『SS』 たとえば彼女か……… 36

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 日が暮れて宵闇が包む緑に囲まれたベンチは、俺がこの日常が実は非日常だと聞かされた重要な場所である。そして、俺が恋人と言える女性に出会うことが出来た場所でもある。
 そのベンチに座り、非日常の塊ともいえる存在を隣に座らせている。
「今日は色々すまなかったな。それと、ありがとう」
 改めて言うと照れてしまうな、つい空を見上げながら礼を言ってしまった。九曜と向かい合うと瞳に吸い込まれそうな気がしたから、とも言えるかもしれない。
 隣に座る九曜は何を思っているだろうか、そんな事を考えてしまう。
「―――――あなたは―――――」
 何だ?
「―――――アジアの―――――パピヨン―――?――」
 もっと愛を込めて! って、
「お前なぁ、ここにきてボケてもしょうがないとか思わないのか?」
 今日一日の疲れがどっと出てくる脱力感だ。項垂れてしまうしかない。がっくりと肩を落としてため息を吐くと、
「―――――んしょ」
 九曜が背中に乗ってきた。またも俺の背中を安住の地にするつもりらしいが、ここにきてお前の顔が見られないのも寂しいんだぞ?
「―――――ここが一番―――――落ち着くの―――――」
 そうかい。おぶっているようで、もしかしたら九曜に抱きかかえられているのかもしれない。それとも、こいつでも照れて顔を見られたくないなんて思っていたりするのかもな。
 背中に、九曜の重みと温かさを感じる。それは九曜がここにいるという証なのか、九曜自身の主張のようなものなのか。その温かさと重みに安心してしまっている俺も居るのだ。確かに彼女はここにいる、という安心感は不思議なくらいに俺の心を落ち着かせる。
 お互いに妙な落ち着きを感じてしまっているのだが、それもこいつ相手ならいいのかもしれないな。緊張感の無い、心地良い空気が無言の俺達の間に流れている。
 もうしばらくこうしていたいが、それでは夜も更けてしまう。九曜の家は相変わらず分からないが、明日の事を考えればこの辺りが限界だろう。
 俺はパーカーのポケットから、これも最後まで大事にしまっていた小さな紙包みを取り出す。
「ほら、九曜」
 背中に乗る九曜にも分かるように手を後ろに伸ばした。様子は見えないが、多分首を数ミリ傾けた九曜は、
「―――――なに?」
 いや、手が辛いから取ってもらえないか? もしくは、降りろ。すると九曜は黙って俺の手から包みを受け取ったって、まだ降りる気無いのかよ。やれやれ、本当は顔を見たい所だぜ。多分表情は変わらない気もするが。
 包みを持った九曜は、そこから何のリアクションも示さない。どうした、と思ったら、
「―――――いい?」
 何がだよ、って開けていいかってことか。長門もそうだが、人に物を貰うという概念が無いのかもしれないな。
「お前にやったんだから、開けて見てもらわないと意味が無いぞ」
「―――――そう」
 ガサゴソと頭上で音がする。いい加減降りてくれてもいいと思うのに、九曜は俺の背中の上で包みまで開けてしまったようだ。
 そして、九曜の動きが止まった。どうやら中身を見たらしいな。少しだけ黙った後で、
「―――――なに?」
 と訊かれた。中身が分かってる俺としては答えは一つしかない。
「見たままだ、お前だって見たことあるだろ?」
 返事は無かったが、多分頷いたと思う。なので、話は続けさせてもらうぞ。
「お前にもチョコは貰ったからな。これはお礼だ、それとささやかだけど感謝の印だと思ってくれればいい」
 キョン子に買った指輪とは違う店で、どうにかお前に似合いそうな物をと思って探したんだからな。
「気に入るかどうかは分からんが、俺としては精一杯選んだつもりだ。良かったら貰ってやってくれ」
「―――――」
 何も言わない九曜は俺の背中で何を思っているのだろう。どんな顔をって、俺にしか分からないだろうな。だから、
「おい、降りて来いよ。そのまま持って帰るより着けてやるからさ」
 ポケットにでも入るだろうが、それは味気無いってもんだろう。まあ自分で着けてくれても構わないが。
 すると、あれだけ背中から降りてこなかった九曜が音も立てず、重さも感じないままで俺の膝の上に座っていた。いきなり目の前に髪の毛の束が現れたら驚くだろうが。
「―――――」
 しかし九曜は何も言わない。言わなくても解れ、という事か。さっきの俺の言葉から取った行動なのだからな。
「―――――ん」
 はいはい。催促されたから、という訳でもないが九曜の子供っぽい態度に思わず微笑んでしまう。そして、九曜に渡したプレゼントをもう一度受け取った。
 


 それは、小さな三日月の飾りがついたペンダント。宇宙人だからって訳でもないが、何となく九曜に似合いそうだなと思ったのだ。
 闇に隠れ、欠けているように見えていても確かに存在する月は、存在が無かったようで確かにそこにいる九曜に似ているのかもしれない。無意識にそう思ったから、三日月なのだろうか? ただ、九曜には良く似合う、それだけは間違い無いだろう。そのつもりで買ったのだからな。
「ほら、着けてやるから」
 ペンダントを持って首に手を回す。が、はっきり言おう。



 髪の毛が多すぎてどこに手を回しているのか分からん!



「ががががーん」
 ががががーん、と口で言った九曜は、ちょっと落ち込んだのか項垂れてしまった。余計に髪の毛が邪魔になるけど、それどころじゃない。
「あー、すまなかった。ただ、ちょっと髪の毛を上げてくれると助かるんだが」
 この膨大な量の髪をどうやって、と思わなくも無い。だが、自分の髪なんだからどうにかなるんじゃないか? すると九曜は、
「――――――――――待ってて―――――」
 そう言って後ろに手をやる。髪に隠れて何をやっているのか分からなかったが、
「―――――んしょ」
 九曜の声と同時に、
「うわっ?!」
 あの膨大な量の髪の毛が一気に持ち上がったのだ。目の前で海が割れたような感じで、尚且つ俺には髪が当たらなかった。
 そして、そこには純白に輝いてさえ見える九曜のうなじがあった訳で。全然そんなつもりが無くても思わず息を呑む。
「あ、ありがとな。それじゃ、着けるぞ」
 いかん、何か緊張する。想像通り、というか想像よりも細い九曜の首筋は日に当たる事も無いからか抜けるように白く、まるで白磁のように美しいが儚さも感じてしまう。硝子細工のように、触れたら壊れてしまいそうな。 
 やばい。女の子の首筋をここまで眺めるなんて、有るようで無かったシチュエーションだ。少しだけ手が震えてしまうのはどうしようもない。恐る恐る、九曜の肌に触れないように、などと余計な事を考えながら九曜にペンダントを着けてやった。
「ほら、着けたから」
 必要以上に時間がかかったせいか、妙に疲れてしまったな。一息吐いていると、
「―――――そう」
 九曜が手を下ろす。すると視界がまたも黒で覆われた。あれだけの髪を持ち上げていれば九曜も疲れるのかもな、時間をかけて悪かった。というか、この余計な緊張感を悟られたのではないかと不安になる。
 そんな俺の不安をよそに、九曜はどうやらペンダントの飾りをいじっているようだ。あまり触ると外れるぞ? 
「なあ九曜、こっち向いてくれないか? その、着けたところを見たいんだ」
 照れくさいが、せっかく九曜の為に買ったんだ。しかも着けてやったんだから、それは見たいじゃないか。
「―――――そう?」
 そうだよ。と、突然膝の上に座っていた九曜が体ごとこちらを向いたのだ。
「って、危ないだろ! 落ちる!」
 ほとんど体重を感じなかったものの、バランスを崩しそうに見えて自然と九曜を抱えるようにしてしまう。
 こうして気付けば九曜と近距離で向かい合うような姿勢で落ち着いてしまったのだった。
「はあ、大丈夫なのは分かってるが心臓に悪いぜ。頼むからもう少し大人しく振り向くというか、考えてみたら一回降りたら良かったんじゃないか?」
 九曜を抱えておいて今更なのは承知済みで、それでもツッコミを入れてしまうのは性なのか? などというのは、どうでもいいだろう。
「―――――どう?」
 こっちの都合など関係無く、無表情のくせに自信満々で俺の返事を待っている。
 そんなお子様宇宙人に「似合ってるぞ」と言ってやらなければならないのだから、な?