『SS』 長門有希がチュッチュしたい 前編

 いつもの文芸部室。時間は当然のように放課後である。ハルヒはネットサーフィン、朝比奈さんはお茶の管理をしながら雑誌を読み、古泉は将棋盤の前で長考中だ。
 そして長門有希はいつもの窓際で読書をしていて、俺は古泉が駒を置くまで無意味な時間を過ごしていた。ふと長門の読書している横顔を眺めてしまう。
 長い睫毛が落とした視線に合わせる様にわずかに伏せられ、整った鼻筋に薄めだが桜色の唇が軽く結ばれている。無表情だといわれるが、文を追って行く視線と、微妙に呼吸をしているであろう唇の開き、そして追っていた視線が一瞬だけ止まる瞬間、長門が何を感じているのかと思うだけで面白いものだ。
 だが、あまり長門を見ていると何故かハルヒに気付かれてしまうので目線を将棋盤へと戻す。
 淡々と、だが不思議なくらいに充実した時間は、部活動終了のチャイムと共に長門が本を閉じることにより終わりを告げる。そろそろ、と思っていたところで長門が栞を取り出した。
 一枚の、桃色の栞。
 それを丁寧にページの間に挟み、本を閉じたと同時にチャイムが鳴る。
「あ、そんな時間なのね。そろそろ帰りましょうか」
 ハルヒがパソコンの電源を落とすのを横目に、朝比奈さんの着替えを待つために俺と古泉は部室を後にした。
 古泉と適当に話し込んでいたらドアが開き、ハルヒが一番に飛び出してくる。朝比奈さんがそれに続き、最後に長門が出てきたところで、
「…………」
 軽く長門と目が合った。が、別に何か話す訳でも無く通り過ぎる。俺もいつものことなので先を歩くハルヒの後を追った。
 古泉が部室の鍵を返してくるまでの間を下駄箱で待ち、全員が揃ったところで帰宅の途に着く。
 先頭にハルヒと朝比奈さん、その次に長門。最後に俺と古泉が歩くいつもの光景。別にハルヒに何もなければ古泉との会話も当たり障りの無いもので、進学クラスならではの苦労など古泉から聞いたら自分がどれだけ楽をしているか分かろうというものだったりする。
 そんな集団下校も長門のマンション前で解散となり、
「それじゃまた明日ね!」
 とハルヒが駆け出し、朝比奈さんが丁寧に頭を下げて続いて、古泉も軽く手を振って別れる。残った俺は長門がマンションへと向かうのを見送ってから家へと帰るのだった。




 家に帰るとすぐに着替え、再び玄関へ。家の前に置きっぱなしにしていた自転車に跨って、一気に漕ぎ出す。
 何も言わずに目的地まで到着すると、俺は自転車を停めて歩き出した。
 通いなれた場所へはインターフォンを押さねばならない。部屋番号を押したと同時にオートロックの自動ドアが開く。返答など聞く必要もないので真っ直ぐにエントランスを通り抜けてエレベーターに乗った。
 エレベーターの扉が開くと同時に飛び出した俺は一目散に目当ての部屋の前までやって来た。別に焦っている訳でも無いのだが、目的が一つしかないのでドアの前でもう一度インターフォンを押すだけだ。
 すると、ゆっくりと玄関のドアが開き、
長門っ!」
 俺はドアを開けた長門を抱きしめた。全てを分かっていた長門は黙って抱かれたまま俺を部屋の中に入れてドアを閉める。当然のように鍵はかけられた。
 そのまま玄関で抱き合っていた俺達だが、いつまでもこうしてはいられない。長門にしっかりと手を繋がれたままでリビング、を通過して寝室へと入る。前フリなどとっくに無くした俺達には、リビングで茶を飲む時間すら惜しかった。
 襖を開ければ当然のように布団が敷かれている事にすら疑問を持たず、俺は布団の上に胡坐を組むと長門を膝の上に乗せる。小柄な長門は俺の組んだ脚の間にすっぽりと納まった。そして、上目遣いで俺を見上げる。
 大きな、黒い瞳が電灯の光を反射して揺れている。俺を見つめる時、長門の瞳はうっすらと潤んでいるからだ。涙の膜は、光の海を瞳の中に創造し、俺はその海に飛び込むように長門に顔を近づける。
「待って」
 長門の声に動きが止まった。何でだ、いつもなら長門の唇を奪える距離なのに。
「今日はわたしが」
 と言われた瞬間に長門の唇が俺のそれに重ねられた。驚いて目を閉じる事も忘れた俺をよそに、長門は何事も無かったように唇を離し、
「あなたにちゅうしたい」
 ち、ちゅう?! そんな可愛いことを長門が言うなんて、どうしよう、この感動! 思わず窓を開けてご近所の皆さまに大声で自慢したくなってしまったじゃないか。
 しかも長門さんったら、
「先程の発言を訂正する。あなたにチュッチュしたい、許可を」
 なんて言うものだから、「喜んで!」と抱きしめたっていいじゃないか。チュッチュだって、長門がチュッチュしたいって言っちゃったんだぞ! これは凄い、凄すぎる破壊力だ。
 それをいつもの無表情などではない、と言っても俺以外に判断出来るかどうかは分からないが、頬をほんのりとピンクに染めて、潤んだ瞳で上目遣いなのだぞ。
 いや、これは参った。この長門有希が俺のものなのだ。俺にしか見せない表情で、俺にしか言わない言葉で、俺だけを誘っているのだ。
 ひょんな事から、というか俺の妄想があらぬ方向に向かった結果として俺と長門の関係は劇的に変化を遂げた。その結果、長門はとっても甘えん坊で寂しがりやのちょっとエロっ子へと進化したのだ。いや、俺から見て進化だと思う。進化だと言わせろ、コノヤロウ。
 ピンクの栞は呼び出しの合図。長門が放課後に本を閉じる際、桃色の栞を使えば即ち俺は何があろうとマンションに駆けつけねばならないのだ。
 今の俺は盲目的に長門を愛しているとしか言えない。きっかけは最低に近いものであっても、過程を経た現在の俺達の関係は良好を越えて溺愛に近いと自覚している。栞の合図はその間隔が短くなる一方であり、週末の不思議探索は長門宅で過ごす為の手段になりつつある。
 そんな俺達なのだが、今までは長門がまだ慣れていない(俺が慣れているのかどうかは別問題だ)のもあってか、主導権は俺が握っていた。キスをするのも、上になるのも。長門はその間為すがままだし、それでも不満など持っていない、どころか長門は俺の腕の中で蕩けるような顔をしているのだから不満を持たれたとすれば俺のテクニックもしくは持久力の問題であって、長門に非は無い。むしろ持久力に関しては長門さんが凄すぎるのであって、俺は初めてから今まで良く持っているのではないかと自負しているくらいだ。
「んっ……む…………」
 ところが最近は長門も慣れてきたのか、積極的な発言及び行動が増えてきた。具体例を挙げるならば、キスの時に長門から舌を差し入れてくるようになった。それも俺の頭を抱え込むようにして、唇を押し付けるように。どこで覚えてくるのか、舌を絡ませるだけでなく咥内を蹂躙するように舐めまわすテクニックに意識が飛びかけた事も一度や二度ではない。
 そして今、チュッチュしたいと言った長門はまさにチュッチュしていた。というか、俺の唇を啄ばむように何度もキスをしていた。本来ならばルール違反なのだが、目を開けて長門を見てしまう。長門は目を閉じて俺の唇を愛しむようにキスを繰り返していた。
「んっ、ちゅ……」
 どうやら長門のチュッチュしたい宣言は本物のようで、唇に軽いキスをしていた長門の唇は同じリズムで頬へとキスの雨を降り注ぐ。それも右と左を交互にしているのだから、忙しないというかくすぐったい。思わず身を捩りそうになると、長門に抱きしめられた。小柄な長門だが、俺の動きを止めるくらい造作も無い。これでキスの嵐から逃れられなくなった俺は、以降成す術もないままに長門にチュッチュされる事となった。




 長門のキスは一定のリズムで、しかしランダムに俺の顔に向かって飛んでくる。頬、唇、顎、おでこ、
「うわっ?!」
 目を閉じたら瞼にまでキスされた。目を閉じなかったら眼球まで舐められそうだ。抗議など出来る訳もないので流されるままに長門のキスのシャワーを浴びる。
「ふ……むっ…………んんっ……」
 可愛く喘ぎながらも長門の行動は大胆になっていく。俺の上に座っていた長門は脚を広げて俺の胴を抱え込むように正面から抱きつき、頭を抱え込まれるように腕を回された。俺も長門の腰に手を回して支えるように抱きしめる。と、自然と手の位置は腰というより尻を抱えるようになるのだが。そっと撫でると、敏感な長門はすぐに反応する。
「まだ、ダメ」
 注意されながら鼻の頭にキスされた。やばい、一々可愛すぎる。どこで覚えてくるんだ、その態度。しかもキスの雨は止むことを知らず、俺の顔で長門の唇が触れていない部分が無くなってきた。
「む……ちゅ……はぁ……」
 夢中になってキスをしている長門、というだけで興奮を隠せないのだが、長門の行動はこんなものでは済まなかった。
「はうっ?!」
 この間抜けな声を上げたのは俺だ。というのも、長門がキスの目標を頬から耳へと移行したからだ。もはやキスではない、耳たぶを甘噛みしている。
「はむっ……ちゅ……ふ…………」
 耳の中に直接飛び込んでくる粘着質な音が興奮を加速させる。わざと音を立ててるのか? と言いたくなりそうになる。と、にゅるりという感触と共に耳の穴に舌が差し入れられてきた。
「ひゃあっ?!」
 頭を固定されている為に動けないのをいい事に、長門の舌に耳の穴が蹂躙されていく。ぞくぞくと背筋を駆け抜けていく感覚に全身が震える。
「な、長門……」
「まだ、ダメ」
 耳の中に息を吹きかけられ、硬直した隙を突かれて長門の唇は耳から首筋へと這っていく。寒気のような微妙な快感が背中から腰にかけて貫くように襲い掛かってくる中で、長門の舌が温かく滑る。
 首筋を往復させながら、俺が声を上げそうになると唇にキスをしてくる。最早長門の焦らすような動きに支配され、俺は何も抵抗出来ないままに波のように背筋を走る快感の虜となっていた。
「はふ……ん……」
 舌を這わせながら長門の手はホールドしていた俺の頭から離れ、制服のシャツのボタンを外そうとしている。手元など見る事も無いまま、器用にボタンを全て外した―――――シャツはズボンから引っ張り出された――――――長門は、俺にキスしながらシャツを脱がせてしまった。
「腕を上げて」
 唇を離した長門がそう言った時には既にアンダーシャツの裾に手をかけていた。その上で瞳を潤ませて見上げてくるのだから逆らう要素など何処にも無い。素直に両手を挙げると一気に脱がされた。あの長門が、と言えるくらいに乱暴に脱がされたシャツの行方を見る間も無い。
「んっ!?」
 長門の唇が俺の唇を奪ったからだ。しかも、いきなり舌を差し入れてきた。驚く間も無く唇がこじ開けられ、舌が咥内に侵入してくる。長門の舌は正確に俺の舌を捉え、絡め取るように舐め回してきた。
 くちゅくちゅと粘膜が交じり合う音が鼓膜に響く。聴覚から犯されているようで、思考が停滞していく。長門の舌が歯茎を一本ずつ舐めていく感触に腰が浮いて行く。口の中全てを長門の舌に支配されたようだった。
「ふ……ふぅ…………んぅ……」
 呼吸は鼻からしか出来ないのだが、その鼻から抜ける長門の声が可愛すぎる。おまけに漏れてくる吐息まで甘く感じるのだから痺れている脳内が長門の口に舌をねじ込んで咥内を蹂躙しろと命じても従わざるを得ないだろう。
「は……うぅん…………ふぁ……」
 長門の口の中はいつでも甘い。甘く、蕩けそうな程だ。互いの舌が、互いの咥内を貪り、互いの味を移そうとする様な行為。抱えた長門の体も小刻みに震えている。口の中がここまで快感を呼び起こす器官だとは気付かなかった。それも相手が長門だから、かもしれないが。
「む……はぅ……」
 長門の唾液が流し込まれた。甘い蜜のようなそれを飲み下す。散々舐り倒したはずの長門の咥内から、まだこれだけの蜜が溢れ出るのかと驚く。しかも、飲み干してもまだ送られてくる唾液は媚薬の効果でもあるのか、全身が熱くなってきた。
 それでも長門のキスは止まない。俺の口の中は何処を舐めてももう長門の味しかしないだろう。飲み干した唾液で喉の奥、胃の中さえも長門に染められているかのようだ。それなのにまだ長門の舌は、唾液は、俺の中に入り込んでくる。
 快感に溺れ、頭の中は既に白い霧がかかっているようで、視界すらもはっきりしなくなってきている。熱くなった体の、特に下半身の一部が痛いくらいに主張しながら腰を浮かせてしまっている。しかも、そこは長門が腰を落ち着けて、いや、擦り付けている。裸になった胸板は長門の指が這うように撫でている。全身を快楽に沈み込ませるように、長門は俺を攻めている。
「ぷは……」
 ようやく長門の唇が離れた時、俺は思わず後ろに倒れ込んだ。自然と長門が俺の上に跨るような格好になる。見上げる長門の胸が大きく上下しているように見えるのは、呼吸が苦しかったのか? あの長門が。それとも、興奮しているのかもしれない。荒く聞こえる息遣いと、無意識に動いている長門の腰。動くたびに俺の下半身も刺激されて、息が止まりそうになる。
「な、長門……俺、もう……」
 正直限界だ、ズボンに押し込まれたアレは痛いほど突っ張っている。下着も濡れて気持ちが悪い、今すぐにでも脱ぎ去って解放したいんだ。しかし長門が跨っているので自由に動けない。
長門、頼む……」
 分かっているはずだ、どうしたいのかなんて。長門だって我慢出来ないだろ? 腰が動いているのだから。
 しかし、長門は馬乗りのまま俺の胸に倒れこんできたのだ。素肌に髪の毛が擦れてくすぐったい。ふわりと髪の香りが鼻腔をくすぐり、俺の興奮を一段と高めていく。
「ながと?」
 胸に頭を乗せたまま密着した長門が顔を上げて俺を見つめる。その顔を見て俺の全身に鳥肌が立った。
「まだ…………ダメ……」
 それは、無表情の殻を脱ぎ捨てた長門の微笑みだった。
 だが、ただの微笑みではない。お預けを喰らった俺を上目遣いに見つめながら、指先で胸板をいじりながら、舌先で唇を舐め取りながら、俺が何をして欲しいのか全て承知の上で微笑んでいるのだ。
 



 純真で、小悪魔的で、淫蕩な微笑みを浮かべ、長門有希は俺の喘ぐ姿を見つめている。
「もっと……あなたを…………チュッチュしたい…………」
 黒曜石の瞳が淫らな光を湛えて怪しく輝く。なぞるような指先が敏感になった胸の上で踊る。少しだけにじり寄ってきた長門が、耳元で囁いた。
「…………許可を」
 そのまま息を吹きかけられ、俺は生唾を飲み込んで頷いた。