
「あっ! いえ、すみません…………ちょっと演奏してる皆さんに、その、見蕩れたっていうか」
 本当は澪先輩と律先輩に、なのだけど。でも、
「だろ〜? ようやく気付いたか、私の演奏中に溢れ出るオーラってやつに」
 とか、
「え? あの、うん、あ、梓もカッコイイ…………と思うぞ」
 なんて言われてしまうと本当の事なんて言えなくなってしまう。特に律先輩なんて調子乗りそうだし。
「うふ。ありがとう、梓ちゃん」
「ねえねえ、私も頑張ってたよね?」
 気付いてない二人に申し訳ない。でも、唯先輩のドヤ顔はちょっとウザい。梓は「はいはい」、と適当に唯をあしらっていたのだが、
「よーし! 梓も疲れてるみたいだし、お茶にでもするか!」
 律の言葉にしまった、と苦い顔になる。サボる口実を与えてしまった、これで練習終わっちゃうかも。
「え、まだ私は練習したいんだけど」
 澪先輩ガンバレ! だが、律は呆れたように視線を動かすと、
「でも、なあ?」
 その視線の先には――――――既に唯が席について、紬がいそいそとお茶の用意をしていた。ついでに言えば、さわ子先生はずっとクッキーを頬張っている。セルフでお茶も飲んでたみたいだけど、演奏は聴いていたのだろうか。
「ゆ〜い〜…………」
 澪がガックリと頭を垂れる。梓も同じようにしたかったけれど、それよりも先に、
「あずにゃ〜ん、ちょっと休憩しよう?」
 と言われてしまうのだ。だからガッカリするよりも、
「もう! 少しはそこで練習しようって言ってくださいよ!」
 唯先輩を怒る方が先にきてしまう。けれど今日に関しては、
「だって〜、あずにゃんがお疲れだと思ったから休憩なんだよう? ほらほら、ムギちゃんがお茶煎れてくれたからさ〜」
「うっ…………」
 本当にムギ先輩はお茶煎れてくれてるし。おまけに唯先輩の隣りに座って手招きしてるしい! ここまでされてしまうと梓は何も言えなくなってしまう。いや、ほら、私は後輩だし。そんな言い訳を脳内で展開しながらもちゃっかりと椅子に座ってしまう梓だった。
あずにゃんはいつも頑張ってるから、少し休んだ方がいいんだよ〜」
 ほんわかしてしまう笑顔で唯がクッキーを載せた皿を押し出してくる。ティーカップに紬が紅茶を注ぎ、一口飲んだらホッと一息。って、あれ?
「あ、あの、練習…………」
「ほら、このクッキー美味しいよ?」
 早くも口の周りにクッキーの食べかすをつけている唯に半ば強引に勧められ、結局クッキーを食べてしまう。あ、ほんとに美味しい。
 ということで、なし崩しにティータイムとなってしまった。この状況を当たり前にしてしまっている事に疑問が無い訳ではないのだが、流されてるなあ、と思いつつ梓は紅茶のお替りなんか頼んでしまっている。
 何だかんだで馴染んでしまっている梓がほっこりした気分でクッキーを齧っている唯の食べこぼしを拭きとっていた時、ふっと視線を向けたその先には。 
『あ…………』
 ティータイムを楽しんでいるテーブルから離れたドラムセット。休憩を言い出した律先輩がまだそこにいる。傍らには澪先輩、凄く自然に。そこに居るのが当たり前のように。
 笑っている。二人だけで。二人しかいないみたいに。
『いいな…………』 
 何故か梓はそう思った。澪が羨ましい。律が羨ましい。二人が、羨ましい。何で、どうして? あんな風に笑っていられたら。誰と?
「おーい、りっちゃ〜ん。早くしないとクッキー無くなっちゃうよ〜?」
「ちょ、待て待て! って、言ってる間に食べてんじゃねえよっ!」
 慌てて律がドラムセットから立ち上がって駆け寄る。しかし、梓の視線は唯に飛びかかる律には向いていなかった。呆れたように苦笑している澪。その自然に律を促した動き。今までだってそうだったのかもしれないけど、今までだったらもっと慌ててたはず。その澪も今はテーブル側で紬と話している。だけど、律の隣りで。それが凄く自然で。誰も何も違和感など持たないレベルで。
 けれど、それが梓には違和感に感じてしまう。あんなに自然なのが不思議なくらい、律と澪の距離が近く見える。それって、
『やっぱりいいなあ……』
 梓がそう思って見た先には。
「むぐぐ…………」
 律とクッキーの取り合いをして喉に詰まらせてる唯がいて。
 

 何でだか解らないけど、ため息が出た。